第193話 アトリの最期

「がはっ、な、なにが……」


 文字通り無数の水の槍に貫かれたアトリは、その魔力もほとんどが消滅し、地面に落ちた。

 同時に、彼を貫いていた水の槍が全て消えて、直後に膨大な血が流れだす。

 完全に致命傷だ。

 治癒に同意してくれればあるいは助けられるかもしれないが――するとも思えない。


「くそっ。僕の負けか」


 仰向けに倒れたアトリは、だがどうやら負けは認めたらしい。

 よく見ると、すでに下半身は千切れかけている。


 実際、紙一重だった。

 あの水の槍を全て防ぐことは、いかにコウでも不可能だった。

 コウが使った法術は、空間歪曲。

 物理法則上、強大な重力場があれば、空間は曲がる。

 つまり、まっすぐ進んでもその軌道は曲がってしまう。


 コウの使った法術は、その『結果』だけを出現させた。

 そして、水の槍の軌道をすべて、アトリに向けたのである。

 結果、アトリの放った槍は全て自身に突き刺さったのである。


 あの[融合爆発フュージョンバースト]の火力を封じ込める手段の可能性を検討している中で見出した方法だが、思わぬ効果があったものだ。

 もっとも、これほどうまくいくとは思わなかった。


 上手く使えば完全な防御法術にもなるが、効果範囲が狭く、発動時間も短い。今回は一方向から飛来しただけで、かつ標的が自分だと分かっていたから予測しやすかったので何とかタイミングを合わせることができた。

