第229話 大陸史振り返り
遺跡資料館は、大きな平屋の建物だった。
周囲より幾分高い位置にあるその建物は、王宮――というより屋敷という方が正しいか――に隣接した建物で、赤土で作られたレンガの壁に囲まれている。
このザルツレグの街は、砂漠の真ん中にある街ではあるが、地球にある砂漠の街とはまるで様相が異なるようでいて、似ているところもあると思えた。
砂漠の街といえば、陽射しを避けて暑さを遮断するため分厚い壁のレンガなどで作られた家、というイメージがある。
少なくともコウは、そういうイメージだった。
この地域は降雨はほとんどないという。
だが、なんと氷のつぶて――つまり雹は降るらしい。
そのため、家の屋根の構造が非常に重厚だ。
これは王宮や公共施設などの建物も同じで、また、そのメンテの為か総じて建物の背が低い。
高くても三層。これは王宮だけだ。
あとは二層がせいぜい。
木の壁や屋根の家は存在せず、さらに屋根は特に固い石材を使っているようだ。
よく見ると、家の壁にところどころ、あるいは弾痕にすら見える痕があるが、これがおそらく雹がぶつかった痕なのだろう。
コウも地球にいた頃に経験したことはあるが、あれは確かに怖い。
資料館に入ると、すぐ『証の紋章』の提示を求められるが、何の問題もなく、そのまま中に通される。
そしてしばらく待つように言われたので、言われた通り待っていると、やがて一人の女性が現れた。
「ようこそ、ザルツレグ遺跡資料館へ。私は案内をさせていただく、ユーレアと申します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「深部の報告書となると、この辺りですね。さすがにこの辺りまで潜る人は多くはないので、完璧な調査が行われたかというと、保証しかねますが」
案内してくれたユーレアはそう言うと、コウとエルフィナを振り返った。
三十歳くらいだろうユーレアは、いかにも研究者という感じの少しゆったりとしたローブに似た服を身にまとっている。
髪はショートカットと言っていいくらいに短く切り揃えていて、落ち着いた雰囲気の女性だ。
こうなってくると、キャラ的にはメガネがある方がコウは逆にしっくりくるが――この世界には基本的にメガネはほとんどない。法術で視力すら回復してしまうからだ。
案内された部屋は、四方の壁全てに書棚があり、びっしりと本が並んでいる。
「深部の調査が他の層に比べてあまり行われていないのは何故なんでしょう?」
「さすがにあちこちが崩れていて、危険というのもあります。また、大陸において法術に関する研究が盛んだったのは、現代を別にすると
古四王国期とは、
ちなみにこの時代を終わらせたのは、他ならぬヴェルヴスとキルセアだ。
帝都にいる間に歴史を調べていて知ったが、ヴェルヴスが滅ぼしたとされるのが古四王国の一つ、東方のイールム王国。うっかりヴェルヴスに手を出して国の中枢が滅ぼされ、その後国が崩壊したらしい。
そしてその後は長く三王国は大陸に君臨し続けたが、やがて勢力が衰え、国が分裂、十四の王国に分かれて大陸が支配されていたため、その時代は十四王国時代と呼ばれる。
古王国と呼ばれた三王国はその時代でもそれなりの勢力を保ってはいたのだが、突如としてキルセアによって滅ぼされたらしい。
この古王国期から十四王国時代にかけては、各国とも大陸の覇権を握らんと躍起になっていた時代で、そのため法術の研究も進んでいたという。
しかしその後、百王国時代と呼ばれる小国が乱立する時代になり、当時の研究成果も散逸、失われて行ったらしい。
現在では再現不可能な、半永久的に使用可能な
また、この時代はあのアルガンド王国にある『転移門』も解析されていたという記録があるらしい。
ただ、それより前の時代となると、記録も少ない上に、注目すべき事項も多くない。
歴史の研究はされているが、その手の古文書の類だと、むしろ帝都の方が充実しているのは否みがたい。
このザルツレグが大陸でも注目される最大の理由は、その古四王国の一つノイア王国の法術研究の施設が、まさにここにあったからである。
その流れで、以後の時代にもある程度研究成果が引き継がれていたのだ。
もっとも、千五百年ほど前にこの地に人が住まわなくなってから、千年ほどは放置されていたが。
なお、当時このザルツレグ――当時の名称は違ったらしいが――が放棄された理由は不明だ。
同時代の他地域の書物では、突如として消え去ったと、記録されている。この辺りはザルツレグ周辺以外人が住んでいなかったのもあって、しばらく都市の場所すら分からなくなったらしい。
ザルツレグのその時代の資料は、突然すべての記録が途絶えていて、ほとんど何も分からないという。
わずかに、その直前に地震が幾度かあったという記録があるだけだ。
ユーレアは、その原因はもっと古い時代の遺跡にあるとみているらしい。
