第231話 原初文字の謎

 午後、再び資料館に戻ったコウとエルフィナだが、戻って早々に一番の目的の記録を発見した。


「これだな、原初文字テリオンルーンについての記録」

「これが……」


 そこには、いくつかの紋様のようなものが描かれていた。

 現在知られるどの文字ルーンとも異なる、そして奇妙なほど複雑な形。

 古王国時代よりさらに古い層で見つかった書物に記載があったとされるが、当該の書物がいつの時代のものであるかは判然としないという。

 というのは、見つかっ古王国期よりもさらに千年は前の時代の遺跡になると、さすがに書物のほとんどは読めないほどに朽ちてしまっていて、壁画めいたもの以外まともな記録がなかった。

 当該の書物もかなりボロボロではあったものの、まだ何とか書物としての原型を保っていたのだという。


 その資料に記録がある原初文字は四種類。

 かつてエルフィナの命を奪った[ウィル]を示す文字。

 あらゆる生命そのものを示すとされる[ラナ]を示す文字。

 すべての存在が流転するという意味を持つとされる[循環リオン]を示す文字。

 そして、あらゆる存在がないことを意味するとされる[虚無ミュト]を示す文字。


「ずいぶん……曖昧な意味合いの文字ですよね」

「そうだな……まだ[神]は具体的な文字だったのか」


 現在知られている文字ルーンは、その意味するところは比較的具体的であることが多い。[理]系統だけはやや曖昧なところはあるが、それでもまだ分かる。

 それに比べると、[神]や[命]はまだしも、[循環]や[虚無]はよくわからない。


 これらの文字はあくまで記録上文字ルーンと扱われてはいるが、実際に法術に使うことができる文字ルーンであるかは、とても懐疑的にであるらしい。

 少なくとも現時点で、使い手は全く確認されていないという。


「コウは使えたり……しないでしょうかね」

「どうだろうな……使うなら、どちらにせよこれを刻んだ法印具ルナリヴァが必要だしな……試しようもない」


 いかにコウといえど、魔力を文字ルーンの形に留めることはできない。

 それは、水を使って正確な文字を空中に描けというのに等しい難行だ。

 そして、コウでも法印ルナールを魔石などに刻む技術は持ち合わせていないのだ。


「ただ、前の……あのバーランドの時にみた法術符クリフィスからすると、原初文字テリオンルーンは力の源泉、という気はするな」

「源泉、ですか?」

「ああ。つまり法術それ自体の力を増幅するような要素だ」

「……その、私の心臓を止めた法術も、ですか?」

「ああ」


 あれは、[神]の文字ルーン以外は、普通に対象の心肺を停止させるための法術だった。

 だが、法術は同意のない相手の内部に直接影響を与えることは基本的にできない。ゴリ押しするなら第一基幹文字プライマリルーンのような高い威力が必要になるが、実は第一基幹文字プライマリルーンでも、相手に致命的な影響を与えるような力は、おそらく発揮できないのだ。

 単純な即死法術は、おそらく抵抗されて終わりだ。

 精神に作用し、意識を奪うことは出来ているが、あれもおそらく意思が強い相手には効果がない可能性がある。


 それを可能にしたのが、原初文字テリオンルーンだ。

 エルフィナはただでさえ精霊の力を宿していて、法術に対する抵抗力が強い。あの、排魔の結界の影響下でも、エルフィナの力を補助する精霊の力は有効であり、並大抵の法術はそもそもダメージすら与えられないだろう。


