第247話 聖都の街並み
昨夜早く寝てしまったからか、コウが目を覚ました時、外はまだ暗かった。
隣の寝台を見てみると、ランベルトがまだ熟睡している。
一方でコウは完全に目が覚めてしまったため、もう一度寝る気にもなれず、かといってじっとしてる気にもならなかったので、外に出ることにした。
服は昨日のままなので問題はない。
ランベルトを起こさないように、静かに扉を開ける。
廊下を覗き込むと、ほぼ完全な闇に近い。
さすがに暗すぎるので灯りを灯そうかと考えたところで、人の気配を感じて振り返った。
お互いの部屋からわずかに漏れる月明かりで、かろうじてシルエットだけが見えるが――。
「エルフィナ?」
「コウですか。ちょっとびっくりしました」
少しだけ緊張していた雰囲気が、一瞬で
「早起きですね、コウ」
「エルフィナもな。俺は昨日部屋に入ったらすぐ寝てしまったんだが……」
「私もそうかからず、でした。ティナちゃんは一瞬で寝ちゃってましたが」
「ここまで長旅だったからな……疲れたんだろう」
幾度か宿をとって休んでいたとはいえ、ザルツレグを除けばせいぜい一泊程度。ザルツレグでも遺跡探索でむしろ普段以上に疲れたといえるので、その意味ではここまで本当に大変だったと思う。
目的に着いたことで緊張の疲れが一気に来ても不思議はない。
しっかりしているようだが、ティナはまだ十一歳の子供なのだ。
とりあえず扉を開けっぱなしで話すのもなんなので、二人は廊下に出ると扉を静かに閉じて、階下に降りた。
さすがにまだ誰も起きていないのか、一階の食堂も誰もいない。
正面の扉は開け放たれている。
ここにいるのは神官か巡礼者だけ。
おそらく犯罪行為などは通常考える必要すらないのだろう。
とりあえず二人は宿の外に出た。
「コウはどこかにいくところが?」
「特に考えてはいないな……朝まではまだ数時間ありそうだが」
「ですね。ちょっと時間は分からないですが、空……というか天井がまだ星空ですし」
「とりあえず体を洗いたいのはあるが……そもそもこの街に風呂とかあるのかだが」
「そういえばそうですね。さすがに温泉が湧いているとは思えませんが……」
「そうだな……そもそもあったとしても二十四時間営業ということはないだろうしな」
「それは無茶では……」
「そうだよな……俺の世界には普通にあったんだが」
コウの住んでいた周囲にはなかったが、都市部に行けば普通にあったと思う。
考えてみればとんでもないサービスだ。
「……すごいですね、それは」
感心したように呟いてから、エルフィナはふと思いついたように顔を上げる。
「コウ、体をさっぱりさせたいだけなら、私がやりましょうか?」
「は?」
「いえ、ですから精霊の浄化です。すぐ終わりますよ。今なら誰も見てませんし」
一瞬違うことを考えかけたが――エルフィナの様子から、むしろコウの方がひどい勘違いをしてたと思いなおして頭を振る。
「コウ?」
「あ、いや。何でもない。……じゃあ頼めるか?」
精霊が出現するなら普通は軽率にやらない方がいいのだろうが、今の時間は誰もいない。
一応いったん宿の建物の中に戻ると、エルフィナが精霊を出現させた。
出現したのは、水、風、火の精霊。
「すぐ終わりますから」
そういうと、エルフィナは精霊に何事か命じている。
精霊がそれに頷いた直後、まるで冷風が服の下を駆け抜けたような感覚があった。
さらに直後、今度は温風にも似た風が吹き抜け――。
「はい、終わりました。どうですか?」
「……すごいな。本当に風呂に入ったような感じだ」
少なくとも体がすっきりしているのは間違いない。ついでに服も洗濯された後のようだ。
もっとも、風呂に入るのは体を清潔に保つ以外にも、リラックスするといった目的もあるので、完全に風呂の代用というわけにはいかないが、少なくともこれは移動中は便利過ぎる。
「しかしこれ、もしかしなくてもエルフィナしかできなくないか」
「……でしょうね。三属性を扱えないと難しいです。体を綺麗にするだけなら
ある意味、世界一贅沢な行為だったのかもしれない。
すっきりした二人は、そのまま聖都の街並みを見て回ることにした。
夜とはいえ、天井は星空が見えている上に銀月が満月に近くて比較的明るく、灯りも要らないくらいである。
「とりあえず適当に歩くか」
「そうですね。あ、コウ」
「ん?」
