第113話 悪化する状況

 王都の騒乱の四日後。


 コウ達は、一部連絡員を除いて王都近郊の、街道から少し外れたところにある砦の一つにいた。

 ここは、かつてこの辺りを根城にしていた盗賊たちが建造したものだが、討伐された後、そのまま軍の駐留する拠点として残されたものだ。

 今でも定期的に軍がここに駐留し、周囲の危険な獣や魔獣を狩って、周辺の安全を確保するという。

 当然、管理人はいるのだが、ここの管理人はフィルツ王子――正しくはその父親――に恩があるらしく、彼らを匿ってくれたのだ。


 あの後、砦から一人を連れ出して戻ってきた――連れ出した推定二十代の男性は飛行にすら全く反応を示さなかった――時、すでに一行はこの砦に移動していた。


 ジュラインやフィルツはそれぞれ、各地に連絡を行い、その後ここで、とりあえず神殿の審議の結果を待っていた。

 コウの報告した、天与法印セルディックルナールを人に埋め込める可能性には、アクレットを含め驚愕していたようだが、やはりあちらでもありえると考え、対策はしているそうだ。

 少なくとも、排魔の結界と魔幻兵ガルディオンを併用された程度なら、どうにでもなるという。


 一方で連れ帰った男は、今はメルヴィンという男が看ている。

 三十歳の冒険者で、治癒系の法術に優れているが、薬学にも詳しい珍しい人物らしい。ただ、連れ出した男は衰弱著しいので、慎重に調べるとのことで、三日経ってもまだ分析しきれていないようだ。


 そうして、待っていた神殿の審議の結果が発表されたのがつい先ほど。

 結論は『継承保留』という、異例のものだった。

 理由は、先の騒乱がフィルツ王子のものとする証拠に、多く改竄されたと思われる痕跡が見つかり、フィルツ王子、および国王であるイルステールらを交え、神前審議を行う必要がある、とされたためである。


 神前審議とは、名の通り神の名の元に審議を行う者で、この結果は国王ですら、それに異をはさむことは禁忌とされる。

 神前審議においては、大陸中にある神殿の、いわば総本山である大聖堂から審議官が派遣されるが、その審議官はただの人ではなく、いわば神権代行者といえる存在であり、神の奇跡によって、あらゆる悪と不正を見抜くとされているのだ。

 この結果に異をはさむことは、いわば神を否定する行為となる。

 また当然、飛行騎獣を用いるとはいえ、審議官が大陸最西方から来るのには時間がかかるので、開催予定として示されたのは年が明けてからとなるとされた。


「ところがこの後が問題じゃったようじゃ」


 神殿からの回答の情報が来たのが昼頃。

 その時点では、まだ事態の鎮静化の可能性もあるかと思われたが、そこから二時間もかからずに届いた報告は、その期待を否定するものだった。


 神殿のこの回答に対し、グライズ王子はアルガンドの脅威が迫っているこの事態に、王位継承を保留することは、アルガンドに対する利敵行為であると断じ、神前審議の開催を拒否。

 アルガンドへの敵愾心が増大していた国民の大半が、このグライズ王子の方針を支持し、王子は神殿に拠らず、王位を正式に継承したと発表。

 そして、その最初の命令が、十五歳から四十歳までの全ての国民に対して、新たな法術兵となる資質を検査し、適性がある場合、兵として召し上げるというものだった。


「当然だが、神殿はこれに反発、グライズ王子の王位継承を無効であると発表し、市民への徴兵の中止を勧告したのだが、王子はこれを無視。さらにあろうことか、王子に同調してそれに反発した民が、神殿を襲撃しおった」


 これをきっかけに、王都は再び大混乱に陥っているという。


「ほぼ最悪の展開といって良い。今や王都は大混乱じゃ。あの美しいキルシュバーグの街が、暴徒どもが闊歩する街となるとはな……」


 王都に潜伏する者から連絡を受けたジュラインは、苦々しさを隠そうともしなかった。


「もっとも、騒乱を起こしているのはごく一部の民だけで、大半の民は家に閉じこもって怯えるばかりじゃ。グライズは民に対して、鎮まるようにとは布告を出し、それで混乱は幾分収まっているが、逆に神殿や冒険者ギルド、アルガンドに対する敵愾心は、増すばかりだという」

