第一部 第五章 混迷の王国

バーランド潜入

第95話 バーランドへの道

 険しい山の合間を抜けるように、細い道が通っていた。

 もっとも、それを『道』といっていいのかと疑問に思う人もいそうなものだ。


 幅は広くても二メートル四カイテル程度、狭いと五十センチ一カイテルあるかないか。

 獣道とどちらがマシかはいい勝負。場所によっては踏み外せば谷底に落ちるような箇所や、すぐ横が急流であったり、あるいは部分的に途切れていたりと、道を行くだけで命の危険を感じるほどだ。もちろん柵などない。


 山間を抜ける風は冷たく、そして非常に強い。

 風にあおられてバランスを崩せば、あっという間に命を失うだろう。

 勾配も急であり、手で地面を掴まないと登れないほどの傾斜があったり、逆にそれを降りる必要があったり。


 馬車はもちろん、馬などすら通るのもほぼ不可能だろう。

 いくつかあるアルガンドとバーランドをつなぐ道の一つであり、その中でも特に険しいとされる道である。


 滅多に人が通ることもない、その険しい道を進む冒険者が二人、歩いていた。

 コウとエルフィナである。

 もっとも、二人にとっては道の険しさはあまり問題にはならない。

 あまりにも傾斜が厳しいのであれば、飛行法術や風の精霊の力で飛び越えればいいだけだ。

 彼らにとっては、バーランド側に察知されずにバーランドに入ることこそ肝要だ。

 だが。


「いくらなんでもこの道なら見張りもないと思ったんだが……」


 崖を登りきった遥か向こう、地理的にはあと僅かでおそらくバーランドに入る、という位置に、なんと砦が存在した。


 元々、バーランドとアルガンドは、ほとんど国境を接してはいない。

 両国の間には人が住めない険しい山岳が存在し、厳密に国境を定める意味がないからである。

 有益な鉱物資源もほとんどないことが分かっている。

 空白地帯というのは犯罪者等の逃げ場になるため普通は存在させないようにするものだが、ことバーランド(とアザスティン)とアルガンドの間の地形は、人が生活できるような地形がほとんどないため、基本的に空白地帯としてどちらの領土という事にもなっていない。


 例外が主街道周辺のみで、ここだけ実質、僅かに国境が接している。

 当然、各街道には国の入口を管理するための施設――関所があるわけだが、このもっとも寂れた街道は、事前情報だと国境にあるのは立て札程度だという話だった。


 この世界では、人の移動はそこまで厳密に管理はされていない。

 現在友好的な関係にあるアルガンドとアザスティンを行き来する場合、国境の関所を通る際には身分の確認は当然される。ただ、『証の紋章』を誰もが持ってるとは限らず、口頭ベースでの確認のみで終わることが多い。

 通常であれば、チェックされるのは、犯罪などを犯して手配されている人物であるかどうかだけ。


 ただ、関所などがない街道も少なくなく、その場合は素通しだ。

 国と国との間の全ての街道をチェックするなど、現実的には不可能に近い。


 これは当然バーランドも同じで、現在アルガンドとバーランドは友好的な関係とは言えないまでも、人の行き来は当然ある。

 そして現在の情勢もあって、出入国にはしっかしとした確認が行われるが、それはあくまで主街道や元から関所などがある場所だけだと思っていた。

 少なくとも、こんな過去利用者が何人いるかという、存在すら忘れられているのではないかという街道にまで手を回すとは思っていなかった。

 ところがそこに、大仰な砦が存在したのである。


 砦といっても、石造りなどではなく、木を組み上げただけの簡素なもの。

 とはいえ、見張り台も存在し、少なくとも街道を進む限りは見つからずに通り抜けるのは不可能だろう。


「これだけで、バーランドが異常なほど警戒しているのが分かりますね。それにおそらくですが、二十人くらいの人がいます」

「分かるのか?」

「人の気配、というかですが。人も、存在するだけで精霊とは違いますが、気配のようなものがあるんです。それで、なんとなく」

「無難に行けば、まあ軍隊だろうな。この道からも進軍する可能性があるのかどうかは分からないが……」


 こんな場所にすら砦を築いているということは、こちらの予想以上に、バーランドが戦争をするための準備を進めているということでもある。

 軍備を増強してるのは間違いないだろう。


 事前に得た情報によれば、バーランドは現在国内が『再戦派』『穏健派』で二分されていて、『再戦派』が最近勢いを増しているという。

 ただ、国内を掌握するに至ってないのは確かで、そこに付け入る隙があるだろう。


「いずれにせよ、この道もダメか。まあ、こうなると……」

「空を行くしかないですね」

「だな」


 飛行手段のある二人にとっては、高い山も意味がない。

 バーランドとの国境は険しい山があり、街道が敷設されている場所以外は、本来人は全く入ることができない、ある種の天然の柵が設置されているようなものだが、二人にとっては関係のない話だった。

