第191話 教団の術者

 翌日の夕方頃にクラスティカの遺跡に着いたアトリは、予想外の光景に唖然とした。


「なんだよ……人質があったはずなのに、制圧されたっていうの?」


 遠隔視の法術クリフで見えたのは、縄で縛りあげられている部下たちと、遺跡の外を警戒する冒険者と思われる集団。


「……ちょっと甘く見ていたかなぁ」


 いくら無能な部下でも、人命第一の冒険者なら、そう簡単に手は出せないと思っていた。だが、どう考えてもこの状況は、完全制圧された後だ。

 よほど優秀な冒険者がいたのか――見立てが甘かったのか。

 あるいはその両方か。


「アトリ様、どうしましょうか」

聖女ユフィスは確か十歳くらいの少女だという話だったよね?」

「は、はい。報告によると黒髪の少女で、ティナという十一歳の娘です」

「名前はまあどうでもいいとして……ならまあ、わかるか」


 そういうとアトリは無造作に歩き始める。


「アトリ様、どちらへ」

「その少女を回収してくる。お前たちはここで待機していろ」

「し、しかしあれだけの数の冒険者相手には……」

「君は何を言ってるんだ?」


 アトリが、呆れたような、そして不快感をにじませた声色に変わる。


「帝国軍一千人をのはこの僕だ。今更あの程度の連中に後れを取ると思っているのか」

「あ、いえ……そのようなことは」

「不快だな。お前はもう要らない」


 一瞬、光が走ったように見えた。

 直後、発言していた男が倒れる。

 その額には、指ほどの太さの穴が開いていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 コウ達の遺跡への襲撃は、あっさりと成功した。

