第112話 行動方針

「なんとまあ……無茶苦茶にもほどがある」


 コウとエルフィナから報告を受けたジュラインは、呆れきった表情で嘆息した。

 スライトもまた、難しい顔をしている。

 その横では、コウとほぼ同世代と思われる若者が、項垂うなだれていた。

 彼が、穏健派のリーダーでもあるフィルツ王子である。


 濃い茶色の髪を肩のあたりまで伸ばしていて、顔立ちはかなり整ってる方だと思えた。

 線の細い優男という感じだが、その割には腰に佩いた剣は使い込まれたものだ。際、王城からの脱出は独力で成し遂げたそうだから、少なくとも戦えないわけではないらしい。

 その割には、本人の印象は柔和な青年、という感じだ。


「このままでは、本当にアルガンドとの戦争になりかねん。ギルドとしては国の方針とされてしまうと口出しできんが、どう考えても戦力が違い過ぎる」

「大規模な法兵団を組織できたとしても、普通に考えれば勝ち目がないだろう」


 排魔の結界を戦場に敷設することが可能なら、そしてその法兵団が天与法印セルディックルナールを持つなら、一方的に法術を使うことができる。

 それは、確かに優位に立てる条件の一つだ。だが、アルガンドはすでにその対策を打っているだろう。

 排魔の結界は、『充填済みの魔力』を散らすことはできない。つまり、法術具クリプト法術符クリフィスであれば、使うことができる。攻撃法術の法術具クリプトというのは基本的に効率が悪いので多くはないが、対法術防御が付与された法術武具クリプレットの防具などは一般的だ。

 かといって、付与法術や法術具クリプトを解除する法術具クリプトを使えば、今度は排魔の結界が解除される。両方同時に用いることは不可能だ。


 そして小規模な戦闘ならともかく、千人以上の単位の軍が衝突する場合、ことはそう簡単にはいかない。

 排魔の結界を用いて、さらに魔幻兵ガルディオンを用いるという戦法もあるだろうが、魔幻兵ガルディオンの存在は既にアルガンド側に知られている。炎などの追加効果を持つ法術武具クリプレットや、弱い攻撃法術を籠めた法術符クリフィスさえあれば、あっさりと破壊できる。

 彼らも、無策でいるはずはない。

 

 そもそも、法術は基本的に射程が短い。

 そして、防具をしっかり装備した兵士を倒せるほどの法術を使える者は稀だ。

 確かにあの天与法印セルディックルナールならそれを可能とするかもしれないが、そもそもの射程の短さはどうしようもない。

 百メートル二百カイテル以上の射程を持つ長距離攻撃法術がないわけではないが、必要な魔力マナが非常に多く、一般人ではおそらく使えないだろう。

 戦場においては、弓の方が遥かに有効な兵器だ。

 法術で戦況を一変させられるのは、それこそ第一基幹文字プライマリルーンなどの強大無比な力、つまりアクレットのような存在くらいである。


「いるという噂だけはあるが……」

「もし本当にいるとしても、ああいう場で公開する事はないだろう。ただ、いたとしても……バーランドがアルガンドに勝てる要素は、ないじゃろう」


 ジュラインが断言した。


「私もそう思います。従兄殿は何を考えているのか……」

「アクレットの存在があるからな」


 普通に考えて、仮に第一基幹文字プライマリルーンの使い手がいても、相手は三文字使える規格外。しかも天与法印セルディックルナールだ。


「まあ、そっちは今考えても仕方ないな……神殿の動きはどうなのだ?」

「先ほど、王位継承の審議に入ったそうです」


 スライトの言葉に、部下の一人が答えた。


「やはり審議になったか。ならば、これで数日は稼げるじゃろう」

「そういうものなのか?」

「譲位であれ崩御であれ、通常であれば、王位は継承権者一位が継ぐ。前王が死去している場合などは、自動的にこの継承が行われ、神殿がそれを承認する。だが、今回は第一位がまだ発表されていない状態で叛乱が起き、急遽譲位されたとしているが、さすがに誰でもおかしいとは思うじゃろう。そのため、神殿がその継承に妥当性があるのかという審議に入る可能性は、高かった」

「さらに言うと、従兄殿がこのタイミングで蜂起したのは、その継承順位が問題だったんだ」


 フィルツ王子の言葉に、コウは首を傾げる。


「実はあの日、私と従兄殿……グライズ王子は陛下に呼び出されて王城に行ったんだ。そして告げられたのは、私たちの継承権順位の決定についてだ」

「なに?」

「私が第一位、グライズ王子が第二位であるとそこで陛下自身から告げられた。だからだろう。従兄殿があのような行動に出たのは」

「じゃあ、無計画にあんなことを?」

「いや、グライズ王子はどちらにせよ、遠からず蜂起するつもりだったでしょう。おそらく周到に準備していたでしょうから、それなりの証拠や証言は用意してあると思います。それに元々、グライズ王子は神殿の継承承認という制度にも否定的でしたから、どこまで抑止効果があるか。そして、フィルツ王子は迂闊に出頭するわけには行きません。すれば、ほぼ間違いなく……」


