第208話 暖房法術具と大切な日

 旅の道程は順調で、明日にはヤーラン王国に入るらしい。

 ただ、まだ周囲は岩場が多く、荒れ果てた土地が続いている。

 旅をするにも厳しい場所だが、同時に生き物にとっても厳しい場所であるため、要するに棲息する生き物は多くないので、必然的に獣の襲撃はの可能性は低いの、利点と言えた。

 無論、こういう場所を好む魔獣というのもいるので、それへの用心は必要だが、滅多に出ることはない。


(なんていうか、私たちの場合移動中に当たりやすいとは思いましたが……)


 エルフィナは一人、食堂の椅子に座りながらぼんやりとしていた。


 今日は三月二十九日。明日で三月が終わる。

 この世界の暦は月は全て三十日刻みで、一日と三十日がそれぞれ始まりの日、終わりの日として曜日がない。

 もっとも、旅の途中であるし、別に月が改まるからと言って、普通は一年の始まりの様に、特別な行事があるわけではないのだが――。


 この三月末日だけは、エルフィナにとっては特別だった。

 問題は――。


(さすがにみんなの前で祝うというのは……恥ずかしいですし……)


 三月末日は、二人で決めたコウの誕生日なのだ。

 コウの本来の誕生日は八月三十一日だが、この日はこの世界には存在しない。

 それに、コウはあちらの世界で三月にこちらに来て、その時にこちらは十月だったので、その時点で大幅にずれてしまっている。

 なので二人で、三月末日にすると決めたのだ。


 二月にあったエルフィナの誕生日はコウが祝ってくれた。

 エルフィナにとっては千回近い誕生日の一日であっても、コウにとってはエルフィナと共に在る最初の誕生日だと言ってくれたのを思い出すと、今でも嬉しくなる。

 そしてそれは、エルフィナにとってのコウの誕生日も同じだ。

 去年のこの時期もすでに行動は共にしていたが、あの時はまだ今ほどに親しくなかった――のは多分自覚していなかっただけだろう。

 思えば、出会った最初、あの助けられた時から、エルフィナにとってコウは特別な存在になっていたように思える。

 自覚したのが遅かっただけだろう。


 だから、誕生日をやはり特別な気持ちで祝いたいと、エルフィナは思っていた。


 実は贈り物は用意してある。

 日程的に、間違いなく移動中だと思ったので、帝都にいる間に買っておいた。

 渡すだけなら別に難しくはないが、コウがあの時エルフィナを祝ってくれたように、少しは特別感を出したいというのは、エルフィナにとっても同じだ。


(ついでに言うなら、コウ、誕生日の事忘れていそうですけどね……)


 本来の誕生日と違う日に設定してあるのもあって、おそらく忘れている気がする。

 さすがに言われたら思い出すのだろうとは思うが。


「お姉ちゃん、なんか考え事?」

「え? ……ああ、ごめんなさい。うん、ちょっとね」


 ティナの声に、思わず顔を上げた。

 今はまだ昼過ぎ。先ほど昼食を終わって移動を再開したところである。

 昨日まではかなり傾斜の厳しい道だったのだが、それが緩くなってきており、おそらくもうヤーラン高原と呼ばれる地域に入りつつあるのだろう。

 ランベルトの話では、明日には草原が見えてくるということだ。


 三月終わりではあるが、高地でもあるため、気温は全体として低い。

 特に今日は、かなり冷え込んでいるようだ。

 非常に便利な宿馬車フェルナミグールではあるが、さすがに暖房機能までは持っていない。暖房に関しては別途温度調節のための法術を用いるか、あとは普通に服で暖を取るしかない。暖房用の法術具クリプトは、基本的に大きすぎるので搭載していないのだ。

 そのため、御者台にいるランベルトは毛布をかぶっているし、馬車の中にいる四人も、いずれも毛布などを被って寒さをしのいでいる。

 暖房や冷房の法術具クリプトというのは、基本的に非常に効率が悪いため、大きさが大きくなりがちなのだ。


 コウかエルフィナであれば、数時間は馬車内を暖かくする法術クリフ精霊行使エルムルトを使うこともできるが、さすがにランベルトやミレアにあまり規格外の力を見せる気にはなれない。

