第110話 結界の対策

 王都キルシュバーグが地平の彼方に見え始めた時、コウは間に合っていることを期待し――それが叶わなかったと気付かされた。

 現在の推定時刻は、二十二時前後。

 今日は低い雲が空を覆っているため、空は星すら見えずに暗闇に包まれているはずの時間である。

 だが、行く先の空が僅かに明るくなって見えるのは、無論夜明けの光ではなく、また、この世界において、夜の雲に色を映すほどの明りが通常あるはずもなく――。


「コウ、やはり街のあちこちで火の手が上がってます」


 エルフィナの方が目は良い。

 彼女の目は、遠く、キルシュバーグにて火の手が上がっていることを捉えていた。


「遅かったか……」

「火の上がり方から見て、まだそれほどひどいことにはなってないと思いますから、まだ間に合います。この速度なら、あと二刻約五分もすれば到着しますし」

「ああ。まずはアルガンド領事館だ。確実に狙われるだろうからな。そして――やはりあるか」


 コウは魔力マナを視覚化する法術を発動させた。

 すると、王都内は、ことごとく魔力マナそのものが存在しない。

 間違いなく、排魔の結界だ。連絡通りではあるが、王都全体をほぼ包み込んでいるとは思わなかった。この規模だと、街はさぞ大混乱だろう。


 二人は、王都まであと百五十メートル三百カイテルというとことろで、一度地面に降りる。

 そして、いくらか準備を終えると、二人は再び王都へ向けて再び飛翔した。

 無論城門は閉じられていたが、それは二人には何の障害にもなりはしない。


 火の手は、相当な勢いになっていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「予想通り過ぎるな!!」


 コウは、符を一枚取り出すと、簡単なキーワードとともに篭められた法術を解放した。符から放たれた水流が、アルガンド領事館の正門をまさにこじ開けようとしていた兵を、まとめて吹き飛ばす。


「な!? 法術だと!?」


 驚いたのは、押しかけていた兵達だ。

 アルガンド領事館を襲撃していたのは、法術兵四人と、兵士二十人。

 その横合いから不意を突いた最初の一撃で、その四分の一が吹き飛ばされた。

 法術兵は、まるで表情がない。間違いなく薬の影響も受けているだろうと分かる。そしてこの状況下で法術が使える以上、少なくともこの場にいる敵戦力は、ほぼ間違いなく再戦派だろう。


 突然仲間を吹き飛ばされた兵たちが、驚いて振り返った先にいたのは、若い男女の二人組。

 よく見ると、女性の方は森妖精エルフであると分かるが、いずれにせよ、現在王都では法術が使えない筈で、彼らの優位は動くはずがなかったのだが――。


「――!!」


 女性――エルフィナが、手をかざす。

 直後、首から下げた首飾りにある宝石の一つが輝き、先のそれに数倍する濁流のごとき水流が突然生じた。残った者達が全てそれに呑まれ、壁に叩きつけられる。

 意識がある者は、一人もいなくなっていた。


精霊珠メルムグリアからの発動に問題はないな」

「ないですね。維持するのにある程度力が要るとはいえ、普段とほぼ変わりません」


 前回、排魔の結界で苦戦して以降、コウとエルフィナは、同じ状況になった時の対策を準備していた。

 エルフィナが使ったのは、コウが『精霊珠メルムグリア』と名付けた法術具クリプトだ。

 アルガス出発前に購入しておいた首飾りと宝石を、コウが加工して法術を付与したものである。

 見た目は、大きめの台座に、七種類の宝石が一つずつ飾られた首飾りだ。

 いずれも、各属性の精霊と相性がいい大粒の宝石である。

 そして今、各宝石の中に、精霊が顕現状態で存在しているのだ。


 純粋な魔力マナの塊である精霊メルムは、排魔の結界の影響下では、顕現することができない。

 だからエルフィナも、排魔の結界の影響下では、精霊行使エルムルトを使うことができなかった。精霊行使エルムルトは、使用する前提として、精霊を顕現状態にする必要があるからだ。