「民がこれほどに意見を主張するとはな」


 フィルツ王子が沈痛な面持ちで呟いた。


「そんなにか?」

「民が、王や神殿の意向に逆らうことなど……考えられない。それらを否定して、民はどうやって生きていくのだ?」


 コウの問いに対する返事に、他の者も同意する。

 だが、コウは同意できなかった。

 これはおそらく、異世界だからではない。時代による違いだ。


 この世界において、王や神殿の権威は絶対的だ。

 冒険者の様な例外がいるとはいえ、国という存在と国王や貴族、神殿の存在は切り離せないものだと思われているだろう。


 だが、コウは王や貴族、神殿の権威が絶対ではないことを知っている。

 力の有無に関わらず、人々が自らでそれらを決めて、国を形作ることができるのを知っている。

 しかし、この世界において、その前例はおそらくほぼないのだろう。

 その意味では、この国は新たな時代に入ろうとしているのかもしれない。


 だが、少なくとも、そのきっかけは到底正しいとは思えず、また、グライズ王子がその後、民の意見を取り入れた新たな政体を作るとも思えない。

 彼は、いわば民の力を、自らを正当化するための道具としている。

 ただその発想ができること自体、この世界においては驚くほどの先進性といえるかもしれない。固定化された神殿の権威に疑問を抱けるのは、この世界においては稀なのだろうから。

 あるいは、その才覚を正しく生かせれば、この国を発展させることもできたのかもしれないが――。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 さらに数日が経過。

 混迷を深めるバーランド王国は、さらにその度合いを深めつつあった。


 新たな法術兵としての適性検査は急ピッチで進められており、王都全体の一割程度がすでに徴兵されているらしい。

 現在は王都の民だけだが、それでも一万人以上ということになる。

 時間を置けば置くほど状況が悪くなるのは分かっていても、現状では動けない。

 とにかく調査が終わるのを待つしかない状況だった。


 だが、事態はコウ達の想像を遥かに超えて、悪い方向に動いていたのである。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ガラガラと車輪が道の上を転がる音が響く。

 一頭立ての簡素な荷馬車と一緒に歩くのは、コウだった。


「さすがに……この時間でもまだ寒いですね」

「そうだな。まあもうすぐ十二月だしな」


 馬車の上のエルフィナの言葉に、コウは少し懐かしい気持ちになった。

 バーランドに来たのは十月末。

 王都に着いたのが十一月中旬だったが、そこからすでに半月近くが過ぎている。

 高地であることもあり、バーランドはかなり寒い。

 一年前のこの時期は、まだフウキの村にいた。

 気付けばこんな場所に来ていることは、当時想像もしなかった。


「でも、この季節でもバーランドって野菜が豊富ですよね」

「だな。これもイルステール王が寒さに強い野菜の栽培を奨励したからだろう」


 この季節でも新鮮な食料がいちに並ぶというのは、なかなかない。

 これが、この二十年のバーランドの人々の成果なのだろう。


 今は、食料調達のために近隣の村に行った帰りである。

 コウとエルフィナは、バーランド所属の冒険者ではないので、顔がほとんど知られていない。エルフィナは少し目立つ容姿をしているが、フードを被っていれば問題はないし、コウはそこまで際立った特徴がないので、怪しまれることもほとんどない。


 ちなみに馬車を操っているのはエルフィナで、コウは馬車に乗らずに歩いている。 一応、何かあった場合に接近戦をするコウと、弓を使うエルフィナという戦いの都合もあるし、エルフィナの方が目がいいので、より高い位置にいてもらった方がいいからである。