 小規模で何とか――とまで考えて、エルフィナはふと思い出したことがあった。


「コウ、あの『こたつ』ってできません?」

「ああ……あれか」


 コウは寒さにはそれほど弱くはないが、とはいえ寒くないわけではなく、毛布を膝にかけていたが、なるほど、と頷いた。

 あまり地球の文明を持ち込むのは、と思ってはいるが、あの程度ならいいだろうと思う。

 あれなら、極めて限定空間を温めるだけなので、それほど強力な魔力は必要としない。普通の法術士クリルファでもさほど難しくはないだろう。


「この馬車の中で……ああ、食堂ならいけるか」


 食堂のテーブルはこのメンバーが全員一度に座ることができるが、大きさとしては小さいものだ。これに毛布などを被せれば、近い状態は再現できる。


「やってみるか」

「お兄ちゃん?」

「毛布で個別に暖まるよりいい手がある。ちょっとやってみよう。毛布を何枚か貸してくれ」

「その、寒い……のですが」


 ミレアがかなりガタガタと震えていた。

 ミレアの出身はかなり北方にある国なのだが、なぜか彼女は寒さに弱いらしい。


「大丈夫ですよ、ミレアさん。すぐ暖かくなると思いますから」

「し、信じますよ……」


 ミレアが渋々、という感じで毛布を差し出す。

 大きさ的には少し不足だが、これでも十分枚数は足りた。


「……何しているんだ、コウ」

「ちょっとな。まあ、ランベルトには悪いが」


 コウはそう言うと、毛布をテーブルにかけた。

 少しずつずらしてかければ、全体を覆って、床までカバーできる。

 即席の食堂用ダイニング炬燵としては十分だろう。

 コウが法術を発動させるのを待って、エルフィナはすぐに足を入れた。


「お姉ちゃん?」

「入ってごらん、ティナちゃん」

「?」


 半信半疑、という様子でティナが足を入れる。


「あったかい……?」

「うん。どう?」

「なんか……腰から下だけ暖かいのに、気持ちいいね、これ」

「え、そうなんですか」


 ミレアが駆け込む様に飛び込んだ。

 しばらくすると、気持ちよさそうに顔をとろけさせている。


「なんかこれ……いいですね。これ、なんなんですか?」

「えっと……俺の地域にあった暖房器具だ」

「コタツっていうそうです」

「コタツ……不思議な響きですが、これは良いですね……。この小さな空間だけを温めるだけなのに、何人もが同時に暖を取れるというのはなかなかすごいです」

「ホントだね、これすごく気持ちいい」


 エルフィナはもちろん、ミレアもティナも炬燵を満喫している。

 確かにこれは、火を使えないこういう状況では、本当に便利だ。


「ちょ、なんかみんなの姿が見えないんだけど!? ちょっとどうなってるんだ!?」


 ただ一人、寒い御者台で馬をるランベルトだけは、その恩恵にあずかるのは大分後になってしまった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「コタツ、よかったですね……」