 だがあの時、精霊の守りすらまるで通用せず、エルフィナの心肺は強制停止させられた。

 それがおそらく原初文字テリオンルーンの威力だ。


 同時に――。


「コウが私を助けてくれた力も、謎ですよね……この中に覚えはないんですか?」

「あの時は必死だったからな……よく覚えていないんだ」


 あの時見出したコウの中に眠る力。

 そこから引き出した力は、確かに[神]の文字ルーンの威力すら消し去るほどのものだった。

 無難に考えれば、同じ原初文字テリオンルーンと考えられる。

 しかしその形も何もかも、記憶はかなり曖昧で、はっきりとは覚えていないのだ。

 ただ、なんとなくだが今ここにあるものとは違う気がする。


「これがすべての原初文字テリオンルーンである保証もないしな……。それに、ここ」


 コウが指さしたのは、これら原初文字テリオンルーンに関する研究者の見解だ。

 そこには、これらの失われた文字ルーンは、いずれもこれ以後の時代にはその痕跡すら見られず、おそらく後代に受け継がれなかった文字ルーンだと考えられているとある。


 実際、これに限らず、使い手がいなくて形が失われた文字ルーンというのは他にもあるらしい。

 一般的な文字ルーンであれば、法印ルナールが確立してしまっているので自然その中に含まれているし、そもそも使い手が全くいないというのは稀だ。


 第一基幹文字プライマリルーン第二基幹文字セカンダリルーンは、その使い手がある世代では存在しない、ということもあり得る。

 もっとも、第一基幹文字プライマリルーン第二基幹文字セカンダリルーンであれば忘れられるということはないが、使い手が稀な、かつあまり汎用性の高くない文字ルーンというのもあって、そう言うのは忘れられることもあるらしい。


 ただ、原初文字テリオンルーンはそれとはそもそも扱いが異なるらしい

 古い時代の文書に稀に登場するもので、最初は文字ルーンだとは思われていなかったという。何かを示す記号だと思われていたようだ。

 実際『魂の鏡』にも記録されていない文字ルーンだったという。

 文字ルーンの適性を判別する『魂の鏡』は、それ自体が古王国期に作られた法術具クリプトだという。

 それに記録がないので、ずっと文字ルーンだとは思われていなかったらしい。


 しかし、古王国よりさらに古い時代の文書が五十年ほど前に見つかり、そこにははっきりと、『第一基幹文字プライマリルーンすら超えうる文字ルーン』として原初文字テリオンルーンの存在が書かれていたという。


 ただ現状、このザルツレグで発見されたその文書以外に、原初文字テリオンルーンについて書かれた書物は発見されていない。

 故に、今でもそれは古代の人間が何かの悪ふざけで著した書物ではないかという意見もあり、このザルツレグ以外ではあまり研究されていないのだ。

 実際、過去に一人の使い手も現れたことがないのだから仕方ない。


 文字ルーンの適性というのは、個々人によって著しく違うが、その適正がどのように決定されるかは、未だに謎とされている。ただ、血筋などではないのは明らかだ。

 実際、稀代の法術士の一人と言っていいアクレットの子供は、いずれもそれほどの適性を示してはいない。

 それに、アクレット自身、出身は普通の下級貴族――土地持ちではない――だったらしい。彼の親、あるいは先祖に、それほど突出した法術士クリルファがいたという記録はない。


 実際、原初文字テリオンルーンの使い手は確認されたことはないのだろう。

 だが、少なくとも一人は、原初文字テリオンルーンの使い手がいるのは確実だ。それも、おそらくは真界教団エルラトヴァーリーの関係者の中に。

 それに対抗するためには、こちらも少なくとも原初文字テリオンルーンに関する知識を得る必要があるだろう。


「とりあえず……やはり行ってみますか?」

「そうだな。可能なら、だが。何日もかかるとかだとちょっと難しいだろうし」


 この資料が発見されたカラナン遺跡の深層なら、あるいは他に情報がある可能性はある。

 問題は滞在期間だ。


 この街での滞在予定期間は、今日を入れて十日間。

 ここの遺跡の構造についてはあまり調べていないが、自分たちの目的を考えると他人を同道させることはあまりしない方がいいだろう。

 もし、またエルフィナに反応するような遺跡があった場合に説明が大変だ。


 それに、そう何日も空けるのも避けたい。

 現状、真界教団エルラトヴァーリーの気配はないとはいえ、何日も地上を留守にするのは良くないだろう。

 行けて、三日というところか。

 いっそティナを連れて行くという手もないわけではないが、さすがに危険度が分からない遺跡に連れて行くのは、コウもエルフィナもあまりいい手とは思えない。


「今回はティナちゃんを送り届けるのが目的ですしね。あまり無理はできないですね」

「そうだな。まあできる範囲で、か。少なくとも最低限の原初文字テリオンルーンに関する情報は手に入ったし、この街なら研究してる人もいるかもしれないしな」

「そうですね、確かに」


 とりあえず他に資料があるかも知れないと、二人はまた資料探しに戻る。

 ただ、そこから一時間と経たずに、神殿の鐘が十八時を告げ――資料館の閉館時間になってしまった。

 もっとも、無理を言えば調査は可能らしいが――。


「お腹すきました」


 エルフィナのこの一言で、調査は終了となった。

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