第111話 グライズ王子の宣言

 夜が明けた。


 いくつか上がっていた火の手は、一部は市街の一角を焼き払ってしまっていたが、他は大火にはならずに鎮火され、キルシュバーグは混迷の中にありながらも、何とか無事、夜明けを迎えることができた。

 幸い、人的被害はなかったらしい。怪我人が出た程度だ。


 しかし人々の不安は、騒乱の夜を終えてなお、収まる様子はない。

 昨夜の騒乱はなんだったのか、その情報を持っている者がほとんどいないからだ。


 その不安に応えるかのように、王城から重大な通達があると通達があったのは、その日の昼過ぎだった。

 時間は夕刻の十六時。

 場所は王城の正門前の広場で、王家から重大な発表がある場合に使われる場所である。


 人々は不安に感じつつも、時間になると広場に集まり始め、十六時ごろには、急な話だったにも関わらず、一万人近い人々が広場につめかけていた。


「すごいな、さすがに」

「まあ、みんな不安でしょうし」


 コウとエルフィナも、その場にいた。


 昨夜、無事冒険者ギルド前で、アルガンド領事館の駐在武官であるクラウスと合流、ギルドを襲撃していた兵を撃退した。

 もっとも、押しかけていた兵の半数以上は、ジュラインによってすでに叩きのめされていたが。九十歳近いという話が嘘だったのではと思いたくなる。


 本人によれば、愛用の巨大な斧槍ヴァルデュアスエッタに強力な身体強化の付与法術があるからだというが、だとしても、そもそも九十歳近い老人が普通振り回せるものではない。

 ちなみに襲撃者には当然、天与法印セルディックルナールを持つ法術士が混じっていたはずなのだが、ジュラインは真っ先に叩きのめしていたらしい。『長年の勘でヤバイとおもったから、最初に眠ってもらったわい』と言っていたが、現役時代は、どれだけの猛者だったのだろうと思わされた。

 冒険者ギルドを襲撃した兵にとっては、悪夢を見てる気分だったに違いない。


 そして、一度敵が引いた隙に、フィルツ王子、ジュライン、ウィリアらと共に、いったんアルガンド領事の隠れ家に移動した。

 他に頼れる家があればよかったのだが、王都に住む貴族のほとんどは『再戦派』に属するらしく、フィルツが冒険者ギルドを最初に頼ったのも、他に行ける場所がなかったかららしい。


 隠れ家は王都南方の城壁近くの住宅街の一角だが、見た目は普通の住居にもかかわらず、地下に通路があり、いざとなれば王都外壁近くまですぐ移動できるようになっている。

 他国の王都にこれだけの場所を用意しているのには、感心するやら驚くやら。


 一夜明け、今後の方針を検討しようとしていたところに、王城からの通達の情報があったので、コウとエルフィナだけ見に来たのだ。

 他のメンバーと違い、二人は顔も名前もまだ知られていないからである。

 市民に影響を与えないためだろうか、排魔の結界は既に解除されているので、念のため認識阻害の法術をかけている。


「何を発表するんでしょうか」

「想像はできるというか……今回の騒動が『再戦派』の仕業であるのが確実である以上、王位の継承か、少なくとも国政をグライズ王子が預かるという話は少なくとも出てくるだろうな」

「アルガンドへ攻めることも?」

「ありえるとは思う。ただ、かつての戦争のことを覚えている人も多いだろうから、どうだろうな」


 二十年前の戦争で、バーランドは多くの兵を失った。

 市民からもかなり徴用されたと聞くし、その影響は今もバーランドに残っている。

 市民全てが戦争に参加したわけではないだろうが、それでも敗戦後は国力も相当に落ち、苦労した人は多いだろう。


 その頃と比べて、今のバーランドが国力を大きく回復させているということはないはずで、この状況でアルガンドとの戦争など、少なくとも普通は考えない。

 そうなれば、市民からも大きな反発があるだろう。


 ただ、ここは王権国家だ。

 コウがいた日本のような民主主義国家ではなく、国王の命令が絶対の重さを持つ。

 そういう国で育った者が、無茶な命令を突きつけられたときにどう反応するかは、正直分からない。


 そんなことを考えていると、広場にせり出した王城の露台に、男の姿が現れた。

 人々のざわつきが、広場を満たす。

 現れたのは、三十歳くらいの男性。

 おそらく彼が、グライズ王子だろう。

 思った以上にがっしりした体格で、むしろフィルツ王子より体格だけなら戦士向きだと思えるほどだ。


「よく来てくれた、我が愛すべきバーランドの人々よ」


 拡声のための法術具クリプトがあるらしい。

 ただ、それを抜きにしても朗々と響くその声は、ある種の威厳を感じさせるものがあった。

 その声が、広場の人々のざわめきを圧倒して、広場全体に弾き渡る。


「私は、先ほどイルステール王より、王位を託すといわれた。すなわち、新たなバーランド王、名をグライズという」


 ざわめきがさらに大きくなる。

 二人の王子による後継者争いは、王都の誰もが知るところだ。

 昨夜の騒ぎはその争いが激化したものか、といった推測が聞こえ始める。


「昨夜、王都の民を不安にさせたことを詫び、また何があったかを説明したいと思う」


 人々のざわめきが止まる。


「先日、フィルツ王子がイルステール陛下に、アルガンド王国に膝を屈し、我が国がかの国の下風につけ、と要求した」


 人々のざわめきが広がる。

 それは、先ほどとは違う戸惑いだった。

 フィルツ王子はアルガンドとは平和的な関係を望んでいたと云われているが、実は属国になることを画策していたというのか、という声があちこちから聞こえてくる。

 やがて、「穏健派といいながら実は属国推進派だったんじゃないか」というような囁きが聞こえ始めた。


「それは到底許容できる内容ではない。ゆえに、陛下はその要求を跳ね除けられた。だが、フィルツ王子はあろうことか、昨夜ついに兵を以て王都で混乱を起こし、王城に攻めあがって武力で陛下を脅そうとした。だが、その兵の動きを察知していた私は、寡兵かへいながら陛下を救出、そして指揮系統を建て直し、逆にフィルツ王子を追い詰めた」


