第253話 世界の危機

「最後の……神王エフィタス、ですか。それがフィオネラという人?」


 エルフィナの確認に、アメスティアは小さく頷く。


「はい。これは文字通り、教皇グラフィルにのみ伝えられる話ですので、本来は……他人にすることはないのですが」

「アメス姉さん。それなら私は……」

「構いません。というより、おそらくもうそういう状況ではないですから」


 その言葉で、ランベルトは押し黙る。

 それを見て、コウとエルフィナは少なくとも現状が決して楽観視できる状態ではないことを理解した。

 おそらく何かしらの秘密を神殿は、正しくは歴代の教皇グラフィルは、それこそ一万年もの間抱えてきたのだろう。

 ただ、それを隠していられない事態になりつつあるということなのだ。


「もうお二人はご存じのようですが、一万年あまり前。まだ神殿も誕生するよりも昔。この大陸は、一つの国家が統治していました。その名を、統一国家エルスベル。現在、エルスベルという名前だけが伝えられる存在です」


 ランベルトも予想は出来ていたのだろう。そしてティナは、真剣なまなざしで聞いていた。

 彼女からすれば、自分が教皇グラフィルになるというのなら、知っておくべきことだという認識をすでに持っているのだ。


「この国は、今よりもはるかに栄えていたと伝えられています。私もそのあたりは詳しくないのですが、人々があらゆる法術クリフを自由自在に使いこなし、豊かな生活をしていたと」


 その光景は、コウもエルフィナも、あのドルヴェグの遺跡で見た。

 あの世界は確かに、現在よりも、そしてコウにとっては地球より繁栄した世界に思えた。

 ただ。


「しかしエルスベルは突然滅びを迎えます。原因は悪魔ギリルの大襲来と伝えられています。この話だけは、今でも伝説でありますが……ああ、コウ様はさすがにご存じないでしょうか」

「伝説?」

「どちらかというと子供の寝物語ですね。『悪いことをしていると、悪魔ギリルが天を覆い尽くして怖いことになるよ』っていう。ランベルト君は子供の頃これが本当に怖くて、いつもお母さんに抱き着いていたと聞きましたが」

「な!? だ、誰がそんなことを!?」

「貴方のお父上ですよ。十年前、ここに来た時に話してくれました」

「と、父さん……」


 がっくりと肩を落とすランベルト。

 その光景は微笑ましいが、コウにとって重要なのは、つまり『悪魔ギリルが天を覆い尽くす』という光景が、この世界の人々にとっての恐怖の象徴であるということだ。

 この手の伝説は、往々にして実際に起きたことを元にしていることが多い。

 そしてまさに、その『天を覆い尽くす悪魔』という光景が、実際に起きたことであるというのは間違いない。コウとエルフィナがあのドルヴェグの遺跡で見た光景だ。


「しかし、先ほども言いましたが次元結界アクィスレンブラーテが完全であれば、悪魔ギリルがこの世界に大挙して現れることなどありえないはずでした。ですが、エルスベルが滅んだ時、次元結界アクィスレンブラーテはその機能を著しく減退させていた――と推測されます」


 そして、エルスベルは悪魔ギリルに蹂躙され、滅んだとされる。

 記録では、その後エルスベル最後の神王エフィタスであるフィオネラが神殿を立ち上げ、この地、ファリウスを聖地としたとされる。この辺りはわずかな記録しか残っておらず、フィオネラがいつ死んだのかも不明らしい。

 さらにその後、千年ほど記録が失われているという。

 これがいわゆる『空白の千年』である。


 ちなみにエルスベルの元首は統一王ヴェルヒという。これは、現在のグラスベルク帝国の皇帝ヴェルヒの呼び名と同じである。

 この統一王ヴェルヒの家系も生き残り、エルスベルの都のあったヴェンテンブルグ付近で生きながらえたらしい。

 そしてエルスベルにおける神王エフィタスは、統一王ヴェルヒに仕える存在だったという。

 現在でもなお、神殿が帝室を重んじているのは、主筋だからであるらしい。

 だから今でも、神殿は帝国、グラスベルク家の継承にだけは口を出さず、そしてヴェンテンブルグの支配者としてグラスベルク家以外を認めないとしているのだ。


「一万年前、そしてその後の千年の間に何があったのかについては、神殿にも記録はほぼありません。ただ、おそらく悪魔ギリルが退去したことから、次元結界アクィスレンブラーテの力が復活したのではないかと推測されてます」


