第62話 エルフィナの受難

 エルフィナは、酷く困惑する状況に追い込まれていた。


 この学院は原則、学生、学院の職員または出入りの業者でなければ出入りは認められない。

 そしてたとえ王子であっても、護衛を別に出入りさせることは許可されず、ゆえにコウもエルフィナも学生として入る必要があったのだ。

 そして全寮制のため、当然二人とも学生寮に入ることになる。

 ただエルフィナは、この時点では男女が別れてることなど想像もしておらず、コウと同じ部屋だと思っていたのだが、当然そんなはずはなく。

 職員の説明にコウが驚くほど食って掛かったが、それで覆るはずはない。

 エルフィナとしては、護衛として来てる以上部屋が分かれるのは納得しがたかったが、こればかりはどうしようもなく、受け入れざるを得なかった。


 そして、まず女子寮に入ったとたんに、盛大に質問攻めに遭った。

 エルフィナは知る由もなかったが、そもそも学院に森妖精エルフが来ることなど、極めて稀なのだ。


 森妖精エルフは基本的に氏族を出ない。

 たまに氏族を飛び出す変わり者がいるが、いたとしてもそのほとんどが旅人や傭兵、冒険者などになる。

 定住する者など極めて稀だ。

 何しろこの王都アルガスにすら、定住している森妖精エルフはほとんどいない。そもそも人間社会に定住する妖精族フェリアは、洞妖精ドワーフが鍛冶職人として定住しているくらいで、それも地域が限られる。

 他には滅多にいない。


 まして、学院に入学した妖精族フェリアは、実はエルフィナが史上初だった。

 過去、冒険者が仕事都合、あるいは知見を深めるために短期入学した例はあるが、妖精族フェリアが短期であれ入学したことはない。

 そして洞妖精ドワーフであれば稀に鍛冶関連の技術の実演などで来ることはあるが、そのほかの種族が来ることはまずない。

 無論王都に住んでいる森妖精エルフが皆無というわけではないが、ほとんどは冒険者や旅人で、学生の身では滅多に会えない。

 法術ギルドであれば研究協力してもらうこともあるが、学院ではめったになく、ごく稀に研究室などが、森妖精エルフから知見を得るために招聘しょうへいする時くらいで、数年に一回あるかないか。

 つまり、学生たちにとっては、森妖精エルフというのはそれだけ珍しい存在だったのだ。


 まして、自身もあまり自覚がないが、エルフィナは森妖精エルフの中でも際立って美しい容姿をしている。

 元々妖精族フェリアは、ある種神秘的な美貌を持つ者が多く、人間にとって憧憬しょうけいの対象なることも多い。『フェリアの様な美しさ』という誉め言葉があるほどだ。そして特に、森妖精エルフはその傾向が強い。

 そこへ来て、その中でも特に整った容姿を持つエルフィナの存在は、学生を熱狂させるのには十分すぎる要素だったのだ。

 実は、彼ら二人が挨拶した時に起きた歓声は、そのほとんどがエルフィナに向けられたものである。


「あの、森妖精エルフって、普段はどういう生活をされているんですか?」

「どうやったらそんな綺麗な髪を維持できるですか? 冒険者ってことは、結構大変な暮らしもされているんですよね?」

「あのコウって人との関係はどういうものなんです? あの方も、結構素敵な方に思えますが、二人で旅をされていたんですか?」

「武術などは修めてるのですか? 森妖精エルフだと特に弓に優れてることが多いと聞きますけど」

「なんてきれいな肌……なんか秘訣とかあるんですか。これはちょっと美しすぎます」


 等々。

 あまりの質問攻めに辟易 へきえきしたエルフィナは、とにかく荷物を置かせてください、といってあてがわれた部屋に逃げ込んだ。


 寮の同室になったのは、ステファニー、アイラという女生徒だが、部屋に入ったとたん、今度はソファに座らされて質問責めにされた。内容は先ほどとほとんど同じだ。

 人間社会に出てきたばかりですぐ捕えられ、コウに助けられた後は基本的にコウと一緒に冒険者をやっていたエルフィナにとって、同世代――見た目は――の女性と話すというのは、ラクティとくらいしか経験がない。


