第206話 法術具の馬車

「さすがに夜通し走るわけにはいかないし、今日はこの辺りで休もうか」


 そう言ってランベルトが馬車を止めたのは、少し街道からそれた小高い丘の上。適度な灌木があり、軽く馬車を隠せるが、周囲への見通しがよく利く。


 ちなみに寝るのは馬車の中だ。

 昼間に座っている椅子がある場所は、椅子を組み替えるとそのまま寝台になる仕組みだ。これがかなり広くて、三人は余裕で眠ることができるスペースになる。

 そこから御者台へ直接出られる通路もあり、後部は進行方向の右半分は食堂、左側に五十センチ一カイテル程度が調理台となっていた。

 そして食堂スペースのテーブルを片付けると、寝台を展開できるようになっていて、これで五人全員の寝台が確保できる。

 その食堂のさらに奥は手洗いスペース兼トイレで、その横に小さいながらもシャワー室まであって、一番奥に後ろへ出る扉がある。ちなみに食料は調理台下部分だ。


 さらに床下と天井側に収納があって、ここには被服類を格納している。

 調理台はいわゆる法術コンロとでもいうべきものや、小型とはいえオーブン機能を持つ法術具、さらに換気扇まであるのだから驚きだ。

 そしてこれはこの世界ならではの調理法術具だろうが、冷やすための法術具まである。効果を調節することで、『冷ます』工程を大幅に短縮できる他、一気に冷たくすることまでできる。

 このような、宿泊機能等を備えた馬車を宿馬車フェルナミグールというらしい。


 とりあえずランベルトとコウが、馬を馬車から外して近くの木につないできた。

 馬に水を上げるための桶は馬車に備え付けられているので、そこに水を注ぎ、あとは周辺の草が食べられるものらしく、早くも食んでいる。


「そういえば、料理は……みんなどうなんだ?」


 ランベルトが馬車に戻ってから、全員を見渡した。


「俺は冒険者だからな。移動時はよくやる」

「エルフィナさんは?」

「私も得意な方だと思います」


 コウからすれば、得意というより、名人の領域じゃないかと言いたくなる。


「私もできますよ。元は傭兵グラスブでしたので」


 ミレアが意外な経歴を披露した。

 コウは驚いてミレアを見る。


「以前は傭兵グラスブだったのか」

「五年ほど前までですけどね。その後、神殿に仕えるようになりまして」


 一方、ランベルトは別の意味で驚いていた。


「元傭兵グラスブとは聞いてたが、料理が得意というのは初めて聞いたな」

「そういえばランベルトさんの前で料理したことはないですね。でも野営料理から法術具クリプトを使った料理まで、大体こなせますよ」

「あの」


 それまで黙っていたティナがおずおずと手を挙げる。


「私も料理、できると思う。ただ、ここの設備だと、勝手がわからないかもだけど」


 ティナの場合はむしろ、法術具クリプトをふんだんに使った調理自体に馴染みがないらしい。法術具クリプトが一般に普及しているとはいえ、それはあくまで法術ギルドがある都市部の話で、都市部以外ではいまだに火を使う方が一般的だ。とはいえ、使い方を覚えるかどうかだけの問題だろう。

