第97話 水路と運河の街

「すごい……綺麗ですね」

「ああ、これはちょっとすごいな」


 コウとエルフィナは、バーランドの王都であるキルシュバーグに到着していた。

 キルシュバーグは、バーランド王国のほぼ中央に位置し、国内でも最大の盆地にある。


 キルシュバーグの外観で一番目を引くのは、街を囲う広大な水路だ。

 高地の都市にもかかわらず、キルシュバーグはその外周を大きな水路が囲っているのである。

 到着したのが夕暮れだったのもあって、水路の水面が鏡の様に陽を映して輝くその様は、素晴らしいものだった。思わず見とれたほどである。


 外周を囲う水路の先に城壁がある。

 城壁の高さは、アルガスなどと比べるとやや低く、おそらくメートル半十五カイテル七程度だが、手前の水路というよりほぼ運河といえるその幅は、二十五メートル五十カイテルはあるだろう。

 王都に入るための橋は当然いくつかあるが、そこには巨大な石造りの城門が設置されていた。

 もし戦争になって、この都市が攻められたとしても、攻略には相当に苦労しそうだ。巨大な水路は防御のためにも役立つだろう。


 あまり高い建物はないのか、城壁の上に飛び出して見える建物はない。

 都市の大きさはアルガスほどではないが、パリウスに匹敵する程度にはある。

 人口は十万人前後だろう。


「街に入るのに結構厳しくチェックされてますね」

「だな。厳戒態勢とまではいかないが、かなり厳しい」


 街の周囲が全て水路で囲われてる都合上、街に入る門はこの規模の都市としては少なく、八か所しかない。

 そして見えるその門は、街に入る何人かに一人くらい、声をかけられて身分を確認されていた。

 流通なども困るだろうに、それでもチェックを優先するのは、相当に警戒している証拠だろう。


「どうします?」

「入れてくれないってことはないだろうが……見たところ旅装の人間を重点的にチェックしてるようだな。アルガンドから来たことが分かると面倒そうだしな。ここはこっそり入らせてもらおう」


 コウとエルフィナは、堂々と正面から都市に入った。

 ただし、歩く二人を、周囲の人々はまるで気にしていない。

 ドパルで使った、認識阻害の法術である。

 これで、二人とも呼び止められることなく、キルシュバーグに入ることができた。


「……すごいですね、この街」


 東門から入ったのだが、入って最初に見えたのは、大きな通りと、その両脇を通る深い堀。のぞき込むと、外側の水路から流れ落ちていると思われる水が、高さ五メートル十カイテル程の滝を作って流れ込んでいて、街中に張り巡らされた水路へ水を供給しているらしい。大通り脇の水路の幅は五メートル十カイテルほど。


 通りの先を見ると、緩やかに下っていて都市の中央と思われる位置に湖が見え、その中心に城がある。

 門を抜ければまっすぐ城まで下り坂に見えるが、よく見ると途中何か所か橋になっているところがあり、おそらく水路が道路を横切っているのだろう。

 この時間はちょうど西に沈む夕陽を湖が反射して、まるで輝いているようにすら見えた。思わずため息が出そうなほどの美しさだ。

 