 結界がなければ悪魔ギリルに世界が蹂躙されるというのなら、それが復活すれば悪魔ギリルが退去するのが道理ということだろう。


「ただ、おそらく不完全だったのでしょう。だから今でも、悪魔ギリルが稀に現れることはある……のですが」


 アメスティアはそこで言葉を止めた。

 この先は言いづらいことなのだろうが――コウもエルフィナも、その続きは推測がついた。


「その次元結界アクィスレンブラーテが、再び力を失おうとしている?」


 コウの指摘に、アメスティアは今度は驚いた様子はなく、しかしはっきりと頷いた。


「ここまで話せばわかりますね……その通りです。昨今発生している魔獣の異様な活性化も、この影響だと考えられます。そして本来、教皇グラフィルとなる者は、この次元結界アクィスレンブラーテとつながる能力を持つ者でもあるのです」

「え……もしかして、それが神子エフィタスと?」


 エルフィナの言葉に、アメスティアはゆっくりと首を横に振る。


「その通りともいえますし、そうではないとも言えます。正しくは神子エフィタスの中に教皇グラフィルとなるべき資質の者がいる、というべきでしょう。ただ、教皇グラフィルとなるのに向いている神子エフィタスとそうではない神子エフィタスがいるのは事実です。それを特に聖者ユファスまたは聖女ユフィスと呼ぶこともありますが」


 そしてアメスティアはティナをまっすぐに見る。


「ティナさん。貴女は間違いなく、教皇グラフィルとなる資質を持つ神子エフィタスです」

「私、が……」

「ただ、教皇グラフィルの役割はあくまで次元結界アクィスレンブラーテの維持。次元結界アクィスレンブラーテに発生するわずかなほつれを修復する程度のことは出来ますが――次元結界アクィスレンブラーテそのものの力の消失を補うことは出来ないのです」


 そして、とアメスティアは少し悲しげな瞳になる。


「残念ながら、私の力はすでに衰えを見せています。だから実は、次代の教皇グラフィル候補の捜索は急務だったのです」

「もしかして、アメス姉さんが若くして教皇グラフィルを継いだのは……」

「ええ。先代の教皇グラフィルであったルメリア様も、急激に力を失いました。そのため、就任時は、歴代でも類稀なお力をお持ちで、あと十年は教皇グラフィルを続けられるとみられていましたが、結局在位は九年。これでも先代よりは長かったのですが」


 アメスティアによると、歴代の教皇グラフィルは比較的在位期間が長く、人によっては八十歳まで五十年余りも教皇グラフィルの地位にいた者もいたらしい。

 だが、それがここ百年数十年の間は、著しく短くなっているという。


 現在のアメスティアは初代のフィオネラから数えて、三百六十七代目の教皇グラフィルだという。

 百五十年前に退位した第三百四十二代目の教皇グラフィルロゼッティの前までは、平均在位期間は三十年近く。

 それが、ロゼッティ本人が十五年。

 そのあとの教皇グラフィルの平均在位期間は、なんとわずか六年程度。

 それだけ、消耗が激しかったということになる。


「理由は、次元結界アクィスレンブラーテの修復にかかる力が予想以上に大きくなっているためです。神子エフィタスは無尽蔵に等しい魔力を持ちますが、それと次元結界アクィスレンブラーテを修復する力はまた別で、それは少しずつ失われてしまうのです」


 アメスティア自身も、あと二年程度という予想らしい。これでも、直近数代の教皇グラフィルの中では長い方だという。

 そこまで説明したアメスティアはコウに向き直る。


「そこに来て、『直す者』とされたと思われる貴方が現れた。それもあって、私達は貴方に期待をしたい、というのがあります」


 コウからすれば、いきなりそのようなことを言われてもとは思うが、現状コウにはアメスティアの言葉が正しいかどうかの判断をする材料がなかった。

 ただ、異世界ちきゅうから来てしまった自分が、なぜこれほどに異様な力を持っているのかについての説明は、あるいはこれならつく気はする。


 ただ、コウの持つ力は個人としては桁違いに強力ではあるが、一方で唯一無二というものではない。

 儀式法術インペリストクリフを使えば、時間と手間こそかかるが、コウと同じことは出来る可能性はある。

 少なくとも、その可能性を神殿が考えてないとは思えず、つまりその方法ではおそらく次元結界アクィスレンブラーテは修復できないのだろう。


 それではないとすれば――。


(俺の中にある、もう一つの力か)


