第254話 失われた記録

真界教団エルラトヴァーリー……百五十年ほど前に誕生したとされる集団ですね。悪魔ギリルを使役する集団であると」


 アメスティアは一瞬で表情を隠し、そして元の穏やかな笑みを浮かべる。

 ただ、それでもその変化は見過ごせるものではなかった。

 それを見てか、エルフィナが話に割り込んでくる。


「私とコウは実際にその場に居合わせました。あのバーランド王国の争乱の中で。その時は教団ヴァーリーがいたわけではないですが、悪魔ギリルが使役されていたのは確かで、もともと私達は、その黒幕を探るためにロンザスを越えて西に来たのです」

「そうだったんですか。では、こちらまで来られたのは……」

「正直、ティナちゃんを護衛するという任務がなければ、東に帰っていたか、まだ帝国にいたかのどちらかだとは思います」


 いずれこのファリウスに来る必要があるかというのはあっても、急ぐ理由はなかった。少なくともこんなに早くここを訪れた可能性は低い。


「では本当に巡りあわせですね。それには感謝を」


 アメスティアはそういうと、祈るように手を合わせる。この仕草はどうやらこの世界でも同じらしい。

 その仕草が終わったのを見て、コウが口を開く。


真界教団エルラトヴァーリーがいつから活動しているのかはわからないが、その活動が記録されているのは百五十年ほど前だという。そして、おそらく彼らは次元結界アクィスレンブラーテのことを知ってるのではないだろうか。実際、真界教団エルラトヴァーリーはエルスベルに関わる知識を保有している可能性があり、かつ、次期教皇グラフィルとなるティナを狙ったのは、何かしら……」


 するとアメスティアは、大きく、そして力を抜くように深いため息を吐いた。


「さすがに冒険者の……それも真界教団エルラトヴァーリーに関わってきた方なら気付きますね」

「やはり、神殿と教団ヴァーリーは何か因縁があるのですか?」


 エルフィナの質問に対して、アメスティアはすぐには答えず、少し迷うように目を閉じ、しばらく考えていた。やがてゆっくりと目を開き、それからコウ、ティナ、エルフィナ、ランベルトと順番に視線を移す。


「これから話すことは、神殿でも秘中の秘となります。本来なら部外者である冒険者はもちろん、ティナちゃんはともかくまだランベルト君にも話すべきではない内容ですが……」

「いや、それなら私は席を外すが」

「ここまで聞いてしまっている以上、一緒に責任を負ってもらいましょう。貴方は、次の大司教グラムセルなのですから」


 その言葉に、ランベルトは押し黙る。


大司教グラムセル?」

「神殿において教皇グラフィルに次ぐ地位です。そしてその地位にある者が、ヴェンテンブルグの大神殿の神殿長を兼任する。公にはそんな地位は記録されていませんが」


 もともとエルスベルの統一王ヴェルヒの治める地だったというヴェンテンブルグ。その神殿を預かる地位もまた、特別なものだったらしい。


「話を戻しましょう。真界教団エルラトヴァーリーという存在が、何を考えているのかは――実は私達にも正確なところだけはわかりません。ただ、彼らの正体というか……彼らの最初の頭目のことだけは、神殿に記録が残っています」

「え?」

「最初の頭目?」


 アメスティアは小さく、だが確かに頷いた。


「その者の名はゲッペルリンク。先ほど話した、百五十年前の教皇グラフィルロゼッティ様の前に教皇グラフィルであった人物です」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一万年前。

 世界エルスベル崩壊の際、世界は悪魔ギリルに蹂躙された。

 水は濁り、地は毒を生み、大地は人はもちろんあらゆる生命体が生きていくとが出来ない状態になっていたという。

 ただ、次元結界アクィスレンブラーテは突然その力を回復し、悪魔ギリルは消え去ったとされる。

 その前後の記録は全くないため、実際に何があったかは全くわかっていないらしい。

 とはいえ、汚染された地上に人が戻ることは出来なかったと思われるが――そこについては定かではない。


 それから千年。

 ファリウスにおいて誕生した神殿は、かろうじて命脈を繋いだ神王エフィタス改め教皇グラフィルが、奇跡的に回復した次元結界アクィスレンブラーテの維持の役割を受け継いでいた。

 おそらくエルスベルの時代から次元結界アクィスレンブラーテの維持が、教皇グラフィル――神王エフィタス――の役割だったのだろう。

 ただ、その千年の間の記録は、完全に沈黙している。

 神殿の記録も、代々の教皇グラフィルの名前以外は、地上が人の暮らせる環境になり、人々が地上に解放された時のことを言祝ことほぐところから始まっているのだ。

 

 そうして、地上に人が出て行ってからさらに千年ほどが過ぎる。

 この頃になると、神殿の支援もあって世界は安定し、国が誕生するようになっていた。

 エルスベル時代の多くの英知は失われていたが、それでも人と妖精族フェリアはそれぞれに社会を形成し、少しずつかつての暮らしを取り戻していったらしい。


 一方で神殿は、かつての記録の再現に勤めていた。

 それは『空白の千年』とされる期間と、それ以前のエルスベルの記録である。

 初代の教皇グラフィルフィオネラから数えて、少なくとも二十五人の教皇グラフィルがいたはずだが、いずれも在位期間と名前以外の記録がない。

 つまり神殿すら、千年目付近で記録と記憶が抹消されたのかと思うような状態だという。


「そして長年にわたり、神殿はここに残された記録、そして世界各地に残された記録から、エルスベル崩壊時に何があったのかを調べ続けました。先ほどの、エルスベル統一王朝が悪魔ギリルに蹂躙されたという記録や、その後地上が荒廃しきった事実も、その中で見出した事実です。そして――」


