第63話 学生会と思わぬ名前
王立アルス学院は、学び舎であると同時に研究者のための場所である。
厳密に言うと、この学院には教師と定義される役職は存在しない。
無論、教え導く立場としての教師は存在するが、彼らもまた、ある意味では学院の研究者なのである。
彼らは、いずれも卒業資格を手にしながら、そのまま学院で研究する道を選んだ者達なのだ。
無論、俸給や研究資金は、国から支給される。
定期的に、卒業資格に相当する研究発表を行うことで、学院に所属することが許され、研究を続けることができるのだ。
この学院における卒業資格とは、研究者として一人前であると認められた証でもある、いわば研究者としての最初の関門だ。そして研究者となれば、その後も研究に対して結果を出すことが求められ続ける。
よって、何十年もいる研究者は、それだけ多くの成果を上げてきた人物、ということになる。
人によっては、学院に所属しながら国の要職にある者もいるという。
そういった者達と共に学んでいくのが、卒業資格を目指す学生たちであり、未来の研究者を目指す者達でもある。
「まあ、この学院の卒業資格を持つ、というだけで、各地で破格の扱いをされるからな」
そういうキールゲンも、学院ではトップクラスに優秀な学生と評判だった。
専門は地形政治学。
現代日本で言えば『地政学』と呼ばれる学問だ。
広大な領土を持つアルガンド王国の後継者らしい専門といえたが、この分野が地球で発達したのは二十世紀だったはずだ。その意味では、この世界の方が文明レベルに比較すると発展してると思える。
ただ、学問内容を見る限り若干内容は異なり、経済学の基礎の様なものも混ざってる気がするほか、法術に関する分野も少なくなく、やはり地球とは違うと思わされる。
「本来なら、コウもエルフィナ嬢も自由に選んでもらいたかったところなんだが」
「かまわない。どうせ短期間だしな。それに、まったく意味不明というわけでもないしな」
「クラインやヘッセルはいつも眠そうに堪えていたから、それに比べると楽しんでもらえている、とは思ってるが。まあ、あと一つ協力してもらうが」
コウとしてはせっかくの機会なので、結構まじめに取り組んでいた。
コウは、すんなり行けば大学では社会学と政治学を学ぶ予定でいたので、無関係というわけではないのだ。もっとも、エルフィナはいつも難しい顔をしていたが。
キールゲンは、午前中は関連する研究者の講義を聞くか、あるいは書籍での研究に没頭。
午後は大体同じ学問を志す仲間と、研究成果の吟味を行うか、論文の執筆というのが普段のスケジュールだ。
その一方、学生同士の連携を深めるために、学生会というものが存在する。
これは、コウの見た限りはいわゆる生徒会に近い。
学内で、修学する学問を問わず、横の連携によって同じ王立学院の生徒としての一体感を高めるための各種催しなどを企画する。
学院は基本的に個人で履修する科目を決めるが、日本の学校でいうところの『クラス』に相当するものは存在し、学生会の催し物はこのクラス単位での参加が基本となる。
そして、この学生会の現在の会長が、キールゲンだった。
キールゲンの言う『協力』というのが、この学生会の運営の手伝いである。
「また面倒なことを引き受けているものだな……」
「そういうな。まあ、上に立って指導する、というのは王族としては経験しておくべき事柄だ。父上や叔父上もやっていたというしな。まあ、父上に当時の話を聞くと、アクレット殿に苦労させられた話ばかり聞くのだが……」
「ああ、なんとなく分かる気はするな」
「あと三カ月ほどで、学院最大の祭典である、『アルス学院祭』があるんだ。クラインとヘッセルがいない分、こき使わせてもらうぞ」
「……何だそれは?」
「元々は違う意図で始まったとも云われているが、簡単に言えば、学生で行う祭りだ。普段学院に入れない人もこの時だけは入れるから、王都で楽しみにしている者は多い。まあ、コウの場合は別の心配もあるだろうが……」
誰でも入れるということは、キールゲンを狙う者がいたとしたら、絶好の機会となる。
爆発事故のこともあり、中止しろと言いたいところだが、学院祭まではまだ二ヶ月以上あるので、今から中止を言っても、それまでに解決すればいい話となってしまうだろう。
「それまでに何とかするしかないか」
「まあ、敵にチャンスを与えるということは、こちらも迎撃の態勢を整えられる、ということでもある。いつくるか分からないなら、いっそこちらから隙を作るのは常套手段だろう?」
度胸があるといっていいのか、コウとしては判断に迷うところだ。
「ま、実際のところ、学院祭は学生会最大のイベントだ。運営側もそれなりにやることはある。去年までは非常に有能な役員がいたが、今年はいないからな。その分、コウには期待させてもらおう」
「まて。なぜ俺が。その有能な役員とやらは……卒業したのか?」
「ああ。元々去年までで学院を辞することが決まっていた役員をやってくれていた女生徒がいてな。学生会での各種事務作業や運営において際立った優秀さを示してくれていたのだが……。まあ、史上最年少で卒業資格を得るという快挙を果たして卒業したが、彼女なら納得だ」
「……どこかで聞いた話だな……」
際立って優秀な事務処理能力を持つ女性。
ぱっと思いつくのは一人だ。
確か彼女も、王都の全寮制の学校に通っていた、と話していた。
無論、王都には貴族の子女が通う、いわゆる上流階級向けの学校もあり、そちらも学生寮は存在したはずだが……。
