第240話 聖都への準備

 ラウズでの滞在は二日ほど。

 その間に、一行は宿馬車フェルナミグールの装備を購入した。

 ファリウスに行くにあたって、今のままでは問題があるからだ。


 ファリウスの『白き砦』に入ると車輪ではまともに進めなくなる。

 そのため、その先は雪道を進むための装備に換装する必要があるので、これをできるようにしておくのだ。

 要は足回りにそりを取り付けるのである。

 もともと取り付ける機能自体はあるのだが、さすがにそりをここまで持ってくる必要はなかったし、このラウズ、またはユルヴェルで入手するのが一般的なのである。


 真夏以外の場合はユルヴェルより手前でも積雪があるため、ラウズで買うことが多いが、今の時期はユルヴェルまではこのまま行ってもいい。ただ、この馬車のサイズは普通より大きい。当然、そりも普通のものよりやや特別なものになり、ユルヴェルにない可能性もあるらしい。


 当たり前といえば当たり前だが、いくら白き砦と呼ばれる万年雪でも、夏と冬ではその厳しさはまるで違う。

 よって当然、巡礼者も夏にファリウスに到着するようにするのが普通であり、つまりこの時期はかなり巡礼者が多い。

 一月で百人ほど訪れることもあるらしい。

 大きな馬車を使う者も多いので、大型馬車用のそりがない可能性もなくはない。

 そのため、在庫があったので、ラウズで買うことにしたという。


「北に向かうといきなり雪になると言われても、実感ないねぇ」


 ティナが屋根に取り付けられた換装用のそりをみてしみじみと呟く。

 実際、現在はむしろ汗ばむくらいで、コウの感覚では、おそらく気温は二十五度近い。日本で言えば『夏日』と呼ばれるくらいだ。

 かなり北方であるこの地域は夏でも涼しい――コウの住んでいた場所もこのくらいだったが――とはいえ、北に向かうとすぐ雪があるというのは想像できない。


「はは……まあそうだろうな。私も初めて行ったときは驚いたものだ」

「ランベルトお兄ちゃんが行ったのはいつだったの?」

「十六歳の時だな。もう九年も前だ。やっぱり夏に着くように行ったのだけど、本当に寒かった」

「だから、これ?」


 ティナが屋根の上のそりを指さす。


「そうだな。他の防寒装備はあるからいいし、今回はこの宿馬車フェルナミグールがあるから楽だとは思うが」

「前は違ったの?」

「前は徒歩でな……父上と一緒だったが、かなりきつかった」


 その言葉に、ティナは目を丸くしている。

 ランベルトも帝都から来ていたはずで、つまりここまで馬車で来た道のりを歩いてきたということになるのか。


「ああ、いや。途中駅馬車とかは使ったよ。歩いたのはこのラウズからだ。特に神官の立場で聖都に入る許可を得た者は、自らの足で来る、というのが慣例でな。だから当時は、馬車で行く人々が羨ましかったものさ」

「え……わ、私ってどうなるの?」

「ティナは例外だ。大丈夫」


 その言葉に、ティナは心底安堵したような表情になる。

 コウとしても、雪深い中を雪中行軍はしたくはない。


「それにしても、ミレアお姉ちゃんがここまでなのが寂しいなぁ」


 そのミレアは、荷物の積み込みを手伝っている手を止めて、ティナに振り返った。


「仕方ないです。ちゃんとした位階に達していればよかったのですが」

「どういう条件なの?」

「神官には位階があって、それが一定に達していれば聖都への立ち入りが許されるんです。巡礼者として赴くのであれば許されますが……私も神官ですから。そこはやはり意地があるというか」