 アメスティアはエルフィナを見てから、少し言いづらそうに言葉を切る。

 ただ、コウとエルフィナには、その言わんとするところは推測ができた。


「私達妖精族フェリアが誕生したのが、その千年の間、なのですね?」


 そのエルフィナの言葉に、アメスティアは少しだけ驚いたような表情になる。


「やはりお二人が行ったというヴェンテンブルグ近郊の湖底遺跡というのは……」

「やはり神殿は知っているのですか」

「はい。長年の調査の結果、間違いないと考えられています。空白の千年、正しくはその始まりたる悪魔ギリルの襲来によって、この世界は事実上滅んだ。そして、そのわずかに残された人々を隔離した施設が、大陸のあちこちに存在しました。隔離されたのはほとんどが子供たち。この理由は明らかになっていません。ただ、その施設の中で子供たちの一部が変容し――そして、妖精族フェリアしたとされています」

「俺達も同じ結論に至っている。湖底遺跡で見た記録だが――」


 コウとエルフィナの話に、アメスティアは驚いていた。


「まだ記録を閲覧できる遺跡があったというのが驚きですが……水の中だったからでしょうか。確かにあの遺跡は存在は知られていましたが、誰も調査できませんでしたしね……。あるいは他にもあるのかもしれませんね」


 妖精族フェリアが生まれたのは空白の千年なのはほぼ確実のようだ。

 だが、だとすれば――。


亜人族インフェリアも、あるいはそうなんじゃないか?」

「なっ……」


 ランベルトが貯まらず声を挙げ、そしてアメスティアは驚きつつも、動揺はしていない様子だった。


「……その話は他の方には……?」

「していない。どう考えても公開していい話ではないと思った」

「賢明なご判断に感謝いたします。ええ、その通りです。空白の千年で変化して誕生したのは妖精族フェリアだけではありません。悪魔ギリルの影響を受けてゆがんでしまった人間エリル。それこそが、亜人族インフェリアだというのが、現在の神殿の見解です」


 確定していないのは、単に明確な記録がないからだろう。

 だが、状況的な証拠を積み上げればそれはほぼ間違いない。


「だから……すべてを合わせて人類エンリルなんですね」


 エルフィナが納得したように呟く。

 人間エリル妖精族フェリア亜人族インフェリアを合わせて、人類エンリルというのが一般的な解釈だ。

 これは、現状交配可能だからという理由でそうされているとされている。

 だが、そもそも違う種族で何故交配が可能なのかといえば――予想はしていたが、元はすべて人間エリルだったということだ。


 さらにアメスティアによると、魔獣ディスラング幻獣ディスラウムも、この千年の間に地上を生き延びた動物が変化したものだという。

 ちなみに現在『動物』とされる魔獣以外の生物は、すべてファリウスで保存されていた動物たちで、これが数千年をかけて大陸中に広まったらしい。

 今でも魔獣を食材とした狩猟料理ヴァスタールは大陸各地で名物なわけだが、もともとはそちらしかなかったというのがある。


「少し話が逸れましたね。ともかく、エルスベル崩壊時、そしてその後千年の間、このファリウスを含め、ごくわずかな施設で人々はその命脈を繋いだ。それは確かでしょう。しかしその後、神殿は持っていたと思われる知識と記録のほとんどを徹底的に破却している。この理由は明らかになっていません」


 おそらくは地上に出る時にそれらの記録をすべて抹消したのだろう。

 記憶の方はどうだったのかと思うが、もし千年の間、各地の施設で人々が『保管』されていた状態であれば、その間に記憶は失われている可能性もある。

 そして、神殿は目覚めた人々にかつてのエルスベルに関する記録を受け継がなかったのだろう。


 それでも最低限の知恵が受け継がれていたのか、衛生観念や環境への配慮の必要性などが、概念としては残されている。


「この、地上に再び出た時、言い換えるならファリウス聖教国の建国の時である聖歴ファドゥラ一〇〇二年。この時に何があったのかはもはや誰にも分りません。これ以後の記録は、世界の復元に関するものばかりで」


 かつてのエルスベルの施設のほとんどが崩壊していたのだから、当然といえば当然か。いきなり原始時代の世界に放り出されたようなものである。

 ただそれでも、法術などは存在したらしいため、人々は少しずつ勢力を回復していったらしい。


「そして、二百年も経った頃に、神殿の中でかつての記録を復元しようという動きが起き、専門の機関が創設されました。先ほどの、妖精族フェリア誕生の謎についても、その機関による調査の結果判明した事実です」

「そんな機関の存在は、私も初めて聞くが……」


 ランベルトはやや困惑気味だ。


「そうでしょうね。今ではこれを知るのは代々の教皇グラフィルだけです。百五十年以上前に、この組織はなくなってますから」

「百五十年……前?」


 あまりに奇妙な一致に、コウとエルフィナが同時に首を傾げた。


「推測は……できますよね。その機関の名は、エルスベル調査室ヴェストーレ。そしてその機関の長は、代々の教皇グラフィルがそれを兼任しました。そしてこれが――現在の真界教団エルラトヴァーリーなのです」

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