 この都市は中心部が一番低い位置にあるらしく、水路の水は全てその湖に流れ込んでいるようだ。城壁の上に飛び出して見える建造物がなかったのは、これが理由だった。


 低いと言っても高低差は都市の一番外側と王城で、十メートル二十カイテルほどで、都市内では水路は非常に緩やかに、中央の湖に流れるようになっている。

 そしてその水路を小舟が行き交っていた。この小舟も、この都市の重要な移動手段のようだ。

 水路を行く舟は中心付近では水面の高さが道とほぼ同じになっているので橋があると通れないが、外側に近付けば都市と水面の高さの差で、橋の下なども通ることができる。


 外縁部に近いところはまだ自然なども多いが、水路はしっかりと整備されていて、都市の中心に近づくときれいに区画整備されているのがわかる。

 驚くほど計画的な都市だ。


「ある意味迷路ですね、これ」

「確かにな……水路と道が複雑に絡み合ってる。大通りを行くならともかく、うっかり街区に入ると迷いそうだ」


 まさしく山のヴェネツィアだ。

 もっとも、コウも行ったことがあるわけではないが。

 ただ、ヴェネツィアのように車も通れないという街ではなく、大きな道路も整備されていた。

 この都市を設計した人間は、ある意味では天才かもしれない。

 水が豊富なバーランドならではといえるだろう。


「すごい街ですね。こんな時でなければ、楽しい街なのかもです」


 エルフィナは少し残念そうだ。

 実際、これは観光地としても十分やっていける特色だと思う。

 ここに来るまでの道程みちのりが大変過ぎるが、コウも同感だった。


「そうだな。もっと平和な時に来たかった気がする。だが――」


 中心部に進むと、街の雰囲気は、総じて暗い感じだ。

 無論今が日暮れを過ぎて、夜に向かいつつある時間帯というのもあるだろう。

 とはいえ、酒場などはこれからが書き入れ時だ。

 中央通りに面している酒場からは、客の喧騒が聞こえないわけではないが、楽しそうというよりどこか自棄ヤケになってるような雰囲気もある。


「王都もやはり働き手の男が少ないということはないな」

「でも、どことなく緊迫感があるというか、なんか全体的に剣呑な雰囲気ですね」


 農村部などではほとんど男手がいないような場所もあったが、中央に近付けば近づくほどその傾向は少なくなっていた。

 ある程度の都市では、その傾向はほとんど見られなかったが、それは王都でも同じようだ。

 ただ、都市全体にピリピリした緊張感の様なものがある。


 とりあえず二人は適当な酒場に入るが、エルフィナに限定的な認識阻害の法術を付与した。

 エルフィナはその容姿ゆえに、ある意味何をどうやっても注目を浴びてしまう。

 だが、現状この街で目立つのは避けたい。街を歩くときはフードで隠せばいいが、さすがに食事中にはそういうわけにもいかない。

 なので、エルフィナの印象を非常にあいまいにする法術を付与したのだ。


 法術は効果を十全に発揮し、とりあえず注目されることなく二人はカウンターに座る。

 ややあって給仕がやってきた。


「適当な飲み物と、あとは食べ物を」

「あんた、旅人かい?」

「キルシュバーグは確かに初めてだが……」

「ああ、いや。ちょっと物価が上がっててね。だいたい他の街の倍くらいだと思った方がいい」

「わかった。まあとりあえず大丈夫だ」


 運ばれてきたのは弱めの果実酒とヤギ肉の燻製、それに木の実を炒ったもの。

 言われた価格は確かに高いが、とりあえずそのまま払う。


「味は……悪くないですね。お酒も美味しいですし」

「ああ。だが、物価が上がってるということは、物流が滞ってるか、または別の理由で物資が少なくなってるという事だろうな」


 容易に考えられる理由は戦争の準備をしているからか。

 軍隊が食料を買い上げてしまうと、一般に回る食料は減り、その分物価が上がる。

 

「雰囲気が悪いですね……街全体が」


 表通りでも感じたとおりだ。

 活気があるといえばあるが、それはどちらかというとやけくそ気味な感じで、誰もが戦争が始まるのを間近に感じている、というのがありありと分かる。


「それに……気付いたか?」

「見られてますね。私が注目されてるとかではなく、旅人が珍しいのでしょう」


 法術によってエルフィナの印象は酷く曖昧になるはずだから、彼女の容姿で注目されることはあり得ない。だとすれば、そもそも旅人という存在だけで目立つのだろう。

 実際、この街の規模でこの酒場なら、詩人や歌い手がおひねりをもらうためにいてもおかしくはないが、そういった雰囲気はない。

 店にいる客も、旅人然とした者が他に見当たらない。


「認識阻害をもう少し徹底した方がいいかもしれないな。とりあえず冒険者ギルドに行きたいところだが……」


 下手にギルドの場所を聞くと冒険者とみられるかもしれないが、とはいえ、闇雲にこの広い街でギルドを探して歩くわけにもいかない。


 食事が終わって下げてもらう際に、給仕を呼び止めた。


「すまない。冒険者に護衛を頼みたいと思ってるのだけど、ギルドはどこだろうか」

「ああ……ギルドの場所かい。それなら――」


 言われた場所は思ったより近所だった。

 運よくの場所を引いてたと言える。

 二人は店を出て、とりあえず教えてもらったギルドへ向けて歩き出した。


「尾行されてますね」

「だな」


 明らかにあとをつけてくる気配があった。

 あまり気配を消している感じはないので、素人か、少なくとも本職ではないだろう。


「撒くために走るのも面倒だな」


 コウは適当な裏路地に入ると、少なくとも目視できる範囲に人がいないのを確認して、姿隠しの法術を発動させた。

 そして道の脇で息を潜めたところに、すぐ男が一人駆けてくる。

 が、コウ達の横を素通りして、首をかしげていた。

 コウ達を見失ったのだろう。

 走って行かれたのかと判断したのか、男は大急ぎで先へ駆けだしていった。


「軍属っぽかったですね。冒険者ギルドの関係者を敵視してる……とかでしょうか」

「そうだな。とりあえず……」


 今度は認識阻害の法術を自分達に使用する。

 これで少なくとも、尾行されることはないだろう。


「とにかく現状を知らないとだな。ギルドに行けば情報もあるだろう」

「そうですね。ギルドの建物の中は安全と思いたいですが」


 この街に着いてからずっと感じている緊張感。

 それは、街全体がまるで『敵』になっているかのような感覚だ。

 そのため、一瞬たりとも気が休まらない。


 二人はそのまま、冒険者ギルドに到着した。

 ギルドは、中心から少し外れた場所で、アルガスにあるギルドに比べるとかなり小規模だった。

 ギルドの紋章が掲げられているので、冒険者ギルドだとはすぐに分かる。

 入ってすぐは、どこのギルドでも同じで、冒険者のたまり場兼酒場と、受付があるが――。


「……誰もいない?」


 冒険者が出払っているのはともかく、受付にも人がいないのは普通はありえない。

 監視されている気配がないことを確認してからコウが術を解くと、程なく奥から女性が一人出てきた。


「すみません、いらしているのに気付かず……ようこそ、キルシュバーグ冒険者ギルドへ」


 気付かなかったのは仕方ないとしても、受付に現れた女性は明らかに憔悴していた。

 年齢は、おそらく二十歳前後だろうが、明らかに顔に疲れが出ており、やつれている、という印象を抱かせる。


「それはいいのですが……あの、今はみんな出払っているんですか?」


 エルフィナの言葉に、女性は困ったような表情になった。

 アルガスはもちろん、パリウスやクロックスの冒険者ギルドでも、常に冒険者が何人かいて、情報交換をしているのが普通だった。

 仮にも一国の王都の冒険者ギルドで、誰一人いないというのは、相当に珍しいはずだ。


「いえ……あ、もしかしてご依頼ですか。それでしたら、現在依頼を請け負うことはできない状況でして……」

「請け負えない?」

「その、恥ずかしながら、所属冒険者が今は一人もいない状況でして」

「は?」「ほえ?」


 コウとエルフィナは思わず顔を見合わせた。

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