第181話 帝国大図書館

 コウとエルフィナは、朝食後に早速帝国大図書館に向かっていた。

 ここは、第一区に隣接する貴族区画にある施設で、つまり普通の人はその区画にすら入ることはできない。

 それは冒険者といえど同じだ。

 許可なくば、帝都衛士ヴェルダートに阻まれるだけなのだが――。


 二人は名を名乗っただけで、「話は伺ってます」と言われ、あっさりと通された。

 末端の兵でもちゃんと連絡が行き届いていることに、正直驚かされる。


「あっさり入れましたね」

「ああ。ちゃんと通達が行き届いているってことでもあるな」


 これは、帝国兵がしっかり統率されているということでもある。

 昨日の今日で、もうこんな門番の衛士にまで周知が行き渡っているというのは、組織としては驚異的だ。

 無論、必要とされるような――つまり通行を管理するような――部門の人間だけだとしても、今は朝の九時。昨日食事が終わって解散したのは夜の二十時を過ぎていたはずだ。

 その間にここまで連絡、伝達されるのだから恐るべき速度といえる。

 あるいは、専用の通信法術でもあるのかもしれないが。


 貴族区画の町並みは、市民区画とは一線を画していた。

 両区画の境界は高さ十メートル二十カイテルほどの壁で仕切られていて、よほど高い建物でなければお互いが見えることはない。

 帝都第一区も古い街並みで、非常に美しいと思えたが、貴族区画はそれをさらに洗練させている。


 意外といえば、貴族区画にも市民区画ほどではないが店が多く並んでいたことだ。

 アルガスの貴族区画は、貴族の邸宅だけが並ぶエリアだったのだが、どうやらこの帝都の貴族区画は、貴族の使う店も並んでいるらしい。

 これは、貴族だけを相手にしても、商売が成り立つほどの市場があるということも意味するわけで、帝国の規模の大きさをうかがい知ることができる。


 もっとも、店の並びはどれも敷居が高そうと思わされた。

 エルフィナですら、食堂ティルナめいた店でも「これはちょっと……入りづらいですね」というくらいだ。

 地球で言う高級料亭やドレスコードが要求されそうな店である。


 他に多いのは服を仕立てる店。

 ここも、市民区画とは店の構造自体が違う。

 普通の被服店は、さすがに地球の様なショーウィンドウはないが、多くの場合素材となる布などを店頭で展示している。

 その生地で服を作っているということを示すのだ。

 あとは、店頭でその店の服を着てアピールするケースが多い。

 だが、貴族区画の被服店は、そもそもそういったアピールが一切ない。

 おそらく横のつながり、言い換えれば口コミで客がついていくものなのだろう。

 場合によっては、誰かの紹介でなければ、服を仕立ててくれないと言ったこともあり得そうだ。


「さて、図書館の場所は……皇宮に隣接してるという話だから、あっちの方か」


 通りは広く、なめらかな石畳に覆われている。

 いずれも馬車で通ることを前提としており、というよりおそらく歩くことを考慮してないのだろう。貴族であれば馬車が当たり前だろうし、衛士も騎乗して移動する。

 そのため、幾度か馬車とすれ違うが、不思議なものを見るような目で見られてしまう。


 今の二人の格好は、コウもエルフィナも鎧は持ってきていない。

 寒い冬なので、上から防寒用の服――地球で言えばコート――を羽織っているが、これ自体は一般的な服装だし、帯剣しているの自体はこの世界では不審がられることはないが、やはり徒歩であることが目立つようだ。


 地図で見た限りは、歩いてせいぜい一時間もかからない距離だったが、さすがに馬車を借りてきた方がよかったかもしれないと思えてきた。

 二人で歩いているだけでお互い楽しいというのはあるが。


「あれ……ですね。すごい」

「ちょっとした宮殿みたいだな」


 一時間弱ほど歩いて、ようやく着いた帝国大図書館は、正直見た目だけなら迎賓館などと思いたくなるほどに、巨大で壮麗な建物だった。

 さすが千年帝国というべきか。


 入口にはやはり衛士が二人立っていたが、やはり名を名乗るとすぐに通される。

 入ったところは広間になっていて、やはり図書館というより宮殿に近い。

 どういう理屈か、中は外よりだいぶ暖かい。

 入口の衛士が、広間でお待ちを、と言ってきたのでしばらく佇んでいると、ややあって男性が奥から出てきた。


 ゆったりとした服を羽織っていて貴族というより研究者という風の、三十歳から四十歳くらいの男性だ。近付いてくると二人に恭しく礼をしてきた。


司書リベルナのアクスバートと申します。今日、お二人のご案内を承りました」

「冒険者のコウです」

「同じく、エルフィナです。よろしくお願いします」

「初めて利用するのですが……どういう感じになるのでしょうか」


 案内人が直接つく、ということは、少なくとも日本の図書館のような利用方法ではあるまい。

 それにそもそも、この世界には印刷術があるとはいえ、かといって日本ほどに本が廉価なわけでもない。

 中には貴重な書物も多いわけだし、特にここはそれが多いだろう。

 それを勝手に読めるようになってるとは、思えない。


「この先に閲覧室がございます。私が、ご依頼を受けて書庫から本を持ってまいりますので、そちらで閲覧していただくことになります」

「どういう本があるのかもわからないが……」

「どういう本が欲しいかさえ言っていただければ、必ずご希望に沿うものをお持ちいたします」


 自信たっぷりに、アクスバートは言い切った。

 それが彼の仕事なのだろう。


「わかりました。よろしくお願いします」


 アクスバートは頷くと、先に立って歩き出す。

 案内された閲覧室は、ちょうど日本の教室ほどの広さがあり、大きなテーブルがいくつも置かれていた。その周りに、ソファや椅子が置いてある。

 どういう理屈か分からないが、外からの光が間接的に部屋に注がれているようで、建物の中でも十分に明るい。


「ご利用は基本的には、十八時までとなっております。それだけ、ご承知下さい。食事のために外に出る場合は、私に言っていただくか、道を戻って衛士に言って下さい。お帰りの際も同じです」


