太古の英知

第226話 巡礼路と異世界の食材

 ある意味精神的にはどっと疲れた、オルスバーグ王国とグレンベル王国の確執と言っていいのかすら疑問なものを目の当りにしてから一ヶ月半。

 一行は、背の低い草に覆われた丘陵地帯を貫く道の途上にいた。


 位置的には、ネブライト王国の王都を流れるレフテール河を北へ遡上し、そこから西に五日ほど行ったところだ。

 暦の上では七月に入ったばかりで、もう夏に入ったと言っていい時期だが、日が傾き始めると、急激に冷え込んでくる。


「ヤーランに向かってた頃と同じくらい冷えるな」


 コウのつぶやきに、隣でマントを羽織っていたエルフィナも頷く。

 今はコウとエルフィナが御者台にいるのだ。


 この辺りはどこの国にも属さない地域らしい。

 いわゆる国境緩衝地帯と言えるが、国が密集している中央や東部と異なり、この辺りは国と国の間が広い。

 この辺りはその広さの割に人が大きな都市はなく、人もあまり住んでいない地域でもあるため、国としても統治する旨味がなく、周辺の国も統治していない地域だという。


 この辺りに住むのは、牛に似た、だがより大きなキャムルという家畜をと共に暮らす遊牧民だ。ロンデット族というらしい。

 この地域より北に行くと、万年雪がある山を頂く寒冷地帯になるのだが、その地域の魔獣がたまにこの地域まで南下してくることがある。

 どこの国の庇護も受けてはいない地域ではあるが、同時にここはファリウスへ向かう巡礼路の一つであるため、その道中の安全は大事で、それを担うのが彼らだ。

 そのため、この地を行く聖都への巡礼者の護衛が、もう一つの彼らの生業だという。

 コウ達はさすがに護衛は要らなかったので頼まなかったが、これが彼らには大事な収入源らしい。


「そういえばレフテール河を遡上する船にも、何台か宿馬車フェルナミグールがいたな……。足の速さの差で俺たちがだいぶ先行しているが、そのロンデット族を雇うという手間もあったのか」

「そうだな。私たちは護衛は要らないだろうから、さっさと出発したわけだが」


 船を降りた後、その宿場街で滞在したのはわずか半日。

 食事と宿を利用しただけだ。

 レフテール河のほとりにあるその街はかなり特異で、文字通り宿ばかりの街だった。

 要するに聖都に巡礼に行く人のためにある街だったのだ。


「あんな街ができるほどなんだな。巡礼って」

「まあな。東方はロンザス大山脈があるから厳しいが、西側の貴族は、一生に一度は聖都巡礼をする、というのがある種の人生目標みたいなところがあるんだ。最近では貴族以外の人々も来るようになってるらしい」


 コウは、日本で言えば一度はお伊勢参りだろうか、などとちょっと思ってしまった。移動距離は段違いだが。


「最近じゃ案内人を付けて集団で行くような商売もあるららしい。同然、道中利用するのはああいう街で、特にあの街はほぼ誰もが通る場所だからな。なのでそういうサービスが充実している。もっとも、あまり周りに人がいない方がいいから、私たちは急いでいるわけだが。あまり人がいると」

教団ヴァーリーがいる可能性は考慮しないとならない、というわけだ」


 コウの言葉に、ランベルトが頷く。

 本来であれば、巡礼者の幾人かが集まって、護衛としてロンデット族を雇うものらしいが、コウ達にそんな大仰な護衛は必要ない。

 むしろ、知らない人間が近くにいる状況の方が、危険性があるのだ。


「そういうことだ。まあ、今のティナで気付かれる可能性は低いと思うが……」


 ティナは現在、プラウディス帝にもらった法術具の効果で、本来の黒髪ではなく、赤に近い髪の色に、青い瞳だ。見た目の印象は、驚くほどに違う。

 それに、法術探知を阻害するため、法術で発見される可能性はない。そして少なくとも現状、追手がいないのも確実。


 もちろん真界教団エルラトヴァーリーもティナが聖都を目指すことに気付いている可能性は否定できないが、かといってこの広い大陸でそう簡単に見つけることはできないはずだ。


「とはいえ、途中いくつかあるロンデット族の集落は利用するけどな。さすがにそこに教団ヴァーリーがいるとは思いにくいし」


 いくら真界教団エルラトヴァーリーが神出鬼没、かつあちこちの国で陰謀を巡らせているとはいえ、あらゆる場所に人を潜伏させるほどとは思えない。


 そうしてるうちに日が暮れていく。

 七月だというのに、日が落ちるとさらに気温は下がり、むしろ冬のような寒さすら感じるほどだ。

 今日はちょうどそのタイミングで集落を見つけることができたので、一行はそこに立ち寄ることにした。

 馬車を止め、ランベルトが集落の入口に立つ者と何かを話している。


 ロンデット族の集落は、ヤーランともまた違う形だが、移動式のテントめいたものが二十ほど並んでいた。サイズ的には、ヤーランのそれより小さく、直径は大きい物でもせいぜい五メートル十カイテル程度。

 使われている布地もかなり違うように見えた。


 ほどなく、ランベルトが戻ってくる。


「話はついた。今日は宿を貸してくれることになったよ」


 どうやら狭い車内で寝なくて良さそうだ。

 宿馬車フェルナミグールの中はそれなりに快適ではあるが、さすがに五人もいるとかなり狭い。

 屋外であれば交替で見張りに立つのでそこまで狭くならないが、その必要がなければ当然夜は寝たいし、そうなるとあの中ではかなり手狭だ。

 コウとしては、男女同衾もあまりいいとは思えない――のは今更なところもあるが。


 ともあれ、ロンデット族の使ってる、来客用のテントに案内された。

 こちらでは『エリャ』というらしい。ヤーランのテントハオルと似ているように思うが、そもそも違うものなのだろう。

 実際、中に入ると全然違う。

 ヤーランのテントハオルはモンゴルのゲルのように、中央に支柱があったが、エリャこちらはそれがない。代わりに屋根を支える骨組みの数がかなり多く、それらで全体を支えているようだ。