 とりあえず、四人は問題なさそうだ。

 自然、全員の目がランベルトに注がれる。


「……いや、私は……やったこと、なくて」


 さすがに神殿長の息子。そういう経験はなかったらしい。

 家は当然裕福だろうし、使用人もいたのだろう。


「いや、それでも私だけ出来ないというのは何か良くない。この旅の間に覚えるとしよう」


 ランベルトがやけに意気込んでいる。

 微妙に不安を覚えるのは果たしてコウだけか。


「ランベルトの意気込みはとりあえず後日として……五人分の食事だから、二人くらいでかかる方がいいだろう。俺とエルフィナ、ミレアとティナで持ち回りか?」

「……私、お兄ちゃんとも一緒にやってみたい」


 いきなり組み合わせに意見が出た。

 思わずコウはエルフィナと顔を見合わせる。


「じゃあ今日はコウとティナ様で」

「そういえばラン兄ちゃん、私のこと、『ティナ様』って言うの、やめようよ」

「いや、それは……」

「ここではまだしも、街中でそう呼んでたら、なんか変だよ?」

「う……」


 確かにその通りだ。

 一応設定では、ランベルトが高位神官でミレアはその従卒、ティナはファリウス巡礼に向かう貴族の子供となっている。コウとエルフィナが護衛だ。

 そして通常、神官は貴族相手でも基本的に立場は対等とされる。この辺りは冒険者と同じだ。

 だが、そのランベルトがティナを敬称で呼んでいれば、誰でもティナが普通の立場の者ではないと分かってしまうだろう。


「ランベルトの負けだろう。あまり目立つように行くわけにはいかないだろう?」


 せっかくティナの髪や瞳の色をカムフラージュしたのに、神殿の人間が特別な立場だと扱っていては、いらぬ詮索を受ける可能性がある。


 今のところ探知法術の気配はないし、見える範囲にはこちらを窺う存在もない。現状では、教団ヴァーリーの追尾はかかっていないとみていいだろう。

 実のところ、最初の時点でティナには探知法術がかかっていたらしいが、これは皇帝から渡された法術具クリプトの効果で強制解除されたらしい。


「じゃ、今日はお兄ちゃんの料理を私が手伝うね」


 ティナがなぜかニコニコとしている。

 コウがエルフィナの方を見ると、何とも言えない複雑な顔をしていたが、仕方なさそうな笑みを浮かべていた。


 やや複雑な気分ながら、コウはとりあえずティナに手伝ってもらって、食事の準備を開始するのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「すごいですね、この宿馬車フェルナミグール


 コウとエルフィナは、馬車の外の岩の上に二人で座っていた。

 さすがに、見張りなしというわけにはいかないので、まずコウとエルフィナが見張りに立つことになっているのだ。

 ちなみに今は、ティナがシャワーを使っている。

 ちゃんとお湯になる法術具クリプトまであるのだから驚きだ。

 ランベルトとミレアは、馬車内の家具を調整して寝台を作っていた。


法術具クリプトが色々便利なのはわかってはいたが……これほどとはな。とはいえ、食材の保存だけはどうにもならないか」


 法術具クリプトがとても便利なこの世界だが、実は食料の保存のための法術具クリプトは、それほど便利なものはない。

 法術具クリプト全般に言えることだが、常時使用する法術具クリプトというのは、基本的に効率が悪いのである。照明の法術具クリプトがあまり用いられないのもそれが理由だし、未だに動力がないのも同じ理由だ。


 要するに、連続使用すると、あっという間に魔力が尽きるのが法術具クリプトだ。

 長時間連続使用に耐えられるだけの魔石となると、それだけでかなりの大きさと費用になるし、あるいは宝石を使えばいいが、当然高価になる。さらに、それだけの魔力を籠められる法術士クリルファとなると相当に限られる。

 よって、冷蔵庫的なものは、いまだにない。


 例外は法術武具クリプレットだが、これも、常時発動というわけではない。


「そうですね……新鮮な食材はやはり保存が難しいですし。状態を固定化する法術クリフというのもあるそうですが、そもそも法術具クリプトが長時間連続使用には向いてませんし。コウならあるいは、かもですが」


 数日程度であれば、実は冷凍させて運搬する手はある。

 地球とは異なり、法術で文字通り一瞬で凍結させる、いわば瞬間冷凍が可能だ。

 ただ問題は、その温度を維持するのが難しい。

 どれだけ断熱しても限界がある。


「ゲームや小説だと便利な保存能力とかがあったんだけどな……」


 コウの高校時代に、そういう小説が好きな友人に良く貸してもらった小説だと、なぜか都合よく、無限にモノが収納出来て、かつ中では時間が止まってるなどという都合のいいモノもあった。食べ物すらそのままというのだからすごい。

 が、実際にはそんな都合のいいものは存在しない。

 確かに、限定空間のあらゆる時間を極限まで遅くする法術は出来なくもないかもしれないが、維持にかかる魔力が尋常ではないだろう。

 コウでもやりたいとは思わない。


「ティナちゃんはどうでした?」

「普通に手伝ってくれたよ。料理ができるというのも本当だったしな」


 ちなみに今日作ったのは、乾し肉をスープで煮込んでシチューの様にしたものに、お米を炊いて、それを付け合わせた、シチューライスのようなものだ。ニンジンカルティカをいれたのである程度は野菜も摂れたと思いたいところである。