 さすがに、昼間では見つかる可能性もあるので、砦から見えない位置で一休みする。


「バーランドに入ってからの方針はどうします?」

「とりあえず旅人として情報を集めつつ、王都であるキルシュバーグに行く。冒険者ギルドはあるということだから、そこで協力を仰ごう。少なくとも、ギルドは戦争には反対のはずだしな。あとはアルガンド領事館だ」


 民のための活動を旨とする冒険者ギルドにとっては、戦争というのは避けるべき事態の一つである。

 無論それでも、国としての戦争を止めるだけの権限はないが、今のバーランドは国としてまとまってる状態ではない。とはいえ、実際に国内事情がどうなってるのかは、行ってみなければわからない。

 そのためにも、まずは情報を集めなければならない。


「アルガンドも、当然国境の警備は固めている。このルートはそこまでではないので、あるいは不意を討たれる可能性はあるが……」

「かといって、せいぜい数十人程度では、大きな被害にもならないでしょう。こちらのルートには、人里すらほとんどありませんし。それに全員がこの道を踏破できるとは思えません」


 二人が立ち寄ったハクロの街から先は、季節によって利用される猟師などの集落があるだけで、人はほとんど住んでいない。

 よほどのことがない限り、まともな被害など出ないだろう。

 むしろ崖から落ちて落伍者が出る可能性が高い。


「バーランドが戦争に向けて動いてるのは間違いなさそうだが……まともに考えて、戦争にすらならないだろうに」


 そもそも、国としての勢力に差がありすぎるのだ。

 事前情報どおりなら、アルガンドとバーランドでは、正規軍の数は十倍近い差がある。

 これに、予備役や傭兵も加えると、戦力差は軽く十倍を越える。

 バーランドが仮に徴兵によって戦力を補ったところで、急に錬度を上げられるはずもない。

 錬度が低く、統制の取れていない軍隊など、烏合の衆でしかないのだ。


 二十年前の戦争では、南部のアザスティンと同時に侵攻した上に、帝国からも膨大な数の兵力の供給を受けていた。

 数も錬度も、現在より遥かに上回っていたのだが、アクレットの存在があったとはいえ、アルガンド王国に完敗している。


 それでもなお、バーランドの再戦派が開戦に踏み切るとしたら、前回を越える『何か』がなければならない。

 その『何か』が、あの天与法印かもしれないのだ。


「確かに、あの力を持つ者が多くいれば、少数でも逆転できるかもですが……」


 あのレベルの法術士が多くいれば、少数でも多数を撃破しうるだろう。

 だが、あの学院祭であの天与法印の持ち主に苦戦した最大の理由は、排魔の結界のせいだ。

 あれがなければ、コウでもキールゲンでも、あの術士を倒すのは難しくはなかった。

 確かに、強力な法術士は脅威ではあるが、それこそ百人、千人単位の軍隊相手では、対法術の防具なども存在するのだから、そこまで圧倒することができる要素ではない。

 それを凌駕するのは、第一基幹文字プライマリルーンの使い手、つまりアクレットのような規格外の存在くらいだ。


「この手のことに疎い私でも、バーランドが無謀としか思えない戦争を起こそうとしてるのは分かります。だから、奇妙なんですよね」

「そうだな……実際バーランドの国内がどういう雰囲気なのかも含めて、調べるしかないだろうな。あとは天与法印セルディックルナールを持つ兵がどのくらいいるか、だが」


 あの学院祭を襲撃したレベルの法術を使える兵が、もし数百人単位で存在すれば、それは無視できない脅威になる。

 ただ、もしそれだけの戦力があったとしたら、アルガンド側も対抗手段を用意するだけだ。決定打にはなりはしないし、バーランドがアルガンドに勝利することはあり得ない。

 強力な法術兵がいると分かっていれば、それに対応する手段だってある。

 仮に第二基幹文字セカンダリルーン天与法印セルディックルナールによる攻撃法術の使い手が百人いたとしても、一万の軍勢を正面から撃破することは不可能だ。それは、排魔の結界の有無は関係ない。


 そもそも、排魔の結界は確かに強力な法術の対抗手段だが、あれは発動済みの法術は阻害できない。つまり防御用の法術具クリプト法術武具クリプレット、それに結界の影響の外側で予めかけた強化法術などは阻害できないのだ。

 対抗手段などいくらでもある。


 先だってのアルガスでの王子襲撃事件は、成功すれば確かにその影響は大きかっただろうが、失敗した挙句にバーランドの手の内を見せてしまうことになった。

 結果としては、悪手だったと言わざるを得ない。

 排魔の結界以外にも、いくつか考えられるバーランド側の作戦はアルガンド側でも検討しているだろうし、当然それに対抗する手段も検討しているだろう。


 あらゆる条件を加味しても、やはりそれでも、バーランドは滅びへの道を歩もうとしているとしか思えない。

 そしてそのような戦争で不幸になるのは、多くの無辜むこの民である。

 その悲惨な道へ人々が転がり落ちるのを防げるのかどうか。

 今の二人には、それをなす決意はあれど、それが可能であるのかは分からなかった。


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