「なので、お二人の様に古四王国期より前の時代に興味を持ってくれる方が来るのは大歓迎なんです。確かに法術の研究は古四王国期から花開いてますが、きっとそれ以前にも。より重要な基礎研究は行われていたはずで」
ユーレアの言葉が熱を帯びる。
どうやら同士を見つけて嬉しくなっているらしいが――少し申し訳ない気持ちになってしまう。
二人が興味があるのは、それよりさらに以前、空白の千年よりも以前だ。
「と、とにかく資料を閲覧させてもらいますね」
エルフィナが何とかなだめて、ユーレアは落ち着いた。
資料は基本全て写本――法術で写し取ったもの――で、原本を見たい場合は申請が必要らしい。
ここにある資料についてはなんでも閲覧できるという。
「はい。私は自分の研究室にいるので、何かあったら声をおかけください。扉を出て、右手一番奥です」
そう言うとユーレアは出て行った。
「なんか……熱心な方でしたね」
「まあ、そうだな」
言外に込めた意味は多分お互いに同じだろう。
それはともかくとして、コウはさっそく資料の背表紙を見る。
古四王国より古い時代となると、資料も多くはない。
帝都ヴェンテンブルグはおそらく一万年前から存続し続けている都市である可能性は高いが、かといって記録としては、少なくともコウが閲覧できた範囲ではそこまで古い資料はほとんどなかった。
あるいは皇帝に頼めば、本当に古い、それこそ極秘の資料も閲覧できたのかもしれないが、さすがにそこまで頼むのははばかられた。
それでもかなりの資料を閲覧できたのは事実で、時代背景としては大体理解している。
空白の千年の後、五百年ほどは国が存在しない。
唯一あるのは、ファリウス聖教国だけだが、あれは国というより、地球で言えばバチカン市国に近い存在で、統治する領域を持つわけではないという。
この時期はわずかな集落くらいしかないのは確実で、記録はあっても散逸してしまっている。
まともに記録が残っているのは、
同時に、それらの勢力同士の争いも起きるようになる。
いわゆる群雄割拠の状態だ。
この状態が二百年ほど続いて、やがてより多くの国を従えた国が複数現れていく。
この、
その後分裂と統合と繰り返す、いわば不安定な――二百年単位くらいで国が出来ては滅ぶ――時代が続き、古四王国時代とされる時代になるという。
政情が安定しなければ、まともな記録はあまり期待できない。
ただそれでも、このザルツレグの遺跡は、代々利用され続けていたので、当時の記録も少なからず残っている。
ただ、コウが知りたいのはそこではない。
さらに古い時代、つまり空白の千年、およびそれよりも前。
その時代の資料となると、さすがにほとんど存在しないが――。
「コウ、これでは?」
エルフィナが見つけたのか、一抱えもある大きな本を取り出してきた。
中身はもちろん写本だが、その現物がかなり損壊していたのか、完全に読み取るのは難しい――法術による写本は実質写真を保存しているのに近い――ため、断片的ではあるが――。
「ファリウス聖教国の建国の時の記録か」
「はい。公式には、
事実上、空白の千年の終わり。歴史の始まり。
それがファリウス聖教国が建国された時だ。
資料を読み解くと、この資料が見つかったのはカラナン遺跡のほぼ最深部。
ここまでくると調査隊の記録もどちらかというと日記めいたものになっていて、あまり整理もされていない。
ただ、その道中がかなり困難であったことは察することができる。
記録はある意味では写実的で、何があった、どういう通路があったということまで事細かに書かれている。もっと浅い層では、そもそもすべての記録が回収され、統計立てて整理されたものがほとんどだが、この深層はそういう作業もしていないのだろう。
「雑然としてますけど……やはり、深層は十分に調査されたとはいいがたい気がしますね」
「だな。そもそも、最深部に到達したという記録は、ない」
そもそもで、なぜこの地に重なるようにずっと施設が建設され続けたのかが、やはり不明だ。
普通に考えれば奇妙ですらある。
「やはり、行ってみるしかないかなぁ」
「ですね。時間もあるしいいのでは……そろそろ今日はお昼にしたいですが」
確かにコウも少しお腹が空いてきた。
コウでこれなのだから、エルフィナはなおさらだろう。
「そういえば、なんか言ってたな。ヤウェル焼き、だったか」
「はい。このザルツレグでしか食べられない名物なんですよ。行きましょう」
「それは良いが……食べたらはもう少し調べるか」
「それは構いません。ただ、明日はティナちゃんに付き合ってあげましょうね」
「そうだな」
深層に行くにしても、準備は必要だ。
案内人を雇うかどうかも考える必要があるし、情報も必要だろう。
それらを集めつつ、ザルツレグ観光を兼ねてティナと歩くのは、ティナにとってもいい気分転換になるだろうと考え、コウはこの後の予定を考えるのだった。
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