 ティナは食材を切ったり、煮込みの確認をしてもらっていたが、特に問題はなかった。


「そうですか……。さて、ちょっと周囲を見回りしてきます」

「エルフィナ」


 コウは立ち上がろうとするエルフィナの手を掴むと、そのまま座らせた。


「余計な事考えてないか?」

「……なんでこういう時は鋭いんでしょうかね、コウは」


 エルフィナが口を尖らせる。


「さあな……でも、エルフィナの事だから分かるとも思うんだが」

「そういう言い方はズルいです」


 エルフィナはそう言うと、コウの肩にもたれかかる。


「私が余計なことを考えるのが悪いんでしょうけど……どうしても、先々考えると、不安にはなるんです。ティナちゃんの気持ち、気付いてるでしょう?」

「単に少し年齢が近いから兄のように慕ってるだけだとは思うが」

「今はそうでしょうけど……五年も経てば、彼女も大人になります。きっとすごい美人になりますよ」


 寿命の違い。これだけは、何をどうやっても克服できない問題だ。

 だから、エルフィナはどうしても五年、十年、二十年先と未来を考えた時、自分の隣にコウがいることを望んでも、あり得ないと思ってしまう。

 しかしコウは、それにゆっくりと首を振った。


「正直に言うとな、エルフィナ。俺は……そんな五年も十年も先の未来の事なんて、全く分からないんだ」

「え」

「エルフィナ達森妖精エルフにとっては、五年はおろか、十年二十年も、本当にすぐの事なのかもしれない。けど、少なくとも俺にとっては、二十年なんてものすごい未来でしかない。ただ……エルフィナにはずっと一緒にいてほしい、とは思ってる」

「でも、私は……多分今と変わらない、ですよ。それどころか……」

「結構それはどうでもいいんだよな、俺は。そりゃあ、先に俺が寿命が来てしまうのはあるのかもだが、その最期まで、エルフィナが一緒にいてくれたら、多分嬉しいと思う。それだけは、確かだ」

「コウ……」


 エルフィナは一度頭をコウの方に向けて、それから俯いて、こつんと額を肩にあてる。それを見て、コウはエルフィナの肩を抱き寄せた。


「先の事なんてわからないしな。ただ、一つだけ言えるのは、俺はこの世界に来てよかったと思ってる。その一番の理由は、間違いなくエルフィナに会えたからだ」

「確かに……私も、外に出て一番良かったと思うことは、コウに出会たことだと思います」


 お互い、あまりにも特殊な力を持つ。

 その共通性と、そして何よりもお互い生死の境を超えてここまで来た。

 出会ってから一年余り。

 気付けば、お互い、お互いが隣にいるのが当たり前になっている。


「だから、俺はどこにいても、どこに行くとしてもエルフィナと一緒にいたいと思ってる。……俺みたいな人間がそう望んでいいのかっていう葛藤はあるんだけどな」

「そんなのは私には関係ないです。コウが一緒にいてほしい、というのは私の勝手ですし」


 エルフィナはそういうと、空を見上げた。

 今は二つの月がどちらも地平近くにあるので、星々の光を妨げない。


「そういえば……温泉で、コウに星の話を聞きましたが、あの星々も太陽みたいなもの、でしたっけ? 『星に住む』という意味は一応分かりましたが」

「そうだな」

「じゃあ、もしかしたら、あの星々の中に、コウが住んでいた世界もあるのでしょうか」


 その考えは思いつきもしなかったので、コウは驚いたような顔になった。


「……あり得る……のかな。ただ、物理法則が少し違うからな……」

「そうなんです?」

「少なくとも俺のいた世界に法術クリフはなかった。魔力は……あった可能性は否定できないが」


 魔技マナレットと、地球における『気』の概念はおそらく近い。

 少なくともコウは、地球に魔力がないとは断言はできないと思っている。


「やはりいつか行ってみたいですね。コウの世界」

「この旅が無事に終わったら、本格的に帰還手段探すか。もちろん……」

「一緒に行く方法、ですよね?」


 コウとエルフィナはお互いに笑いあう。

 満天の星空が、それを見守っていた。


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間章のがのんびりしてるからいちゃつきやすい説(ぇ

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