第232話 探索準備
翌日。
コウとエルフィナは、ティナと一緒に街の観光に出かけていた。
ザルツレグの人口はおよそ十万人。
ザスターン王国の人口がおよそ十二万人だから、ほとんどがザルツレグに住んでいるということになる。
他の二万人がどこに住んでいるかと言えば、周辺のカラナン砂漠で農業を営んでいる者がいるのと、砂漠の外側にもいくらか村があるらしい。ミレアの故郷もその一つだという。
カラナン砂漠は別名を『冷たい砂漠』と呼ばれる特殊な環境で、昨日食べたヤウェルは、この砂漠でしか育たない作物だという。
そのくせ、収穫してから一週間程度しか保存できないから、この街でしか食べられない。名物料理になるわけである。
砂漠にある街というと暑いという印象がどうしても先に立つコウだが、実際には全く熱くないというより、むしろ寒いくらいなのがこの街だ。
降雨がほとんどないこの地域ではあるが、街のほとりを流れるカラナン河で水は十分確保できるし、作物もヤウェルは近郊で大量に生産され――この作物は季節というものすら関係なく植えてから二カ月もすると実を付ける――ており、それ以外は、カラナン河の西側は砂の性質が変わるのか、水さえあればある程度農業が可能な土壌らしい。
カラナン河から水路を引いて、あとは
このザルツレグにしても、砂漠の街という字面の印象と、街の印象は著しく違う。
街のあちこちに水路が張り巡ららされていて水が供給され、広場には普通に噴水もある。
砂漠イコール水が貴重、というのは、すくなくともこの街では当てはまらない。
そもそもザスターン王国は砂漠の中にあるにも関わらず食料をほぼ自給自足できるらしく、ある意味地球の常識が通用しない国と言えるだろう。
「家の形が面白いよね、この街」
「確かにそうですね。屋根が大きくて、しかも分厚いですし」
ティナが物珍しそうに周囲を見渡して、そんな感想を漏らした。
実際、この街の建造物は他の地域とは様相が異なる。
壁や天井が非常に分厚い。
その理由は雹がたまに降ってくるからだが、他にも寒さ対策というのもあるだろう。壁も天井も分厚いのは、家の中の暖気を逃がさないためだ。
ザルツレグの街の大きさはかなり大きく、西側はカラナン河に接している。
河岸沿いに南北
一行が宿泊している神殿は、河から
この街は高層建築がほとんどないので、神殿のある丘からでも、街がほとんど見渡せるほどだ。
昨日は調べ物をした後、夕食は神殿でご馳走になった。
当然ヤウェル焼きがまた出てきて、これにはティナも驚いていた。そしてランベルトはやはり食べたことはあったらしい。
今日はコウとエルフィナはこの街の遺跡の探索に関する情報集めをする予定だ。
あとは必要な装備の購入。
もっとも、今更必要な装備というのもそれほどにはないのだが、情報集めは大事である。
地球というか日本であれば、ティナが楽しめるような施設などを探すところだが、あいにくこの世界にそういう概念すらあまりない。強いて言えば公園くらいか。
なのだが、ティナ曰く、一緒に買い物するだけでも楽しいらしい。ちなみにこれにはエルフィナも同意している。
コウからすると何が楽しいのかさっぱりだったが。
地球でもこの世界でも、女性が買い物が好きなのは同じなのだろうかと思ってしまう。もっとも、コウは女性が買い物を楽しむ場面に遭遇したことは、地球では少なくともないが。
ともあれ、まず最初は情報集めのために冒険者ギルドにやってきた。
まだ午前中ではあるが、冒険者と思われる何人かが遅い朝食を食べてるのか、食事をしている者も多い。
「おや、あんたらか。今日はどうしたい?」
「できれば、遺跡について詳しい話を聞きたい」
「資料館では満足できなかったのかい?」
「そうだな……最深部の資料はあまりなかったからな」
コウの言葉に、女性は驚いたような顔になる。
「最深部! そりゃまた珍しい人もいるもんだ。まあ確かにそこまで行くと資料館も情報は多くないが……おーい、ラーデン、こっちこっち」
女性が大声を上げると、今まさに燻製肉を焼いたものを咥えた状態で動きを止めた三十代と思われる冒険者と目が合った。
そこからその肉をもぐもぐとほおばって、咀嚼し終えてから男がやっと立ち上がる。
「なんだい、ヴァネス。……いや、用があるのはそっちか? 冒険者……にしてはちょっとこの子は若すぎないか?」
男はティナを見てそういう。
「そっちの子は違うよ。この二人だ。最深部まで行きたいんだってさ」
受付――ヴァネスががそう言うと、ラーデンと呼ばれた男は少し驚いた顔になる。
「そりゃまた珍しい。欲しいのは道案内か?」
「いや。そっちはいいんだが……どのくらいかかるのかとかを聞きたくてな」
「なるほどな。いいだろう。答えられる限りは教えてやるよ」
「いいのか?」
「この遺跡の調査報告については原則共有すること。それがこのカラナン遺跡の決まり事だ。だから、あんたらも何か見つけたら報告はしないとならないぜ」
「分かった」
といっても、本当にまずいものを見つけたらさすがにその限りではないが。
少なくとも、あのドルヴェグ王国の地下にあった、
とりあえず二人は、ラーデンから色々話を聞くことにした。
ティナもなぜか興味があるのか、とても楽しそうに聞いている。
遺跡は現在はかなり内部も整備されていて、今でもよく探索される、古四王国期の遺跡までは、三時間もあれば行くことができるらしい。
道中の安全もほぼ確保されていて、今では
ただ、それより深層となると、とたんに難易度が上がる。魔獣が出ることもたまにあるし、調査も十分ではないらしい。
