聖都街道

第239話 聖都の玄関

「見えてきた。あれが、ランカート王国の王都、ラウズだ」


 船の舳先に立ったランベルトが示した先、河の下流の遥か先の河沿いに、大きな都市が見えた。

 事前の情報によると、ランカート王国は大陸最西部にある国の一つで、これと言った目立つ産業もない、ある意味では地味な国である。

 ただ、この国はそれでも、大陸中の人々にその名を知られている国だ。


「あの、おっきな橋は?」


 ティナが指さしたのは、都市の少し先。

 そこに、巨大な橋が河の上にかかっているのが見える。


「あれが聖都街道の入り口だな」

「じゃああれが、聖都の玄関、なんだね」

「そうだな。このエルファル河の沿いあるあの街から北へ向かうことになる。聖都へと通じる聖都街道の出発点にしてほぼ唯一の街。それがあのラウズだ」

「ラウズから先に街はないの?」

「あと一つだけ、ユルヴェルという街がある。それで本当に終わりだ。その先は白き砦に阻まれる」

「白き砦?」


 ティナが首をかしげた。


「ああ。聖都ファリウスは、万年雪に閉ざされた、雪深い山奥にある街。だからほとんど、人が住めるような場所がないんだ」

「え。でも今って……夏だよね?」


 現在は、暦で言えばもうすぐ八月。いわば、盛夏と言える季節で、かなり北方であるこの地域でも真昼はそれなりの暑さを感じる季節だ。


「そうだな。だが、ラウズから北に五日も行くと、突然雪深い地域になるんだ。一説には精霊の影響とも、何か古い呪いの影響とも云われているんだが、とにかく聖都に向かう道は、最後は雪深い道行みちゆきとなる」

「それって、夏でも?」

「そうだな。ただ、さすがに冬に向かうよりはマシだとはされている。私もかつて行った時は夏にこの地域に着くように調整したんだ」


 コウはその話を聞いて、エルフィナの方を見るが、エルフィナも首をかしげるだけだった。


「精霊が意図的にそんなことをするとは思えないので……何か地形とかいろんな影響だとは思います。実際、大陸北方はほとんどが険しい山に閉ざされているわけですが、その山の向こうは全て終わらない冬の季節が大地を覆っている、とはよく言われてますしね」


 コウも、思い返せばアルス王立学院でそんな地誌を読んだ記憶がある。

 あの時はまさか、そんな北方まで行くことになるとは思いもしなかった。

 ちなみに真冬になると、聖都へ行くのは命を懸ける必要があるという人もいるらしい。


「今回の場合は、出発した時期が良かったですね」

「ここまで四カ月か。さすがに長旅だったな」

「私は楽しかったです。故郷からだと、本当に大陸の逆側まで来れたわけですし」

「そうだな……俺にとっても色々いい経験になったしな」


 この世界に来たのは、もう二年近く前だ。

 それから、驚くほど色々なことがあったが、事実上大陸の東の果てから西の果てまでやってくることになるとは、思いもしなかった。


(思えば遠くに来たものだ……って、まだ旅が終わったわけではないな)


 それでも、これは大きな一区切りになるだろうと思っていた。

 コウにとって、ファリウスに行くことには大きな意味がある。

 コウがこの世界に来た理由は未だに不明だが、少なくとも古代国家エルスベルに帰還のヒントがある可能性は高いと思っている。そしてその情報に最も近づけるのは、間違いなくファリウスだろう。


