第207話 この世界の移動手段


 出発して三日が過ぎた。

 さすがにもう、帝都は稜線の向こう側に見えなくなっている。


 帝都ヴェンテンブルグからヤーラン王国の王都ホスティールまでは、距離にすればおよそ四百キロ八百メルテ。ただ、途中からずっと緩やかな登り傾斜になっているので、馬車もそれほど速度が出ない。順調にいけば、七日ほどで到着予定らしいので、ちょうど道半ばまであと少しというところだ。

 

「今日はちょうど宿場――というか街に到着するぞ」

「そうなのか」

「ああ。ただ、ヤーランまでは最後の街になるがな」


 ランベルトの言葉に、コウが少し嬉しくなった。 

 これまでの二日は、どちらも馬車の中で過ごしていた。

 それほど狭くはないとはいえ、コウやランベルトはやはり足を伸ばして眠ると壁に当たってしまう。

 必然的に、二人にとってはやはりちゃんとした宿にたまには泊まりたいというのもあるのだ。


 この周囲は、どちらかというと荒地に近い。

 水も少なく、農業にも不向きだ。

 今から向かう街は、この街道の、ヤーランとの中継点に作られた街だという。


 旅をしていると気付くが、この世界と地球では、街を作る必要要件が著しく異なる。

 地球の場合、何よりも優先されるのは水源の確保だ。

 川、湖、あるいは地下水。何かしら、水があることが街を作る上での絶対条件である。

 もちろん、こちらの世界でも大抵の街はそういう水場付近に建設されている。


 しかし、水がほとんどない場所でも、この世界の場合街を建設出来てしまう。

 その理由は、法術具クリプトだ。

 特に、水を生成する――正しくは周囲の水分を集めて水にする――法術具クリプトの存在は、あまりにも大きい。

 特性上、乾燥地帯ではその効果は小さく、さすがに街を作るのは難しいが、地下水があればそこからも水を取得できるらしく、しかもその生成された水は飲用にすら適する。


 これゆえに、水生成の壺型の法術具クリプト――通称『恵みの泉ファルテスオリュス』は、およそどの街にも存在する。

 井戸だと思ったらそこに恵みの泉ファルテスオリュスが置いてあるだけ、ということもあるくらいだ。

 大都市だと最近は、家庭毎に設置してることもある。

 同時に用いられるのが、浄化の管ヴァスタルトティレルと呼ばれる法術具クリプトだ。

 こちらは、管状の法術具クリプトで、これを通すと汚水を浄化し、真水に戻す法術具クリプトだ。汚れそれ自体は、土状の無害な物質として管の壁面から排出される。

 地域によっては、地上から湧き出す水をこれに通して、水源としているところもある。この法術具クリプトのおかげで、この世界は基本的に水質汚染と縁がない。

 この法術具クリプトに関してだけは、相当な辺境――フウキの村の様な――でもない限りは、ほとんどの地域で使われているという。

 無論、コウたちが使う宿馬車フェルナミグールにもやや小型だが装備されている。


 この恵みの泉ファルテスオリュスの存在ゆえに、街を作る場所は水源にはさほど縛られることがなく、しかも水汲みの苦労もない。井戸を掘る必要がないのだ。

 そして排水は浄化の管ヴァスタルトティレルを通すことで、再利用できるし、土壌を汚染することもない。

 そのため、『こんな場所になぜ街があるのか』というような場所にも街があるのがこの世界だ。

 代表例はドルヴェグだろう。

 法術具クリプトが今のように普及したのはここ数百年だが、特に水を確保できる法術具クリプトは昔の製法――術式自体を魔石等に刻む――でも多く作られていたらしい。


 そして、ちょうど見えてきた街も、どう考えても近くに水源はない。

 ただ、おそらく地形的に見れば地下水は豊富だと思われた。それであれば恵みの泉ファルテスオリュスが十全に役立つ。

 街の規模は大体五百人くらいか。


 街に入ると、他にも似たような目的の者がいるのか、これほどの設備の馬車ではないが、何台か馬車が宿に入っているのが見えた。

 

