第178話 グラスベルク帝国皇帝

皇帝陛下ラエル・ヴェルヒ……?」

「尊称は要らん。冒険者だろう、汝は」


 きっぱり断じてくるが、そうはいってもその威圧感、存在感が普通の人間とは隔絶したものであることは明らかだった。


 改めて目の前の人物を観察する。

 名乗ってくれたことで、既視感の正体は分かった。

 アルガンド王ルヴァインや、ドルヴェグ王グライゼルに雰囲気が似てるのだ。

 やはり国の頂点に立つ存在は、どこか似通った雰囲気があるのかもしれない。


 服装は、それほど豪奢というわけではないが、品質がいいのは見てわかる。

 とはいえ、この世界の被服レベルは非常に高いので、街にいても問題はないと思えるが――そもそもどうやってこの店まで来たのか。

 皇帝専用の隠し通路でもあるのだろうか。


 確か記憶によると、現在の皇帝であるプラウディスは六十七歳。確かに、そう見えなくもない。だが、その凄まじいまでの覇気は、とても老境に差し掛かった年齢には思えない。

 むしろ。


(出会った頃のじぃさんみたいだな……)


 橘老に引き取られた直後。

 コウはひどく反発した。

 橘老はことあるごとにコウの行動に対し、たとえそれが通り一遍の礼儀に則っていたとしても、『それではダメだ』と言い続けられた。コウとしては、それまでの処世術めいたものが、彼にはまるで通じなかったのだ。


 そして、子供めいた癇癪かんしゃくを起こし、橘老につかみかかっていったことも一度や二度ではないが、当然その頃のコウに、橘老の相手が務まるわけがない。 

 常に一方的に叩き伏せられた。

 最初は、それが悔しくて、橘老の言うように武術を習い始めたのである。

 気付けば、武術そのものが目的となっていたが。


 あの頃の橘老は、コウにとっては本当に恐ろしくて、しかし同時に、それまでに一人もいなかった、コウに正面から向き合ってくれた人だったのだ。だから、コウも彼を信じられた。


 この皇帝のことを、コウはもちろん知らないし、彼もコウのことを詳しく知るはずもない。

 にもかかわらず、この皇帝と対していると、あの頃の、すべて正面から、まっすぐに向き合ってくれた橘老を思い出す。


 ふと、トルレイラ村の村長の話を思い出した。

 彼は皇位継承権順位が非常に低かったにもかかわらず、多くの協力者を得て皇帝の地位に登り詰めている。

 それは、あるいはこのような人柄によるところもあったのかもしれない。

 優しいというわけではない。

 だが、絶対的に信が置ける、と信じさせる何かが、この皇帝にはある。

 あるいはそれを、カリスマと呼ぶのかもしれないが。


「座れ。別にお前たちを取って食おうというつもりはない。ただ、教団ヴァーリーの策を挫いたお前たちに会ってみたかったのだ」


 その言葉に、コウは思わずもう一度、皇帝を見た。

 皇帝は気にした様子もなく、平然と椅子に座る。


「どういう……」

「ん? 言葉通りの意味だ。まずは座れ。食事処で立ち話も何だろう。そろそろじじぃも来るはずだ」

「相変わらず年上に対する礼儀がなっとらんのぅ。誰がじじぃだ、お前だってもうじじぃだろう」


 そう言って入ってきたのは、グリンラッドだ。

 部屋をざっと見渡して、さっさと向かって皇帝の左手――コウの正面――に座る。


「あの、コウ。これ、どういう状況です……?」

「俺に聞くな……」


 片や伝説的英雄。

 片や歴代最長の在位期間を誇る大陸最大国家の皇帝。

 なぜこんな場所に自分がいるのだ、とむしろ叫びたくなってくる。

 というか、こんな年長者二人に挟まれて落ち着けるか、と言いたくなるが――。


(ああ、考えてみたら単純に年齢だけ足し算するなら同じくらいか)


 片や八十歳超と七十弱。

 対してこっちは、コウは十九歳だが、エルフィナは百五十五歳だ。

 合計すればこちらの方がむしろ年長になる……という問題ではないのだが。


 なにはともあれ、その二人がテーブルについているのだから、コウとエルフィナがいつまでも立っているわけにもいかない。

 二人は諦めて、椅子に座った。

 少しだけ、エルフィナの椅子がコウ側に寄っていて、コウも皇帝から距離を取るようにわずかに椅子をずらすのは、もはや本能的なものだ。


「まあ食え。ここはわしが出すからな。ああ、皇帝の分は後で請求するが」

「相変わらずケチ臭い。冒険者ギルドの長がこれだから、冒険者がケチだと思われるんだ」

「何を言う。ここでばーんと驕らないケチ皇帝が」


 とりあえず、二人が気の置けない間柄であることだけはよくわかった。

 年齢的には十五年ほどは違うはずだが、あるいはどこかで知り合いなのか――。


「ん? ああ、こいつが駆け出しのころに、わしが先輩として指導してやったんじゃ。それ以来だからな」

「何を言うか。金勘定もまともにできずに、うっかり騙されて全財産失いかけたのを助けたのはわしだろう」

「何を言うか、それを言ったら……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 このままいくと、英雄と皇帝の聞きたくもない過去の暴露話を無駄に聞かされる気がする。