 ウェッジの使う不可視化の法術は、コウの使うそれを、範囲を大幅に広くしたものだった。

 コウが考えなかった解釈で法術の範囲を広げていたのだ。


 それを使って接近し、見張りや歩哨を一瞬で無力化。

 さらにコウとエルフィナは先んじて遺跡内に飛び込み、中にいたものをやはり瞬時に無力化した。

 遺跡に入った瞬間に[認識阻害]を使っていたから、相手は本当に意味が分からないまま昏倒していただろう


 賊の無力化は一瞬で終わったのだが、むしろそのあとが問題だった。

 遺跡に閉じ込められていた村人は全部で二百二十人ほど。

 そのほとんどが、著しく衰弱していたのだ。

 なんでも、まともに食事も水も与えられてなかったらしい。


 幸い、遺跡には備蓄していた食料や水を作れる法術具クリプトがあったので、それで食べやすいものを作ることになった。ここで活躍したのはエルフィナだ。

 エルフィナの野外での調理技術がいかんなく発揮され、村人はこのような環境にも関わらず、食べやすい、かつ美味しい食事にありつけたらしい。


 ただ、その後が予想外だった。


「みんな飢餓状態に近かったのですが……回復がびっくりするほど早いですね」


 食事を与えてから半日も経たずに、村人はほとんどが立てるようにまで回復していたのだ。


「すごいな、確かに」

「話に聞く限り、半月以上はまともに食事はしてなかったと思うのですが……」


 すごいというか、不思議ですらある。

 コウはかつて、ヴェルヴスと戦った後に遭難しかけた。

 あの時も、何とか水分だけは確保してたが、食べることは出来ず倒れて、フウキの村の人たちに助けられたわけだが、それでも十日が現界だった。

 そして、立てるようになるのに数日はかかっている。


「なんかすごい勢いで回復した感じです。そもそも、死んでいる人がいても不思議はないのに、亡くなられた方は一人もいませんし」

「誰かが回復法術でも使ったのか……?」

「わかんないです。私も食事作ってただけですので」


 そもそも、回復法術は傷を癒したりすることはできるが、消耗した体力を回復させるのは難しい。

 だが、村人は空腹が解消されたら、自然と身体が賦活化したような感じだ。

 さすがにまだ完全回復とはいいがたいが、あと一日もすれば、歩くのにも支障がなくなるくらいまで回復しそうだ。


 正確には二百二十三人の村人がここに閉じ込められていたが、その年齢も性別も特に偏りはない。

 下はまだ六歳くらいの子供から、上は七十歳という人まで。

 ここに逃げ込んでいたのはユクスの村の人たちらしい。


 回復してきたので、何人かに話を聞く限りでは、突然何者かが襲ってきたらしい。強力な法術士がいたのは間違いないようだ。

 村人はほぼなすすべなく捕らえられ、殺されるかと思ったがこの地に連れてこられたという。そして、異様なほど少ない水と食料だけで実に半月も過ごしていたらしい。

 この状態で誰も死なずに済んだのは、村人自身不思議だという。


「まるで神が守ってくれたのかと思いました。ここは元は神殿だったと聞きますし」


 信心深い村人はそう言って感謝していた。

 だが、コウはそれほど単純には考えられない。


 この世界は法術クリフ奇跡ミルチェ精霊メルムといった地球にはない不可思議な力は確かにある。

 しかしそれらは明確な法則性に基づいて存在する力であり、決して理屈が通らないわけではない。

 だが今回のこれは、そのいずれにも当てはまらない。


「コウ?」

「いや、何でもない」


 気にはなるが、今はそういう事態ではないだろう。

 村人の保護が最優先だ。


 村人にはいったんそのまま遺跡内にいてもらっている。

 コウとエルフィナ、それにレスカが村人の介護にあたっていた。

 ちなみにエルフィナは料理担当、コウは料理法術担当である。

 レスカは意外に治癒の法術を得意としているので、幾人かいた怪我人の治療にあたっている。


「おう、コウ、エルフィナ、レスカ。とりあえず今日はここで宿泊だ。村人の様子次第だが、明日の朝、いったん帝都に向けて出発する」


 入ってきたのはファーレンだった。

 ファーレンによると、何はともあれ生存者の安全確保を優先するらしい。

 すでに帝都側には、すでに各班に割り当てられた通信法術具の端末で連絡済みだという。


「分かった。あとは……襲撃者が誰か、か」


 村人の話では、そう多くはなかったらしい。

 だいたい二十人程度ということなので、ここで見張っていた連中とほぼ同じだろう。

 ただ、村人によると途中で見張りが入れ替わったという事だから、おそらくこれが全員ではない。

 それに少なくとも、ここの部隊に卓越した法術士というのはいなかった。


 今回襲われた村は、村と言ってもフウキの村とは違い、その人口は村三つの合計では千人近いという。衛兵がいる村もあった筈で、自警団だってあっただろう。二十人程度で制圧するのは、本来は難しいはずだ。

 他の村の状況が分からないが、同じように捕まっている村人も多くいると思われ、それは他の班がうまく対処してくれることを祈るしかないだろう。

 いずれにせよ、まずはこの二百人余りの安全を確保するために帝都に移動するのが先だ。


「今日も三交替で見張りに立とう。ほぼ確実に、まだ仲間がいるはず――」


 ファーレンの言葉は、直後に響いた轟音でかき消された。


「なんだ!?」


 ファーレンが驚いて外に駆けていく。

 そのすぐ後にコウとエルフィナ、レスカも続いた。


 そして、遺跡の入口を出たところにあったのは――惨劇だった。


「リーク、ウェッジ!?」


 ファーレンの仲間の二人が、地面に倒れていた。

 だが、生死は――確認するまでもない。

 で生きていられる人間など、いるはずがないからだ。


 それに視線を奪われた直後。


「トゥリア!!」


 コウの横にいたレスカが、剣を持って突然駆けだした。

 その先にあるのは、二つの影。


 一つはトゥリアだ。

 ただ、そのトゥリアは、剣を振り上げた姿勢のまま、まるで時間を止められたかのように停止している。よく見ると、肌も何もかも、色がどこか白くなっていた。

 というより、あれは――。

 

「ああ、なんだ。まだ中にもいたのか」


 もう一つの影、まるで絵具で染めたような水色の髪の、少年と言っていい年齢の男が、そのトゥリアの前に立っていた。

 そして、無造作にトゥリアを押した。

 すると、トゥリアは剣を振り上げた姿勢のまま倒れ――

 まるで脆いガラス細工が砕けるかのように、粉々になったのである。


「あああああああ!!!」


 レスカが絶叫と共に少年に剣を振り上げた。


「まずい!!」


 反射的にコウは法術を発動させた。

 レスカは突然横殴りの凄まじい突風を受けて、横に吹き飛ばされ、地面に転がる。

 そして、その直後に、レスカが吹き飛ばされなければいたであろう場所を、白い風が上空に向けて吹き抜けた。


「……あれ。外した? へぇ……あの一瞬で」


 コウはその光景に慄然とした。

 今のは間違いなく法術。

 なので当然、法術の構築のため、文字ルーンが魔力を帯びて術者の前に浮かび上がっていた。


 見えたのは、第二基幹文字セカンダリルーンである[氷]をはじめとして十文字ほど。

 並の術者では発動させるまでに軽く一分半刻弱はかかるはずの術を、目の前の少年は一瞬で発動させたのである。

 その意味するところは――。


天与法印セルディックルナールか」

「へぇ。すぐわかるってすごいね」


 少年は楽しそうにコウを見た。

 年齢はおそらく十五歳にもなっていないくらいだろう。

 声変わりこそしているが、まだ線が細い、中世的な容貌にも見えた。特に、その異様な水色の髪がその印象をより強くしている。


 武器は帯びていない。

 そして法術具ルナリヴァの気配すらない。だが、法印ルナールの気配はある。


 さしものコウでも、天与法印セルディックルナールは存在は感知出来ても、そこに刻まれている法印ルナール文字ルーンの識別はかなり集中しないと難しい。

 だが、この相手はそんなことを許してくれる相手には思えなかった。

 それに、少なくとも[氷]を含む多くの文字が刻まれているのは、確実だ。


「くそっ、いったい……」


 吹き飛ばされたレスカが起き上がる。

 だが、どう考えてもレスカではこの少年には勝てるとは思えない。

 それは、ファーレンもだ。


 そして、コウでも確実に勝てると思える相手ではない。

 無論、ファーレンやレスカを庇って戦うことは、できはしない。

 ヴェルヴスを除けば、少なくともコウが今まで対峙した相手では、間違いなく最強だ。


「コウ、この相手は――」


 エルフィナの言葉に、コウも頷く。

 少なくとも、この少年が帝国兵一千を葬ったのはほぼ間違いないだろう。

 こんな化け物が他にいるとも思えない。


「全力で戦う。でなければ、やられるのはこちらだ」


 エルフィナもそれに頷く。

 コウもまた、刀の切っ先を少年に向けると、油断なく構えた。

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