 あの数の槍を時間差をつけて連発されたり、より多方向から放たれていたら、負けていたのはこちらだろう。


「あーあ。つっまんねぇ……」


 ほとんど下半身を失ってるに等しい状態で、それでもまだ意識があるだけでも驚異的だ。

 しかも、本人に苦痛を感じている様子はない。


「ま、いっか……お前らも死ぬし、な」

「!」


 コウは反射的に、エルフィナを抱えて飛び上がった。

 そして、足元に立て続けに障壁を張る。


 直後。


 突然、アトリの身体が――した。

 同時に、凄まじい衝撃が周囲に広がる。

 その威力は、[融合爆発フュージョンバースト]とはいかずとも、凄まじい破壊力で、足元の障壁に凄まじい圧力が加わり、コウとエルフィナは遥か上空まで弾き飛ばされた。

 意識を失わなかったのが奇跡と思えるほどの衝撃だ。


「きゃあ!?」

「エルフィナ!」


 なんとかエルフィナの手を掴んで離れ離れにならないようにするが、衝撃で生じた勢いは止まらない。

 軽く上空に一千メートル二千カイテルは跳ね上げられた。

 そして、眼下に見えるのは、巨大な青い光球。


「……じ、自爆……ですか?」

「多分な。やられた時の機密保持……とかの為なのかもしれないが」


 眼下に、直径が三百メートル六百カイテルはありそうな巨大な青白い光球が見える。ただ、どうやらそれ以上には大きくならないらしい。

 しばらく様子を見ていると、その光球は、やがて静かに消えていった。

 それを見届けてから、コウとエルフィナはゆっくり下りていく。


 反射的に上空が一番安全と踏んだが、多分正しかっただろう。

 あの場に踏みとどまればどうなったかといえば――。


「……全部、凍ってますね」


 あの凄まじい衝撃は、熱を伴った爆発ではなく、急激にあらゆるものを凍結させたらしい。


「クラスティカの遺跡にいた人……巻き込まれましたよね……」

「そう、だな……」


 戦っていたのは遺跡の手前五十メートル百カイテルほどの距離だ。なので、あの火球めいた青い光の中に、遺跡は完全に呑み込まれていた。

 普通に考えれば、助かったとは思えない。

 戦場を離脱したファーレンとレスカは何とか無事だと思うが、残る冒険者たちの死体も完全に凍結し、すでに崩れ始めていた。もはや、助ける術はない。


「なんて威力……」

「とにかく、遺跡へ様子を見に行こう」


 望みはほとんどないが、遺跡の奥にいれば、あるいは生きている人もいるかもしれない。果てしなく可能性は低い気がするが。


 仕事としては成功なのか失敗なのか。

 ただ、冒険者としては――民の保護を第一義とする身としては――失敗だろう。

 残念だが、これも仕方ない。

 少なくとも、あのアトリという少年に好きにさせてしまっては、もっと厄介だ。


 クラスティカの遺跡の入口は、一部崩れそうになっていた。

 冷された物質は脆くなると高校の授業で聞いた記憶があるが、まさにその現象が起きているらしい。

 内部も恐ろしく寒くなっていて、これでは――と思ったが。


「え、人の気配が……?」


 わずかに声が聞こえた気がした。

 二人は急いで遺跡内部に入る。


「生き、てる……?」


 村人の多くは、入口からほど近い広間にいたはずだ。

 当然、入口から入ってきたであろう冷気をまともに受けたはずで、助かるとは思えなかった。

 だが、見る限り、ほとんどが生きている。

 ただ、ことごとくが全身が凍傷に近い状態になっていた。

 ひどく痛むのだろう。呻いている声が各所から聞こえる。


「コウ、早く!」

「分かってる! エルフィナも頼む!」


 コウは素早く治癒法術を発動させた。同時にエルフィナも精霊行使エルムルトで最大限の治癒を行う。

 いちいち同意をとっている暇はない。

 強力な法術クリフ精霊行使エルムルトを一気に発動させ、とにかく凍傷を癒す。

 かなりの魔力を消耗したが、さすがに三千人を同時に治癒した時よりはマシだ。

 エルフィナが一緒にいるのも大きい。

 強力な治癒の力によって、村人の状態は一気に治癒され、呻いていた声は安堵した声に変わった。何人かは気を失ったようだ。


「何とか……助かった、のか……?」

「そうですね……でも、ちょっとしばらく動かせなさそうですね」

「そうだな……そもそも俺たちだけではな」


 ファーレンとレスカが帝都に戻って、援軍を連れてくるとしても四日はかかる。

 その間は、ここで何とかするしかないか。

 それにしても、なぜ生きていたのか、不思議でしかない。

 見る限り、置いてあった食料などは完全に凍結してしまっていて、崩れ去っている。つまり、外とそう変わらないほどの影響を受けたはずで、この程度で済むはずはない。


 その時。


「……あの」

「ん?」


 一瞬エルフィナの声かと思ったが、そのエルフィナも同じ方向を向いている。つまり、エルフィナではない誰かの声。


 立っていたのは、十歳かそこらの少女だった。

 もう意識が戻ったのかと思ったが、よく見るとその少女だけは、凍傷を受けたような痕も全くない。

 長い黒髪が特徴的で、ともすると日本人にも見えそうだが、瞳の色が明らかに日本人ではなかった。

 というより――。


「君は?」

「ティナ、と言います。ユクス村の者、です」


 そういって、ティナと名乗った少女は少しだけ安心した様に笑う。

 その顔に、コウもエルフィナも一瞬見とれた。

 美しいがとても神秘的に揺らめいていたのだ。


「助けてくれて――ありがとう、ございます」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「アトリが死んだぁ!?」

