帝国の姿

第180話 帝都の冒険者事情

「おはよーございます……うにゅ」

「おはよう、エルフィナ。食事に行くか?」

「ふぁい。ちょっとお待ちを……」


 エルフィナがもぞもぞと毛布の中でうごめいている。ややあって毛布からはいずり出てくると、いつものワンピースにも見える服を着ていた。


「ふわ……ちょっと眠い……」


 そういうと、コウの肩にしなだれかかってきた。

 それに苦笑しつつ、コウはエルフィナを半分支えるように腰に手を添えて、階下に降りていく。

 エルフィナはたまに朝に寝ぼけることがある。

 そういう時に見せる顔がとても可愛いと思う。

 ただ、どちらかというと女性としてというより、小動物めいた可愛さのような気がするのは、コウの気のせいではないだろう。


 ここは帝都にある宿の一つ。


 あの後二人は冒険者ギルドに戻り、宿について相談した。

 帝都にいる冒険者レディオンの数は、およそ二百人。

 アルガスでも五十人程度、キルシュバーグで二十人だったことを考えると、驚異的な数だ。何しろバーランドの全冒険者より、一都市にいる冒険者レディオンの方が多いのだ。

 当然だが傭兵グラスブギルドもあり、傭兵グラスブも多くいる。その数は五百人に上るらしい。


 帝都にいる冒険者レディオン傭兵グラスブは、大きく二つに分かれる。

 一つは、帝都内の仕事を専門に受ける者。

 もう一つが、隊商の護衛を引き受けたり、あるいは遺跡の調査の手伝いだったりだ。

 帝都内で冒険者の出番があるのかと思いがちだが、意外にあるらしい。

 帝都内の治安は帝都衛士ヴェルダートが担う。

 この数は三万とされ、基本的には帝都の治安は彼らによって守られている。


 ただそれでも、帝都衛士ヴェルダートではカバーしきれない事態はある。

 それが、帝都の地下問題だ。


 グラスベルク帝国は千年の歴史を持ち、ヴェンテンブルグは最初からその都だった。つまり、確定で千年の歴史を持つのだが、実は帝都の歴史はそれ以上にある。

 この地域は昔から土壌が豊かで、人が住み続けていた場所らしい。

 ヴェンテンブルグとしての歴史は確かに帝国と同じおよそ千年だが、この地域にあった都市としての歴史は、どこまで遡れるか、すぐ回答できる人はいないという。


 そして、この地域では昔からオリスネイア湖を利用して水路を作っているが、その大半は地下水路として整備され続けてきた。

 それも、いつからかわからないほど。

 つまり、軽く数千年前の水道が、今も使われていたりする。

 地球で言えばローマ水道のようなものだろう。

 あれも確か、一部は今でも現役で使われていると聞いたことがある。


 問題は、帝都の地下に張り巡らされた、迷宮に等しい地下水路だ。その全容は、誰も把握していないらしい。

 あまりにベタな話だが、ほぼほぼ迷宮に近いという。


 なので、この帝都の地下には様々な噂がある。

 曰く、かつて権力争いに敗れた貴族が、動く死体ディルレンドと化して徘徊している。

 曰く、古代から生き延びている河湖妖精リヴィニウの賢者がいる。

 曰く、どこかに別の世界へ通じる門がある。


 大体は根拠のない適当な話であるが、誰も詳しく知らないため、噂を完全に否定することも、誰にもできないらしい。

 そして実際、年に数人はこの地下水路へ消えたという人もいるらしく、それが噂に拍車をかける。


 だが同時に、この地下水路はいわば古代の遺跡でもあるわけで、時々今も貴重とされる品々が見つかることも多いのだ。また、帝都はあちこちに水路が張り巡らされた街だが、うっかりここにものを落とすと、拾うのは難しい。

 ただ、大体『どこに落ちたらこの辺りにある』というのは決まってるらしく、それを取りに行く仕事というのが、定期的に発生する。


 地下水路に、地球の創作小説よろしくゴブリンガライアが住み着いていたりということはまずない――もしいたら帝都衛士ヴェルダートによって最優先で駆除される――が、広大な地下水路のため、いわゆるゴロツキなどが根城にしてしまっているケースが少なくない。

 そのため、一般人が入るには危険すぎるのだ。

 また、ごく稀ではあるが、魔獣が入り込んでいることもある。


 それ以外にも、二百万人も住む超巨大都市だけあって、揉め事の種は尽きず、かといって、それすべてに帝都衛士ヴェルダートが手を貸してくれるわけではない。

 日本でいうところの『民事不介入の原則』といったものはこの世界にもあるらしく、個人間のトラブルまでは介入してこない。

 そういう場合に、冒険者や傭兵を頼ることがあるのである。


 一般的に冒険者の方が傭兵より割高ではあるが、危険度によっては冒険者の方が安心できるという人は少なくない。

 傭兵にも無論ランクはあるのだが、高ランク傭兵だと冒険者とそう価格帯は変わらず、そして冒険者の場合は単独で任務をこなせることも多いので結果としてそう変わらないことは多いらしい。

 個人間のトラブルでも、冒険者という『肩書』によって話をしやすくする効果もあるという。


 いずれにせよ、冒険者はこの街ではかなり多いわけだが、同時にこの街はあまりにも広いため、当然一か所に固まっていては、依頼を受けて依頼人のところに行くまでに半日、あるいは下手すると一日以上かかることすらある。

