第114話 天与法印の影響
コウ達が砦に戻ってくる少し前に、メルヴィンが戻ってきたらしい。
コウとエルフィナがジュラインに報告するために彼の部屋に行ったところ、ちょうど、メルヴィンと話しているところだった。
「おお、戻ったか……その人物は?」
コウが抱える眠っている男性を指しているのだろう。
コウは事情を説明すると、メルヴィンがすぐ請け負ってくれた。
「処置が適切だったな。多分ほどなく目を覚ますだろうが。ジュライン翁、ここにいる全員を集めてくれ。詳しく状況を説明する」
「わかった……が、そちらの方は何とかなりそうか?」
「ああ。今の状態なら問題はない。すぐ回復するだろうから、話を聞かせてもらうべきだろう」
メルヴィンはそれだけ言うと、眠っている男性をコウから受け取り一度部屋を出て行った。
「すまんがコウ、皆に声をかけてもらえるか。広間に集まるように、と」
「わかった」
メルヴィンはあの男性のことを話した瞬間に『処置が適切だった』と言った。
ということは、あれがどういう状態か、わかっているのだろう。
エルフィナも同じ考えの様だが、どう考えてもいい話ではないだろうとも分かる。
不安を感じつつも、コウとエルフィナは他のメンバーに声をかけていくのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コウが今朝連れてきた人物は、すぐ気付いたらしい。
ただ、今はまだいいが、すぐ休ませた方がいいらしく、メルヴィンの話より先に話を聞くことになった。
コウ達が連れ帰った男性はラーツという名らしい。
王都近郊の住人で、グライズ王子の命令によって強制的に徴兵され、新たな法術兵となるための適性を検査されたという。
適性検査は一つだけで、よくわからない試験をやらされたという。
その結果、合否が言い渡され、ここで不合格となった場合は、別の場所に行かされたらしい。合格率は七割程度だったという。
その試験の内容を聞く限り、おそらくは法術をくみ上げるセンスの様なものをチェックしているように思えた。彼は普段から法術を使いこなしていたため、この検査に合格となって、王都近くの砦に連れていかれたという。
砦へ行く際は、窓のない馬車で連れていかれたので、正確にはどこへ行ったかは分からなかったらしい。
しかも覚えているのは、その砦に着いたところまで。
気付いたら、右手が石に覆われていて、それがすぐ外された。
そこに
その上で、グライズ王に忠誠を尽くし、国のために戦いアルガンド王国を討て、と命じられたという。
だが、彼は元々戦争に反対だったので、グライズ王子には到底賛成できなかった。
そして付与された法印には、彼が元々使いこなしていた
奇妙なことに、それほど追手はかからなかったという。
彼は兵に見つからない様に必死に逃げたのだが、途中ですさまじい脱力感に襲われ、倒れてしまったらしい。
そこまで話してくれたところで、彼は大分つらそうにしていたので、今は別室で休んでもらった。
寝台に横になった瞬間に意識が落ちていたので、相当にきつかったのだろう。
そして戻ってきたメルヴィンは、先ほど以上に深刻な表情をしていた。
「コウ殿は推測出来てるようだが、あれがあの
「そんな欠陥品ではどうしようもなくないか」
スライトの言葉に、メルヴィンはあっさりと頷いた。
「そうだな。普通なら使い物にもならない欠陥品だ。なんせ普通の人間では、埋め込んでから、長くてもせいぜい二日で死んでしまう」
メルヴィンはそこで言葉を切ると、小さな瓶を取り出した。そこには、白い液体――あの遺跡でも見た記憶がある――が入っていた。
「そこでもう一つ、このレヴァルタと呼ばれる薬の出番なんだ」
その名前はコウも記憶がある。
レヴァルタとは『
コウは使ったことはないが、冒険者では緊急用に持っている者も多い。
ただ、この薬には欠点がある。
服用してから一時間程度で、凄まじい疲労感に襲われ、まともに立ていることすらできなくなるのだ。その状態は、大体
このデメリットがあれど、緊急時には非常に役立つため、ごく少量を冒険者相手にのみ販売している。