 食事は多少対価を払ったが、ロンデット族の食事が用意されたので、全員でそれをご馳走になった。


 ロンデット族の食事は、当然だがキャムルが基本だ。

 キャムルの肉、およびその乳から作ったチーズケジョン、それにそれを溶かし込んだチーズケジョン鍋など。

 どれもとても美味しかった。

 チーズは普通のヤギや牛の乳で作ったそれよりもはるかに旨味が強く、肉も柔らかくてしっかりしてるようなのに、口の中に入れるとほろほろとほどけて、とろけるような美味しさである。


「美味しいです、本当に。キャムル料理ってこの地域にしかないから、本当に楽しみにしていたんですよね」


 エルフィナが満面の笑みで美味しそうに食べている。

 かなり多めの量を提供されたのだが、今もなお食べているのは当然の二人だけ。

 コウもとても美味しかったからたくさん食べたつもりだが、世の中限界はある。


 ちなみにランベルトはそこそこ食べてはいたのだが、乳酒が美味しかったらしくやたら杯が進み――現在は酔いつぶれている。

 ここは男性側が寝る予定のテントエリャなので、このまま放置するつもりだ。


「キャムルって、実際どんな動物なんだ?」


 《意志接続ウィルリンク》が翻訳していないということは、おそらく地球には該当する生物はいないのだろう。

 この集落に着いた時はもうかなり暗かったので、近くにいるというキャムルを見ることは出来なくて、どういう生き物か気になったのだ。

 するとエルフィナは食べる手を止めて、少し考えてから――。


「キャムルって、厳密には幻獣に属するんですよ」

「へ?」


 エルフィナはそう言うと、例の料理大全を荷物から取り出した。

 なお、他の二人――ランベルトは寝こけている――は今まで見たことがなかったので、エルフィナの荷物から巨大な本が出て来たのにまず驚いているが。


「これがキャムルです」


 そう言ってエルフィナが開いたページには、キャムルの絵が載っていた。

 見た目は角が非常に大きく、あとは足が段違いに太い牛というところか。そのバランスのせいで、とても短足な牛に見える。

 ただ、特筆すべきはその説明文。


『性向は大人しく、幻獣に分類されるが、人類に飼育されていることが多い。主にレフテール河上流に生息し、現地に住むロンデット族はキャムルを放牧して生計を立てている。キャムルで何より特筆すべきは、その乳から作れる各種食品の味わい深さ。そして何よりも、無限に生成されるその肉の旨味だろう』


 少し意味が分からないことが書いてある。

 乳製品の味わい深さは分かる。

 無限に生成される肉とはどういう意味なのか。


「結構有名なんですが……東側にはいないそうですから、知らないのですね」

「?」


 ミレアの言葉に、コウとしては首を傾げるしかない。

 するとエルフィナが本を閉じつつ説明してくれた。


「あのですね。キャムルは別名『肉を産む幻獣』とも云われてて、キャムルの肉って、他の動物の肉みたいに、キャムルを屠殺とさつする必要がないんです。キャムルって、不要になった肉がこう、落ちるんです」

「は?」


 エルフィナの説明の意味が分からず、思わずコウは間抜けな返事をしてしまった。


「その、不要になった肉が自然に落ちるんですよ。で、それが食肉として適してるんです。実際、子供のキャムルとかは肉が硬くてとても食べられたものではないそうです。だいたい百年くらい生きるそうですが、死ぬ前くらいまでずっと肉を『落とす』のがキャムルで。そうやって、身体を保ってるんでしょうね」


 新陳代謝みたいなものか。

 だとしても、ちょっと規格外過ぎる――とは思ったが。

 考えてみれば、地球にだって脱皮する生物はたくさんいる。

 それが肉にまで及ぶと考えるしかない。


「キャムル最大の難点は、この地域以外に連れて行ってもすぐ死んでしまうそうです。だからこの地域の特産なんですよ。逆に、キャムルがいるからこの荒地でロンデット族が生きていけるとも言えますね」


 そう言いながら、エルフィナは美味しそうにチーズケジョン鍋を満面の笑みで食べている。


「つまりそれが……キャムルの幻獣としての能力、というわけか」

「でしょうね。キャムルはいわゆる家畜の中では破格に長生きとされてます。まあ、幻獣の寿命なんて誰も正確に把握したことはないのですが、知恵を持つほどに強力な幻獣ではないのに百年というのは、多分相当に長い方かと。家畜化されてる他の動物は言わずもがな、ですが」


 相変わらずぶっ飛んでいると思わされた。

 どんなに地球に近い環境に思えても、やはりここは異世界なのだ。

 時々このように、地球では考えられないような生態がある。

 だから面白いといえば面白いが。


 ロンデット族は本当にキャムルと一緒に生きて生きた部族と言えるだろう。

 地球にも、そういえば家畜を家族の様に扱っている部族もどこかにはいた気がする。そういう在り様は、ある意味地球もこの世界も同じなのだろう。


 美味しい食事にありつけて、コウ達は大満足でその日眠ることができた。


 なお。

 ランベルトは翌日二日酔いで苦しんでいた。

 あまりに可哀想だったので、コウが法術で快癒させたのは、お昼過ぎの事である。


―――――――――――――――――――

なんか間章みたいな平和な話に……まあ繋ぎなので。

次から新しい地域に到着します!

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