「それは……確かか?」

「はい。間違いなく」

「ってーと、あれか。[終焉の衝撃ディエルドレット]が発動したってことか。じゃあ相手も死んだか」


 すると、二人の前に立つその男は、神妙な顔つきになる。


「……おい、まさか」

「はい、そのまさかです。相手は……何者かは分かりませんが、おそらく生きています。アトリ様の[終焉の衝撃ディエルドレット]を受けた時、遥か上空に退避していまして」

「は? 上空?」

「はい」

「なあレガンダ。普通人間、高いところから落ちたら死ぬよな?」


 そう問うた、アトリと同じような年齢の少年――アルバは、困惑気味だ。


「そうだな……どういうことだ?」

「私も遠方から見たのみでしたが……彼らはゆっくりと降りてきました。おそらくですが、飛行の力を持つ法術などが使えるのではないかと」


 その言葉を聞いて、アルバとレガンダが顔を見合わせる。


「なあ。アトリと戦えるほどの法術士で、さらにそんな器用な真似もできるって……。ああ、その相手って何人だった?」

「二人です。遠目でしたが、一人は女のようでした」

妖精族フェリアだったりしない?」


 すると男は、少し思い出すようにするが――。


「わかりません。背格好はやや小柄でしたが、草原妖精グラファト洞妖精ドワーフ山岳妖精ドゥスティルなどではないと思います」

「あー、俺が見たのもそうだしな。多分、森妖精エルフだ」


 アルバが得心した様に頷く。


「すると……あの時の法術士か?」

「多分な。『アレ』なら、アトリがやられたとしても納得ができる。というかあんなのが何人もいるとか、考えたくない。アトリは、『解放ヴィスト』を使ったんだよな?」


 男は小さく頷いた。


「アレ使っても勝てないか。こえー。正面からやり合いたくないわ」

「楽しそうだな、アルバ」


 その声が聞こえた途端、その場の雰囲気が一変した。

 レガンダはもちろん、アルバも直立不動となり、つま先まで全神経を張り巡らしたかのように緊張感に満ちている。

 現れたのは、ローブで顔まで隠した人影。

 そのシルエットしか分からないような服装からは、男性か女性かすら、分からない。響く声も、どちらとも取れないような声だ。


「せ、先生。いらしていたのですか」

「うむ。レガンダ。お前は良いとして……アルバ。お前にはアトリと共に聖女ユフィスの確保を命じていたはずだが」

「そ、それは……」


 アルバはガクガクと震えていた。

 その様は、まるで猛獣を前にした小動物の様ですらある。


「まあ良い。お前とアトリは相性が悪かったしな。それを同時に使おうとした、私の差配にも問題があったという事だろう」


 そういうと、『先生』と呼ばれた者はその手――まるで滑らかな陶器の様に艶めいている――をアルバの顎に這わせる。


「アルバ。次はちゃんとやれ。聖女ユフィスの特徴はその男からちゃんと聞いたな? おそらく帝都に行くことになろうが、問題はなかろう?」

「は、はいっ」

「うむ。良い返事だ。では、期待しておる。レガンダ、お前も手伝ってやれ」

「はっ」


 直後、まるで最初からそこにいなかったかのように、『先生』の気配がそこから消えた。


 そこからたっぷり五分二刻は経ってから、アルバはやや大きく息を吐く。


「あー、くそ。アトリの奴のせいだ」

「だが、挽回のチャンスは下さったんだ。よかったじゃないか」

「まあな……とはいえ、さすがに難易度上がっちまってるからな……」


 いくらアルバでも、帝都で暴れようものなら、ただでは済まない。

 少なくとも正面から帝都に襲撃をかけようものなら、さすがに勝ち目はないだろう。

 無論数十万人を巻き添えにできるだろうが、今回の目的は虐殺ではない。


「まずは、聖女ユフィスがどこに行ったか、だよな。お前も手伝えよ」

「は、はい」


 報告を持ってきた男は、すぐに頷いた。


「さっきちらっと聞いたが……なんだっけ? 聖女ユフィスは……」

「年齢は十一歳。長い黒髪のティナという名の少女です。おそらくは、帝都でいったん保護されるでしょうが……」

「移動中を襲いたいところだが、難しいだろうな。アトリを撃退した法術士は一緒だろうし、第一もう六日も経ってるんだ。帝都に着いている可能性もある」

「正面切って戦えば、俺たちだって厳しい。ここは搦め手と行こうかね」


 アルバはそう言うと、壁にある帝都の地図を見る。


聖女ユフィスがいるんだから、多分村人全員生きてるだろ。たとすれば、それだけの数の村人を収容する場所なんざ、限られる」

「そうだな。いずれにせよ、しばらくは調査だな。それから計画を考えなければ」

「いいねぇ。俺、こういうのも好きなんだよ」


 レガンダは苦笑しつつ、特に何も言わなかった。


 実際、アルバは見た目と言動で誤解されやすいが、実際には計画立てて動くことを苦にしない。また、彼我の戦力分析能力にも優れ、勝てない戦いはしない慎重さも持つ。

 そのあたりは、よほどアトリの方が向いていなかった。


 今回も、本来であればアルバとアトリの二人で対処するはずで、おそらく二人が揃っていれば、もう少し違う結果もありえただろう。

 少なくとも、貴重な教団の戦力を失う事にはならなかったはずだ。


(もっとも、アトリがアルバの言うことを聞かずに自滅してた可能性もあるか)


 どちらにせよ、聖女ユフィスの確保は現状の最優先事項だ。

 詳しいことは良くは知らない。

 ただ、聖女ユフィスを手に入れることさえできれば、真界教団エルラトヴァーリーの大きな一歩になるという事だけは確か。

 レガンダとしては、それだけ分かっていれば十分である。


(世界を真実の在り様に――)


 この歪んだ、偽りの世界に終焉を。

 そのための力となる為――レガンダは、早速計画を練り始めるのだった。

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