「このレヴァルタを継続投与すれば、魔力欠乏で死ぬことはない。で、あまり知られていないんだが、このレヴァルタにはもう一つ副作用がある。それは、継続投与し続けると、気力が失われて判断能力や感覚が大幅に低下するんだが、一方で魔力の蓄積限界がある程度まで上がって、体力の欠乏には耐性がつくんだ。つまり、普通に起き上がることはできる。ひどい言い方をするなら、判断能力が著しく損なわれた、大きな魔力を持つ人間が完成する」
「……聞きたくないんじゃが、それはつまり、今回の場合は
ジュラインの言葉に、メルヴィンが頷いた。
同時に、その場にいた全員が理解した。
これこそが、グライズ王子、ひいては『再戦派』の切り札。
数千人からなる、通常より大きな魔力蓄積量と
しかも感覚が鈍くなっているというのは、痛覚も含まれる。つまり、判断力を失っているために死の恐怖を感じず、痛みにも動じない強力な法術兵が出来上がる。
さらに言えば、さすがに千人単位で同一の強力な攻撃法術を使える部隊が運用されたことは、大陸史上でも存在しない。
個人毎に使える法術に偏りがあり、攻撃法術の使い手の数の少なさも相まって、同一の法術を用いる部隊というのはまず例がない。十人程度ならともかく、千人単位はまずありえないだろう。
だが、この
しかも、レヴァルタによって魔力は通常よりも多く、かつ死を賭してまで法術を使うことを可能にしている。
アクレットやコウの様な規格外の存在を別にしても、法術の威力が普通の人より大きい法術士というのは、基本的に蓄積できる魔力が大きい。だが、レヴァルタで過剰に魔力を蓄積した千人からの法術兵部隊であれば、アルガンド側が想定する以上の戦力たりえる。
「ただし、その状態はせいぜい半年から一年。その後は、たとえレヴァルタを投与しても、魔力補充にすら耐性がついてしまって、効果がなくなる。そうなれば……」
魔力を吸い続ける
しかもグライズはこれを、キルシュバーグをはじめとしたほとんどの民に対して実施しようとしている。
「従兄殿は正気か。そんなことをして戦争に勝ったところで、国が滅んでは意味がないだろうに!!」
フィルツ王子の言葉は、誰もが同意するところだ。
だが、時として為政者は、国が亡びることすら厭わずに己の名声を求めることがある。グライズ王子は、まさにその状態なのだろう。
史上初めて、アルガンドから戦争で勝利し、領土を奪った王。
もしそれが出来れば、彼はバーランドの歴史に燦然と輝く名を刻むことができる。
だが、その代償はおそらくボロボロになったバーランドだ。
いや、あるいはもう滅んでいると言っていい状態になるかも知れない。
その程度のこともわからなくなってるのかと思うと、あきれてしまう。
さらに、コウはもう一つ嫌なことに気付いてしまった。
あの天与法印を刻んでいた遺跡で、あそこにいた法術士は、成功率は三人に一人と言っていた。
つまり、三人に二人は、適合者ではない。
適合しなかった者がどうなるのか。あの場では『廃棄』と言っていなかったか。
おそらく、あの砦ですでに五千人がこの術式の対象になっている。
そのうち、三人に一人、つまり三千三百人あまりは、適合者ではなかったということだ。
その『適合』の条件は何か。
現在のところ、ラーツはコウが分け与えた魔力で何とかなっている。
連れてきた男は、皮肉だがレヴァルタが生み出す魔力で生命力を消費していない。
この二人が何とかなっているのは、
それはつまり――。
コウのその説明に、一同は愕然として顔を見合せた。
すでに
適合しなかった人数は、推定で四千五百人以上――。
「もはや、一刻の猶予もない。少なくとも、術式の解除を行わなければ、キルシュバーグが死の都になるぞ!!」
ジュラインが声を荒げる。
全人口の一割、それも働き盛りの人間ばかりがを徴兵するだけでも、都市機能が麻痺するような愚挙だが、そのうち三人に二人が死ぬ可能性があるとなれば、それは都市が滅ぶに等しい。
さらにそこに、悪い知らせが舞い込んできた。
「領事!! 本国からの連絡です。バーランド国境にて、複数のルートからバーランド軍が国境を出るのを確認したとのことです」
「なんだと!?」
「まだ、緩衝地帯から出てはいませんが、明らかに侵攻する意図を持って進軍してると思われます。その数、およそ一万とも」
バーランドとアルガンドの間には、
このエリアは、どちらの軍が入っても国境侵犯とはみなさないが、入ることは基本的に禁止されている。