 それはそれで貴重だろうし、人によってはこういうゴシップは大好きなのだろうが、あいにくコウはそんなものを聞きたいわけではない。


「とりあえず二人は知り合いなのは分かったが、そもそもどういう目的で――」

「そうです。まずは食事にして、落ち着きましょう」


 その場に沈黙が満ちる。

 この状況でそれを言えるエルフィナは、ある意味大物だと思ったのは、コウだけではない。


 ただ同時に、それは至極真っ当な意見だった。


「そうだな。せっかくの食事処ティルナだ。ここは美味いしな」


 グリンラッドがそう言うと、鐘を鳴らして店員を呼び、いくつか料理を注文している。

 ほどなく、多くの料理が運ばれてくる。


「この店は庶民的だが、帝国料理の中心とも言われる名店でな。帝国の宮廷料理人ですら参考にするほどだ。まずは食べるがいい」

「はい、では、いただきますっ」

「い、いただきます」


 グリンラッドとプラウディスに疑問符が浮いているのが見える気がした。

 不思議な光景だっただろうが、この際あとで適当な言い訳でやり過ごすことにして、コウも食事をまずは堪能することにした。


 野菜や肉、それに魚料理。

 調理法も煮込みから揚げ、焼きと様々だ。

 中には繊細な芸術品の様な料理もあって、目でも楽しませてくれる。

 もちろん味も申し分ない。


(しかし……)


 とりあえず食事に集中することにしたが、それでもこの場にいるのは大陸最大の国家の元首たる皇帝だ。

 それがこんな場所で食事をしてる等、想像もできるはずがない。

 少なくとも、事前のイメージとは違い過ぎた。


 コウとエルフィナは、これまで四つの国の王族に会っている。

 アルガンド王ルヴァイン、ハインリヒ、キールゲン。

 バーランド王子フィルツ――さすがにグライズは数える気にならない――、ドルヴェグ王グライゼル。

 そしてこの帝国皇帝プラウディス。


 だが、よく考えたらまともに王宮で会ったのは、おそらくこの中では一番破天荒な国是を持つアルガンド王ルヴァインだけ。ハインリヒやキールゲンは状況が状況だから仕方ない。

 フィルツも仕方ないだろう。

 だが、グライゼルは家臣の屋敷で、皇帝にいたっては食事処ときた。

 どう考えても普通国王や皇帝に会う場所ではない。


(もしかして、アルガンド王国が一番まともだったんじゃないだろうか……)


 国家元首を前に、大変失礼な感想が出てきてしまう。


「さてまあ、まだ食事中ではあるが、そろそろは話しながらの会食と行こうか」


 プラウディスはそういうと、ワインの入ったグラスを一息に空け、コウに向き直った。


「ある程度の報告は受けているが、バーランドであったことを話せ。具体的に何があったのかも含めて、全てだ」

「おい皇帝。冒険者にも守秘義務がある。そういうのは……」

「黙れ。これに関してだけはそういうわけにもいかん。が何を目的としているのかが分かるかも知れんからな」


 目的。

 確かに、あの時のバーランドの内戦において、陰で操っていた者の目的は分からずじまいだ。

 あのまま状況が進行していった場合に、いったいどういうことになっていたか。そこまでは、コウもエルフィナも考えてこなかった。


 それに今、皇帝は明確に対象を意識して発言している。

 それはつまり、バーランドの背後にいたかもしれないについて心当たりがあるという事でもある。

 おそらくそれが、教団ヴァーリーなのだろう。


 あのフェルゼン大湿地帯での、亜人族の王エル・インフェリアにも関わっていた可能性がある集団。

 アルガンド王国の王都アルガスの事件から数えれば、ある意味では因縁がある相手になりつつある気がする。

 エルフィナの言葉ではないが、関わるための『フラグ』が成立してしまってるのかもしれない。


 これまでにも何回か聞いた真界教団エルラトヴァーリーという存在。

 西側において、最大勢力である皇帝ならば、当然だが奴らに対する情報も多く持っているに違いない。


 それに、話せることは大体はすでに一度グリンラッドにも話したことだ。

 いまさらそれを伏せる意味はない。


「グリンラッドさん、問題ない。元々俺たちがこっちに来たのは、あの国バーランドであったことの裏にある真相を知るためだ。そのために必要なら、話すことは問題はない」

「そうか……わかった。お主がいいならよいが」

「ただし、俺たちもすべてを見てきたわけではないし、推測も混じると思う」

「構わん。何より、現場にいた者の感覚は、時として百の報告に勝る」


 コウは頷くと、エルフィナに「不足してると思ったら補足してくれ」と頼んでから、バーランドで見聞きしたことを話し始めた。

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