第121話 神の呪い

 何が起きているのか理解できなかった。

 慌てて呼吸を確認してみても、そちらもない。

 まだわずかに温もりのあるエルフィナは、しかし呼吸をしておらず、心臓の鼓動も感じない。

 閉じられた目は、開く気配はない。

 心肺停止。ほぼ死亡状態だ。


 この場で法術は使えない。

 仮に使えても、グライズは法印を所持していなかった。

 だから、これは通常の法術による結果ではなく――符の力だ。


 しかし、突然人の生命を奪うなど、尋常な術ではない。

 現代日本の知識を持つコウは、少なくとも傷もなしに人間を即死させるようなことが、そう滅多なことで起きるはずがないことを知っている。

 少なくとも、心肺が同時に止まるようなことは、通常あり得ない。


 エルフィナの外傷もなく、吐血などしていない。つまり、内臓が傷つけられたわけでもない。

 脳幹が損傷した場合はその限りではないが――だがいずれも、はずだ。


 法術で、人の内側に直接効果を及ぼすのは、相手の同意がない限りは第一基幹文字プライマリルーンかそれと同等の力を持つ法術でなければ、ほぼ不可能だ。


 そしてどのような法術だろうと、それが第一基幹文字プライマリルーンを用いた法術だとしても、意志を持つ相手の内側に損傷を与えることはできない。

 それは絶対だ。

 命を奪うのであれば、基本的には強力な攻撃法術で外傷を与えるしかない。


 コウの使う精神へ影響を与える法術でも、それが直接損傷を与えるものではないから、効果がある。直接相手の精神を破壊するようなことはもちろん、相手の内側に損傷を与えるようなことは、法術には絶対にできないのだ。

 即死系などの法術が存在しない理由でもある。


 だが今、目の前でそれが起きた。


 心臓発作でも、実際に呼吸が止まるのには、一分ほどかかる。

 だが、今エルフィナの呼吸は既に停止し、心臓も動いていない。

 これは、法術またはそれに類する効果によるものだ。

 ならば、解除の可能性だってある――と考えて、コウは絶望的なことに気付いた。

 今この場は、排魔の結界によって、法術が一切使えない状況になっている。

 使えるのは、事前に符に篭めてきた術だけだが、篭めてきたのは防御や戦闘補助、怪我の治療のためのもののみ。


「は、ははははは!! 愚かな!! 新たな王となる我に逆らうからだ!! 我は、大陸東を制する、新たなる帝王たるぞ!! それを――」


 耳障りな声が謁見の間に響く。

 コウのすぐ近くでは、腕と足、さらに頭を半ば切断された悪魔ギリルが、それでもなんとか立ち上がろうとしてるが、コウの意識にそれらは入ってこなかった。


 この場は排魔の結界の影響下にあるが、法術を使えないだけ。

 とにかくまず、エルフィナの状態を確認する必要がある。

 使われたのが法術であれば、魔力マナを捉えて解析すれば、術の正体がわかるかもしれない。


 意識をエルフィナに集める。

 とたん、強烈な波動がコウの感覚を揺さぶった。


「な……!?」


 その力の強烈さは、第一基幹文字プライマリルーンをも上回るほど。

 それほどに強大な力が、エルフィナの心臓と肺を押さえつけているのが分かった。


「神の領域――」


 第一基幹文字プライマリルーンを超える力を持つ文字ルーン

 神々が世界を構築する際に使った、ともされる究極の文字ルーン

 法術の教本などで、ある種の伝説として、存在する可能性が記載されていたのを見た記憶がある。

 この力がそれであるという確証はない。

 だが、この力は明らかに第一基幹文字プライマリルーンを超えている。

 それが、エルフィナの心肺を止めていた。


「諦めてたまるか」


 この状況をどうにかできる方法があるとすれば、やはり法術しかない。

 心肺蘇生法はコウも知ってはいるが、どう考えても異常な方法で『止められた』心肺を復活させることが出来るとは思えない。

 このままでは、心臓マッサージを行っても、絶対に失敗する。

 まず、この法術を解除しなければならない。


 ならば――。


(俺になら、この状況でも法術を使えるすべがあるはずだ)