 排魔の結界の中であろうが法術クリフを使うことができ、さらに原初文字テリオンルーンを用いた法術クリフにも届く力。

 ただ、それがなんであるかは、いまだにわからない。

 あのバーランドの戦い以後、一度も見出すことは出来ていないのだ。


 ただ、もし自分に負わされた役割が次元結界アクィスレンブラーテに関わる者であるならば、あるいはそれを見れば、何か気付ける可能性はあるかもしれない。

 そこまで考えて、コウはあることに気が付いた。


「そもそもの質問ではあるのだが、次元結界アクィスレンブラーテとはどこかに、物理的に存在するのですか?」


 するとアメスティアは少し迷ったようにしてから――小さく頷いた。


「それが、このファリウスが特別である理由です。このファリウスには、次元結界アクィスレンブラーテと接触できる場所があるのです。元々このファリウスは、そのために造られた施設だとされてます」


 つまり、次元結界アクィスレンブラーテを守るためにファリウスがあるようなものか。神殿の中心地がなぜこんな僻地にという疑問があったのだが、そもそもここである必要があったわけだ。


次元結界アクィスレンブラーテの力が、最近著しく減衰しつつある……それは間違いありません。それも、急激に。そしてそこにきてもたらされた神託リルチェによる『直す者』という言葉から推測できるのは――」

「俺が、その次元結界アクィスレンブラーテを修復できるというのか……?」

「私はそう考えています。――そう考えたい、というところもありますが、私も正直に申し上げれば、絶対の確信があるわけではないです。ただ、その可能性があるのなら、それにすがりたいという心境でして」


 コウとしても、この世界が悪魔ギリルに蹂躙される未来など見たくはない。

 もし自分がそれを回避するための手助けができるというのなら、それを手伝うのはコウ自身も望むところだ。

 現実として何をやればいいのかすら全くわからない。

 ただ、やれることを探すのには、全く否やはなかった。


「その次元結界アクィスレンブラーテを実際に見ることは出来るのだろうか?」

「はい、可能です。今日すぐに、というわけにはいきませんが」

「それはどういう……?」

次元結界アクィスレンブラーテへと通じる道は、一定の周期でしか開かないのです。次に道が開くのは半月後です。大体、一月おきくらいなので」


 これを多いとみるか少ないとみるかは、コウは少し迷うところではある。

 その様子を見て、エルフィナがおずおずと手を挙げた。


「毎月行っているのですか?」

「そうですね。先ほども言いましたが、教皇グラフィルの役目は、次元結界アクィスレンブラーテの維持。なので基本的に、毎月一度、次元結界アクィスレンブラーテの状態を確認することは、教皇グラフィルの役割の一つです」


 コウはふとその時、奇妙な符号に気付いた。

 次元結界アクィスレンブラーテの力が弱まり始めたのは、百五十年ほど前。これは、教皇グラフィルの在位期間が短くなった時期と一致するのだろう。

 そして、おそらく神と何かしら対立関係にある可能性がある真界教団エルラトヴァーリーの活動が確認されるようになったのも、百五十年前だ。


 そして何より、コウがずっと気になっていたことがある。

 彼らの名称、真界教団エルラトヴァーリーの『真界エルラト』とは、何を指しているのか。

 この世界が、次元結界アクィスレンブラーテによって保護されている世界だとすれば、彼らが目指すのはあるいは――。


「もう一つ聞きたいことがある。真界教団エルラトヴァーリーという存在についてなんだが」


 コウの質問に、アメスティアは少し驚いた顔になる。

 それは、彼ら神殿が真界教団エルラトヴァーリーと何かしら関係なり因縁があることを――如実に物語っているものだった。

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