第96話 バーランドの現状

「ありがとねぇ、旅人さん。おかげで助かったよ。ほれ、これもっていくといい。日持ちはするから」


 老婆はそういうと、簡素な包み紙に包まれたものをコウに手渡した。

 中身は、干した果実のようだ。


「ありがとう。でも、この辺りも物騒だから、気をつけてくれ」

「そうだねぇ。前は、駐留する兵士さんが対応してくれたんだけどねぇ……最近お国の方の大仕事があって忙しいって数が減っちゃってねえ。こういうところまで対応が回らないみたいんだよね」

「兵士の人も国のために頑張ってるんだと思う。では、お元気で」


 コウはそういうと、何度も謝辞を述べる老婆と別れた。

 程なく、エルフィナと合流する。


「そっちはどうだった?」

「水路にゴミが詰まっていただけでした。多分、長いこと整備されていなかったんでしょう。足腰の弱ったご老人にはちょっと行きづらい高台の上なので、普段見に行ってなかったのかと。そちらは?」

「似たようなものだな。畑に行ったっきり帰って来ない人がいる、というから捜索したら、道が崩れていて、怪我をしていた。幸い、大きな怪我ではなかったから簡易な法術で治癒したが」

「若い方、明らかに少ないですよね……この村も」


 バーランドに入って数日。

 コウとエルフィナはバーランドの現状を見るために、旅人として振る舞いつつ、王都を目指していた。


 当然、あまり目立たない方がいいだろうとはわかっているのだが、行く先々で困った人がいると助けたくなってしまう。

 ただ、それで気付いたことだが、国境が近いこの辺りの村は、どこも働き手である若い男が少ない。

 幾度か話を聞く限り、一年以上前、国の新しい事業のために、働き手である男たちがかなり多く連れて行かれたらしい。


 バーランドは来る前に思っていた気候とはずいぶん違い、意外なほど温暖で、耕作可能な土地は多くはないが、土地の恵みそれ自体は決して少なくはなかった。

 かつて少しだけ訪れたキュペルよりは、遥かにマシだと思える。


 全体的に高地にあるこの国だが、国全体が高い山脈で囲まれているため、特に北方からの作物を枯らす風もこの国にはあまり入ってこない。

 そのため、北方であるのにさほど寒くならないらしい。冬の厳しい季節以外は、農耕が可能だという。

 一方、雨も少なくなるが、山から豊富に湧く水を引くことで、農地を開墾する技術を持っており、農業用水路の見事さはアルガンド以上とも思えた。


 水路を流れる水を利用した水車などの動力もあり、部分的にはアルガンドより優れている。湧き水は非常に澄んだ水であり、法術具クリプトを使って浄化する必要すらない。

 そして湧き水は植物の育成も促すようで、おそらく単位面積当たりの収穫に限るなら、アルガンドよりも上かもしれない。バーランドは決して、貧困な土地ではない。


 今貰った果実にしたところで、人に分けられるということは、それだけ余裕があることを示すものだ。 

 この国はその地形から想像する以上に、豊かな国といえる。


 だが、その社会インフラを維持するための働き手が、農村部でかなり少なくなっている。

 そのため、それらの維持ができなくなりつつあり、結果、人々の暮らしは少しずつだが下向いてきてしまっているようだ。


 設備の維持ができずに集団で他の地域に移ったのか、廃村になっている場所もいくつかあった。


「本当にじわじわと……ですが、悪い方に倒れつつみたいですね、この国」

「そうだな。遠からず国の根幹から揺らぐ事態にすらなりかねない。正直、もっと早く手を打つべきだったという気がするが……」


 この国にも冒険者ギルドはある。

 冒険者ギルドは国際機関であり、ある程度は国に対しても提言をすることができるはずで、この状況を掴んでいれば、何も動いていない、ということは考えにくい。

 神殿にしても同じだ。

 それでも事態が悪化してるということは、本当に国側に問題がある可能性が高い。


「結構難しい状況になってるのかもしれないな、これは」

「難しい、ですか?」

「冒険者ギルドや神殿すら、あるいは行動が制限されている可能性がある。王都に行く時には、かなり注意した方がいいな」


 出立前に、冒険者ギルドの通信法術具での連絡をしようとしたが、連絡が取れなかった。

 もっとも、この法術具は、簡易な結界で連絡が取れなくなる。

 状況を考えると、バーランドが情報封鎖をしている可能性もあるだろう。

 阻害されにくい、長距離通信を行うための法術を考案しておくべきかもしれない。


