第201話 帰る場所

 先の事件から十日ほどが過ぎた。

 コウとエルフィナは遠出のための準備を整えていたが、他の冒険者はかなり忙しかったらしい。

 コウとエルフィナは、帝都の冒険者ギルドの正式メンバーではないから影響がなかったのだが、正規の冒険者たちはかなり優先的にいろいろな仕事が割り振られていて、常に忙しそうにしていた。


 帝国兵千人、冒険者五人もの犠牲者が出たあの事件は、結局その目的すらわからないまま、挙句関わった村人のほとんどが殺されるという事態になっていて、その後始末だけで帝国政府は大変な苦労をしているらしい。

 生き残った村人は、かろうじて生きていたプライト村の数人と、ティナのみ。

 ここ数年では、未曽有の大被害だという。


 これだけの被害が出ると、さすがに人々の話にも上るようになる。

 結果、帝都全体が剣呑な雰囲気になり、帝都衛士ヴェルダートをはじめとして、帝都全体が厳戒態勢とまではいかずとも、かなりピリピリした雰囲気になってしまった。

 そしてそれに伴いトラブルも増加し、いざこざも起きる。

 傭兵や冒険者はそれの対応にも駆り出されることもあったという。


 そんな、少し緊張感すら感じる帝都で、コウとエルフィナは第一区にある大神殿に向かっていた。

 ティナは先日からずっと大神殿で、出発の準備をしているとのこと。

 コウとエルフィナはずっと神殿に詰めているわけにはいかなかったので、一度宿に戻っているが、今日、宿を引き払っている。出発の日程は未定だが、今日か明日だろうというのは聞いている。


「気付けば……結構長く滞在してたような、あっという間だったような、ですね」

「そうだな……来た時はまだ冬だったが、もう春だしな」


 帝都に来たのは二月。今はもう四月になろうとしている。

 コウとしては四月といえば桜と言いたいのだが、さすがに桜かそれに似た植生の植物は、この世界にはないらしい。


「滞在期間だけなら、アルガスとかの方がずっと長いですが……なんか、色々ありましたね」

「そうだな……」


 まず第一に、出会った人間が強烈過ぎた。

 皇帝に伝説の英雄、それに謎の組織の人間と並ぶと、もはや何がなんだが分からない。


「そういえば、なのですが……コウ、あの教団ヴァーリー法術士クリルファと戦った時、あまりその刀の特性を利用しなかったですよね」

「……ああ、そうだな」


 コウの刀は、竜であるヴェルヴスの力を宿している。

 そのため、ありとあらゆるもの、それこそ法術クリフですら斬り裂き、打ち消すことが可能だ。実際、最後にティナを巻き込もうとしたユスタリアの法術クリフを打ち消したのは、この刀の力だ。


「これがあまりに特殊なのは分かってるからな……相手の正体がはっきりしなかったから、あまり見せない方がいいと思ってたんだ」


 刀の特性を使えば、おそらくもっと無理に踏み込んで、彼らを倒すことはできただろう。ただ、彼らは自分達が敗れることまで考えて戦っていた。

 それはつまり、自分たちが敗れた場合にも、その相手の情報を引き継ぐ手段がある可能性を示している。


 コウの持つ刀は、おそらくこの世界においても、コウ自身の全文字ルーン適性や、エルフィナの全属性適性よりもさらに特殊だ。

 あのような場面で戦う場合に、二人の能力で乗り切れない時の切り札として、この刀の力は隠しておきたいのが本音だった。


「あとは……ちょっと今回で、自分達も未熟だと分かったからな。そこは今後の課題だが」

「そうですね……私ももうちょっと、上手く力を使えるようにしておくべきだと思いました」


 今回の戦いでは、コウやエルフィナと同等の術者相手だと、その経験不足が露呈した。それで敗れることはないにせよ、勝つのが難しいと痛感させられた。

 だが、それは二人とも力の使い方が、少なくとも相手より下手だったのは否めない。もっとうまく使えれば、おそらくああいう相手でも常に優位に立ち回れるだろう。


「私はともかく……コウはそういう意味では、シュタイフェンさんとかに教えてもらうのはありだったのでは」

「実は一度聞いてみた。そしたら、『わしは教えるのは苦手だし、お前の様な規格外の適性がある場合の方法なぞ分からん』と言われてしまったよ。まあ確かに、全部使える場合の最適の方法なんて、この世界の誰も知らないんだよな」