 なので、大体冒険者同士で地区割り当てのようなものが存在し、それぞれその地域に拠点を構えているらしい。


 また、この街はあまりに広いために、特にあちこちに行って活動する冒険者や傭兵のための一時宿泊所というのが結構充実している。

 コウとエルフィナが宿泊しているのもそういう施設だ。現代日本でいえば、ビジネスホテルに近い。


 通常、冒険者は長期契約の宿泊所――要は賃貸アパート――を使うが、移動先で日が暮れることも多いので、こういう施設は帝都各地にある。

 利用者は冒険者や傭兵以外に、商人やたまに普通の帝都市民もいる。

 利用料金はどこも大体同じで、一泊素泊まりで、大部屋なら一人白銅貨ファスルム一枚。朝食付きなら追加で銅貨グスルム三枚。

 個室なら白銅貨ファスルム二枚で朝食までついてくる。

 なお、個室は二人一組で、一人で個室を使う場合は倍額。

 基本一泊単位で利用し、入る際に部屋代は二倍払う。

 翌日出る際に、設備などに問題がなければ半分は返される仕組みだ。


 とりあえずコウとエルフィナは個室を利用している。

 コウ自身は大部屋でも構わないのだが、エルフィナはどこへ行ってもその容姿から注目されてしまうので、コウとしても正直に言えばあまり気分がよくないからである。

 なお、もし寝てる彼女に手を出そうとしたら、常に彼女の周りに待機している精霊にひどい目に遭わされるらしい。

 今のところ犠牲者は出ていないが。


 今日利用した宿泊施設は、一階が食堂ティルナで二階が宿泊所になっている、典型的な施設だ。

 かつてこの世界での初めての街であるトレットで利用した施設とほぼ同じではあるが、設備それ自体の品質はこちらの方が上だと思える。

 ただ、相変わらず寝具はどちらもいいと思えるが。


「とりあえず今日は……どうします?」


 エルフィナが焼いたパンラグドに燻製肉と香辛料のソースを乗せたものを食べようとして、いったん手を止めて聞いてきた。


「明確な目的があるわけではないからな……」


 帝都に来た最大の目的は、バーランドの事件の真相を探ることだ。

 これ自体は、実質は終わっている。

 裏にいたのが真界教団エルラトヴァーリーだということは、おそらくほぼ確定的。

 だが、それだけで帰るというのはさすがにない。


 こちらでもいろいろ暗躍してるという真界教団エルラトヴァーリーが、東側に何かしてこないとも限らない。

 実際バーランドはそれで滅びかけたのだ。


 加えて、この地は一万年前の映像の地だ。

 つまりほぼ間違いなく、一万年前に巨大な都市が存在したはずの場所である。

 一万年も前だと、すでにほとんどの痕跡は失われているだろうし、そもそも意図して消したとしか思えないようなエルスベルの痕跡ではあるが、あれほどの都市の痕跡を完全に消すのは難しいはずだ。

 とすれば、どこかに何か残ってる可能性もある。


 一番望みがあるのは、この帝都の地下に広がる地下水道だろう。

 地下水道というと、汚水まみれというイメージがコウにはあるが、この世界に限ってはその心配はない。

 基本的に流れている水は法術具クリプトによって浄化済の水であり、少なくとも腐臭まみれという可能性はほとんどないからだ。

 問題はどのくらいの広さかということだが、調査する価値はあると思う。


 とはいえ闇雲に探したところで無駄だろうから、まずは文献や帝国以前からのこの地域のことを調査するほうが先だろう。


「とりあえずは……この地の歴史とかを調べるところからかな、と思ってる」

「ですね。せっかく、皇帝自らがいろいろ入れるように取り計らってくれたそうですし」

「どこまでアテにしていいかは不明だがな」


 ぱっと思いつくのは、図書館だ。

 この世界にも当然図書館はあり、アルガンド王国の王立図書館も相当なものだったが、この国のそれはさらに大きいらしい。


 ちなみに図書館というと、普通に人々が利用すると思いがちだが、基本的に図書館は研究機関であり、関係者以外はいることはできない。

 アルガスの学院にあった図書館は学生は自由に使えることになっていたが、この帝都最大の帝国大図書館は、文字通り国に認められた者しか入れないが――たぶんここは入ることができるだろう。ちゃんと皇帝が連絡してくれていれば、だが。


「まずは図書館だろうな。エルフィナは……どうする?」

「一緒に行きますよ。私も、こちらの伝承とかには興味がありますし」


 エルフィナは勉強は苦手だったが、本を読むの自体は実は好きなのである。

 もっとも、勉強が苦手なのも、単に基本知識がなかったからであり、アルス王立学院に通っている間に、少なくともあの学院で何とかなるだけの知識は習得している。

 標準的な冒険者の中では、実はかなり博識な方に入るほどだ。

 ただ、一緒にいるのがコウなので、その自覚を持つのは難しいわけだが。


「じゃ、とりあえず今日は……いや、今日から数日は、かもだが、図書館に籠るか」

「う。さすがに数日籠るのは……コウと少しはお出かけしたいです」


 そういうエルフィナはとても可愛らしく――コウはそれを断る理由もなかった。


「とりあえず図書館行って……そこで考えるか。どのくらいの規模か、まだ分からないしな」

「わかりました。ま、今日じゃなくても時間はたくさんありますしね」


 そう言うとエルフィナは、コウの手を取って歩き始めた。

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