第64話 アルガンド王国の現状
入学から一ヶ月ほど経ったが、学生生活は順調だった。
懸念されていたキールゲンを狙う刺客は影もなく、平穏といえた。
どちらかというと辟易したのは、キールゲンにまとわりつく、一部の貴族の子弟達である。
ここ百年平和が続いているアルガンドでは、新たな領土拡張は当然だがない。
二十年前のアザスティン、バーランドとの戦争でも、賠償金だけで新たな領土を割譲させたりはしなかった。
以後、貴族らは軍事方面における活躍の場がほとんどない状態が続いている。
南部のキュペルに接するクロックスは別だが、あちらも領土を拡張してるわけではなく、防衛に徹している。
新たな国土の獲得がない以上、新たな爵位の創設は行われず、勢力の拡大を望むのは難しい。
そういう意味では、パリウス領エンベルクは、久しぶりに空いた高位爵位の地位であり、現在も次の伯爵は任命されていない。パリウス領内はもちろん、他の地域の者たちも、次のエンベルク伯を狙っていろいろラクティにアピールしている者は多いらしい。
また、その事件に関連して配置換えを受けた貴族もいくらかいたようだが、それも限られた枠でしかない。
また、ここ十数年で増えているのが帝国からの亡命貴族だ。
二十年前のアザスティン、バーランドとの戦争は、実質アルガンド王国と帝国の代理戦争に近かった。
帝国と呼称されるのは、クレスティア大陸中央部に位置する、大陸最大の版図を持つグラスベルク帝国のことである。
大陸にある数多の国家の中で唯一、元首が『皇帝』を名乗り、帝政を敷いているため、『帝国』といった場合確実にこのグラスベルクをさす。
大陸において、西方にあるファリウス聖教国を別にすれば、大陸最古の歴史を持つ国で、数百年前には大陸のほとんどを版図としていたと伝えられる。
実際、アルガンド王国の始祖であるアルス王は、グラスベルク帝国の軍人であったらしく、帝国に反旗を翻して独立したとされている。
帝国は今でも大陸の盟主を自負しており、再び大陸を統一することを国是としているらしい。
そして二十年前の戦争において、帝国はアルガンド王国に事実上完敗した。
それ故か、帝国で権力争いに破れた貴族で、亡命してくる者が増えたのである。
帝国の西側の方が亡命はしやすいのだが、いつ攻め滅ぼされるか、という危険性が高い。
対してアルガンド王国は、ロンザス大山脈の向こう側であり、さらにアザスティン、バーランドという山岳国も間にある上、国としての勢力も帝国に匹敵するほどなのだ。
ただ、亡命貴族たちは、当然だが所領を持たない。
そのため、アルガンド内で功績を挙げ、領地を下賜されるしかないのだが、外征を行わないアルガンドでは、功績を挙げるのは難しい。
無論、国で官僚として取り立てられてアルガンドの爵位を得て、さらに実績を上げ所領を得ている者もいるが、少数派だ。
大半は、帝国から持ち込んだ財産で何とかやりくりしているか、それを元手に商いで生計を立てている。
ただ、特にアルガンド王国では所領がなければ貴族として家が続くことはなく、そして帝国からの亡命貴族の大半はよく言えば非常に誇り高く、貴族としてのあり方に拘っているのだ。
亡命貴族の場合は爵位を継続して名乗ることは許されているが、領地の名を持たない貴族となり、基本的に爵位で呼ばれることはない。
そういう者達の子弟が、次代の王となるキールゲンに積極的に接触し、いかに帝国が悪辣な国家であったか、そしてそれを攻め滅ぼすのが正義であるかを語ってくるのだ。
つい先ほども、講義が終わった直後のキールゲンのところに来て、いろいろと熱弁していった学生がいた。
「よくもまあ、飽きもせず毎日同じことを語るな」
「これでも、コウが来てから減ってくれた。初日のアレが効いたかな」
「ああ……まあ、
学園に入って二日目。
まだコウが学園に慣れておらず、とりあえずキールゲンの護衛の仕事を優先しようと考えていた時に、やはり亡命貴族らの子弟がキールゲンの元に押しかけてきた。
その際、キールゲンの肩に手をかけた者いて、それをコウが手をひねり上げた挙句、投げ飛ばしてしまったのだ。
当然、その貴族は無礼だの何だの言ったが、コウが現役の冒険者でキールゲンの護衛であり、不用意に近づく者を排除する役割を負っている以上当然の対応だとキールゲン自身が明言した。
かつての護衛である騎士二人は、さすがに貴族相手に実力行使に及ぶことは難しかったのだが、冒険者であるコウにとっては、貴族かどうかは関係ない。
それが彼らにもわかったようで、以後、不用意に近づく者は激減したのである。
ただ今日は、エルフィナがちょっと用事があるからとコウと話していて、少しだけキールゲンから距離があったため、その間にまとわりついた形だ。
話が終わってコウが戻ってくると、彼らはそそくさと去っていったが。
「大体、戦争による領土拡張など今のわが国の地形を考えたら、ありえないことだ。今の領土を維持することこそ、最善だというのに」
南はカントラント河があり、その先は資源に乏しく、農地にも向かない乾いた大地が広がる。
東は海で、その先にはいくつかの島国があるだけ。
西はアザスティン、バーランド、という二つの国があるが、どちらも国境は険しい山があり、攻めるに
その割に農地に向いた土地があるとは言えず、鉱物資源は豊富だが犠牲を払ってまで手に入れる価値があるかは微妙だ。いわんや、その先の帝国など問題外だ。
北方は、雪と氷に閉ざされた大地が広がっていて、調査すら行われていないが、人はほとんど住んでいないのは分かっている。
アルガンド王国は、現状で広げられる範囲には広がっており、十分恵まれた領土を確保している状態なのだ。
強いて挙げるなら、『辺境』と呼ばれる北東部を新たに開拓することか。
ここに関しては、北東部辺境を領地とする
むしろ近隣諸国の侵略にこそ注意を払うべきだ。
周辺国――特にキュペル――が領土的野心を以って侵略を試みてるが、失敗続きであることはコウも知るところだ。
「まあ、彼らは彼らの言い分もあるのだろう。それを束ねるのも王たる者の役目だろう?」
「簡単に言ってくれるな。事実だが。まあ、それで俺に対して何かするとは思えんが……前にあった、不審者の情報はアレ以後ないんだな?」
「ないな。これでも色々調べてもいるんだが、キールの周りで不審者は確認できない。以前の爆発についても結構念入りに調査したが、現状では完全に原因不明だ。魔力の痕跡はあったんだが、なんせ場所が場所なので、それが直接の原因であるかは特定できない」
「他にはないのか?」
「判断に苦しむようなことならいくつかある。俺が入学して以降でも、街路樹が突然折れていたり、校舎に傷がついていたり、と。ただ、魔力の痕跡があったりなかったりで……」
「よくわからないな。学院の設備を破壊したいとも思えんが」
「そうだな。ただ、何らかの意味がある可能性は否定できないが」
「まあ、過剰に警戒して怯えたところで意味はないしな。やるべきことをやるとしよう」
実際、襲撃者の影に怯えて過ごせるほど学生生活は暇ではない。
講義では学ぶべきことは多く、呆けていてはすぐついていけなくなる。
研究室ではいつも白熱した議論が行われており、事前に調べておくことは非常に多い。
もっとも、コウやエルフィナは護衛であるため、別に議論自体に加わる必要はないのだが、コウにとっては入る予定だった大学をここで体験しているような気持ちになるので、それなりに本人も楽しんで参加していた。
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