 学院祭で、生死の間際に使った法術。

 あれは間違いなく、排魔の結界の影響下で使われた、コウ自身の力だ。

 だとすれば、自分にも天与法印セルディックルナールがあるのか、あるいは使のか、どちらかだ。

 思い出せ。

 あの時自分が何を考え――そしてどうやって法術を使ったのかを。


 意識を内側に向ける。

 探せ。

 彼女を救うための力を。

 探せ。

 大切な仲間を失わないための力を。

 探せ。

 守ると誓った、かけがえのない女性を救うための力を――。


 一体どれほどの時間が過ぎたのか――あるいはそれは刹那の時か。

 コウは唐突に、自分の中にを見出した。

 それは、認識すれば、それに気付けなかったことが不思議になるほど、はっきりと――そこにが在った。


 魔力を送る。

 一瞬で法術が組み上げられ、エルフィナの状態を把握した。

 心臓、停止。

 肺呼吸、停止。

 だが、生命力は、まだ失われていない。


 そしてエルフィナの心臓と肺の動きを止めているのは、第一基幹文字プライマリルーンすら超える力。


「知ったことか――」


 それが何であれ、理不尽には抗う。

 たとえそれが、神だろうが、なんであろうが。

 守ると決めた。共にあろうとした。

 力及ばずとも、一点を抜けば可能性はある。


 諦めるという選択肢だけは、あり得ない。

 自分の手が届く大切なものは、何が何でも守ると、そう決めている。

 その存在を奪うというのなら――。


「世界全てを使ってでも、!!」


 その時、コウの内側にあるから、膨大な力を持つ文字ルーンが『認識』された。

 それは、第一基幹文字プライマリルーンをも超える、力の連なり。

 今エルフィナを縛る力と比しても、なんら遜色のないほどの力が、にはあった。


 しかも、その膨大な力の使い方が、なぜかわかる。

 これなら――。


万象全ての力の消失を命ずる神の力だろうが消えてしまえ!!」


 法術クリフが構築される。

 あらゆる力を打ち消すその法術クリフは、エルフィナを捉える力に絡みついて、その力を奪っていく。

 エルフィナの心肺を抑えていた力は、あっという間に消失した。

 直後、コウは別の法術を組み上げる。

 それは、現代でいう心肺蘇生のための効果を、より確実に組み上げた術。

 そして――。


「ゴホッ、ゴホッ……え……あれ、わた、し……?」


 エルフィナがせき込んでから、目を開いて不思議そうにしている。

 心臓と呼吸が停止してから、実際の時間としては一分も経ってない。

 少なくとも、彼女の命は助かった。


「エルフィナ!!」

「コウ……ちょっと、苦しい、です……」


 彼女を強く抱きしめる。

 彼女の声が、僅かな鼓動が、温もりが、彼女の生存をコウに実感させた。


「私、いったい……?」

「今はちゃんと休むんだ。もう、終わるから」


 エルフィナの戸惑うような声が、今はとても嬉しい。

 彼女が助かったことを、何よりも強く実感できる。


 ただその一方で、ひどく狼狽している者がいた。


「ば、バカな!? 神の力を用いた呪いだぞ!?」


 グライズだ。

 そもそも、仮にここでエルフィナを殺せていたところで、悪魔ギリルはすでに死に体で、排魔の結界の影響下ではグライズ本人は無力だ。

 つまり逆上したコウに確実に殺されていたのだろうが、その認識すら本人にはなかったらしい。すでにまともな判断力すら残ってないのだろう。


 悪魔ギリル召喚というのが、あるいは術者に何かしらの影響を与えるのかは、コウにはわからない。

 だがいずれにせよ、ここでこの男を見逃す理由は、コウにはなかった。


 コウはエルフィナを横にして休むように言い含め、立ち上がる。


「グライズ、お前のことは後で聞くが――」


 コウはグライズから視線を外し、両腕に片足片翼、さらに頭半分を失った悪魔ギリルへと向き直った。

 頭が半ば欠けてもまだ動けるのは、さすがは異界の生命体というところか。


『キサマ……何者ダ』


 悪魔ギリルは既に、傷口から崩壊が始まっていた。

 やはりこの刀には、こういう存在を滅ぼす力があったようだ。


『ソレハ、世界ノ……イヤ、ソウカ、貴様がノ切リ札トイウコトナノカ……』


 悪魔ギリルはその言葉意志を最後に、ぐずぐずと崩れ、消滅した。


「貴様、一体何なんだ。悪魔ギリルを滅ぼし、神の呪いを破るなど、ありえん!! ありえてたまるか!!」


 グライズが再び先ほどの符を構え、同じ術を用いようし――しかし何もおきなかった。

 法術符クリフィスは、法術を篭めておける便利な道具だが、基本的に使い捨てである。

 つまり、一度使った法術符クリフィスを、もう一度使うことはできないのだ。

 それにも気付かず、グライズは必死に符を使おうとしていた。


「もう無駄だ」

「ひっ!!」


 グライズが後ずさり、その分コウが歩みを進める。


「貴様の命運もここまでだ。あとは、冒険者ギルドと神殿、あるいはフィルツ王子に任せる。だが――」


 エルフィナに視線を移すと、エルフィナは再び意識を失っていた。

 だが、生きていることは分かるので、コウは安心したように少しだけ穏やかな表情になった後、グライズに再び向き直る。


「この程度の礼は、させてもらう!!」

「や、やめ……!!」


 ゴッ、と鈍い音が響いた。

 コウが全力で振り抜いた拳は、グライズの顔面を捉え、グライズはまるで独楽こまのように回ると、そのまま地面に無様に転がる。


 それが、このバーランド争乱の締めくくりであった。



―――――――――――――――――――――――――

さすがにこれでエルフィナがリタイアとかなったら……

ヤバイですね(ぉぃ

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