 という理由で馬車に揺られたくないだけではあるが。


「……ん?」

「なにかあったか?」

「いえ、なんか……あ、やっぱり。人です。道の脇に倒れてる人が!」


 言われて、エルフィナの指さした方を見ると、すぐコウも気付いた。

 人が倒れている。

 一瞬コウは周囲を警戒したが、そもそもかなり見通しの利く場所であり、エルフィナが敵に気付かない可能性はほとんどない。


「おい、大丈夫か!?」


 倒れている男は、苦しそうに呻いていた。

 年齢は三十歳くらいか。

 よく見ると靴すら履いていなくて、足もボロボロだ。まるでどこかから逃げてきたようである。


「だ、大丈夫ですか?」

「うぅ……あ、ああ……なんかとにかく……乾くんだ。酷く……」

「乾く?」

「体の中から何か失われているような……ああ……ダメだ……」


 その言葉で、コウはあることに気付いて法術を発動させ、男性のマナの状態を見て――愕然とした。

 男性の体から、魔力マナが完全に失われていたのだ。

 ところがさらに、男性は魔力マナを放出している。

 それは、生命力を変換したものだ。


 魔力マナは法術を発動させるための力だ。

 この世界の人間なら誰もが持っているものであり、あるいは人間であればだれでもあるものなのかもしれない。実際、地球人であるコウにもあった力である。


 法術の能力が高い者は、大抵はこの魔力マナの最大蓄積量が多い。

 魔力マナは基本的に法術を使うことで――正しくは文字ルーンに『充填』することで――減少するが、睡眠や休息で回復する。


 ただ、使いすぎると完全に枯渇し、その場合酷い虚脱感に襲われる。

 そして、この状態では普通は法術は使えないが、実は生命力をマナに変換することで、限界を超えて法術を使うことができるのだ。

 ただ、文字通り生命を削る行為であり、高位の法術士で、稀に行うことができる者がいる特殊技能だ。普通の人間にできることではない。

 ところがこの男性は、魔力マナが枯渇した状態で、さらに生命力を強引に魔力マナに変換して放出しようとしているのだ。


「あの、とにかく魔力マナの放出を止めてください。このままでは……」

「ああ……ダメなんだ。俺ではどうにもならない……せっかく逃げ出せたのに……」


 がくり、と男性の意識が落ちる。

 ところが、まだ魔力マナの放出が止まらない。


「コウ、このままでは……!!」

「分かってる!」


 コウは法術によって魔力マナの譲渡を行った。

 規格外の法術士であるコウは、魔力マナの蓄積量も桁外れに大きい。

 魔力マナの譲渡を受けた男性は、放出こそ止まらないが、生命力を削る状態は止まったらしい。


「なんでこんなことに……?」

「エルフィナ、これ、何だと思う?」


 コウが示したのは、男性の右手の甲にある模様。

 それはどう見ても、法印だ。


「まさか……天与法印セルディックルナール?」

「にしか思えないな。ただ……こいつが常時魔力を吸い上げようとしている。こんなことはあり得ない」


 天与法印セルディックルナールについては詳しくないが、少なくとも普通の法印具ルナリヴァに刻まれた法印ルナールが、勝手に魔力を装備者から吸い上げることはない。

 意図して文字ルーンに『充填』しない限り、法印ルナールはただの模様でしかないのだ。


 だが、男性のそれは、明らかに常時魔力を吸い上げようとしている。

 それも、強制的に。

 だから、生命力が無理矢理魔力マナに変換されて、こんな瀕死の状態になったのだろう。

 正直、あと一時間発見が遅れていたら確実に死んでいた。


 コウはしばらく考えると、男性を担ぎ上げ、馬車に乗せた。


「どうするんです?」

「連れて行こう。魔力マナを分け与えただけで、あの放出速度からすれば、半日で同じ状態になる。もっと時間をかけてちゃんと診る必要があるし、もしかしたら、グライズ王子のやろうとしていることが分かるかもしれない」


 コウは急いで砦に戻る道を走る。


(一体何が起きているんだ……この国で。それに、この天与法印セルディックルナールは、一体どういうものなんだ……)

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