 それを聞いて、二人は食事のことを完全に失念してることに気付いた。

 今は九時頃。

 食事と言っても、移動するだけで数時間かかる。

 さすがに貴族区の食堂を使う気にもならない。


「私は……お昼抜くくらいは大丈夫ですが、コウは平気ですか?」


 こういう時は、普段食事不要の森妖精エルフの特性が羨ましくなるが――。


「まあ、いいか。昼に考えるが、移動する方が大変だしな」


 コウの方はお昼抜きを覚悟することにした。

 むしろ、エルフィナが昼抜きでも平気という方に少し驚くが――本来の種族特性を考えたら不思議でも何でもないのだが。


「また、火を使うのはご遠慮下さい。暗い場合は申し付けていただければ、明りの法術具クリプトをお貸しいたします」

「自分で明りの法術を使うのは良いだろうか。無論、光系統のもので」

「それでしたら、構いません。ただ、火系統の法術や、後は温度の急激な変化を感知すると、即座に衛士が駆け付けますので、お気を付けください」


 要は、火災対策があるということか。

 しかし温度の数値化という概念はないのに、温度センサーめいた法術具はあるらしい。コウはむしろそちらに驚いたが、それがあるからこそ、このような施設が運用できるのだろう。


「では、本日はどのような資料をご用意しましょうか」

「とりあえず、帝国の初期の歴史、あとは帝国が建国される前のこの辺りの記録などを知りたい。そこから遡って、古ければ古いほど」

「あと、歴史書というほどしっかりしてなくてもいいので、民間伝承などの書物があれば、お願いします」

「かしこまりました。しばしお待ちください」


 アクスバートはそう言うと一度部屋を出て行った。


「どのくらいあるでしょうかね」

「分からん。俺の感覚だと、そもそも千年前の記録だって相当な貴重品だ。ただ、この世界と俺のいた世界の記録に関する時間の概念は、だいぶ違うからな……」

「そうなんですか?」

「千年どころか、一万年前でも同じ言語と文字を用いてるってのは、俺からすると不思議なくらいなんだよ」


 エルフィナが首を傾げる。


「まあ、森妖精エルフの様に千年生きる種族がいる世界だからな……その意味でも、同じ尺度では到底考えられないとは思うけどな」

「そうですね……特にエルフの感覚では、千年……は短いとは言いませんが、百年だと『その程度』になっちゃいますし」


 時間の感覚が徹底的に違う。

 もっともそれでも、一万年は短いとは思えないが。


 しばらくすると、アクスバートが戻ってきた。

 そしてなにやら、彼に続いて箱めいたものが浮いてついてくる。


「それは……法術具クリプトか」

「ええ。一冊二冊程度なら手で持ってこれますが、何十冊ともなると、書庫から持ってくるのも大変なので。この辺りが、だいたいご要望の書物かと思います」


 ちなみにこの世界の書物は、大半がいわゆる和綴じ本に近い。

 大きな違いは、背表紙にあたる部分も紙で覆われていて、タイトルが分かるようになっていることだ。

 地球だと、ヨーロッパは革装丁の本が多かったが、この世界は基本的に、いわゆる『ハードカバー』というものがない。

 例外的に、特に貴重な書物は特別な装丁で保管されるらしいが、そもそも法術クリフによって劣化を防ぐ技術が存在する。


 なので、持ってきてくれた書物も、おそらく数百年は経過しているはずの書物だが、その劣化度合いは想像するものより遥かに少ない。

 そもそも、印刷術――正しくは印刷法術――の確立は、帝国の歴史より昔なので、つまりその当時からこの世界は書物が一般的なのだ。

 識字率の高さなども、地球とは比較にならない。


「ただ、ご要望の範囲がとても広かったので、これでも一部です。その時代時代の、代表的な書物を選別してお持ちしております。より深く知りたい場合は、またご要望下さい。私は、部屋を出て右の通路をまっすぐ行った突き当たりの部屋に待機しております」


 そう言うと、アクスバートは最初同様に恭しく礼をして、部屋を出て行った。

 あらためて、持ってきてくれた本を見る。 一部と言ったが、それでも軽く五十冊近く置いてある。


「なんかこれを斜め読みするだけで、今日が終わりそうですね」

「かもな。まあ、できるだけ調べてみよう」

「はい」


 コウはとりあえずざっと本の背表紙から判断して、本を手に取った。

 エルフィナも選んで、同じように手に取ると、二人とも椅子に座って読み始めた。


(これも……図書館デートとかになるのかなぁ)


 ふと、そんなことを一瞬だけ考えつつ、コウは手元の書物に、意識を集中していった。

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