第119話 悪意との対峙

「ふん、まさかこうも早く私の前に来る者がいるとはな。地下もまだ突破されてないはずだが、私の知らぬ抜け道が他にもあったのか?」

「従兄殿こそ、お一人とは思いませんでした。ですが、もうここまでです。アルガンドとの戦争など、愚か過ぎる行為です。そもそも、なぜここまで強行されたのか。神殿や冒険者まで敵に回して、この国をどこに向かわせようというのですか」

「フィルツ、ずいぶん大きく出たな。多少剣の腕は立つのだろうが、それで俺より優れているとでも言いたいのか?」


(……落ち着きすぎている)


 コウは、グライズの様子に違和感を覚えた。

 グライズは、目の前に現れた『敵』に焦った様子もなく、平然としている。

 だが、この部屋も排魔の結界の影響下にあることは確実で、それはつまり、普通には法術を使えないことを意味する。

 使えるのは天与法印セルディックルナールか、事前に用意してある法術符クリフィス法術具クリプトだけだ。


 グライズ王子は卓越した法術の使い手だと聞くが、天与法印の持ち主ではない。

 天与法印を付与する技術はあるが、アレのリスクは相当に高い。

 それを彼が、自らにするとは思いにくいし、第一彼からは法印の気配はない。

 彼は、そもそも法印を装備しておらず、かといって剣の腕が立つということも、ないはずだ。

 さすがに法術具クリプト法術符クリフィスの有無はわからないが、法術符クリフィスにそんな強力な術は籠められない。少なくとも、今のコウとエルフィナなら、どうとでも対処できる。

 そして攻撃法術を籠めた法術具クリプトというのは滅多に存在しないし、威力もかなり低いものだ。


「従兄殿。もはやこれまでです。貴方が法術に優れているのは知っていますが、この場は他ならぬ、貴方が仕掛けた結界で法術は使えない。そして、剣では私はもちろん、私より優れた冒険者たちには到底敵わないでしょう。降伏し、伯父上陛下を解放してください」


 今回の勝利条件は、グライズが敗北を認め、イルステールへ王位を返上することだ。そうなれば、イルステールは軍を止めてくれるだろう。

 この状況になっている以上、彼に対抗策などあるはずはなく、抵抗すら無意味。

 そして冒険者としては、最悪、彼を殺害することすら許可されている。

 にもかかわらず、グライズは観念したようには見えなかった。


「……それだ、その態度だ、フィルツ。お前はいつも、私を見下していた! 蔑む様に!! 私は、それがいつもいつもいつもいつも……いつも腹立たしかった!!」

「従兄……グライズ兄……?」

「お前に『兄』などと呼ばれたくもない!! 両親の地位が多少違うとて、年齢は私が上、そして優れた法術士でもあり、王位を継ぐのになんら不足ない私が! それでなぜ、お前が継承権第一位で、私が第二位となるのだ!?」

「……どういうことでしょう、コウ」

「なんとなく分かった気がする」


 おそらく、これはグライズとフィルツの問題だ。

 フィルツは、この短い間に接しただけでも、その好人物ぶりは良く分かった。

 街などで情報を集めていた時も、フィルツ王子なら戦争なんて起こさないだろうに、という声は少なからずあった。

 それに加えて母親が継承権を持たないとはいえ、身分が違う。父親もこの国の最大の貴族の一人。

 それらが総合的に勘案された結果、年齢を差し置いてフィルツが第一位の継承権者として指名されたのが、あの王都で騒乱が起きた日。

 それが、グライズ王子がこの暴挙に出る最後の後押しとなってしまった。


 あるいは、ずっと同格とされていたことにも、彼の自尊心は傷つけられていたのかもしれない。

 これだけの準備をしていたということは、もうずっと、フィルツ王子を排して自分が王位を継ぐことを考えていたに違いない。

 そしてグライズは、気がする。


「だから私は嬉しいのだよ、フィルツ。お前を、今ここで殺せることがな!!」


 その攻撃に対応できたのは、ほとんど奇跡に近かった。

 直感的に危険を感じたコウが、ほとんど突き飛ばすようにフィルツを飛びのかせるのと、彼の立っていた場所が爆ぜたのが、ほぼ同時だった。


「冒険者風情が! 邪魔をするな!!」


 素早く体勢を立て直したコウは、そこにありえないものを見た。

 あえて表現するならば――。


「悪魔……?」


 呟いた言葉は日本語。

 これは単に、コウがそれを表現するこの世界の言葉を知らないからだ。

 ただ、まさに悪魔としか言いようがない存在が、グライズの背後から隆起するように現れたのだ。


「バカな!! グライズ兄!! それは、悪魔ギリルではないか!!」

悪魔ギリル?」

「『虚無の者ミュスタリア』とも呼ばれる、この世界と異なる世界から現れる存在です。悪意の塊のような存在で、悪意ある魔力ギルスベルマナとも云われ、『ギリル』と呼ばれています」


