第38話 空からの潜入

「まだ見つからないのか!?」


 明らかに苛立っていると分かる男の怒号が、豪奢な部屋に響いた。

 エンベルクの街の中心。そこにある広大な邸宅の、もっとも豪奢な造りのその部屋は、館の主、つまりエンベルク伯爵の執務室である。

 そして怒号を撒き散らしている人物こそ、エンベルク伯爵たるコーカル家当主、オルスベールだった。


 当年四十四歳。

 まだそれほどの年齢ではないのにもかかわらず、頭はすでに地肌の方が多い。

 体もあまり引き締まってるとはいいがたい……というより肥満体系と言い切っていいだろう。

 ただ、支配者の資質としての一つ、声の大きさだけは文句なしであり、怒鳴られる側はその怒号にひたすら震え上がっている。


「し、しかし……あるいは文字通り、粉々に吹き飛んだ可能性もマラユ殿は考えておいでです。彼自身、もっとも強力な法術を用いた、といってますし」


 業炎のマラユ。

 第二基幹文字セカンダリルーンである[炎]と[衝撃]に適性を持ち、主に攻撃法術を好む法術士。

 その力は強大で、かつて、ただ一人で二個中隊、およそ百人を壊滅させたことすらあるほどの力の持ち主。

 ただ、破壊衝動のみで動く男といわれ、敵味方かまわず焼き尽くしたこともあり、一般的には狂人として知られている。

 実際には狂ってるわけではなく、そうしなければ戦線が崩壊するという場面であり、優れた戦術眼を持つ人物でもある。

 ただし、その解決策の全てが『法術で全てを吹き飛ばす』という手段しか選ばぬあたり、やはり狂っているのかもしれない。


 今回、傭兵以外に雇い入れた人物の一人でもある。

 元々『顧客』の一人だったので、非常に都合の良い人物でもあった。

 その、最初の仕事として、自分をかぎまわっている目障りな冒険者の抹殺を命じたのだ。

 確かに、あの爆発なら、無事ですむはずはないが――。

 はたして、死体すら何も残らずに消えてしまうものなのか、というのはオルスベールにも自信が持てない。


「あくまで可能性の一つですが……ただ実際、あの場には死体はなく、術の炸裂した場所は、文字通り粉々です。至近距離であの爆発が起きたのであれば、あるいは、と思いますが……」


 側近の言葉に、オルスベールは少しだけ落ち着いた。

 実際、術が炸裂した瞬間にあの忌々しい冒険者が――他にもいたようだが――いたのは間違いなく、回避も防御も不可能だったと、マラユ本人が断言した。それであれば、死体すら残さずに吹き飛んだのか、という疑念はあるのだが。

 街中であれほどの爆発を起こしたことについても問題はあるが、南部のキュペルからの工作員が入り込んでいるという虚報を流している。

 つい先日、クロックスにキュペルの工作員が潜入していたということが判明しており、ある程度は誤魔化せるはずだ。


「……まあいい。だが捜索は続けろ。新領主が来るまであと一週間ほど。余計なことを探られるわけにはいかんのだ」


 すでに武力での対抗すら辞さないことを、オルスベールは隠していない。

 この武力を背景にラクティを委縮させ、国に対して、ラクティに領主たる力量はないとパリウスの領主の連名で訴える。

 実際、アウグスト時代に利権を貪ったパリウス内の領主は多く、潜在的な味方は多い。それに『あのこと』の露見が身の破滅に繋がる者も多く、ある意味結束は固い。

 ラクティが仮に武力に訴えたとて、戦力はこちらが確実に上のはずで、一戦して勝てば、アルガンド王国の慣例からしても自分たちの主張が通ることは間違いない。

 そうなれば、国もアウグストの復権か、アウグストの子への継承を認めるだろう。当然、アウグストが領主に助言する立場で残る。そうすれば、パリウスは元通りだ。


 そのためにも『あのこと』を公にされるわけにはいかない。

 あれが公になれば、どう取り繕おうがオルスベールの正義は消滅してしまう。

 だがアウグストに領主の座に返り咲いてさえもらえれば、今後もオルスベールの地位は安泰だし、他の領主たちにとっても喜ばしい結果となるだろう。


 まだ定まってない未来に一抹の不安を抱えつつ、オルスベールは、自分の輝かしい未来を信じていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 冷たい風が、肌をでた。