国外へ逃亡する犯罪者などを追う場合にたまに軍の部隊が入ることがあるが、原則、可及的速やかに立ち去るのがルールだ。
そこにまとまった軍を送るのは、明らかな敵対行為である。
「アルガンド側でも、既に国境各所に軍を配備。推定で、おそらく五万。激突も時間の問題と思われます」
最悪に最悪が重なる。
一度戦端が開いてしまえば、もはや後戻りはできない。
王都で徴用した法術兵の補充を待つくらいの時間はあるかもしれないが、おそらくそれも半月と必要としないだろう。
それに、行方不明となっていた五千人の内、推定で千五百人前後は、すでに前線に配置されている可能性が高い。
それで一当たりする可能性は十分考えられる。
だがアルガンドは、容赦なく侵攻して来たバーランド軍を迎撃するだろうし、そうなれば犠牲者は数百、数千の単位で膨れ上がる。
だが、バーランド軍に、文字通り死兵の法術兵がいるのであれば、アルガンドの被害もおそらく軽視できない。
壮絶な死闘が展開されることになる。
ようやく先の戦争の影響を脱しつつあるバーランドにとっては、戦争に勝っても負けても、致命的な影響が出るだろう。
そもそも勝てればというが、バーランド軍が総勢で一万程度の戦力に対し、アルガンドは既に五万もの兵力を配置しているという。最終的には十万は用意できるはずだ。
地の利もないので勝負になるはずがない。
たとえ、
あるいは民衆を法術兵にして数を補うのだろうが、仮に五万の法術兵を用意するために必要な民衆の数は、単純計算で十五万。
しかもそのうち十万人は戦うことなく死ぬことになる。
それでもおそらく、法術に対して万全の備えをしているアルガンド軍に勝てる可能性は、ほとんどない。
そしてアルガンド側にも小さくない犠牲が出れば、当然その損賠賠償は二十年前の戦争と同じか、それ以上になる。その負担を強いられるのは、バーランドに住まう人々だ。
「ことここに至っては、冒険者ギルドとしてできる最大限の行為を行う」
ジュラインはそういうと、一度部屋に入っていく。戻ってきた時、手には小さな筒を持っていた。
さらに、筒から紙を取り出すと、それにペンで追記していく。
それは、これまでの経緯を記載しているようだった。
やがて書き終わると、筒を紙に立てて、魔力を篭める。
すると、まるで押印した様に、冒険者ギルドの紋章が浮かび上がった。
さらに再びその紙を筒に入れると、再び魔力を籠める。
ややあって、筒が光り輝いた。
「これは……?」
「冒険者ギルドにおける、非常事態宣言のようなものじゃ。特定の資格を持つギルド長にだけある権限で、このギルド印を用いて決済した内容は、即座にそれぞれのギルド長に共有される。そして、その全ギルド長の承認を以って、ギルドの非常大権の発動が許される」
「ギルドの非常大権か」
冒険者ギルドに加入する時に見た規約の最後に記載があった。
発動条件は別途定めるとされた、冒険者ギルドの非常大権。
本来、冒険者ギルドは国の行動には介入できない。
だがこれは、その例外規定で、ありとあらゆる介入を実施するというもの。
その内容は――。
「指定した対象を災厄とみなし、冒険者ギルドの全能力を以って排除する、というものだったか」
「うむ。だが……過去の発動は強大な魔獣であったり、あるいは人間であっても、民に徹底した非道を強いる、悪逆な者に対してじゃった。だが今回は、仮にも『国王』を名乗る者を対象とすることになる」
正確には、過去に事例がないわけではないらしい。
ただ、その場合も国民を虐殺するなど、明らかに討伐しなければならないという対象だった。
だが今回、少なくとも表向きにはまだ、そこまでの事態にはなっていない。
「事情は記載している。各地のギルドがこれをどう判断するか、じゃが……」
ジュラインは筒から紙を取り出した。
程なく、紙の下部に印影が浮かび上がった。
一つ二つ、とそれらは次々と紙面を埋めていく。
そして最後に、中央の大き目の押印欄にも、ギルドを象徴する紋章の印影が浮かび上がった。
「これは……」
「必要な全ギルド長の承認がおりた。これで、冒険者ギルドは、討伐すべき対象として、グライズ王子を災厄と認定したことになる」
冒険者ギルドとグライズ王子の全面対決が、ここに始まろうとしていた。
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