第192話 アトリの脅威


「ファーレン、レスカを連れて逃げろ」

「え?」

「あれは並の相手じゃない。悪いが、庇いながら戦うのは無理だ」

「ちょ、ちょっと待て、コウ。それはお前だって……」

「俺の法術ランクは銅だ」


 その言葉に、ファーレンが息を呑む。

 銅以上のランクは、滅多に存在しない。実際、ファーレンのランクは最高でも近接の赤だ。

 そもそも法術ランクが銅以上など、帝都の法術ギルドにすら、ギルド長であるシュタイフェンとあと一人しかいない。


「あれは俺たちに任せてくれ。頼む」

「……わかった」


 ファーレンは少しずつ後ろに下がると、「レスカ、こい!」と叫んで走り出した。

 レスカもまた、あの少年が尋常な相手ではないというのは悟ったらしい。ファーレンに続こうとして走り出し――。


「逃がすつもりはない、よ?」


 直後、濁流と呼ぶにふさわしい水が、少年からレスカに向けて放たれ――それが唐突に止まった。


「何!?」

「お前の相手は俺たちだ」


 少年はしばらく驚いたようにコウを見た。


「へぇ……今のを防ぐ法術を、一瞬で。しかも……普通の法術士が?」


 少年が面白そうに笑う。


「まあいいや。僕の目的は別の冒険者の抹殺じゃないし。どちらかというとその後ろだ」

「何?」


 後ろ、つまりクラスティカの遺跡の中。

 村人それ自体という事か。

 ならばなおさら、冒険者としては退くわけにはいかない。


「ああ、一応名乗っておこうか。君も名前を教えてくれよ。僕はアトリ。見ての通り、しがない法術士クリルファさ」


 そういうと、少年は大仰に挨拶する。


「コウ。冒険者だ。お前は……真界教団エルラトヴァーリーの者か?」


 するとアトリと名乗った少年は、驚いたような顔になった。


「へえ! 分かってるんだ。すごいね。そうだね。僕は教団ヴァーリーに属する一人。水のアトリと呼ばれている」


 その言葉と同時に、アトリの魔力が膨れ上がる。

 教えたのは、おそらく殺してしまえばいいと考えているからだろう。


「ま、挨拶して早々だけど、死ね――[水槌オルザム]」


 直後。

 一瞬で構築の終わった法術が、コウとエルフィナのいる場所に炸裂した。

 巨大な水塊が、地面を抉り大地を割り、猛烈な土煙があたりを覆う。

 そしてそれですべてが終わったことを、アトリは疑っていなかった。


 発動させたのは、[オル]の文字ルーンを含む攻撃法術。

 極限まで圧縮した水塊を対象の真上に出現させ叩きつけるもので、いかなる存在であろうと、原型を留めることは不可能――のはず、だった。


「なるほどな……第一基幹文字プライマリルーンを含む天与法印セルディックルナールというのがどれだけ反則なのか、よくわかった気がする」

「なに!?」


 煙が晴れた後に現れたのは、二つの人影。

 無論、コウとエルフィナである。

 確かに周囲の地面は抉れていたが、二人が立っていた周囲だけは、地面が原型を残している。


「馬鹿な……あの一瞬で凌いだのか!?」

「瞬間発動はお前たちだけのものじゃないってことだ」

「な……!?」


 アトリは慌ててその場を飛びのく。

 そこに、灼熱の鞭が躍った。


「なっ……いつ……?!」

「残念ですが、私の力は発動の合図すら場合によっては不要です」


 エルフィナが、その横に火の精霊ディフルスを浮かせてアトリを見据える。


「馬鹿な……精霊メルムだと……」


 精霊の力は、第一基幹文字プライマリルーン天与法印セルディックルナール持ちに匹敵する。

 そして、天与法印セルディックルナール並の発動速度を持つ法術士。

 その二人を同時に相手にするというのは、常識的に考えれば、勝ち目はない。

 だが、アトリはむしろ本当に愉しそうに――笑った。


「ふふふ……あははははははは!!」


 膨大な魔力が溢れだす。

 それは文字通り、濁流としか言いようがないほどで、アトリの周囲を濃密な魔力が渦巻いているかのようだ。


「なんだ!?」

「面白い、面白いよ、君たち。いいだろう、僕の全力で相手をしてあげる!!」


 アトリがそう言いながら手を揮う。

 そこに一瞬で文字ルーンが重なり――水の槍が雨となって降ってきた。


「[万象遮断マイティガード]!!」


 展開された障壁が、水の槍を弾く。

 だが、それを予想していたのか、障壁の貼られていない方向から、別の槍が迫る。

 しかしそれも、今度は精霊の炎が全てさせていた。


「いいね……すごい、面白いよ、君たち。さあ、もっと僕を楽しませてくれ!!」


 アトリの魔力がさらに膨れ上がる。

 同時に、まるで魔力に抱かれるかのように、アトリの身体が浮かび上がった。

 その様は、まさに水を従属させる王の様ですらある。

 その魔力の圧力は、あのバーランドの王城で対した悪魔ギリルすら軽く凌駕するほど。


「な、なんなんだ、こいつは……」


 当初の予想では、捕縛は出来ると踏んでいた。

 だが――。


(これは、殺害する以外手はないか)