 春とは言え夜。まして山岳部の、山風が吹き抜ける中だ。

 その寒さもあいまって、しがみついた女性の腕にも、さらに力が篭められる。


 できるだけ平静を装っていたが、コウ自身もさすがに戸惑っていた。

 女性二人に抱きつかれるなど、これまで経験がない。というより、おそらくまともに触れ合ったことすらほとんどない。母親との接触の記憶すらないのだ。

 幸いというか、どちらも甲革かわ鎧をつけているので、よくあるように胸部のふくらみが押し付けられる、といったことがないというか、むしろその硬さで腕が痛いくらいである。

 だが、さすがにそれで術のコントロールを誤るようなことはなく、コウ達は断崖絶壁に等しい山肌に沿って上昇する。

 一刻約五分も経たずに、コウたちは人が越えることは叶わないはずの切り立った山を楽々と飛び越え、その内側を初めて見た。


「……これは、予想外すぎるな」

「すごく不健全な感じがしますね、コウ」


 コウとエルフィナの声でうっすらと目を開けたアルフィンは、「ひぃっ!」という情けない声を上げて、コウにしがみついた腕に力を込めて目を閉じた。

 それから、恐る恐る目を開き――そして唖然とする。


 眼下に広がる光景は寂れた廃村などではなく、煌々と灯りの煌く、歓楽街のような様相を呈していたのだ。

 よく見ればそれは中心の一部だけで、あとは灯りなどまったくない、夜闇では何もないように見える場所だが、それだけに中心の煌びやかさは異様とも思える。


「これは……なんでしょう、コウ」

「分からん。とりあえず降りよう。このままだと、俺の腕がマヒしそうだ」

「す、すすすすみません。でも、あの、怖くて」


 飛行という概念がほとんどない世界の住人では、仕方ないところだろう。

 実際、コウも何度か練習して慣れるまでは――前回法印具をもらってから色々試していた――怖かったのは否定できない。

 コウは山裾近くで周りに人がいないことを確認して降り立つと、術を解いた。

 アルフィンが安堵したようにへなへなと座り込む。

 エルフィナはしっかりしたもので、やはり慣れたものなのだろう。

 ほどなくアルフィンも復活した。


「さて、無事潜入できたわけだが」

「あの煌びやかなところも気になりますが、私は周囲の寂れたところも気になります。建物自体は、とても新しいものでした」

「見えたのか、あの暗闇で」

半森妖精ディルエルフなので、普通の人間よりは夜目よめが利くんです。洞妖精ドワーフほどではありませんが」


 エルフィナに確認すると、夜目が利くのは妖精族フェリア特有の環境適応能力の一種だが、全員がそうであるとは限らないらしい。実際エルフィナは夜目が利くということはない。


「ここからは、見つかったら逆に逃げ道がないことになるので、慎重に行きましょう。もっとも、私も隠密行動なんてあまり得意ではないですが……」


 コウも、無論エルフィナもそんなものには長けてない。

 もっとも周囲は暗く、人の気配もないのでこの辺りで気付かれる可能性はないだろう。


 歩いてすぐに、当該の建物が見えてくる。

 石と木を組み合わせた頑丈な建物だ。

 というより、頑丈さを第一に作られており、装飾性などは皆無。

 高さは四メートル八カイテルほど。幅、奥行きは十メートル二十カイテルほどの建物が、五棟並んでいる。

 どちらかといえば、あの外観は――。


「まるで牢屋か何かみたいですね」


 エルフィナの言葉に、コウも頷いた。

 小さな窓が屋根に近い位置にいくつかあるだけで、あとは入口と思われる扉が一つ。

 一応木製のようだが、金属で補強されたそれは、不必要と思えるほどに頑丈そうだ。しかも外側に太いかんぬきがある。つまりこれは、外からしか閉じれない扉という事になる。


「中に人の気配は……ありますね」

「エルフィナ、わかるのか」

「はい。少なくとも……一つ辺り二十人から三十人くらいはいるみたいです」


 だが、上部にある窓から光は漏れていない。

 つまり、中は真っ暗という事になる。

 それに加えて外から閉ざされた扉。どう考えても真っ当な『家』ではない。

 できれば事情を聞きたいところだが、騒がれても厄介だ。


(まるで刑務所……いや、捕虜収容所だ)