「結構馬車旅というのもあるのか」


 久しぶりの食事処ティルナでの食事の時に、ふとコウが口を開いた。

 なお、このような地域では食料も無尽蔵ではないので、エルフィナとティナも食べる量は遠慮しているというか、見た目通り程度だ。気持ち多い気はするが。


「そうだな。なんといっても雨天でも濡れにくいというのもあるが、馬より快適だという人が多いからな。貴族やある程度裕福な者の場合は、馬車が多い」


 とはいえ、この大陸は広い。

 馬車の移動速度はせいぜい時速八キロ十六メルテから十キロ二十メルテ程度。移動にかかるコストは実質地球の比ではない。


 この世界の文明の発展度合いそれ自体は、法術具クリプトによる便利さこそあれ、根本的なところでは産業革命前の地球とそう変わらない。

 そもそも地球の文明が劇的に発達したのも、産業革命による動力革命が大きな要素だ。

 だがこの世界には、その動力がない。

 代わりにあるのが法術だが、法術の力は基本的に術者に依存してしまうため、地球のような大規模な設備などは運用が出来ないのだ。


 ただ、その法術も時代によって発展が先鋭化しており、必ずしも発展し続けているわけではないらしい。

 実際、法術符クリフィスに関しては、五千年ほど前の遺跡から見つかるそれが、現代のものよりはるかに優れているという。

 建築についても同じで、数千年前の設備であっても、今でも運用に耐えるものも珍しくない。

 帝都などはその典型だろう。

 地球で言えばローマ水道の様なものだ。


 だが、移動手段についても数千年前からほとんど進化していない。

 しいていえば、シュタンク構造などが発明されたおかげで、乗り心地が良くなった程度で、速くなったりはしていない。


「大半の人々は徒歩だからな。あとは……ごくまれに飛行騎獣だが、これはホントに稀だな」


 飛行騎獣というと、ついパリウスの内乱でのドパルを思い出してしまう。


 実際、飛行騎獣は大陸東側では非常に珍しく、西側でも多くはない。

 飛行騎獣となる幻獣ディスラウムが多く生息するというファリウスには、飛行騎獣だけの部隊というものもあるらしいが、ファリウスがそもそも国としては小規模なので、部隊といっても規模は数十人だという。


幻獣ディスラウムに騎乗したり馬車を引かせるというのはあるのか?」

「なくもないというところだ。幻獣ディスラウムは馬より気位が高く、従順であるとはいいがたいからな。これに関しては魔獣ディスラングとされるものでも騎獣にするケースもあるらしいからな」

「そもそも幻獣ディスラウム魔獣ディスラングの違いって、あるのか?」

「実のところ、人に危害を加えることが多いのを魔獣ディスラング、それ以外を幻獣ディスラウムと呼んでいるというのが定説だ」


 要するに人間側の都合らしい。

 いずれにせよ、魔力またはそれに類する能力を持つ人間以外の獣の総称ではあるのだろう。例外はヴェンだ。


「強いて言えば、ヴェンに似た形状を持つものを竜属ディルヴェニアと呼ぶのはあるな。これに関しては、基本的に強力な存在なので魔獣ディスラング幻獣ディスラウムとはまた区別してる」

「なるほどな」


 さすがに本物の竜はまた全く別の扱いなのだろう。

 そもそもヴェルヴスやキルセアは、この世界の存在ではない。


 もっとも、それでいうと魔獣ディスラング幻獣ディスラウムも、果たしてこの世界に元々いる存在なのかといえば、怪しい気はする。

 あの湖底遺跡で、妖精族フェリアが空白の千年の間に誕生した種族であるとするなら、あるいは魔獣ディスラング幻獣ディスラウムも同じ様に、何かしらの影響を受けた存在である可能性は否定できない。


 いずれにせよ、エルスベルが滅んだ後に何が起きたのか。そこに、この世界の謎を解くカギがあるだろうし、滅んだ時に現れた悪魔ギリルが異なる世界の存在である以上、その時代の出来事の何かに、異なる世界と繋がる何かがあるのでは、という気はしている。

 それは、地球への帰還方法の可能性に繋がると思えるのだ。


「まあ、どちらにせよファリウス巡礼は、多くの人にとっては一生に一度やる人がいるかもしれない程の大事ってことさ。移動だけで半年から一年はかかるからな。特にロンザスの東側の人は、大変だろう」