「最深部がどうなってるのかは、実際のところ調査されたことがない。遺跡の深部に行けば行くほど古い街になっているということになるわけだが……考えてみれば、なんでそんな構造になってるのか、とか、色々謎はまだあるんだよ」
確かに、地下に潜れば時代が古くなるというのは、土壌が堆積する地層ならわからなくはない。
だが、地層が出来上がるには、何万年、何十万年とかかるものだ。
しかしこの地域の遺跡は、わずか一万年に満たない間に幾度も遺跡が地下に沈んでおり、その都度上に作られてはまた沈んでいる。
地盤調査を行った者がいるらしいが、別に今沈みこんだりしているわけではないらしい。なぜかこの地域に遺跡は、定期的に地面に沈み込んでいることになる。
もしくは、最初から地面深くに建造されたか。
ただ、千五百年前に一度放棄された遺跡なので、もう当時の記録を調べるのも難しい。
「そういう意味では、最深部になんかこの街の謎を明らかにする何かがあるのかもしれないんだがな……五百年、ずっと探索されてても、最深部に到達した者はいないからな」
「危険なのか?」
するとラーデンは少しだけ首を傾げる。
「危険だな。古王国期の辺りまではいいが、その先は段違いに危険度が増す。そのわりには、苦労に見合わないというのが定説だ。その手前、古王国期の遺跡で十分な成果は出るからな。だから、それ以上深部に危険を冒して挑もうってやつは多くないんだよ」
確かに、冒険者にせよ傭兵にせよ、慈善事業ではない。
「さらに言うと、最深部に何がいるかとかはあまり分かってないからな。昔はザスターン王家が支援して探索させていたし、実際それで古王国期の遺跡までは探索されたという事実はあるんだが」
欲しい成果が出るようになったので、以後深部へ行くための支援はされてないようだ。
古王国期やその後の時代の
遺物が見つからなくても、その道中の安全を確保する仕事などの方が実入りもいいのだ。
めぼしい発見がないというのはあくまで学術的なものであって、過去の遺物などは今でも多く見つかるらしい。
途中崩れてしまって入れないような場所も少なくなく、あるいはそこに新しい発見がある可能性もあるという。
ここ百年はそういった埋もれた遺跡の調査がメインで、より深部に行く人は少ないらしい。
「古王国期や十四王国時代の遺跡だって、十分危険だしな。あの時代の層はやたら広くて、未だに完全には探索されてない。突然壁が崩れたと思ったら、新しい場所が見つかることもあるんだ。まあ、新しい発見はあまりないが、
「なるほどな……ちなみに危険というとどんな?」
「古王国期までの間で一番多いのは
それはコウとエルフィナには問題はない。
「その先になると、強力な魔獣がいるという話だ。それもあって、古王国期より深い層に行くやつは滅多にいない。補給も難しくなるしな。古王国期の頃までの地図だったら、冒険者ギルドに頼めば売ってもらえるから、本気で行くなら持って行った方がいい。あとは食料とかだな。水は
「時間はどのくらいかかるんだ?」
「そうだな……十四王国時代の遺跡辺りまでなら、道中ほとんど障害もないから、片道一時間ちょっとだ。ほとんど直通の階段があるから、降りるのが大変なくらいだな。古王国期の層まで下りるなら、障害にもよるが、さらに二時間というところか。その先はちょっとわからん」
つまり片道三時間で、古王国期の層までは到達できるということだ。
古王国期の遺跡から、さらに深層に降りるための道自体は分かっている。問題はその先の安全は確保されていないので、何かしらの障害が考えられるという点か。
その他、ラーデンにいくつか質問をしたが、とりあえず欲しい情報を得られた二人は、ラーデンに酒を奢って礼を言うと、その場を離れた。
「お兄ちゃんたち、遺跡に行くの?」
「まあそうだな……今日は行かないが、考えてるんだ。あるいはファリウスに行った帰りでもいいとは思ってるが……」
するとティナが、何かを考えるような仕草を見せる。
「あのさ。私も一緒じゃ、ダメ?」
「え」
「危険なのはわかってるんだけど……でも、またあの人たちが来たら、お兄ちゃんたちがいないと……という不安があるのと」
そこでティナは一度言葉を切る。
「根拠はないんだけど、一緒に行った方がいい気がしてるの」
ティナの言葉は、全く根拠がないにも関わらず、なぜか否定しがたいほどの強さを感じさせた。
実際、
強力な神の加護があるのだろうという事だけは分かっているが、具体的にどういうものであるかは分からないのだ。
「ダメかな?」
コウとエルフィナはお互いに顔を見合せた。
確かにファリウスに行ってから行けばいいとはいえ、またここに来るという保証はない。
これまでの流れから、今度は大陸からクリサリス島へ渡るとかいう流れになる可能性だって否定できない。
「私達なら、なんとかなりません?」
「確かに……ある意味では安心はできるが」
万に一つ、
遺跡から戻ってきたら最悪の事態になっているとなったら、悔やんでも悔やみきれないだろう。
それなら、自分たちの手元にいてくれる方が安心だ。
素直に考えれば、ティナを送り届けることを優先して、今回は探索は諦めるべきなのだが――。
「多分これは私たちに必要な事だと思うよ」
ティナのその不思議な言い回しに、コウもエルフィナもなぜか明確に反対することができなかったのである。
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