 コウはどこかの国の捕虜になったことがあるわけではない。

 だが、日本にいた頃に映像などで見るそれらと、非常に近いイメージがあった。

 実際そうだと確信できたのは、鉄条網じみた多くのトゲで覆われた土塁が、そのエリア一帯を囲んでいることに気付いた時だった。


「これは……」

「確定だな。あの建物の中にいる人々は、ここから逃げ出さないように閉じ込められている。仮に建物を出ても、これを越えるのは普通の人間には難しいだろう」

「でも……私は人間社会に出てきて日が浅いですが、このような扱われ方は、さすがにどの国も認めてないのでは。戦時における捕虜であっても、もう少しマシという気がしますが」

「まるで……ああ、なんというか、対応する単語があるのか……売買され、モノとして扱われているというか、そんな感じだな」

「……奴隷ヌンハ、ですか?」


 コウの語彙に『奴隷』という単語がなかったのをエルフィナが察したのか、補足してくれた。


「ああ、それだ。そんな感じがする」

「バカな。奴隷制度は、アルガンド王国では十年前に廃止されています。以後、人の売買自体はそれだけで最大の罪とされます。帝国ですら、犯罪により奴隷身分に落ちる場合を除き、奴隷制度は廃止されているはずです」


 逆に言えば、僅か十年前には、まだ奴隷制度がこの国にもあったということか。

 奴隷制度の撤廃がどのように行われたのか分からないが、奴隷を所持している者からすれば、突然財産を放棄しろ、といわれたようなものであり、それに従わない者も当然いたのではないだろうか。


 と、ここまで考えて、コウはいったん考えを停止した。

 ここにいるのが奴隷とは限らない。

 何かしらの犯罪者で、ここがその収容所という可能性だってある。

 そもそも奴隷といっても、その扱いがコウの知るそれと同じであるとも限らない。


「とにかく情報が足りない。土塁の内側の調査は後にして、中心部へ向かおう」

「ええ。いずれにせよ、真っ当な施設である可能性は、とても低そうです」


 土塁を見渡すが、普通に越えるのはまず無理だろう。

 鋭い金属製のトゲが無数にあり、上ろうとすれば全身がずたずたになる。

 一つだけあった出入口を遠目に見たが、やはり武装した見張りが立っていた。

 強引に突破できなくもないが、わざわざ騒ぎを起こす必要はない。

 コウ達は再び飛行の法術で土塁を乗り越えた。

 今度は飛行高度が低かったのもあり、アルフィンもコウの手をとるだけで、しがみつくことはしなかった。


 中心街、つまり明るくなっている場所は、法術具による明りとかがり火によって、下手な都市部の夜よりよっぽど明るかった。

 遠目に見ると警備の兵もいるが、行き交う人々はの大半はおそらくは貴族などの富裕層だと思われる。

 明るい部分は、中央にある大きな館を中心に、いわゆる歓楽街が構成されているようで、賑やかな声がここまで聞こえてくる。


「まるで秘密の歓楽街だな」

「ですね。それと外のあの捕えられている人々を考えると、あまり気持ちのいい場所ではないようです」


 決定的な証拠を得るためにはさらに踏み込む必要があるが、行けば確実に見つかるだろう。隠密行動は不可能に近い。

 逃げ出すことは飛行法術で可能だが、できれば見つからない方がいい


「一番いいのは、あの中心の館で何が行われているか、だな。ちょうど何か始まるようだし」


 コウの言葉で、二人は遠目に、中心の館に人が集まっていくのを見て取った。

 確かに、何かイベントめいたものが始まるのだろう。


「でも、どうやっても見つかりますね……飛行しても、あれだけ明るいと……」

「考えがある。とりあえず、任せてくれ」


 コウはそういうと、中心街へ向けて歩き出した。


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