 いくつかの村で聞いた限りでは、この国が『再戦派』『穏健派』に分かれて争っているのは、十年以上前からだという。

 最初は『穏健派』の意見が強く国としてもそちら側に動こうとしたのだが、しばらくして『再戦派』が盛り返して、国の中枢では紛糾しているらしい。

 らしいというのは、日々を生きるのに必死な農村部の人にとっては、もはや果てしなく他人事だからだ。


 ただここ一、二年で働き盛りの男がかなり連れていかれてしまったため、影響が出始めている状態だ。

 ただ、この動きが『再戦派』と『穏健派』のどちらの意図によるものか、あるいはそれ以外の理由によるものなのか、彼らは知らないようだ。


 村には二十年前の戦争を知る世代ももちろんいたが、当時は突然戦争になって戸惑ったらしい。

 突然、多くの若者が徴兵され、そのまま戦争に連れていかれたという。

 そして半数以上が帰ってこなかった。


 記録を見る限りでも、あれは帝国側に煽られた結果勃発した戦争で、しかもどちらかというと中心になったのは、バーランドの南部にあるアザスティン王国だ。

 というのは、バーランドは地理的に帝国からの支援を受けづらい。


 バーランドの西側、帝国のとの間には『大陸の分断壁』とまで呼ばれる五千メートル一万カイテル級の山が連なるロンザス大山脈帯があり、軍隊がこれを越えることは不可能に近い。

 アザスティンは、南にわずかに海に出られる場所があり、そこに大陸中央南岸のカラティーナ湾に面した港がある。カラティーナ湾沿岸諸国は、ほとんどが帝国に属する国なのだ。

 実際、二十年前はここから帝国軍の援軍が、アザスティンを経由してアルガンドに攻め込んでいる。

 つまりアザスティンは帝国からの直接支援があったのに対して、バーランドは物資を含めて直接の支援はなかったに等しかった。


 それでもなお、バーランドは戦争に踏み出した。アザスティンや帝国側との分進攻撃によって、アルガンドの肥沃な北西部の土地を獲得しようと狙ったからである。

 しかし、アザスティンは帝国の援軍がアクレットによって壊滅させられた直後、アルガンドと一戦し惨敗。即座に兵を退かざるを得なくなった。

 ちなみにこの時の先陣を切ったのが、あのハインリヒだったらしい。


 だがバーランドはアザスティン敗走の報を受けてなお、無謀にもアルガンドに兵を進めた。

 そしてルヴァイン四世率いる軍に惨敗する。


 この時のアルガンド北西部での戦いは、バーランド軍十八万に対して、アルガンド軍は九万。大陸の歴史でも稀に見る大軍勢の衝突となった。

 しかし、バーランド軍のほとんどは急遽徴兵された民間人がほとんどで、まともな訓練を受けた者は全体の二割程度。

 練度は低く、統率もまともに取れておらず、しかも戦場はアルガンド領内。

 地の利はなく、弱兵ばかりのバーランドに対して、即位したばかりとはいえ、若い頃から武勇に名高かったルヴァインに率いられたアルガンド軍は、そのすべてが精鋭といえるほどの練度を誇っていた。


 結果はほとんど勝負にもならず、バーランド側の戦死者は三万近く。負傷者は十万を大きく超え、国に戻れないほどのの重傷者や捕虜は五万に及んだという。惨敗という言葉でも足りないほどの大敗北である。

 ちなみにアルガンド側の被害はその百分の一程度だったらしい。

 捕虜になった者は神殿の仲介でバーランドへ返されることとなったが、バーランドは当然、多額の賠償金を支払うことになる。

 ただ、バーランドに戻らず、そのままアルガンドに居ついた者も少なくないという。

 これは当時の国王――現王の兄――であるルキテアルスの圧政が酷かったからだとも云われている。


 その影響は二十年経った今も色濃く残っていて、農村部を見る限り、四十歳から六十歳の男性の数が明らかに少ない。

 そこに来てさらに、若い働き盛りの二十代から三十代の男ばかりが連れていかれているのだ。若い男性がいないわけではないが、このような小さな村は全員が役割をもって村の生活を支えている。一人二人ならともかく、五人十人と連れていかれては、いずれ無理が出る。

 結果、国を支える基幹ともいえる部分に、どんどん無理が生じているように思える。


「いずれにせよ、王都に着いてからだな。もっとも、入るのにも苦労しそうだが……」

「何とかなりますよ。コウと私なら」


 そのエルフィナの言葉は一切の根拠のないものだったが、なぜか何とかなる気がしていた。

 ただその一方、言い知れぬ不安を感じているのもまた、コウは否定できなかった。

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