 エルフィナがコウの疑問に素早く答える。

 その間に、悪魔ギリルは完全に姿を現していた。


 その姿は、地球における悪魔そのものに思えた。

 《意思接続ウィルリンク》が『悪魔』と翻訳した様に、どうやらこの世界における悪魔と思っていいだろう。もっとも地球に悪魔は実在しないはずだが。


 三メートル六カイテル近くある巨躯に、黒いオーラがにじみ出ているような暗灰色の肌と、巨大な爪のある腕。足は形状こそ人のそれに近いが、その太さは体格を考慮しても段違いに太い。

 巨大な、石で出来たような翼が一対、背に生えている。

 捻じ曲がった角の生えた醜悪な面は、頬まで裂けている巨大な口があり、そこには牙といっていいものが大量に見え隠れしている。瞳はなく、黒洞のような落ちくぼんだそれの中に、毒々しい紫の光が輝いていた。

 全身はざらついた岩の様な外観をしており、その姿には嫌悪感すら感じる。


 ただ、強い。それだけは分かる。

 少なくとも、この悪魔ギリルから感じられる重圧は、ブラステインなどとは比較にならない。


「コウ。精霊珠メルムグリアを使います。悪魔ギリルはまともに戦える相手ではありません。通常の武器はまず通用しないとされていて、法術も効果が薄いとされてます。そもそも法術がまともに使えない以上、この状態では対抗策はほとんどないです。ただ……」

「あるとすれば、俺の刀か」


 火山で出会ったキルセアの話の通りなら、この刀は竜すら傷つけることが出来るという。

 竜と悪魔ギリルでどちらが格上かは分からないが、少なくとも目の前の存在がキルセアやヴェルヴスより強いとは思えなかった。


「フィルツ王子、下がっていてくれ。貴方を庇って戦える相手ではなさそうだ」

「し、しかし……」

「貴方の役割はここでグライズを倒すことではない。役目を全うして欲しい」


 コウの言葉に、フィルツは完全に納得したわけではないようだが、それでも後ろに下がった。

 実際、剣しか使えないフィルツに、悪魔ギリルに対抗する術はない。

 それが彼にも分かっているのだろう。


「エルフィナ。言い訳は後で考えるから、遠慮なしでいく」

「分かりまし……」


『ガァァァァァァァァァ!!!』


 突然、悪魔ギリルが吼えた。

 それは、咆哮というしかない代物だったが、まるで、目の前が真っ暗になるのではないかという強烈な魔力を込めた重圧を伴っていた。

 ありとあらゆる存在を恐怖で押しつぶそうとする意志すら感じられたそれを、だがコウは造作なく凌いだ。

 確かに強烈だったが、あの、ヴェルヴスの咆哮に比べたら、遥かに


 だが、振り返ると、エルフィナがふらついていた。

 慌てて駆け寄って支えると、意識は喪失していなかったらしい。すぐ、頭を振って顔を上げる。


「大丈夫か?」

「はい、もう大丈夫です。精霊が守ってくれましたし、次はもう確実に防げます。むしろコウ……生身で耐えられるってすごいですね。悪魔ギリルの咆哮は、人の心に強烈な負荷をかけて意識を奪うというのに」

「まあ、前にもっと強烈なのを経験してるからな。それに比べたら、だ」

「……あ、フィルツ王子は!?」


 二人が振り返った先で、フィルツ王子が倒れていた。

 さすがに彼は耐えられなかったらしい。

 壁際まで下がってくれていたので、この広い謁見の間なら巻き込まずに済むだろう。


「まあ、ある意味好都合か。エルフィナ、遠慮は無用だ」

「はい!!」


 コウが刀を構えて一気に駆け出す。

 その後ろから、エルフィナが牽制の矢を――なんといきなりグライズに向けて放った。


「ひぃ!?」


 さすがに距離があったからか、悪魔ギリルがその矢を爪で迎撃する一方、グライズは慌てて玉座の影に隠れる。だが、そのわずかに覗いた顔に、迎撃されたと思われた矢が突き刺さりそうになり――悪魔ギリルがかろうじてそれも防いで、グライズには紙一重で届かなかった。

 距離は軽く二十メートル四十カイテルはあったはずだが、なんとエルフィナは二本の矢を、ほんのわずかな時間差で放っていたのだ。

 ほとんど神業だ。


(さすがエルフィナ)


 これで、グライズは迂闊うかつなことはできないだろう。

 そして悪魔ギリルが矢を払ったそのわずかな間に、コウは悪魔ギリルに接近戦を仕掛けられる距離にまで移動していた。


「さて、これからだ――!!」


 法術が使えない中、コウとエルフィナと、未知の敵ギリルとの戦いが始まった。

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