「また一年間滞在するとか言い出さなくてよかったよ」

「そ、それはあの時だけですっ」


 エルフィナは真っ赤になってぷい、と顔をそらす。


「しかし……ランベルトたちにも炬燵を教えてしまったが……よかったのかな」

「いいんじゃないですか。コウ、元の世界の知識を持ち込むのにすごく慎重ですが……このくらいは」

「まあ……ドルヴェグに刀の製法を知られてしまったのよりはマシか」


 ちゃんと製法を教えたわけでもないのに再現してしまったあたり、ドルヴェグの技術者ならいつか同じ場所にたどり着いた可能性はあるが。


「しかし今日は……寒いな、本当に。火の精霊に感謝だが」


 現在の時間は、おそらく五時頃。

 まだ日は昇っていないが、少しずつ東の空が白んできていた。

 今日はコウとエルフィナが後半の見張りを引き受けていて、夜の二時くらいから見張りに立っていた。

 ミレアとランベルトは今は眠っている。

 もちろんティナも一緒だ。

 そしてコウとエルフィナは、火の精霊ディフルスの力で周囲を少しだけ暖かくしてもらっていた。こういう持続的な力においては、精霊メルムの力の方がはるかに効率がいい。

 一応、焚火を前にして並んで座っている。


「明日にはヤーランか。どんな場所なのかはちょっと楽しみだが」

「草原の国とは聞いてますが……私も初めてです」

「ちなみに、料理的にはどうなんだ?」

「有名なのは羊肉やヤギ肉の料理、あとは乳製品ですね。それも牛ではなく、羊やヤギの乳で作ったものです」


 そう言いながら、エルフィナは例の本を出そうとして――その手前にある小さな箱に触れた。今はこちらの方が重要事だ。


「コウ、今日が何日か覚えてますか?」

「ん? 三月二十九……いや、もう日が変わってるから、三十日か」

「はい。つまり?」

「……三月が終わる?」


 エルフィナはそこで盛大にため息を吐いた。

 コウはその意味が分からず、首を傾げる。

 エルフィナの予想通りとはいえ、やはり忘れていたらしい。


「自分で決めたのにですね……誕生日ですよね、コウ」

「あ」

「まあ、本来の日と違いますからね。仕方ないかもしれませんが……」


 そう言うと、エルフィナはコウに向き直った。


「誕生日、おめでとうございます、コウ。改めて、生まれてきてくれて、そして私に出会ってくれて、ありがとございます」

「こちらこそありがとう、エルフィナ。すまん、本当に忘れていた」

「まあ仕方ありません。こんな状況ですし。本当はコウみたいにケーキにロウソク、とかやりたかったのですが……それは次の機会に」

「まあさすがにこの状況ではな」


 来年の今頃どうしているかは分からないが、少なくともファリウスへの旅は終わっているはずだ。

 それなら、きっと祝う可能性もあるだろう。


「それから……これを」


 そう言ってエルフィナが小さな箱から取り出したのは、腕輪だった。

 金色の輪に、二つの宝石がちょうど向かい合うようにつけられている。


「これは……」

「これ、ちょっと特別な腕輪なんです。帝都で見つけて、買っておいたのですが」


 そう言うと、エルフィナが腕輪に触れる。

 すると、腕輪の輪が、縦に二つに割れ、さらに細い腕輪になった。

 その二つの腕輪それぞれに、宝石は一つずつ付いた状態だ。


「これ、元は森妖精エルフの風習なんですけどね。一つの装飾品を二つにして、お互いに持つことで、お互いが離れ離れにならないように、という願いを込めたもので」

「そうなのか」

「こういうとアレなのですが、私達森妖精エルフって、寿命が長い上に変化に疎いですから、気付くと片方がいなくなってる、とか言うことはよくあるそうです。それで、これを目印にしていつかまた会えるように、というのを誓う……その、誓いの証というか」

「ほとんど結婚の誓いだな、それは」


 言われて、エルフィナが真っ赤になった。

 実際、結婚式という形式をあまりとらない森妖精エルフにとって、これは事実上お互いを生涯愛し抜くことを誓う、ある種の誓いの儀式だ。最近ではこれをお互いに持ち合うことを、結婚式の儀式の中で行うこともあるらしい。

 エルフィナは見たことはないのだが。


「その……そういう意味は、なくもないですが……でも、どちらかというと私が安心したいというか」

「エルフィナ?」

「コウは突然この世界に来たと言ってましたよね。それなら……逆もあるのではないかと……思ってしまうこともあるんです」


 突然現れたのなら、突然いなくなることもあるかも知れない。

 そしてその可能性は、コウ自身にも否定できない。


「エルフィナ……」

「だから、これを。ちなみに少しですが精霊行使エルムルトによる付与もされてて、具体的に言うと、お互いの居場所がなんとなく感じられるようになってます」

「それは……心強いな。つけてもらっても?」

「はい」


 エルフィナは留め金を外して、コウの手首に腕輪をはめる。

 大きさ的には手首より少し大きい程度なので、外れる心配はなさそうだ。


「……じゃあ、私もお願いします」

「分かった」


 エルフィナの手首にも腕輪がはまる。

 多少腕の太さは違っても、さすがに外れることはやはりなさそうだ。


「きっと何があっても、これなら大丈夫って……願いみたいなものですけどね」

「願いというか……うん、まあなんか大丈夫だとは思えるな」

「はい。それから――」

「ん?」


 エルフィナはコウとの間を詰めると、そのまま顔を近づけ――。

 頬に口づけた。


「エ、エルフィナ!?」

「人間が親愛を示す習慣とは聞いてますが……なんかこれ、凄く恥ずかしいですね」


 エルフィナの顔はすでに真っ赤だったが、それはコウもあまり大差ない。


「大好きです、コウ」

「……ありがとう、エルフィナ」


 寒々しい風がなおも吹いていたが、二人はこの上ない暖かさを感じていた。


――――――――――――――――――――

短めですが間章終わり。

次はお馴染み解説資料の後、いよいよ新章突入です。

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