「私にも跳ね返ってきますね……その話」


 結局のところ、効率の良い法術クリフ精霊行使エルムルトを使えるようになって、その連携を高めるしかない。

 自分たちの創意工夫次第という事ではあるが。


「まあ……ファリウスまでの道すがら研究するしかないですね」

「そうだな。同行者がいるという話だが……」


 実のところ、道中で教団ヴァーリーの襲撃は予想されるわけで、かなりの手練れでなければ役に立たない。

 さらに言うなら、少なくとも数ヶ月は一緒に旅をするので、自分達と性格的に合わないとなったら最悪だが。


 第一区にある大神殿は、帝都の神殿の中心となる場所でもある。

 帝都はあまりの広さのため、各地区に神殿は設置されているが、基本的には全て第一区の大神殿の支殿とされている。正式な神殿は第一区の大神殿だけだ。

 その規模は帝都の規模と比例して、当然だが大陸最大級。


「実際、皇宮と比べても遜色ないな」


 幸いというか、結局皇帝と直接対面したのはあの一回だけだった。

 色々調べ物では便宜を図ってくれたのは事実だし、お礼を言いたいところではあるが、さすがに一介の冒険者がそれだけのために皇帝に謁見できるはずもない。

 後日、文書で謝意を伝えるつもりではある。


 神殿に行くと、話は通っていて、すぐ奥に通された。

 数日振りに来たが、さすがは帝都の大神殿というべきで、その内部の美しさもまた、際立っていて驚かされる。

 かといって華美というほどではなく、落ち着いた雰囲気も感じさせるもので、人々が頼りにするのも分かる気がする。


 この世界の信仰はあくまで『神の力を借りる』ためのものであり、地球のそれと比べると遥かに即物的な側面があるが、それでもこのような場があるとありがたさなどは感じるものなのだろう。