 ステファニーは伯爵位を持つ家の令嬢で、アイラは王都の商家の娘らしい。

 ステファニーは少しくすんだ金色の長髪と、深い青色の瞳の美人といってもいい容姿だ。

 貴族の女性らしく、同じ制服でもその着こなし一つに品を感じさせる。

 アイラは、黒髪黒瞳で、ともするとコウと同郷なのかとも思えたがそんなはずはなく、普通にアルガンド王国の出身だった。そもそもこの地域は、髪や瞳の色は非常に多彩だ。

 こちらも髪は長いが、綺麗に纏め上げて後ろで括っている。

 商人の娘だからか、愛嬌と好奇心が全面に押し出されている印象がある。


 この二人は身分の違いこそあるが、非常に仲が良いようで……二人とも、好奇心一杯にしてエルフィナに質問を繰り返していた。

 部屋に来ても質問者が二人に減っただけだった。


「え、えと……その、一応冒険者として依頼されてここにいるので……」

「ええ、それは分かっています。ですが、私たちと仲良くなってはならないということはないでしょう?」


 同室になったこの二人は、コウとエルフィナの事情は聞かされているらしい。

 押しが強いのか、ステファニーはぐいぐいとくる。

 一方のアイラは、気付いたら触れ合うほど近くにいた。まるで気配を感じない。


「わぁ……本当に綺麗。冒険者って、大変なお仕事で、私なんて絶対なれないと思ってましたけど、エルフィナさんみたいに綺麗な人がいるなら、なってみたいです」

「いや、その、冒険者であることと見た目はあまり関係は……ひゃあっ」


 首筋にアイラの指が触れたらしい。

 思わずエルフィナは飛びのいた。

 いつの間に背後に回っていたのか。


「あ、あの、ちょっとくすぐるのはご遠慮いただけると……」

「あ、ごめんなさい。でも、本当にすべすべの肌で、羨ましいです……えいっ」


 そのまま背後から抱きつかれて、思わずもがく。


「ちょ、変なとこ触らないで……ください……」


 跳ね除けようと思えば、それほど難しい相手ではない。

 最近はコウに素手での戦い方も教えてもらっている。

 力を入れなくても、タイミングと呼吸を合わせれば相手を投げられる技術などを教えてもらっているが、それを今ここでふるうわけにはいかない。


「あ、すごい。細身に見えるのに、胸、しっかりありますね。素敵」

「ふにゃああああああああ!?」

「ちょっとアイラ。さすがにやりすぎですよ」


 ステファニーの言葉で、ようやくアイラが離れてくれた。


「ごめんなさいね。私もその毒牙にやられたのだけど、本当に嫌ならちゃんと言いなさいね。アイラ。貴女の生きがいみたいなものだから多少なら見逃しますが、節度はわきまえなさい?」


 どういう生きがいですかと言いたいが、他人に胸をもまれるなどという経験をしたことのないエルフィナは、そのダメージから回復するので精一杯だった。


「毒牙は酷いです。でもティファ、すごいですよ、彼女。森妖精エルフだから細身なのに、胸はすごく柔らかくて、結構大きいです。制服でごまかされてるのと、下着ですごく抑えてました」

「あのねぇ……」


 ティファ、というのはステファニーの愛称らしい。

 言いながらも、ステファニーも興味を持ったのか、まだ肩で息をしているエルフィナを見やる。


「あら、ホント。胸、見た目よりずっとあるんですね」


 アイラにあのドサクサに、下着を外されていた。

 思わずエルフィナは、腕で胸を隠す。


 エルフィナの胸は、森妖精エルフとしても、そして一般的な人間としても実はやや大きい方になる。

 ただ、冒険者稼業においては、女性の胸は邪魔になる。特に弓を使うエルフィナにとってはなおさらだ。

 なので、硬めの下着を使って、かなり押さえている。


 まして、普段は革鎧をつけているので、胸部の大きさが分かることはなく、普段着もゆったりとした服を好むので、森妖精エルフは細身の体型が多いという先入観から、気付かれることはなかったのだ。