 おそらく一万年前から存在する、この大陸唯一の国。

 もっとも、国といっても聖都ファリウスだけの国であり、その人口は一万人程度で、しかも大半が神官だというから、地球で言えばバチカン市国のような国だろう。

 とはいえ、大陸全体に強い影響力を持つのは確かだ。そして、一万年前の記録を見ることができる可能性がある、唯一の場所だ。


「昼にはラウズに着くだろう。今日、明日はラウズで準備をして、そこから北に向かうことになる。ただ……ミレアはここまでだな」

「そうですね」

「え?」


 コウ、エルフィナ、ティナが驚いてミレアを見る。


「なんで? ミレアお姉ちゃん、ファリウスまで来ないの?」

「神官職にある者の制約があるんです。私はこれでも神官なのですが、それゆえにファリウスに行くのには資格が必要なんです」

「それはまた……変わってるな」

「全く行けないわけではないのですが……すみません」

「ランベルトは……大丈夫だよな」

「もちろんだ。実際、ファリウスは巡礼者には開かれているが、神官が入るための資格はかなり厳しいんだ」


 ランベルトによると、神官職のファリウスでの役職はほぼ決まっていて、新たな神官が来ても役割を与えることができないらしい。

 なんでも、昔神官の多くがファリウスに集まってしまって、飽和状態になったためにできた制度だという。

 一応、巡礼目的なら入ることは不可能ではないが、その場合は一般人として入ることになる。一応神官職にあるミレアとしては、それは承服しかねるらしい。


 そんな話をしてるうちに、船は順調に進み、ラウズに到着した。

 聖都の玄関と呼ばれるだけあって、どちらかというと厳粛な雰囲気がある。


 ランカート王国は、元々は聖都に向かう人々の中継点としてラウズ、それとその北方、万年雪の領域のすぐ手前にできたユルヴェルという、二つの小さな街しかない地域だった。

 やがて人が増えていったが、それでもそれほど大きくなることはなかった。それが変わったのは帝国がその勢力を拡大し、帝国の版図に組み込まれた時だ。

 以後、ラウズは聖都への巡礼者の中継点として栄えていった。


 意外にその歴史は古く、王国として独立したのは五百年ほど前だ。帝国の勢力に衰えが見えた時、真っ先に独立した地域の一つらしい。

 もっとも帝国も、この西の果てまで統治を及ぼすのが難しかったというのもあるのだろう。


 そのまま当時の領主が国王となって、これまで統治されているらしい。

 地理的な場所が場所のため、他国からの侵略を受けたこともなく、そもそも軍隊もあまりない。治安維持のための兵士がいる程度だ。

 これといった産業があるわけでもないが、ファリウスへ向かうための中継地としては非常に重要であるので、人の往来は常にあり、それなりに賑わっている。

 もっとも重要なこの街の機能は、ファリウスからの交易品の窓口であることだ。


 ファリウスは人口わずか一万人の都市だが、食料に関してはほぼ自給自足となっているという。

 しかしそれでも足りない物は出てくるわけで、多くは巡礼者が寄進したりもするが、当然交易も行っていて、それで補充しているという。

 特に、最新の法術具クリプトなどは、さすがにファリウスでは生産できない。

 ファリウスには法術ギルドがないからだ。


 そしてファリウスの特産品と言えば――やはりというか、護符など、奇跡ミルチェの力を込めた聖具ファルトとなるらしい。

 ついつい、地球の感覚でコウはそういう宗教系の怪しい道具は詐欺まがいだと思ってしまう――橘老と住んでいた時もそういう輩はよく来た――が、この世界の場合は実際に効果があるらしいので、それは詐欺ではないだろう。


 コウが帝都近くで初めて奇跡ミルチェを見るまでその使い手を見なかったわけだが、それはある意味当然で、奇跡ミルチェの使い手は本当に少ないらしい。

 アルガンド王国でも、王都や領都の神殿長は使えるが、それ以外ほとんどいないものだという。

 基本的に、奇跡ミルチェの使い手はそのほとんどがファリウスにいるらしい。

 帝都近郊のルレ村にいたファイゼルは、かなり珍しい存在だという。

 ランベルト曰く、相当な変わり者という事だった。


 コウはつい勘違いしやすいが、この世界の神殿は、地球のような無償の奉仕――地球でも大抵は建前だが――を旨とした集団ではない。

 ある意味では、冒険者ギルドなどと同じような組織で、あくまで利益を得ることを目的としている集団だ。

 ただ、冒険者ギルド同様、高い理念は持っているし、営利優先というわけでもないので商人などとは少し違うが。


 そして、いわば総本山とでもいうべき場所が聖都ファリウスであり、一万年以上前から続く、神殿勢力の頂点にして、始まりの地である。


「……考えてみたら、名称がないんだな」

「名称?」


 エルフィナが首をかしげる。


「俺のいた世界にも神々を信奉する集団はたくさんいたわけだが、集団の名前というかそういうのがあったんだ」

「国の名前みたいな?」

「まあ……そういう感じだが」


 もっとも、キリスト教を信じていてもカトリックとプロテスタントで分かれるし、さらにいえば宗教法人はそれだけで名前を別に持っていたりとして、今思えばやたら複雑だったと思わされる。


「この世界では別に神殿イスタといえば一つですからね。ファリウスを頂点とした、神々の加護を代行する人々の集団、というだけですし」

「神が実在する以上、解釈の違いが生じないしな」

「そのあたりの感覚は……私には本当に分からないですが」


 こればかりは直接見たことがある人がいないとはいえ、神が実在することが確実である以上、やはり感覚的に地球とは違う。

 そもそも、神が無償の奉仕者であるなどというのは、考えてみれば都合のいい話だ。少なくともこの世界の神にはある程度の人格があるようには思えるが、地球の場合は極論、人の都合のいい存在として想像されたものでしかない。

 その意味では根本的に異なる。

 地球でもギリシャ神話などは、強力な人間の逸話が神格化された可能性もあるという話も聞いたことがある。むしろこの世界の神はこちらの方が近いのかもしれない。


 ただ、決定的に違う点として、明らかに人間以上の存在としての神が実在する以上、それはやはりより高次の存在が何かいるのだろう。

 それは、ヴェンすら超える可能性も十分にある。

 つまり、ヴェンでも不可能な、世界を越えることができる可能性もがあるわけで――つまり、コウがこの世界に来ることになった理由の可能性もあるのだ。


 この可能性自体には、パリウスでこの世界のことを学んでいる時点で考えてはいたことではあるが、当時、パリウスの神殿長に聞いても明確な答えは得られなかった。

 聞くとしたらやはりファリウスに行くしかないと考えていたが、当時いたパリウスとファリウス――考えてみたら名前が少し似ているが――は、文字通り東西逆の位置にあるわけで、行くことができるとはあまり考えていなかった。


 それが二年も経ずにこんな場所にいるとは思いもしない。


 あらためて、いろいろなめぐり合わせの結果、ここまで来たことに思いを馳せつつ――コウは、北の空を見上げる。

 雲一つない空は、旅が順調であるのを示しているかのように、コウには思えるのだった。

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