間章 この世界の旅事情

第205話 ヤーランへの道

「思った以上に、乗り心地が良いな」


 帝都を出発して数時間。

 すでに二十キロ四十メルテ以上離れているはずだが、標高がこちらのが高いのもあって、まだ遥か彼方に帝都が見えていた。


 帝都から出ている道は、法術によって作られた物らしく、地球のコンクリートの道ほどではないが、全体的に非常に滑らかだ。

 さらに、馬車が走る際の衝撃吸収性能は非常に高く、それもあって少なくとも座っていると痛くなってくる、ということは全くない。


「馬車の旅が良くなったというのは、本当にここ五十年の話らしいけどな」


 御者台で馬をるランベルトが振り返った。


 この馬車は、幅二メートル四カイテルあまり、長さ五メートル十カイテルほどで、屋根も高く三メートル六カイテルの箱型。

 車輪は三対で、車輪それ自体がゴムに近い衝撃吸収機能を持っている上に、地球で言うところのダンパーに近い構造があって、馬車そのものが非常に揺れにくくなっている。

 ランベルトによると、車輪の素材はともかく、このダンパー構造――こちらでは発明者の名前を取ってシュタンク構造というらしいが――が発明されて以後、馬車の旅が格段に楽になったらしい。


 シュタンクは西方、シュラウト自治区の出身の洞妖精ドワーフだという。

 シュタンク構造が発明されたのは、およそ二百年ほど前。

 ただ、発明してからしばらくは、あまり使われなかったという。

 なぜなら、その構造が複雑すぎて、誰も再現できなかったらしい。

 かくして使われることもないまま、数十年が過ぎ、シュタンクは老齢で世界を越えている。


 その後、ドルヴェグの技術者がシュラウト自治区を訪れた際、シュタンクが作ったその構造を見て、その有用性に気付き、故郷に戻って広めたのが、五十年前。

 なので、今ではシュタンクがドルヴェグ出身だと思われていることもあるという。


 思い返せば、アルガンド王国で乗った馬車も、この構造を持っていたのだろう。

 しかし、コウはつい、発明してから百五十年もの間報われなかったシュタンクは、今どう思っているのだろうと思ってしまう。

 早過ぎた天才、というより生まれた場所の不幸か。


「今では、帝国ではある程度の馬車であれば全てこのシュタンク構造を持ってるのが当たり前だからな。さすがに辺境の小さな村の荷馬車ではそうはいかないが」


 それに加えて、帝都周辺はこの道の良さだ。

 結果、地球の車と比較してもそれほど遜色ないほどの乗り心地が実現されているようだ。


「しかし、この速度で走り続けたら、馬が疲れるんじゃないのか?」


 馬車の速度は、だいたい時速十キロ二十メルテというところ。

 歩くよりは大分速いが、馬にとってもそう楽な速度ではない気がする。

 四頭立てとはいえ、この馬車がそこまで軽いとはあまり思えない。

 それに、帝都から西へ向かうルートは、基本的に緩やかとはいえ、高地へ向かう形になり、上り坂が多い。

 帝都内の高速馬車などは、頻繁に馬を換えることでその速度を維持していたが、さすがにこの度で簡単に馬を換えるわけにはいかないだろう。


「そこまできついわけじゃないんだ。この馬車、見た目よりだいぶ軽いからな」

「そうなのか?」

「ああ。そのあたりはドルヴェグの技術の賜物だが、車輪もすごく回りやすい。おかげで馬は結構楽に引けるようになってるし、それほど大きな効果はないんだが、馬具に疲労軽減の法術も付与されているんだ」


 そういえば、コウが、充填用としてストックされていた法術符クリフィスを出発前に一通り確認――いざというときに自分ですぐ使うために――した中に、そんなものがあった気がした。


「だからこのくらいの速度は問題はない。まあ、まだ道がいいからというのもあるけどな」


 帝都周辺の道の良さはコウもよく知っている。

 だが、例えばフェルゼン大湿地帯などでは、道はむしろ相当悪い。

 ガルズの馬車も、悪路を行くために車輪は相当に大きなものだった。


「文字通り、法術具クリプトの塊みたいなものか、この馬車」

「そうだな。ここまでの馬車は、さすがに多くはないだがな」


 とはいえ、これほどの馬車が移動用としてあるのは驚きではある。

 アルガンド王国にいた頃、パリウスからクロックスまで、十日ほどかけて移動したが、あの時は馬車は普通の馬車――おそらくシュタンク構造はあったのだろうが――で、使者たちも普通にテントで野営していたか、道中宿をとったり、民家に泊めてもらったりしていた。