 貴重な情報源ではあるが、少なくともアトリの目的が村人であるというなら、こちらが撤退することはあり得ない。

 エルフィナを見るが、こちらもあまり余裕がある様子はない。


「コウ。この相手は――」


 言いたいことは分かる。

 出来れば捕らえたかったが、油断してになるのは真っ平ごめんだ。

 まして、真界教団エルラトヴァーリーを作った可能性がある相手だ。警戒し過ぎるということはない。


「仕方ない。全力で倒す。殺害もやむなしだ」

「分かりました」


 そう言っている間にも、文字通り雨の様に降り注ぐ攻撃を、二人は何とか遮断していた。


「あははははははは!! すごいな、君たち。この僕に抗えるなんて!!」


 まるで大気中全ての水分が敵になったかのようだ。

 威力、精度、発動速度。

 どれをとっても、コウが使う法術と比しても、なんら遜色がない。

 そして恐るべきは、その膨大な魔力によって、アトリの周囲十メートル二十カイテルは、完全にアトリの支配下にあると言っていい状態だった。

 その領域から、自由自在に法術が発動されている。


「あの領域は、精霊の力すら及びません!」


 エルフィナが飛来した、針の様な水を全て氷の壁で遮断しつつ叫んだ。


「あの領域にある『水』は、完全に彼の支配下です。精霊すら従属させてしまうほどの力です、あれは」


 精霊は基本的にどこにでも存在する。

 しかし通常顕現することはなく、自然の動きを司っているとされる。

 それと意思を交わすことができるのが精霊使いメルムシルファだ。

 そしてその中の一体と契約し、その精霊メルムが他の精霊を従属させる。それによって力を揮うことができるのだ。

 だが、そうではなく、その領域の精霊を従属させるということは、その領域に在る水そのものを、自由自在に扱えるということを意味する。


「[火炎嵐ブレイズストーム]!!」


 第一基幹文字プライマリルーンの一つ、[ディフ]を用いた攻撃法術。

 その膨大な炎が相手を包み込んだが――炎が消えた時現れたのは、無傷のアトリだった。


「やはりこの程度ではダメか」


 おそらく膨大な水の力で炎そのものを遮断したのだろう。

 かつて、パリウスの内乱でドパルへ向かう兵と戦った際、最初に受けた法術をエルフィナが水の精霊オルディーネの力で遮断したのと同じだ。

 ただし、法術の破壊力はあの時とは桁違いのはずだが、造作なく弾かれたらしい。


 「ならば――[雷撃嵐ライトニングストーム]!!」


 [シュル]と[ギスト]を用いて、範囲内に雷撃を巻き起こす法術。

 水ならば相性的にダメージを与えられるかと思ったが――。


「無駄だよ。僕の使う水は、ありとあらゆるものを弾く」


 荒れ狂う雷の中で、アトリは平然と水の障壁で雷を全て遮断していた。


「純水か……」


 雷が電気であり、水が電気を通すのはコウにとっては常識だ。

 だから水では防げないかと思ったが、やはり甘かったらしい。

 水自体は本来、電気は通さない。

 水に含まれる電解質が電気を通すだけだ。

 それを除去すれば、水は完全絶縁体となる。


 無論この世界にそんな科学知識はないはずだ。

 だが、経験則としては知ってるのだろう。

 地球でもいわゆる超純水を作るのは非常に困難だったが、逆に法術ではそれを作ることはおそらく可能だ。


「厄介だな……」

「向こうの攻撃はそれほど怖くないですが、こちらの攻撃も通りませんね……」


 アトリの能力は、どうやら水に偏っている。

 ただ、その能力で張り巡らされた防御壁は、今のところありとあらゆる法術の干渉を受け付けていない。

 しかもその防壁は、実際にはおそらく十重二十重に張り巡らされていて、一枚一枚の強度も、並の術者の障壁とは次元が違う。


 攻撃に関しては現状それほどの脅威ではない。あくまでのこの二人にとっては、だが。おそらく二人の使う防御壁を突破する手段は、少なくとも[水]の法術では無理だろう。

 とはいえ、このままでは埒が明かない。

 それに、向こうがあまりに広範囲の破壊法術を用いてきたら、クラスティカの遺跡に避難している村人に被害が出る可能性も否定できない。

 長期戦で相手の魔力が尽きるのを期待する手もあるが、現状それは全く期待できない気がした。


「あまり使いたくはなかったが――[存在消失ヴォイドストーム]!!」


