第9話 法術の存在

「あの、昨日は、ありがとうございました」


 朝食の席で、ラクティはコウに首がもげるのではないか、という勢いで何度も頭を下げた。

 実は、守ってくれたことに対して、ではない。


 コウが宿に戻ると、あろうことかラクティは毛布の収納場所で、寝入っていたのである。

 さすがにこのままだとまずい、と判断したコウが、ベッドに連れて行った――この宿は夜は客だけしかおらず、この日は彼らしか客がいなかった――後、扉もある程度修復しておいた。

 なので、襲撃の痕跡は、僅かに歪んだ蝶番くらいである。


 とはいえ、あの状況で眠れるラクティの豪胆さには、さすがのコウも驚きを通り越して称賛すら口にしたが――それが、彼女にはとても恥ずかしかったらしい。

 今も顔が真っ赤である。


「問題、ない。それに、連中の仲間、まだいる」


 一応、一通りの状況を――殺害したことはぼかしたが――説明する。


「じゃ、じゃあ、メリナは、彼らに捕まっていないんですね!?」


 心底安堵したように、彼女は歓喜ともいえそうな表情になる。


「そう。あと、聞いてないが、彼女の場所、分かるのか?」

「あ、はい。私が使える、数少ない法術クリフの[刻印探査ナークリッドテレイア]です」


 彼女の説明はそこで終わってしまった。

 思わず、コウがなんともいえない表情になる。


「ああ、すみません。辺境だと法術も一般的ではないんでしたっけ。えと……」

「……すまない、相当色々、知らない。根本から説明、頼みたい」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 結局朝食後、昼前くらいまで、彼女の講義で時間が終わってしまった。

 ただそのおかげで、この世界の魔法について、ある程度知ることが出来た。


 まず予想外だったのは、魔法――この世界では法術クリフというらしい――が、かなり一般的なものである、ということである。


 法術を使うには法印ルナール――正式には魔法紋様印章ルーンナークリッドブルム――が必要だという。

 この法印とは、太古、神々が世界創造に使用したと云われる『力ある文字ルーン』を複数重ねた模様のようなものらしい。


 この『ルーン』という単語が地球のそれと意味を含めてほぼ同じなのに、コウは少なからず驚いた。

 偶然の一致というのもあり得るが、あるいはという可能性もある。その場合、地球とこの世界は過去、接点があったことになるわけで、コウ自身としても気になるところだ。


 この法印を、魔石――これ自体はこの世界でも一般的な素材のようだ――と呼ばれる石に、特別な技術で刻み、さらにそれをつけた腕輪や指輪、手袋や杖などを装備する。これを『法印具ルナリヴァ』という。

 そして、石に触れ、その法印にある『力ある文字ルーン』を組み合わせることで、法術を使うことが出来る、というのである。


 この法術、生活にも定着していて、使い手は一般市民にも多いらしく、生活を便利にするために多くの法術が使われているらしい。

 一例をあげると、汚水を浄化する法術などがある。

 この法術の使い手は人気があり、どの都市でも歓迎されるという。

 さらにその法術を付与した道具があって、それによって誰もがその恩恵にあずかれるという。この街が清潔だった理由はそれらしい。


 法印具の製造・販売は法術ギルドという組織が独占的に行っている。

 法印のパターンはかなり多く、それこそ膨大な種類があるらしい。

 種類によっては強力な効果があるため、購入の際に審査があるらしいが、生活法術と一般に呼ばれる法術用の法印具であれば、ほとんど無審査で所持できるという。

 ただ、法印ルナール、というよりは『力ある文字ルーン』には人それぞれに相性があり、多くの種類を使える人もいれば、ほとんど使えない人もいるらしい。

 使い手がごくわずかしない『力ある文字ルーン』というのもあるという。


「私は、『力ある文字ルーン』との相性がとても悪くて……その、使える文字ルーンはほんのわずかなんです。そのわずかな文字ルーンで使える法術の一つが[刻印探査]で、これは[刻印]に同意した対象の、なんとなくの位置と状態がわかるというものです」


 メリナはその対象になってるので、『近くにいること』『健康状態がそれほど悪くないこと』は分かるらしい。

 もっと優れた術者だと正確な位置が分かるらしいが、彼女は漠然と『近くにいる』ことだけしか分からないという。

 ちなみにラクティが持つ法印具は、ペンダントだった。


 魔法があるというのであれば是非使ってみたいところだが、この街には法術ギルドがなく、よって法印具を購入することが出来ない。

 法印具の販売を法術ギルドが独占的に行っている以上、ギルドのない街では手に入れることは出来ない。

 そして、人のものを奪っても、通常は使うことが出来ないという。

 なんともセキュリティレベルの高い代物である。

 通常は、というのは、所有者が許可すれば、他人がその法印具を使うことができるようにはなるらしい。

 また、所有者が装備してない状態で、一ヶ月もすると自然と所有者以外にも使えるようになるという。正しくは、所有者情報がリセットされるイメージのようだ。


 いずれにせよ、今使うことは出来ないので、コウは一旦法術のことは考えないことにした。

 ただ、戦う相手がそれを持ってるかどうかが、見極められるのはありがたい。

 過去、法術士クリルファは二人相手にしたが、確かにどちらも、石のついた手袋や、石のついた杖を持っていた。

 そういうのは警戒すべきなのだろう。


「話を戻す。男たち、君狙ってた。首領がいる。そっちも、特徴聞いた」


 正しくはイメージを全部確認したので、間違えようもないのだが、そこは伏せておく。


 ふと、この《意思接続ウィルリンク》は法術ではないのか、と考えたが――違う、という気がした。

 何より、法術の発動プロセスには法印が不可欠だが、コウは当然だがそれを持っていない。

 とすれば、これはあの竜――ヴェルヴスの固有能力と言えるか。


「……でも、誰が、私なんかを……確かに領主の娘ではありますが……」


 ラクティは本当に分からないという様子だが、コウは大体の想像はついていた。

 彼女が狙われる理由は、おそらくはその領主の立場ゆえに、だろう。

 とすれば、彼女の命を狙っているのは、叔父である可能性が高い。

 彼女が十四歳になり、領主の地位を譲り渡すことを是としなかった、というのがごく自然な動機だ。

 ラクティはそういうことに思い至らないようだ。あるいは叔父がそんなことをするはずがない、と信じているのか。


「考えても、分からない。首領なら、知ってる。何とか、捕らえる」


 残る敵の数は、情報どおりなら四人。

 彼らは、仲間が一人残らず殺害されたことはまだ知らないだろう。

 ちなみに、彼らの死体は、謎の斬殺死体として発見されたが、所持品に盗品と思しきものがあったことなどから、仲間割れとして処理された。

 なんともずさんなことだが、この場合ありがたい。


「ただ、メリナ、合流、助かるが」


 昨日の賊の話の通りなら、彼女は逃げ延びているらしい。

 となれば、ラクティとの合流を目指さない理由はない。

 ただ、この街は夜は門が閉ざされ、入ることは出来ない。

 ラクティ曰く、昨日より近づいている気がする、とのことだから、おそらく今日には街に来てくれるのでは、と考えていたところで――。


「ラクティ様!!」


 その声で、とりあえず懸念事項の一つが消えたことに、コウは安堵した。


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