 だがこの宝石は、コウが法術によって特殊な加工を施したもので、この中であれば、精霊は排魔の結界の影響を受けることなく、顕現し続けることができる。

 そしてこの中から、エルフィナの求めに応じて精霊行使エルムルトを発動できるのだ。

 文字ルーンに宿った魔力マナが排魔の結界の影響を受けないのと同様、精霊によって力を与えられた魔力マナもまた、排魔の結界の影響は受けない。

 よって、排魔の結界の影響を受ける前に、あらかじめ精霊メルムを呼び出して精霊珠メルムグリアに入っていてもらえば、事実上精霊行使エルムルトを自在に使えるのである。


 精霊自身は自由に動けないし、自由意志を尊ぶ精霊たちには、おそらくストレスになるだろうが――精霊たちはこぞって、エルフィナのためならと協力的だった。


 欠点があるとすれば、周囲から魔力マナを補充できないため、召喚時に溜め込んだ力を使い果たせば、精霊メルムは顕現状態を維持できず、送還されてしまうこと。

 ただ、確認したところ『都市を一つ滅ぼすくらいならできる』ほどの力はあるらしい。

 あとは、実質は長時間顕現状態を維持するため、術者であるエルフィナ自身にも負担があることだが、これも問題になるほどではないらしい。


 一方でコウもまた、対策として、法術符クリフィスを用意していた。


 法術符クリフィスは、特殊な加工を施した符で、法術を符に対して発動することで、『充填状態』の文字ルーンを籠めることができる。

 これ自体は普通に各地の法術ギルドで販売しているが、いくつか欠点がある。


 まず、篭めた法術の効果は、符の品質にもよるが、最大でもせいぜい半分程度まで落ちる。

 また、一度発動させているにも関わらず、『認識』『構築』のプロセスは要求されるため、符を取り出す手間を考えると、そこまで発動を省略できるわけでもない。

 そして使用期限も無期限というわけではなく、だいたい一年くらいで効果が失われる。


 ただし、利点もある。

 一つは『充填』がないので、魔力の消費がない点。

 それに『認識』『構築』もある普通に使うよりは容易になる。

 そして最大の利点は、適性のない文字ルーンを用いる法術でも使えることだ。

 これ故に、効果が多少落ちても問題がない攻撃系以外の法術などでは、よく使われることが多い。

 最もよく利用されるのは、生活法術や法術具クリプトの効果の再付与など。


 そして、法術符クリフィスは、『充填』の必要がないため、排魔の結界の影響下でも使うことができるのである。

 アルガス出立前にアクレットからもらったものは切り札――第二基幹文字セカンダリルーンを含む法術を籠められるのは破格――になるので温存しているが、普通の法術符クリフィスでも、コウの法術を籠めてある場合、十分な威力になる。


 コウとエルフィナは、王都に入る前にこの準備を終わらせ、城門を飛行で飛び越えると、真っ直ぐにアルガンド領事館を目指した。

 コウ達が駆け付けた時、ちょうど正門のところのバリケードが破壊されたタイミングだったが、文字通り不意打ちで、あっという間に兵が一掃されたのである。


「コウ殿!!」


 兵が一掃されたのを見て前に出てきたのは、領事であるスライトだ。

 他に駐在武官が三人。

 これだけの戦力で立て籠もっていられた事実に、その奮戦ぶりがうかがえる。


「助かりました。正直、あと数刻持ち堪えるのがやっとでした」

「スライト殿。他の人は?」

「領事館に寝泊りしているのは領事である私と、駐在武官だけです。他の者は、それぞれ仮宅があるのでそちらですが、こういう事態になった場合に備えた連絡はしてあって、そちらに向かっているかと」


 この事態を予測はしていたらしく、既に潜伏先は用意してあったらしい。


「では、貴方は俺たちが護衛します」

「いえ、武官もいますし、ルートは確保してあるので大丈夫です。それより、冒険者ギルドに向かってください」

「ギルドへ?」

「再戦派が蜂起する直前に報告が来たのですが、フィルツ王子が、冒険者ギルドに身を寄せているそうです」

「ギルドに?」

「どうやら、王子は再戦派の動きを察していたようで、ギルドに保護を求めたらしく。ただ、ギルドの現状は……」


 王都内にはほとんど冒険者はいない。

 ギルド長であるジュラインはいるだろうが、九十歳近い老人に無理をさせられるはずもない。


「駐在武官の一人が救援に向かってはいますが、このような状況だと厳しいでしょう。その者と共に、我々と合流いただくほうがいいかと思います」


 グライズ王子を含めた『再戦派』が冒険者ギルドを敵視しているのは明らかであり、おそらく今回、襲撃されている可能性は高い。

 となれば、フィルツ王子が再戦派の手に落ちることになりかねず、それはどう考えても良くない展開だ。


「分かりました。スライト殿もご無事で!」


 コウはそれだけ言うと、エルフィナを一度振り返り、そのまま走り出した。

 エルフィナも何も言わずに、コウに続いて駆け出す。


 王都の混乱の度合いは、なお一層深まっていくかのようであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る