エルフィナに呼びかけられて、コウが立ち止まった一瞬で、エルフィナはコウの腕を抱き込むとそのままくっついて歩き始める。
「ちょっと寒いので、これで」
「……まあ、いいけどな」
ファリウスの街は、街の中央にある大聖堂から放射状に道が広がっている。
街にある建物は総じて低く、せいぜい三層程度。
建築様式は他の地域と比較してもそう違いはない。やや古いか、という程度だ。
直径が
大聖堂の広場からでている八本の大通りに立つと、大聖堂のある広場までまっすぐ見通しが利く。この道はどれも壁まで続いているが、出口に通じているのは南へ向かう一本だけだ。
この大通りだけはそれなりに広く、大きめの馬車が並んで三台は通れる広さ。
ただ、それ以外の道はあまり広くない。そもそもそこまで大きな街ではない上に、基本的に貴族などがいないので、街中で馬車を使うこともあまりないのだろう。
「どの場所からでも大聖堂が見えますね、この街」
「しかし……あの塔の高さはすごいな」
大聖堂自体は他の建物より遥かに高く、
そして、その中心から伸びる尖塔はそれよりはるかに高く、さらに天井に達してその先は見えなくなっている。
逆にそこから、天井までの高さをある程度推測が可能で、おそらく天井高は軽く
大聖堂の形も他の地域にあるものとは違い、どちらかというとピラミッドに近い感じだ。エジプトのそれではなく、アステカやマヤ文明辺りの大きな段を持つそれに近い。
ただ、あれよりもだいぶ細長いのと、基部の大きさは段違いである。また、見える限り円形のようで、だとすれば地球では類似する建造物は、ちょっと思いつかない。なんかの本で見た、バベルの塔の絵が一番近いか。
「あの天井のさらに上が地上だとすると、ここって相当深いですよね」
「ああ。これだけ巨大な空間が存在することも驚異的だが……ここはおそらく、一万年前から、ここにある」
「ですね。神殿はこのファリウスから始まったということですから、ここが最初からあったのは間違いないでしょう」
ただ、他の地域の神殿とここの大聖堂の形は全然違うので、各地の神殿はここを模倣しなかったようだ。
この世界の神殿は、地球のそれとはそもそも用途が異なる。
地球の宗教施設は、大なり小なり、神や仏に祈るため、万事広く作られ、人々が祈りをささげるための空間を持つ。
コウはよく知らないが、イスラム教でもそうだったように思う。あれは神像とかそういうのはないとも聞いたことがあるが。
ただ、この世界はそもそもで『神に祈りを捧げる』ということが一般的ではない。
それを行うのは、助力を願う神官だけだ。
一般の人々は、その神官から神の助力をいわば『おすそ分け』してもらうだけである。
ゆえに、人々が集まる大広間などはない。
神殿の作りは基本的には、神官に相談するための部屋がいくつかあるというもので、それに加えて『理の教え』のための、いわば教室めいたものがあるのが普通だ。
ただ、大きな街の大神殿になると、少し事情が変わる。
より強い
ただ、その場合でもその聖堂に入れるのはごく一部の神官だけで、一般の人や位階の低い神官は基本的に入らないものだという。
あとは、帝都の神殿もそうだったが、救貧院や病院のような機能を兼ねているのこともあるため、そういった施設や、あとは宿泊施設を併設していることもあるようだ。
「でもこの街の場合、街自体がある意味神殿ですよね」
「確かにな。そういう見方は出来るか」
目的もなく歩きつつ話している間に、日が昇ってきたらしい。
わずかに空――というより天井――が明るくなり始める。
「不思議ですね……天井が透けているのかと思うような感じですが」
「正直、俺のいた世界でもここまでのことは無理だ。できるとすれば」
「エルスベル、ですね。ここが一万年前からあったとすれば、エルスベルの施設が残っているのもあり得ることでしょうし」
コウもそれに同意する。
「そろそろ戻るか。二人も起きるころだろう。……って、このまま宿まで?」
「ダメですか?」
エルフィナは今もコウの腕を抱き込んでくっついたままだ。
「……いや、いいけどな」
「じゃあこのままで」
コウは自分が赤くなっているのを自覚したが、それはどうしようもなく。
そしてエルフィナもそれは同じだが、もちろんコウから離れるつもりはまったくなかった。
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