 コウの世界には森妖精エルフの様な異種族はいないと聞いているので、そういう先入観はないはずだが、気にしてもいない気がする。

 実はコウはコウで、地球の創作物の影響でそういう先入観があるとは、エルフィナは知らない。


 女性の学院制服は、上着がかっちりしたデザインであるため、ある程度押さえさえすれば、胸部が強調される事態にはならない。

 さらにその上にゆったりとしたローブを羽織るため、よほどのことがない限りは体型が分かることはない。そもそもそういうデザインなのだろう。

 だから同室のステファニーやアイラも、間近で見てみるまではエルフィナのスタイルには気付かなかったのだ。


「これはまた、短期とはいえすごい逸材が来ましたわね。この容姿とこのスタイル、さらに妖精族フェリアでしかも冒険者。一つでも気になる要素なのに、全部乗せなんて。ですが、そうなると、あの一緒に来られたコウという方とのご関係が気になりますわ。あの方も、すごく素敵な方に見えましたし」

「うんうん。そもそも、王子の護衛の代役、という時点ですごく優秀ってことですし。普通なら騎士やその子弟が来そうなのに、わざわざ冒険者なんですから」


 ステファニーの言葉にアイラが相槌を打つ。

 なにやら勝手に色々推測されているが、先のダメージで言葉をまだ挟めなかった。


「その辺りも気になりますし……やはり、エルフィナとの関係が一番気になります」

「コウは、その、仲間、ですから」

「男女二人だけという時点で疑ってくださいというモノです。一緒に旅するようになって、どのくらい経つんですか?」


 言われてからどのくらいだったか思い出してみる。

 出会ったのはキュペルで捕まっていた時で、確か三月。今が六月半ば。


「出会ってからだと三カ月ちょっとです。冒険者として一緒に行動するようになってからだと、二ヶ月ですね」

「あら。まだそれほど経ってないんですね。でも、すごく信頼なさっている。違います?」

「それは……そうです、けど」

「あら。思った以上に恋する乙女の顔になっていらっしゃいますね。これは、こちらとしても何かしなければ」

「え? あの、だから私とコウは、そういうの、では……」


 言いながら、エルフィナは自分の顔が紅潮しているのを自覚していた。

 あの、一ヶ月ほど前の、ラクティとの話でも同じ状態になっているのを自覚している。

 ただその後、王都まで道程では、別にそういう雰囲気になることはまったくなく、やはりあれはラクティの勢いに呑まれただけかと思っていたのだが。


「まあ、人にはそれぞれのペースというのがありますし、森妖精エルフは特に長命と聞きますしね……そういえば、エルフィナさんって、今おいくつなんですか?」

「えと……百五十四歳、ですね」


 二人は、淑女にあるまじきことながら、飲みかけたお茶を盛大に噴出した。

 予想を遥かに超えていたのだろう。


「ひゃ、百五十!? すごい。想像を絶しますね……」


 アイラが指折り数えようとして、途中であきらめていた。


「ただ、森妖精エルフは成長が遅いですから……人間に当てはめるなら、十分の一にするくらいが妥当です」

「あら。じゃあ十五歳くらいってことですか?」

「はい。多少誤差もありますが、そのくらいと考えていただければ。二、三百歳くらいから先はあまり当てはまりませんが……」

「桁が違いすぎてもうわかんなくなりそうですが……でも、そういうことなら、私たちより少し年下、位の理解でも良さそう?」

「私が十七、アイラは十六ですからね。まあほぼ同年代だと思っておきましょう。……それでそのスタイルはなかなか反則ですが」


 思わずエルフィナはソファの上で後ずさる。


「まあでも、素敵なルームメイトが来てくれて、私としてはとても嬉しいです。短い間かもしれませんが、よろしくお願いしますね、エルフィナさん」


 こうして、コウとエルフィナ、二人にとっても予想もしなかった学園生活が、始まったのだった。

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