「まさか、ラクティという名前か、その女性」
「なぜ知ってる!?」
「あー。ラクティさんなら納得です」
無言で書類を仕分けしていたエルフィナが、顔を上げた。
彼女もキールゲンの護衛なので、コウと一緒に学生会の仕事を手伝わされているのだ。
「知り合いなのか、彼女と……待てよ。確か、彼女が領主になる際に、悪辣な叔父に殺されそうになったのを、颯爽と現れて助けた冒険者がいるとか、巷で評判の歌に……」
「その話には誇張どころか全く根拠のない話も大量に紛れている、とは言っておく」
襲われたところに遭遇したことは事実だが、こちらから駆けつけたわけではなく、彼女がぶつかってきただけだ。
その後についても、結構酷い対応をしていたように思う。
「ってことは、その評判の冒険者がコウなのか。そこは否定しないな?」
「その詩吟の登場人物であることは否定するところだが、ラクティを助けたというのは……まあ否定しない。当時は冒険者ではなかったがな」
「その後、パリウス内の叛乱の際に大活躍した、というのもか?」
「大活躍というとかなり誇張がある。実際には俺も少し手伝った程度で、何よりラクティの力が大きかった」
「なるほど。まああの手の物語は誇張されるのが常だから、それは置いておくとしても、身近に英雄がいたものだ」
「その呼び方、頼むから止めてくれ……」
コウの嘆きが聞こえているのかどうか、キールゲンは納得したようにうんうん、と頷く。
「父上が信頼する冒険者、というから経歴は気にしないことにしていたが、なるほど納得だ。ハインリヒ叔父がとても持ち上げていたのが、コウだとは思わなかった」
「まあ、実態はこんなのだ。あの手の話はせいぜい半分以下にしておくべきだな」
「実態でいったらもっと酷いですしね」
エルフィナがぼそりと余計なことを呟いたのは、幸いにもキールゲンには聞こえていなかったらしい。
「で、それはともかく……まあどうせ護衛だから一緒にいなければならんわけで、手伝うのはかまわないが、学院祭とやらがどういう催し物なんだ?」
「口で説明すると長くなるな……去年の資料をとりあえず渡しておくので、時間の空いたときにでも読んでおいてくれ」
渡されたのは、丁寧な文字の印刷された資料だった。
活版印刷が実用化されているのは知っていたが、学院のこういった印刷物にまで使えるほどというのは驚いた。
なんでも最近、活版を作ること自体を法術でできるようになっており、実質の印刷技術としてはかなり進んでいるようだ。
とりあえずぱらぱらとページをめくる。
「……要は文化祭だな」
呟いたその言葉は日本語だったため、キールゲンもエルフィナも首を傾げる。
「ああ、いや。大体分かった。結構無秩序な祭りでもありそうだが……運営側が大変なやつだな、これは」
ラクティの処理能力があれば、さぞ助かったことだろう。
アレはちょっと他人が真似ができるものではない。
ただ、コウも実は高校では(全員が何かしらの委員をやる必要があったため)一度文化祭の実行委員をやったことがある。
まったくノウハウがない、というわけではない。
こちらの方がかなり大規模ではあるが、やることはそう変わるわけではなさそうだった。
「まあ、かといって学業をおろそかにもできんがな。ただ、俺にとっても今年が最後だ。それなりに成功した、と思われてはおきたい」
「ま、できるだけ協力はするよ。エルフィナも頼む」
「……私は何ができるか、怪しいですけど」
今も簡単な書類の仕分けを手伝っているが、それも辛そうだ。
そういう仕事自体に向いていないのだろう。
他の役員は、と考えたところで、女性が一人入ってきた。
「あら、話題の冒険者も学生会に? ああ、でも考えてみたら、キールゲン様の護衛ですものね」
「う……ステファニーさん……」
「エフィさん、もっと親しげに、ティファとお呼びくださいと頼んでますのに」
コウは軽く会釈だけすると、とりあえず去年の資料の読み込みに逃避した。
話を聞く限り、どうやらエルフィナのルームメイトのようだ。
キールゲンとも知り合いのようで、どうやら学生会の副会長でもあるらしい。
そして、ふとコウがあることに気付いて口を開こうとして――。
「まあ、あのラクティさんのお知り合いなんですか!?」
隠しておいてくれと頼む前にさっさと共有されてしまっていた。
しかも、ラクティを助けた冒険者であることも既に話されてしまっている。
好奇心満載の表情で、ステファニーが詰め寄ってきた。
「あの、ぜひ詳しく。こんな身近に英雄譚の主人公がいてくれるなんて、素晴らしすぎます!」
「断る」
「つれないですわね。まあ、またの機会を狙うといたします」
「あまり無理を言うものではない、ステファニー。彼らも冒険者として、守るべき義務があるのだから」
実際、あの乱については話せないことが多い。
特に、奴隷密売のことは完全に秘匿されている。
おそらくキールゲンはその辺りも聞き及んでいるのだろう。
「殿下がそうおっしゃるなら仕方ないですね。まあでも、話していいことがあれば、ぜひ。現役の冒険者で、英雄と関われる機会なんて、そうそうありませんし」
ステファニーは仕事に戻っていった。
続いて何人か入ってきて、学生会の長としてキールゲンが学院祭に向けての大雑把な予定を確認後、お開きとなった。
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