第120話 激闘の末に

 エルフィナが、首飾りを包むように両の手を合わせた。

 そして、その中に宿る精霊達に対して、呼びかける。


「お願い、みんな。力を貸して――」


 直後、凄まじい力が顕現した。

 エルフィナの周囲に、風、火、砂塵、水の嵐が吹き荒れる。


『ヌ……精霊、カ――』

「《意思接続ウィルリンク》――!!」


 悪魔ギリルが発したのは、言葉ではなく意思。それは、コウが使う《意思接続ウィルリンク》とほぼ同じ効果だ。

 異世界からの来訪者だという竜も使うことを考えると、この世界における異世界コミュニケーションの基本能力なのかもしれない。

 ただ、悪魔ギリルの意思は、それ自体がひどく歪なイメージで、すんなりとは理解できないが、意味は分かる。


「――!!」


 エルフィナが精霊に何か命じたのだろう。

 直後、荒れ狂う精霊の力が炎と風の二つの濁流となって、悪魔ギリルに襲い掛かる。

 その力は、第一基幹文字プライマリルーンを用いた攻撃法術に等しい。

 だが――。


 バァンという、まるで巨大な風船が割れるような大きな音と共に、その濁流が消し飛んだ。

 半瞬遅れて、その衝撃が謁見の間に吹き荒れる。


「なっ!?」


 僅か一撃。

 それで、精霊の力が吹き飛んだ。

 濁流が到達する寸前、悪魔ギリルが右手をかざし、何かを放ったように見えたが、それで精霊の力が相殺されたというのか。


『ヌゥ……サスガ精霊。今ノ一撃ヲ打チ消スカ』


 だがどうやら、向こうにとっても、精霊の力は予想より大きいらしい。


「エルフィナ、援護を頼む!!」


 コウはそれだけ言うと悪魔ギリルに向かって距離を詰める。

 直後、コウのすぐ上を炎の嵐が吹きぬけた。


『人間ゴトキガ――』


 悪魔ギリルにとって、武器で向かってくる人間は脅威ではないと判断したようで、コウの動きは無視して、炎を防ぐ――と見せかけて、その炎を弾いてコウに叩きつけてきた。


「コウ!!」


 叩きつけられた炎は、床を焼いて四散する。

 だが、その炎を割って、コウが悪魔ギリルに肉薄した。


『ヌ……!?』


 悪魔ギリルからしても、まさか精霊の炎に包まれて突破してくることは、予想外だったのだろう。

 反応が完全に遅れていたが、まだ悪魔ギリルは気にした様子はなかった。

 通常の武器で自分を傷つけられるはずがないからだ。


 対悪魔ギリルの術が付与された武器は、赤い輝きを放つという特徴がある。

 それを、この悪魔ギリルは知っていた。

 だが、自分に迫る男が持つ武器にそのような現象はない。

 ならば、自分を傷つけられるはずがなく、男の行動は全くの無意味だ。

 炎に包まれて無傷で出てきた理由が一瞬気になったが、それでも意に介する必要はないと考え――直後、その考えを後悔することになった。


『グアアアアア!!』


 コウの振るった刃が、悪魔ギリルの左腕を文字通り切断した。

 肘から先の悪魔ギリルの腕が床に落ちる。

 しかも、床に落ちた腕は、まるで世界に在ることを拒絶されたかのように、霧散し、消滅してしまう。


『キサマ!!』


 悪魔ギリルが翼を羽ばたかせ、暴風にも等しい風を巻き起こした。

 コウは何とか踏みとどまろうとするが、体勢が悪く吹き飛ばされてしまう。

 危うく柱に激突しそうになるところを、エルフィナの風が受け止めてくれた。同時にエルフィナも前に出てきたようで、二人並んで悪魔ギリルを睨む。

 その間に、悪魔ギリルもコウ達との距離を取っていた。


「この刀なら、やはり効果はあるな」


 斬った感覚は魔幻兵ガルディオンのそれに近かった。

 魔力の塊とのことなので、あるいは本質的にはアレに近いのかもしれない。

 法術を浴びたら終わるというほどの存在ではなさそうだが、硬さに限るなら魔幻兵あれよりは遥かに柔らかい。


『ナンダ、ソノ武器ハ』

「さあな。お前らの天敵じゃないか?」

『人間ゴトキガ!!』


 伝わってくるのは、明確な殺意。

 意に介していなかった人間に傷を付けられて、激昂したらしい。


「エルフィナ、援護を頼む。こいつで切り刻む」

「はい!」


 エルフィナの返事と同時に、コウが一気に駆け出す。

 風の精霊の援護を受けたその踏み込みは、人間ではありえない速度で、悪魔ギリルに肉薄した。


『ヌ――』


 悪魔ギリルの右腕の爪が伸びて、両手持ちの剣にも等しい刃を形成、コウの刀を受け止める。

 僅かに刃が爪に食い込むが、切断するには至らない。

 数回、剣戟が続く。

 膂力は悪魔ギリルが段違いに上ではあるが、接近戦の技量そのものは、コウからすれば高くなかった。

 魔幻兵よりな程度だ。


『オノレェ!!』


 苛立ったような、悪魔ギリルの横薙ぎの大振りの攻撃。

 まともに受ければ、その膂力の差から吹き飛ばされるのは確実なそれを、コウは受け止めると見せかけて、刃の角度を調節。完全に受け流そうとして、途中でわざと幾分吹き飛ばされるように後ろに飛んだ。