 ただ、ヴェンテンブルグからヤーランまでの道は、どちらかというとあまり人が住んでいないらしい。街もほとんどなく、民家はほとんどない。

 基本的に岩場が多く、農地向きではない。

 ヤーラン王国は高原地帯で、そこまで行くと草原が広がっているらしいが、皇帝直轄領とヤーランの間には、いわば実りの少ない大地が拡がっているらしい。それゆえ、その街道も旅するにはちゃんとした準備を必要とする。


 実際、事前に見た地誌によると、この道がファリウスに至る道の中でも、上から数えて大変な地域らしい。

 水の確保は法術具クリプトで何とかなるとしても、それ以外の食糧がない上に、大型の野生の獣は多いらしく、危険性が高い。

 そういえば、コウたちは全く請け負わなかったが、ヤーラン王国へ向かう商隊や旅人の護衛の仕事というのは、かなり多かった記憶がある。魔獣は滅多に出ないらしいが、それでも普通の人には危険な道だ。


 とはいえ、人の行き来はそれなりにあるので、一応中間地点あたりに一つ、大きな街はあるらしいが、道中に普通ありそうな簡易宿もほとんどないらしい。辛うじて、ロンザス大山脈にもあった、状態維持の法術を付与された小屋がいくつかあるだけだ。

 あの辺境と扱いが同じ辺り、この道の厳しさが分かる。


「お兄ちゃん、夕陽がすごい」


 ティナに言われて、コウは御者台に出る通路から進行方向を見た。

 すると、地平線に沈む赤い太陽がまさに沈み始めるところだ。


「確かに……すごいな」


 さすがにウィスタリアの頂上から見たあの光景には及ばないが、これはこれですごい。本来荒地にわずかに草や灌木がある程度の大地が、すべて茜色に染まっている。

 さらに、その太陽が一刻ごとにじわじわと地平線に姿を消していく。

 同時に空の色が少しずつ暗くなり、振り返ってみると星々が空に瞬き始めていた。


 そのままずっと沈む太陽を見ていたが、ふとティナが思い出したように振り返り、歓声を上げていた。


 何事かと振り返ると――。


「なるほど、こう見えるのか」


 地平線に隠れそうになっているが、それでもまだ帝都の威容が見えた。

 そして、暗くなり始めるこの時間、帝都の明かりが闇の中にこれでもかというほどに明るく映えていたのだ。


「すごいですね、この光景は」


 エルフィナが感心したようにつぶやいた。

 実際、これほどの光景はこの世界ではまずないだろう。

 あのウィスタリアの頂上から見たキルシュバーグより、はるかに明るい。

 さすがは二百万人もの人々が住む都市だ。

 実際、その気になれば一年間滞在しても退屈しない街だとは思えた。

 コウとしては、ファリウスへ無事ティナを送り届けたら、やはりもう一度くらい来てみたいと思う。


 横にいるエルフィナを見ると、どうやら同じ感想らしい。


「あそこから来たんだね。なんか……すごいなぁ」


 エルフィナの横にティナが座り、帝都を見ながらぼそりと呟いた。

 ティナからすれば、突然小さな村から帝都に連れてこられて、数日で今度はまた遥か西方のファリウスへ行くことになったわけで、自分の状況の変わりようを考えると、驚くばかりなのだ。


 なお、犠牲になったユクス村の人々を含めた村人は、すべて帝都の共同墓地に葬られている。もちろん、コウやエルフィナも立ち会った。


 この世界の葬儀は基本的に火葬であり、どちらかというと日本の葬儀に近く、骨を収めた箱を墓に埋める。

 箱自体は木製で、死者の肉体はいずれ大地に還り、その心は世界を越え、神々のいる世界に至るとされていた。


「あんなきれいなところなら、きっとみんな、安心して世界を越えたよね」


 その時のことを思い出しているのか、ティナの目に涙が浮かんでいる。

 それに気づいたのか、エルフィナがティナを抱きよせた。

 ティナはそれに抵抗せず、そのままエルフィナの胸に顔をうずめる。


 少女の小さな嗚咽は、馬車の車輪が地面を噛む音にかき消され、空に解けていった。

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