「こちらです、どうぞ」


 案内してきた神官がノックをしてから扉を開けると、開いた扉から少女が飛び出してきた。


「お兄ちゃんっ」


 ぼふん、という音でもしそうな――コウの服は旅装用の厚手の服なので多少痛い気もするが――勢いで飛び出してきたのは、小さな少女。

 だが、一瞬誰だ、と思ってしまった。


「……あれ。ティナちゃん?」

「うん、そーだよ。あ、髪の色?」


 そこにいたのはどちらかというと赤毛といっていい髪の少女だ。瞳の色も青い。

 だがよく見れば確かにティナだった。

 本来、ティナはコウと同じような真っ黒の髪で、その印象が強いので、かなり別人に見える。


「あのね、この人にもらった法術具クリプトの力なの」


 そういって、ティナが示したのは、部屋のソファの一角。

 そこにいたのは――。


「……もう、驚かないことにしたからな」

「なんじゃ、つまらん」


 そこにいたのは、皇帝プラウディスその人だった。もはや気にしたら負けだろう。


「お兄ちゃん、このおじいちゃんと知り合いなの?」

「……まあ、そうだな。初対面じゃ、ない」


 普通の人は、そもそも皇帝の姿などほとんど見たことがない。

 絵姿はよく出回っているが、それは皇帝として正装を纏った姿であり、今の皇帝はどこにでもいそうな、少し裕福な商人という風体だ。

 知らなければわからないだろう。


 思わず周囲を警戒すると、少なくとも四人、並外れた使い手の気配がある。

 ここは神殿の最奥で、襲撃者がいたとしても入り込むのすら大変だが、そもそもこんな場所に皇帝が現れるなど、誰が予想しよう。


「おじいちゃんとお兄ちゃん、仲良しなの?」

「おお、そうじゃな。きっとそうじゃ」


 冗談は程々にしろと言いたくなるが、かといって仲が悪いというわけではない。

 コウは大きく息を吐くと、あきらめたようにプラウディスに向き直った。


「まさか貴方が、ただ見送りに来た、というわけじゃないですよね」

「そうじゃな。さすがにわしもそれほど暇ではない」


 ティナが、真面目そうな雰囲気を察したのか、エルフィナの方に近寄って行った。

 そしてエルフィナはこれ幸いとばかりに、皇帝から距離を取る。

 もっともこの場合、この配置はありがたいといえばありがたい。


教団ヴァーリーの目的が、神子エフィタスにあった可能性があるとなれば、教団ヴァーリーと神殿との間に、何か確執がある可能性が高い」

「一応だが、教団ヴァーリーと神殿が繋がってる可能性はないのか?」


 するとプラウディスは驚いたような顔になった。


「お主、面白い発想をするな……普通、そんなことはまず考えんが……神殿のない地域で育ったのか?」

「ああ、まあそんなとこ……だ」


 どうやらこの世界における神殿の信頼度は、冒険者と同じか、あるいはそれ以上のようだ。

 人々に敵対し、害成すことなどほとんどないと思われているようだ。

 地球出身のコウとしては、神の名のもとに地球で行われていた数々の行為を考えると、そう無条件で信じられないのだが、この世界では違うらしい。


教団ヴァーリーが何を考えているかは分からんが、神子エフィタスが関わってはいるのだろう。一応、帝室の宝物庫から正体を隠せる法術具クリプトを持たせることにしたので、届けに来たわけだ」


 皇帝自ら来なくてもいいだろうとツッコミを入れたくなる。

 が、かろうじて堪えた。


「髪や瞳の色が変わってるのはそのためか」

「うむ。あとは探知系の法術クリフを阻害する効果がある」

「……なるほど」


 確かに相手はティナの姿を知っているとはいえ、その特徴的な髪の色が変わってしまえば、見つけづらい。しかも、探知系法術クリフを阻害するとなれば、なおさらだろう。実際、軽く魔力探知を試みると、ティナの魔力は本来コウやエルフィナと比べても遜色ないほどの大きさなのだが、今はどう見ても普通の人と変わらない。

 もっとも、教団ヴァーリー側もティナが神子エフィタスであることは把握している可能性は低くないので、ファリウスに向かうと考える可能性はある。

 とはいえ、帝都から西に向かう人は多い。

 その中に紛れ込めば、そう簡単には識別は出来ないだろう。


「まあ……貴方にはいろいろ支援はしてもらったし、それは助かった。改めて、お礼を申し上げる」

「そうさな。ただ、シュタイフェンから聞いたが、なかなか強烈な発見もしていると聞く。わしとしても十分見返りはもらったとは思うが――」


 そこでプラウディスは声を潜めた。


「ファリウスへ向かうなら、おそらく最初に立ち寄るのはヤーランであろう。だが、あそこには少し不穏な話がある」

「え?」

「すでに巡検士アライアを二人向かわせておるが……もし手が空いていれば、力を貸してくれると助かる」


 実質タダ働きさせるつもりなのか。

 あとで請求すれば報酬くらいはくれそうではあるが、実際のところ、巡検士アライアが二人も派遣されるという事実は、コウにとっても無視できる話ではない気がする。


「さて、わしは一旦失礼しよう。また帝都に来ることがあれば、今度は酒場で酒でも酌み交わそうではないか」


 一体プラウディスの中で、コウの立ち位置はどうなっているのかと思いたくなる。


森妖精エルフ殿も、今度は皇宮の贅を尽くした美味を賞味いただければな」


 一瞬エルフィナの顔が輝いて見えたのは、絶対にコウの気のせいではないだろう。

 とはいえ、確かにそれはコウも興味があるが、それ以上に、確かに彼にはもう一度会いたいとも思っていた。


(帰ってくるべき場所の一つになりそうだな……)


 最終的に自分が『帰る』場所がどこなのか。

 どうにも迷いそうになる。


「ではまた会おう、コウ、エルフィナよ。帝国は汝らを歓迎する。そしてティナよ。元気で行ってまいれ。いつかまた、帝都に来るなら歓迎しよう」

「うん、ありがとう、おじいちゃん」


 ティナはなおも分かっていないのか、嬉しそうにそう言うと、プラウディスは少しだけ相好を崩す。

 そして、扉の向こう側に消えた。


 コウはやはり、少しだけ橘翁を思い出していた。

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