 結果、力を込めた大振りが終わった時、コウの前に無防備な悪魔ギリルの姿があった。彼我の距離は四メートル八カイテルほど。

 コウは姿勢を低くして、懐に手を入れる。そしてそこにあったものに触れ――。


「[縮地]」


 距離がわずかに空いたことで油断したであろう悪魔ギリルとの間合いを、一瞬でつめた。そして悪魔の左側に迫る。

 その速度は、いかに人外の存在である悪魔ギリルといえど、対応できない。

 大振りでがら空きの状態で、しかも左腕はすでに失っているので防御は不可能だ。

 コウはそのまま駆け抜け、すれ違い際に悪魔ギリルの左腹部を深々と斬り裂いた。


『グアアアアア!!!』


 深々と抉られたわき腹は、しかし血が滴るようなことはない。

 ただ、痛手を与えたのは確からしい。

 さらにコウは、駆け抜けた直後に急制動をかけて、足を踏ん張ると、身体を反転させた。

 わき腹に深手を負った悪魔ギリルは、まだ体勢を立て直していない。

 そこに、コウはなんと刀を投擲した。


『ヌ!?』


 自分を傷つけられる刃を無視することは当然できず、悪魔ギリルは矢のように飛来した刀を、かろうじて弾き飛ばした。

 だが、これであの男は武器を失ったはずと考え正面を見ると――。

 コウの姿は、そこにはなかった。


『ガアアアアアアア!?』


 直後悪魔ギリルの背中に激痛が走る。


 コウは、投擲した刀に気を取られた悪魔ギリルの隙をついて、再び[縮地]を用いて、悪魔ギリルの背後に移動。そして即座に悪魔ギリルに弾かれた刀を『手元に戻して』悪魔ギリルの左翼を斬り落としたのである。

 この翼で飛んでいるのかは分からないが、バランスは悪くなるに違いない。


 悪魔ギリルはもう一度、右腕の爪を大きく横薙ぎに振るうが、その時にはコウは十分な距離を取っていた。

 悪魔ギリルはそれを見て、炎の魔力を炸裂させようとし――。


「させません!!」


 悪魔ギリルがエルフィナから完全に注意をそらした瞬間に、光と風の刃が炎を纏って炸裂し、悪魔ギリルの全身がズタズタにされる。

 エルフィナの精霊の力だ。

 並の魔獣なら一瞬で絶命するほどの破壊力。

 それを直撃しても消滅しないのはさすがだが、さすがに無傷のはずはなく、ダメージは小さくない。


『キ、サマラ……!!』

「俺たちを同時に相手にしたのが運の尽きだ」


 エルフィナの攻撃によって、悪魔ギリルの動きが止まった一瞬の隙を、コウは見逃さない。

 三度みたび[縮地]で踏み込んで振り抜いた刀が、悪魔ギリルの左脚を切断した。


 悪魔ギリルの体がかしぐ。

 左腕、左脚、左翼を失い、悪魔ギリルがバランスを崩して倒れた。

 さすがにその状態では、すぐに体勢を立て直せない。

 そこにコウは、大上段から刀を振り下ろそうとさらに踏み込んだ。


 油断していたわけでは、なかった。

 ただ、この時コウは、完全にその男――グライズへは意識を向けていなかった。

 だから、その男が自分に向けて何かをしようとしていたのを、視界の端に捉えていても、それ以上の対応をしようとはしなかったのだ。


 一方、エルフィナは、コウに害なす存在をただ、注視していた。

 だからこそ、グライズの動きにも気付き、そして強烈な悪寒を感じ、それがと直感した。


(あれは、何?)


 何かは分からない。

 グライズが取り出していたのは法術符クリフィス

 見た目にはただの法術符クリフィスだ。だが、そこから感じられる悪寒は、尋常なものではない。

 あれは、だと確信できる。

 今から矢をつがえても、その行動を阻止は出来ない。精霊行使エルムルトも間に合わない。

 間に合うとすれば――。

 直後、エルフィナは風の精霊の力を借りて、全力で飛び出した。ほぼ同時に、グライズの持つ符から『何か』が放たれる。


 それと同時に振り下ろされたコウの刃は、悪魔ギリルが何とか防ごうとした残る右腕ごと、頭部を半ば以上切断した。

 直後、刀を振り下ろしたコウに、薄暗くかすれるような仄暗い光の塊が迫る。


「!?」


 体勢的に回避することは不可能なその光が、コウに向けて真っ直ぐ飛来し――突然、コウからその光が見えなくなった。射線上にエルフィナが割り込んだからだ。

 エルフィナは即座に精霊の力を叩きつけるが、光は全く影響を受けずに進み――エルフィナの身体に光が吸い込まれる。


 直後。


「コ……ウ……」


 がくん、と。

 まるで糸が切れた人形のように、エルフィナの体がくずおれる。


「エルフィナ!?」


 コウは悪魔ギリルへのトドメも行わず、刀を手放しエルフィナを抱きかかえた。

 だが――。


「エル……フィナ……?」


 抱きかかえられたエルフィナは、しかし何の反応も示さない。

 コウは慌てて、彼女の手首に触れ――愕然とする。


 エルフィナの心臓は――動いていなかった。

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