 ロンザスの東側からファリウスまでに行くには、普通なら船で行くしかない。

 それでも、短く見積もっても三カ月以上はかかる。往復で半年余り。

 ちなみに、ランベルトは十年ほど前に、一度ファリウスに行ったことがあるらしい。なので今回は二回目となる。この辺りも、彼が今回の旅の同行者に選ばれた理由なのだろう。


「そういえば……アルガンド王国には転移門という法術具クリプトがあったが、ああいうのは他の地域にはないのか?」

「ああ、あの有名な奴か。使うのに金貨数百枚分の魔力石を必要とするという」

「らしい……な」


 その転移門は、コウが知る限り三回使用されている。

 うち二回はパリウスの内乱で、王都から軍が来る時と帰る時。

 もっともこれは、軍を王都からパリウスに移動させるよりは、ずっと安いからまだいいだろう。


 もう一回はあの学院祭での事件の直後、緊急でアクレットに王都に来てもらうために使用した。コウはあの戦いで瀕死になっていて全く知らなかったが、あの後にバーランドがアルガンドに何か仕掛ける可能性があったので、やむを得ない対応だったらしい。結果としては無駄だったのは皮肉な話だが。

 ちなみに、あの後アクレットはラクティと一緒に陸路パリウスに戻ったという。


「あれはあの地域にだけある特殊な法術具クリプトだよ。他の地域でも似たものを発見したという話はあるが、稼働させられるものは確認されたことがない。何より、起動するために必要な魔力が尋常じゃないからな。それでどこに行くのか分からないとか、誰も試したくないだろう」

「確かにな」


 転移した先が海の中とか、あるいは地中という可能性だってある。

 転移門は基本的に一対になっているが、相手側の転移門がどこにあるかなど分かったものではない。

 戻るための転移門を起動させるだけの魔力をどう準備するのか、という問題もある。


「本当に移動は大変なんだな……」

「例外は神殿間の奇跡ミルチェによる転移だな」

「高位の神官だけが使えるというあれか。……ランベルトは出来るのか?」


 すると少しだけランベルトは得意気な顔になった。


「実はできる。といっても、私のは距離はそう長くない。だいたい五百キロ千メルテくらいが限界だ。それに、転移は本人しか移動できないからな」

「それが不便ではあるな……」


 もっとも、奇跡ミルチェ法術クリフには、実際にはかなり強い類似性がある。奇跡ミルチェで出来る以上、法術クリフでも転移の再現は可能である確率が高い。実際、少量の物質の転移には成功しているのだ。核融合が起きてしまうが。


「ちなみに、教皇猊下ラエル・グラフィルになると、大陸のどこにでも転移できるらしいぞ」

「それはすごいな」


 奇跡ミルチェによる転移に個人差があるのは知らなかった。

 それで、バーランドのあの強制治癒の際に、教皇グラフィルが来たかもしれない、という話になったのか。そんな長距離を転移できる神官は、おそらく相当に限られるのだろう。


「結局地道に移動するしかないわけだ」

「移動速度だと最速は飛行騎獣だろうけど、あれも一回で飛行できる距離はそう長くないらしいからな。馬車のせいぜい二倍程度らしい」


 ランベルトの言葉に、なるほど、とコウは頷いた。

 トータルで考えると、あるいは船が結局一番速いのかもしれない。

 他の移動手段と異なり、船員が交代で頑張れば、一日中移動していられる。

 もちろん風次第だが、輸送量も陸路より遥かに多い。海ならではリスクも多いが。


 そういう意味では、エルフィナとの合わせ技だが、精霊行使エルムルトによる超高速飛行は、相当に破格の移動手段ではあるのだろう。魔力の消耗はそれなりだが、コウとエルフィナなら、少なくとも三時間程度は飛行できる。休めば、その倍は行けるので、一日に移動可能な距離はおよそ六百キロ千二百メルテだ。

 馬車での移動が一日で五十キロ百メルテから七十キロ百四十メルテがだから、十倍近い。


「コウ、どうした?」

「ああ、いや。その時間のかかる方法でここまで来たんだな、と思ってな」


 ふと見ると、エルフィナが小さく笑っていた。

 実際、ロンザスから百キロ二百メルテほどは、あのウィスタリアからの飛び降りで稼いでいる。あれはさすがにこの世界からすれば規格外だろう。

 ただそれ以外は、本当にほとんどが徒歩。

 フウキの村を出た時から数えると、一年あまりでこんな場所まで来ているのは、少し感慨深い。それはエルフィナも同じだった。


 大陸中をいつか回るかも知れないと二人で話しているが、きっとその道中は、他の人が行ったことのないような場所であろうと、行くことがあるに違いない。

 ふと、この旅の後のことまで考えた時に、今度はどのような光景を見るのだろうと思いつつ、コウは目の前のスープを口に運ぶのだった。


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