 あらゆる結合を解く、コウが使う中でも最も強力な法術の一つ。これならば、水もその存在自体を解かれ、気体と化す。

 この世界と地球の水が構成が同じであるかは分からないが、同じ化学組成だとしたら、水素と酸素に分解されるはずだ。


 だが。


「……これすら、ダメか」


 この法術は基本的にあらゆる存在に有効だが、亜人族の王エル・インフェリアと戦った際に分かったように、超高速で再生して耐えることが可能だ。

 そしてこの場合、消失する水の障壁が、文字通り無限に生成され続けているので、術者アトリに届く前に法術の効果が切れる。

 だが、この法術の効果時間を伸ばしたところで、魔力の消耗戦になるだけだ。

 そして現状、アトリの魔力の底は見えない。

 無論コウもまだまだ余裕はあるが、現在のアトリ以上である自信はない。


「すごいね、君。第一基幹文字プライマリルーンを四つ同時とか、化け物だ」

「化け物に化け物と言われたくはないがな」

「酷いなぁ。こんないたいけな少年を捕まえて化け物とか。それにそっちの妖精族フェリアも化け物だね。君、さっきから四つは精霊メルムの力を使っているね」


 エルフィナが一瞬驚いた顔になった。

 顕現させているのは火の精霊ディフルスだけで、あとは精霊珠メルムグリアの中から一瞬しか使っていないにも関わらず、見抜かれたらしい。


「これは思わぬ拾いものだなぁ。聖女ユフィスに加えて、これだけの連中を殺せたら、きっと先生も僕を褒めてくれる」

聖女ユフィス?」

「ああ、君たちは知らなくていい。ここで死ぬんだから」


 直後、アトリの力が急激に収束した。


「さあ、これならどうかな?」


 あの膨大な魔力が、小さな槍の形に収束している。


「まずい、あれは――」


 コウの使う[万象遮断マイティガード]は、ありとあらゆる力を遮断する能力がある。だが、その限界は当然存在する。

 あの[融合爆発フュージョンバースト]のエネルギーは、一枚では到底受け止めきれず、次々に崩壊した。

 それと同じで、限界を超えた威力は防ぎきれない。


 そして、あの槍は、明らかにその限界を超えていた。

 防ぐなら――。


「さあ、終わりだ。消えろ。[虚水撃イル・オルレッタ]」


 水の槍が放たれる。

 というより、放たれた瞬間見えなくなった。

 おそらくその速度はほぼ音速に近い。

 だが。


 槍とコウの間の射線上で、魔力が爆ぜた。


「な!?」


 驚いたのはアトリだ。

 絶対の自信を持っていた水の槍が完全に遮断されたのである。


「一枚で耐えられないなら、数を増やせばいいだけだ」


 あまりの超高速故、それにあわせて障壁を置くのは本来なら難しいだろうが――。

 今回の場合、その射線は容易に読めた。

 となれば、その射線上に[万象遮断マイティガード]を何枚も張ればいい。

 一枚では確かに貫通される。

 だが、コウはあの一瞬で十枚の[万象遮断マイティガード]を展開した。

 さしものあの法術でも、五枚目で完全に遮断されていたのだ。


「……化け物か、お前」

「化け物に言われたくはないな」


 とはいえ、こちらも現状打つ手はあまりない。

 おそらく魔力の総量だけでいえば、アトリの方が上だ。

 同じことをやっても、防がれる可能性は低くない。


「仕方ないな……これはあまりやりたくなかったんだけど」


 アトリの魔力がさらに膨れ上がる。


「ちょ、コウ、これはさすがに……」


 見ると、アトリの目や鼻から血が出ていた。

 明らかに限界を超えた力を引き出そうとしている。


「さあ……死ね」


 指先からも血が噴き出しているアトリが、その手を掲げると、先ほどと同じ槍が、出現した。


「なっ……」

「さあどうする。これだけの数を同時に防げるかい?」


 無理だ。

 普通の防御法術では、どうやっても防げない。


「無理だよね。じゃ、さよなら。[虚水襲撃イル・オルレッタレット]」


 水の槍が同時に襲来する。

 ただ一点、コウのいる場所めがけて――。


 その、直後。


「が?!」


 次の瞬間、アトリは自らの生み出した無数の槍に、全身を貫かれていた。

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