第248話 大聖堂へ

「起きたらお姉ちゃんいないからちょっとびっくりしちゃったよ」


 ティナが食事をしながら少し不満げに漏らす。

 確かに、朝起きたら一人だけというのは寂しかったのかもしれない。


「ごめんなさい。目が覚めちゃったから、ちょっと街を歩いていたの」

「お兄ちゃんと一緒に?」

「う、うん」


 ティナは少し羨ましそうな視線をエルフィナに向けるが、特にそれ以上何か言うことはなく、服を着替えた。

 その様子に、エルフィナは少しだけ悪い気がしてしまう。


(ティナちゃん、やっぱりコウの事好きですよね……)


 年齢的にはかなり離れているとはいえ、それは今だけの話だ。

 十年後であれば、コウとつり合いが取れるのはむしろティナの方だろう。

 それはエルフィナにも分かっている。

 エルフィナはおそらく今後、数百年は肉体的にはほとんど成長しない。

 しかしティナは人間であり、コウと一緒に年齢を重ねることができる。


 そんなことは関係ない、とかつてコウには言ったが、それでもこの様に彼に好意を向ける人が出てくると、複雑な気持ちになるのは否めなかった。

 この辺り、最初から本人が割り切っていたラクティではそうは思わなかったのだが。


「どうしたの、お姉ちゃん。お食事、行こ?」

「あ、うん。そうね」


 一瞬呆けていたエルフィナは、ティナと一緒に階下に降りた。

 すでにコウとランベルトも降りてきていて、どうやら食事の注文は済ませてくれているようだ。


「今日、大聖堂に行くんだよね?」

「そうだな。一応先触れは出してもらってる」

「先触れ?」


 ティナが首をかしげた。


「要するに連絡しておいただけだ。まあついさっきだが」

「ああ、あの渡してた手紙が?」


 コウとランベルトが降りた際、ランベルトは宿の受付に何かを頼み、その後に来た人物に手紙を託していたのだ。


「そういうことだ。昨日は遅かったし疲れもあったからな。到着だけは伝えておいたんだが」


 コウとエルフィナはいつの間に、と同時に呟いてしまった。

 この辺りの手際はさすがというべきか。


教皇猊下リエル・グラフィルは通常このファリウスの聖堂に常にいるはずなので、大丈夫だとは思うが……稀にどこかに行かれてることはあるからな」

「どこかに行っていたら、しばらく面会は出来ないんじゃないか?」


 この聖都ファリウスは、事実上陸の孤島に等しい。

 他の地域に行くだけである意味大変――とまで考えてから、コウは頭を振った。


「いや、そうか、転移か」

「そういうことだ。少なくとも教皇猊下リエル・グラフィルに限っては、移動という概念がまるで通じないと思っておいた方がいい」


 ある意味では地球より規格外だ。

 ランベルト曰く、やろうと思えばおそらくアルガンド王国にすら一瞬で行くことができるらしい。


 ほどなく食事が運ばれてきた。

 メニューは蒸しパンのようなものに、魚を焼いたもの、卵と野菜を炒めたもの、それにスープだ。今日のスープはポタージュ風だった。


「結構料理の種類も豊富だよな。俺のイメージだと、ここまで陸の孤島だと食べ物は色々大変という気がするが」

「昨日も言ったが、このファリウスの都市内でかなり色々作れるようになってるらしい。この都市がある層より下にも、農作物を作れるような空間があるんだ。私も前に来た時に一度だけ見せてもらっただけだが……あそこもなぜか天井に空が見えたからな」