 スライトの言葉の続きは聞くまでもないだろう。


「殺されるでしょう。従兄殿はそういう方です」

「問答無用で、か」

「ええ。おそらく私が叛乱を起こしたという様々な証拠……無論捏造されたものでしょうが、おそらくそれが大量に出てきます。幸い、伯父上陛下が害されてはいないようですので、弁明の可能性がないわけではないですが、おそらくその機会すら与えられないでしょう。実質的には、既に従兄殿が国王なわけですし」


 フィルツが悔しそうにほぞむ。

 法治国家である日本では考えられない話ではあるが、この国は王権国家だ。

 現状、イルステール王が幽閉されたこともあって、継承権順位の発表は行われていない。

 そして捏造された証拠でフィルツを反逆者に仕立て上げて殺してしまえば、継承権第一位の座はグライズ王子のものになる。そうなれば、正当な後継者はどちらにせよグライズとなるのだ。


 そして、最高権力者たる国王の権限は絶対であり、それなりの証拠さえあれば、それを覆すのは難しい。

 ギリギリ、神殿が裁判所のような役割を兼ねているし、実際王位継承に関しての影響力は軽視できないようだが、今回の強引さを考えれば、神殿の意向を無視する可能性も、低くないように思える。

 あとあるとすれば、イルステール王に譲位が無効であると宣言してもらう事か。

 少なくともそれで、軍は止められる。


「ワシはなんとかギルド本部に連絡を取る。このままでは、国政にギルドが関わったという、ありもしない前例を作られかねん」


 城壁の外に行けば、長距離通話用の法術具が使えるらしい。

 コウは初めて知ったのだが、ギルドの通信法術具は、その中心部分だけを外しても使うことができるらしい。ただし、魔力の充填が必要になるという。

 実際、王都も安全とはいえないので、一部の連絡員を残し、王都外に出る算段もついているようだ。


「さて……ワシらの行動はこの通りじゃが、コウ殿はどうする?」

「俺の依頼はバーランドの調査だった。その意味では、もう既にこれだけ発表されてしまっていては、おそらくアルガンド本国にも話は遠からず伝わるだろう。依頼は失敗ってことになってしまいそうだが……さすがにここで手を引くようなつもりはない」


 今回は完全に後手に回ってしまっている。

 実質、バーランド王国からアルガンド王国への宣戦布告がされたようなものだ。

 だが、まだ戦端が開いていない以上、戦争を止める術はまだあるだろうし、コウとしてはなんとしてもその事態は防ぎたかった。


「分かった。明日には、王都外の拠点に通信用の法術具の設置が終わる。おぬしはそこから、アルガスへ連絡してくれ。その後の動きは、協力してくれるとありがたいが、強制はしない」

「基本的には『冒険者』として動く。少なくとも、戦争という事態を回避するために、できるだけ努力するつもりだ」


 隣で、エルフィナも頷くのを見て、コウは頷き返した。

 エルフィナからすれば、今更遠ざけられても意地でもついていくつもりだったし、実際コウもエルフィナを遠ざけるつもりはない。

 それに、相手が排魔の結界を用いてくる以上、エルフィナの精霊珠メルムグリアは切り札になる。


 現状、穏健派は散り散りだ。対してあちらは、形だけとはいえ国王になっている。

 神殿の対応次第だが、早晩戦争を起こすのは間違いないだろう。


 実は、事態を止めるのに最も簡単な解決策はある。

 グライズ王子を殺害することだ。

 彼が『再戦派』の首魁であることは間違いない。

 よって、彼が死ねば、旗印を失った『再戦派』は、少なくともすぐに戦争を起こすことは難しくなるだろう。


 だが、それは冒険者ギルドとしてはとってはならない手段だ。国政への直接介入は原則認められていない。

 ありえるとすれば、彼が民を害するなどした場合。

 ただ、今後の展開によってはそれもありえるのではないかと思える。


 それとあと一つ、共有すべきことがあるのを、コウは思い出した。


「それから、昨日からこっち、ずっと忙しかったから話してなかったが……通信は届いてただろうか」

「ああ、あの行方不明の人々が収容されていると思われる施設を見つけたという話か」

「ああ。実のところ、そこに結構とんでもないものがあったんだ」


 そう前置きして、コウは先日見つけたことをその場で共有した。


天与法印セルディックルナールを人に付与する……じゃと?」

「そんなことが可能なのか」


 フィルツ王子はアルガンドで起きた事件のことも知らないので、初めて聞く話だろう。


「王城の守りがあっさり突破された理由に合点がいきました。しかしとんでもないことを……」


 フィルツ王子が悔しそうに俯く。


「少なくとも、アルガンドで戦った法術士の能力は本物だった。実際俺は死にかけたほどだ。もっとも、対抗策はいくらでも思いつくし、アルガンドは当然それを警戒している。正直に言えば、それが圧倒的に優位に立つことができる要素かといえば、もはや厳しいだろう」