 昨夜の騒乱は、フィルツ王子をはじめとした『穏健派』が起こしたことらしい。

 事情を知るコウ達からすれば、あまりにも出鱈目すぎて笑うしかない。

 だが、事情を知らない民たちからすれば、その真偽を判断する術すらないのだ。

 何しろ戦っていたのはどちらもバーランド軍なのだから。


「残念ながら、アルガンドの走狗となったフィルツ王子を捕えるには至らなかった。だが、王国の民よ。これが、穏健派の正体だったのだ。和平を説きつつ、実際にはアルガンドへの隷属を画策し、そして昨夜、行動を起こした。それが証拠に、アルガンド領事は今朝から行方が知れない! おそらくフィルツ王子と共に計画の失敗に伴い、逃亡したのであろう!!」


 確かにフィルツ王子と領事は一緒にいるが、それは襲撃されたからである。

 だが、それを人々が知ることは難しい。

 インターネットなどの情報網により、誰もが情報発信者になりえた日本とは異なり、この世界での情報は、為政者によって都合よく操作されるものであると、あらためて痛感させられる。


「また、そのフィルツ王子が、最初冒険者ギルドに逃げ込んだことも判明している。中立を謳うはずの冒険者ギルドが、我が国をアルガンドの属国にする企みに加担していた可能性がある。何より彼らも、今朝から行方が知れぬ!!」


 ここまでくるともはや笑うしかない。

 情報をここまで歪めても、これしか情報ソースがなければ、疑うことは難しいのだろう。

 そしてこの状況に説得力を持たせるために、おそらく蜂起した最初の時点では、ギルドや領事館を襲撃してなかったに違いない。

 もっともそのおかげで、コウとエルフィナが間に合ったのだが。


「もはや、アルガンド王国の敵対行為は明らかである!! そこで陛下は、若い私に王位を譲り、そして、アルガンドを討て、と申されたのだ!!」


 再びざわめきが大きくなる。


「もはや一刻の猶予もない。アルガンドの、我が国に対する野心は明らかである。だが、残念ながら、現在のバーランドの力は、かの国に及ばない。ゆえに、全ての国民に、兵としての適性があるかを調べさせてもらいたい」


 そこでグライズは一度言葉を切り、傍らを振り返ると、一人の男が進み出てきた。

 二十台と思われるその男が、グライズの指示に頷くと、片腕を上げ、そして一瞬口が動いた直後、凄まじい炎が空を焼く。

 そのあまりの迫力に、広場が水を打ったように静まり返った。


「この男は、先日まで皆と同じ市井の民だった。だが、我々は短時間で法術の才能を伸ばし、そして大幅に強化するすべを発見した。つまり、誰もが最強の法術士になる可能性を、見出したのだ!! この力で、最強の法兵団を作ろう!! 二十年前の屈辱を、晴らす時が来たのだ!!」


 人々の感情が、戸惑いから熱気を帯びたものになっていく。

 幾人かが、今法術を撃った者を知っていたらしい。あんな力はなかったはずだと話しているのが聞こえてきた。

 やがて、『最強の法兵団』という言葉が、人々の間に喚声と共に広がっていく。


「……サクラだな、あれは」

「コウ?」


 呟いた言葉は日本語だったので、エルフィナには意味は分からなかったらしい。


「いや、あの男を知ってるって人間がそう都合よく、広場のあちこちにいる時点でおかしい。それに、最初に『穏健派』がアルガンドと繋がっていたのかとか言ってた連中もな。そういったことも、いわゆる『仕込み』なんだろう」

「……コウが言う『情報操作』というものですか?」

「そうだな。この場合はもうちょっと違うものでもあるが。それに、あの男が放った法術は、見た目こそ派手だが、実際には大した威力はない。だが、人々に信じ込ませる効果としては十分だろう。グライズ王子の人々を扇動する技術は大したものだ」


 少なくとも今、この人々の熱狂を止める術はない。

 この状態でフィルツ王子が出て行ったとしても、文字通り国賊として処罰されるだけだろう。


「どうします、これから」

「いったん戻る。今後のことを考える必要があるだろうし……」

「あとは、神殿がどう動くか、ですね」

「神殿?」

「王位の継承は、どの国も神殿の承認を必要とします……って、知らないんでしたっけ?」

「アルガンド特有かと思ってた」

「少なくとも、人間社会は王位の継承は、神殿の承認を必要とします。まあ、貴族位はどこまで必要なのかとかは、私も詳しくはないですが」

「王位は必ず必要、というわけだ」

「はい。例外は帝国の皇帝位だけだと聞いてます」

「あそこは例外なのか……理由も知りたいところだが。とにかく今回は、少なくとも神殿が関わるわけだ」


 神殿による王位継承の正当性の証明。

 これはどうやらこの世界では一般的だったらしい。

 神殿の動き次第では、まだまだ逆転の目もあるかもしれない。

 今回の一件を神殿がどのように対応するのかは、コウはもちろん、人間社会にあまり馴染みのないエルフィナにも分からない。

 とにかく今は、この状況を伝えるべく、二人は隠れ家へと戻っていった。

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