 どうやらさらに地下にも、同じようなスペースがあるらしい。

 ますますシェルターじみてきているとコウには思えてきた。しかも、地球にあるそういう施設より、遥かに大規模、かつ長期にわたる利用を考えられた施設であるらしい。


 そんなことを話していると、店の入口に初めて見る神官が立っていた。

 こちらを見つけると、まっすぐ向かってくる。


「ランベルト様。大神殿からの使いが戻りました。今日の十四時に、教皇猊下リエル・グラフィルがお会いになりたいと」

「そうか、わかった」

「では、確かにお伝えいたしました」


 そういうと神官はランベルトに封書を渡してから恭しく頭を下げ、立ち去っていく。


「えっと……お昼過ぎ? お昼ご飯食べてから?」

「どちらかというと、ちょうどお昼時というところだな」

「あ、そうか。この辺りはそうだね」


 ティナが納得した様に頷く。

 この辺りは感覚的には帝都付近より時間が二時間ほど遅い。


「食事してから行くのか?」

「いや、わざわざその時間を指定したなら、多分そこは気にしないでもいいとは思う」


 ランベルトはコウにそう答えてから、封書をティナに渡す。


「ティナ宛てだからな。ティナが開けてくれるか?」

「あ、うん」


 ティナは封書を受け取ると、慎重に開く。中にあるのは一枚の紙片。


「えっと……十四時に大神殿に来てくださいって。……あれ?」

「どうしたの、ティナちゃん」

「なんか……護衛の人も一緒にって」


 コウとエルフィナは思わず顔を見合せた。

 コウとエルフィナの役目は、聖都ファリウスまでのティナの護衛。

 厳密に言うなら神殿に送り届けるまでだ。

 コウとエルフィナは、少なくとも今回は護衛としては神殿に入る必要がないと考えていた。

 あとは仕事が終了した証明――これ自体はランベルトが発行できる――を持って、他の都市で報酬を受け取ればいい。


 ただ、コウ自身この街で調べたいことがあるので、それについては別途頼むつもりではあり、頼む相手として最適なのは教皇グラフィルだろう。なのでこの要求は渡りに船ではあるが、予想外なのは事実だ。


「何でしょうね……教皇グラフィルが私たちのことをそもそも知ってるのも……意外ですが」


 冒険者を護衛としているのは連絡を受けているだろうが、それでもわざわざ教皇グラフィル自身が会う理由はない。

 無論こちらには頼みたいことがあったわけだが、さすがに教皇グラフィルに直接頼むようなことではないと思っていたので、後日神殿に行くつもりだったのだ。


 エルフィナが不思議そうに首を傾げ、コウも理由が分からず、やや困惑気味だ。


「まあ指定された以上、行くしかないだろう。……ああ、食事はやはりしてこなくていいとも書いてある……な。こういう指定は珍しいが」


 見ると、確かにそう書いてあった。

 会見後に食事を用意してくれるという事だろうか。


「そういえば……帝都を出発した時に少しだけ聞いたが、当代の教皇グラフィルというのはどういう人なんだ?」


 するとランベルトが少し意外そうな顔をして――しかしエルフィナも同様に頷いているのを見て、少し苦笑する。


「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、世間に疎いねぇ。私でも知ってるのに」

「う……」


 ティナまで知っているということは、かなり常識と言える話なのだろう。

 ただ、今回に関しては幸いにもエルフィナもあまり知らないようだ。

 もっとも、大陸のほぼ対角線上に住む、人間社会と関係の希薄な妖精族フェリアと同列にされてしまうのは――やはり微妙ではあるが。

 とはいえ、知らないのは仕方がない。


「アメスティア教皇猊下リエル・グラフィル。六年前に教皇グラフィルに就任されたというのは話したと思うが、当時二十一歳で、これは歴代で最年少での教皇グラフィル就任だった」


 先代の教皇グラフィルもまだ四十歳にもなっていなかったらしいが、それでも教皇グラフィルの座を譲ったらしい。神殿における教皇グラフィルの地位の継承については神官たちも知らない理由があるのか、ランベルトもそのあたりは詳しくは分からないという。


「六年前ということは、ランベルトも今の教皇グラフィルに会うのは初めてになるのか?」

「……実はそうでもない。アメスティア猊下とは、当時私がファリウスで滞在していた時に少しお会いしてる。当時は教皇グラフィル候補だとは知らなかったのだが、それでも類まれな力をお持ちだったのは確かだ」


 ランベルトによると、彼より数年先にファリウスに来ていた神官だったらしい。年齢は二つ上だが、ランベルトは色々世話になったという。今からすればいい思い出でもあるようだ。


「それだけに、六年前に突然教皇グラフィルに就任したと聞いた時は驚いたものだ。年齢がやや近かったのもあって少し親しくさせていただいていて、神殿での勤めでは本当に色々助けてもらったよ」

「少し懐かしい? ランベルトお兄ちゃん」

「少しそういうところはあるかな。何しろ十年振りだ」


 ランベルトは少し懐かしむような表情をして、外を見た。

 その視線の先にあるのは、光り輝く尖塔を持つ、街の中心にある大聖堂。


 そこで何があり、そして何を見ることになるのか。

 期待とわずかな不安が、一行の胸に去来していた。

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