「しかし、従兄殿は、おそらくそれをあてにしてる……でしょうね。最強の法兵団というのは、それのことでしょう」

「だと思う。彼は法術士としても優秀だと聞いてるから、法術の有用性はよくわかっているんだろう。だが、確かにあれは小規模の戦闘では有効だが……」

「戦場ではそうとは限らない」


 フィルツ王子の言葉に、コウもエルフィナも頷く。


「じゃが、もし第一基幹文字プライマリルーンの使い手すら生み出せるとすれば、話が変わってしまうのではないか?」

「いや、それはおそらく無理だ。埋め込んだとしても、使いこなすのは不可能だ。第一基幹文字プライマリルーンは、その一文字だけで膨大な魔力を必要とする。並の人間どころか、かなり魔力量の大きい人間でも、使いこなせるものじゃない」

「そうなのか。よく知っておるのぅ」

「アクレットにはいろいろ世話になっていてね。俺は元々パリウスにいたから」


 とりあえず誤魔化しておく。

 実際、アクレットにしてもコウにしても、そもそもの潜在魔力が桁外れだからこそ、自在に第一基幹文字プライマリルーンの法術が使えるのだ。


「ならその可能性はあまり考慮しなくていいとしても……その施設にいた者が気になるのぅ。その施設自体、どういうものであるかは……法術ギルドでなければわからんじゃろうが」

「全員解放するのは難しいが……調査するだけなら、今から行って来ることならできると思うが」


 全員の目が唖然とした様子で見開かれ、コウに注目が集まる。


「そもそも今頃気づいたのじゃが、お主ら、どうやって王都まで戻ってきたのじゃ。その施設の情報が届いてから、半日かからずに王都に戻ってくるなど、到底不可能じゃが……」


 通信を強制的に送ったのが騒乱発生前の夕方。そして深夜には王都に戻ってきているのだから、考えてみたら普通はあり得ないだろう。


「そこはまあ、ちょっと特別な移動手段があったんだ。で、それを使えば、問題の施設に一日で行って戻ってこれる」

「想像も出来んな……じゃが……」


 ジュラインが腕を組んで考え込む。


「さすがに、十人以上を連れて行くのは難しいじゃろう?」

「それは……さすがに無理があるな」


 飛行法術を付与するとしても、さすがに十人は多い。

 それにコウの飛行法術では片道で五時間はかかる。エルフィナの精霊は、できれば伏せておきたいところだ。

 それに、この場の全員を連れて行くのも問題がある。

 王都を完全に空けるわけにはいかかないだろう。


「ああ、そういえば」


 コウは施設で唯一残っていた本めいたものを渡す。


「当該の施設に残されていたものだ。何やら日記の様だが……こういう材質を見たことがないんだが、わかるだろうか」


 一同はめいめい、それに触れてみるが首を傾げるばかり。


「いや、わからん。わしはこれでも長生きしてるので、いろいろ見てきたつもりじゃが……初めてじゃ。しかしこんなものがある施設となると気になるが……今のところは、それよりそこで眠っているという人々の方が気になる。もしそれが麻薬ギュイスが使われているとすれば、話が変わってくる」


 もしグライズ王子が人々にそのような無体を強いているとわかった場合、話が変わる。特に麻薬ギュイス関連はギルドの非常大権の発動の可能性が出てくる。

 つまり、グライズ王子の殺害が、解決策の候補になりえるのだ。


「その施設の調査は後に回すとしても、そこで寝ている人を連れてくれば、診断は可能か?」

「それなら可能じゃろう。キルシュバーグに属する冒険者の中に、珍しく薬学に通じている者がおる。少し時間はかかるだろうが、その者なら調べられるじゃろう」


 コウとエルフィナは顔を見合せた。


「よし、俺とエルフィナで一人連れて来る。一人くらいなら連れて来ることはできるからな」

「ちょ、ちょっと待て。おぬしらに今何日も抜けられるのはさすがに……」

「いや、一日……いや、多分半日だ。それで多分、連れてこれる」


 今回は時間が何よりも貴重だ。

 来るときと同じ手を使うべきだろう。

 精霊による飛行なら、往復四時間程度。あの施設で人を一人連れて来る程度なら、現地での時間はほとんどかからない。


「……わかった。じゃが、わしらも今日には場所を移動する。通信法術具の子機を持って行ってくれ。それで連絡しよう」


 コウはうなずいて子機を受け取ると、周囲を警戒してから外に出た。

 すぐさま認識阻害の法術を使ったので、まず見咎められることはないだろう。


「なんか飛び回ってばかりですね、私たち」

「かもな。このところの移動は、明らかに飛行の方が多いからな」


 思わず二人で笑う。

 たとえどのような困難があろうと、二人なら乗り越えられる。

 コウもエルフィナも、それだけは確かな自信があったし、実際これからもそうであることを、お互いに信じあっていた。

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