「帝都にいる神官でほかに候補もいたのだがな。そう簡単に帝都を空けるわけにもいかない者ばかりで、正直ここに来るまでにミレアを説得できるつもりだったんだが」


 するとミレアは申し訳なさそうな顔になる。


「申し訳ありません、ランベルト様。ですが、護衛という点においては、コウ様、エルフィナ様のお二人がいれば、およそ問題はないと思えてしまったのもあって」

「まあ……それはその通りかもだが。それに、聖都街道で不埒を働く人間はまずいない。警戒すべきは魔獣ディスラングの類だが、それも滅多にいないからな……」

「そうなのか?」

「ああ。聖都街道で人を襲うような不心得者は、神罰が下されると云われている。実際そうなった者がいるかどうかは知らないが。そして魔獣ディスラングもほとんどいない」

「なるほどな……」


 神が実在するという世界における神罰は、その現実感はまるで違うのだろう。

 神を信じる、信じないという概念はこの世界にはそもそもない。

 神がいる以上、神の意にそぐわぬことをすれば、それに対して対抗措置が取られて当たり前だと思っているのがこの世界だ。

 そしてこのファリウス一帯は、文字通りの意味で神の領域だと捉えられている。

 だからそこでの不埒は行動は、神の怒りを買うことになるのだろう。


「しかし……雪に入ると、足回りはそりでいいとしても、馬もきつくないか?」

「ああ。だから、ユルヴェルで雪獣アルララを借りることになる」

雪獣アルララ?」


 コウは初めて聞く単語だ。《意思接続ウィルリンク》が翻訳してくれたので、意味は分かるが、どんな獣かはまるで想像が出来ない。


「なんだろうな。白い大きな足を持つミグというべきか。まあ、見ればわかるよ。そいつなら、雪の上でも容易に進めるんだ」

「ここから聖都まではどのくらいかかるんだ?」

「そうだな。馬車なら、ユルヴェルまで三日、その先十日というところだ。ユルヴェルより先は、ファリウスまで人は住んでいないから、そこが一番大変とされている」

「雪の中を十日、か」

「ああ。まあ、定期的に神官たちが見回りしていて、遭難者の救助とかよくしてるらしいが。実際、巡礼に来ても聖都にたどり着く前に挫折する者は多いのだが、その半数以上はこの最後の聖都街道で挫折するらしいからな」


 自らの力でたどり着いた者に、神の祝福は与えられる、とランベルトが続ける。

 聖都というと、なぜか荘厳な神殿が立ち並ぶ神聖な都市を想像していたが、どちらかというと修験者が住む山奥の里のようなものかもしれない。


「ファリウス自体はどんな場所なんだ?」


 するとランベルトはしばらく考え込むようなそぶりを見せてから、首を傾げる。


「見てもらった方が早いな。普通の街とはかなり違う、とだけ言っておくよ」

「全然わからんぞ、それは」

「行ってみてのお楽しみだ。実際、あの街の光景は、この大陸でもかなり特異なものだしな」


 それはそれでとても気になる。

 探せばあるいは、絵などにも描かれていそうだが、実際の楽しみにしたい気持ちもあった。


「食料とかはユルヴェルまでの分があれば十分だ。ユルヴェルは本当に聖都街道の入り口として、食料が集められているからな」

「……あれもそうか」


 朝から多くの荷馬車が北に向かって出発していく。

 ラウズはエルファル河の南岸にある街だが、大きな橋がここに掛けられていて、陸路でそのまま河を渡ることができるようになっている。船からも見えた橋だ。


 この橋は帝国最盛期に建造された橋だそうで、中型船くらいであれば下を通り抜けることができるほど巨大なものだ。

 橋の最も高い場所は三十メートル六十カイテルもあるらしい。

 これもラウズの名物なのだという。

 名を、聖都橋というらしい。


「とりあえずはユルヴェルまで行く。ユルヴェルは補給するための街ではあるが、休憩所、要は宿なども充実してるから、そこで最後の休憩だ。ミレアは……ユルヴェルまでなら行けなくはないはずだが」

「やめておきましょう。あの街は長期滞在には向かないですから、この街でお待ちします」

「そうだな……最大一カ月半くらいだろうしな」


 実のところ、ファリウスの滞在期間は未定だ。

 ティナはおそらくそのままファリウスに滞在となるだろう。

 ランベルトは父親である帝都神殿長ヴィクトルから何かを預かっているらしい。


 神殿の間では長距離の転移が奇跡ミルチェによってできると思っていたが、なんでも帝都とファリウスを直接転移できるほどの力量の持ち主は、教皇グラフィルぐらいなのだという。なのでこういう風に物理的に物を届けることは多いらしい。

 一般にはあまり知られていないらしいが、転移できる力量を持つ神官自体きわめて稀な上に、その距離にはかなり制限があるようだ。


 そしてコウとエルフィナの滞在期間も未定だ。

 一万年前の資料を閲覧させてもらえるかどうかもわからないので、ダメとなったら許可をもらうための方法を探すつもりだ。せっかくここまで来たのだから、何かしらの情報を得るまではファリウスを離れるつもりはあまりない。

 となれば、滞在が長期に及ぶ可能性はある。


 そのため、帰るのはランベルトだけということもあり得るのである。

 さすがにランベルトは長くても半月程度で帰るらしい。

 なので、往復の道行も含めれば、ミレアが待つのは最大でも一カ月半というところ――と思ったら、ランベルト自身は帰りが自分一人の場合、転移でラウズまでは来れるという。


「馬車はコウ達が使ってくれていいよ。永遠にファリウスにいるわけじゃないだろう?」

「それはそうだが……まあ、どうなるかは分からないな。ファリウスに着いてからだろう」


 この長い旅路も、あと半月ほどで終着点にたどり着く。

 そこで何があるのか、コウもエルフィナも、まだ何も見えてはいなかった。

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