第7話 少女の事情
コウはラクティと名乗った少女と、近くの食堂へ移動した。
立ち去る際、コウがあまりに奇妙に思ったことが、一つある。
あれだけの騒ぎを起こし、しかも人を傷つけたと言うのに、見物人は最初驚きこそすれ、男たちが去った後は特に気にしなかったこと。
それと、いわゆる官憲の類がまったくやってこなかったことだ。
街中での諍いは、放置と言うことだろうか。
「あらためて、助けていただき、感謝いたします。ええと……」
「……名前、コウ、だ」
「コウ様。本当に助かりました。このトレットで、命運尽きたものかと……」
そうしている間に、ウェイトレスが軽食を運んでくる。
ウェイトレス、と言っても、別に地球――というか日本にいるような、フリフリのエプロンドレスを着ているわけではない。
どちらかというと、給仕、と呼ぶほうが適切かもしれない。
運ばれてきたのは、おそらくはパンっぽい何かと、おそらくは燻製されたと思われる肉。
それにスープと、おそらくは水。
匂いから察するに、少なくともスープの味は、それほど悪くはないように思える。
「とりあえず、助けた。事情、聞きたい」
いっそ《
それに、聞き取る分には問題はないので、今回は必要ない。
「あ、はい。分かりました。コウ様は信用できる方だと思いますので、全てお話しいたします」
いきなり会った、しかも片言の男を信用するのはそれはそれでどうなんだと思うが、彼女からすれば頼る相手がまるでいないのだから仕方がないのかもしれない。
コウ自身、信用されやすい見た目だと思ったことはないが、とはいえあの状況で助けたのであれば、信用されても不思議はない、と思うことにした。
が――。
予想以上に厄介な事情だった。
食事しつつ聞いた彼女の話を要約すると、ラクティは貴族の娘らしい。
しかし十年前、父が死んだことにより、後継問題が持ち上がる。
唯一の子であるラクティは当時四歳。
あまりに幼いため、父の弟、つまり叔父が領主代行に就任する。
ラクティは王都にある学校――全寮制――に通い、十年後、ラクティが成人と認められる年齢に達したら領主の座を正式に継承するということになっていたらしい。
ところが領地に戻るところで、盗賊に襲われたという。
襲われたのは十日ほど前で、襲ってきたのは十人ほどだったという。
かなりの手練だったのか、護衛はあっさり蹴散らされ、あわやというところで逃げたという。
実に十日近く逃げ回っていたというのだから、たくましいことこの上ない。
その間の食事や、どう考えても十日間着続けていたとは思えない服の清潔さはが不思議に思ったが――。
「この街の近くまでは、もう一人、私の侍女が一緒に来ていたのです。ですが、この街の近くで盗賊に見つかりそうになり……」
唯一、一緒に逃げられたらしく、何でも学校でも侍女として一緒だったらしい。
そのもう一人は、囮になって違う方向へ。
そしてラクティだけが、街に入ったのだが――。
この街で、最初に彼女らを襲った者達と鉢合わせたという。
なんとも運がない……とはさすがに思えなかった。
位置関係は分からないが、十日もさまよって、最初の襲撃者と鉢合わせるなど、偶然ではありえない。
最初の襲撃の際、最低限の身の回りの物以外は馬車に置いて逃げたというから、もしただの盗賊であれば、その時点で目的は達成している。
しかし、その盗賊らは、ラクティを追っていた。
つまり目的は、明らかに彼女個人である。
状況や経緯を考えるなら、ほぼ間違いなくいわゆるお家騒動だ。
「その、もう一人の……侍女、は?」
「この街で落ち合おう、と言って……近くにいるのは、分かるのですが」
『侍女』というのが新しい単語だったので、発音に少し苦慮した。
彼女は不安そうではあるが、それでも侍女に対する信頼か、生きている、とは信じているらしい。
あるいは、それなりに戦うことが出来る存在だったのかも知れない。
「ああ、あんた、さっき通りで男たちを、変わった剣で斬ったってヒトかい?」
この先どう話を続けようか、と思案したところで、突然横合いから声が割り込んだ。
先ほど食事を運んできてくれたウェイトレスだ。
別のテーブルを片付けている最中なのか、片手には空の木皿が重ねられている。
「……変わった剣、コレなら、自分だ」
そういって、手元にある刀を見せる。
「へぇ。あたしも職業柄、剣士ってのは良く見るし、剣も良く見るけど……こんな細いのはあまり見ないわね。まして、僅かに反ったやつなんて初めてよ」
儀礼用の剣でなら、あると聞いたけど、と彼女は付け加える。
いわゆる、レイピアとかその類のことだろうか。
もっともこの刀も、自分が元々持っていたものと同じであるかは、疑わしいところだ。
フウキの村であれだけ人を斬った後、ほとんど手入れしてないのに、今もまだまったく何も斬ったことがないかのような輝きを保っている。
どう考えても普通ではない。
「聞きたいが、自分は、咎められる、ないのか?」
明らかに正当防衛とはいえ、街中の往来で人を傷つけたのだ。
少なくとも現代日本では、警察署にお世話になることは確実なのだが。
「……ああ、あれ、先に武器抜いたのあっちだろ? それなら何も咎められないよ。ま、そもそも盗みだって、結構おざなりだしね、この街」
どうやら正当防衛っぽいなら、ある程度は何をしても良かったらしい。
それならもう少し痛めつけておくべきだったかと思ったが、指を切り落とすのは十分すぎるか。
「辺境の街だからね。いろんなやつが来るし、それこそ最下層の連中だって来る。あの程度の荒事なんざ、ここでは珍しくもないよ」
どうやらずいぶん物騒な街だった。
フウキの村の方がよほど平和だったようだ――最期を除いて。
「しかし察するに、あんた、その辺境から来たのかい? これ以上先には、ごく僅かに村がいくつかあるだけのはずだけど……」
「事情が、ある」
この場合、片言の言葉が、逆に辺境出身であるのを納得させたのか。
ウェイトレスは、頑張ってと言って去っていった。
「……あの、えと、コウ様は、どこに向かわれるのでしょうか」
改めて問われると、返答に窮してしまう。
別に目的のある道程ではない。
強いて言うなら、元の世界に帰れればいいが、強く戻りたいという想いも、実はあまりない。
そもそも、日本に戻っても肩身の狭い思いをすることになるので、しがらみのないこちらの方が楽ではないかとも思えている。
「目的、ない。落ち着く場所も、ない、し」
実際、とりあえずの目的地であるトレットの街には着いたが、この先のビジョンはまったくない。
お約束で冒険者稼業のようなもので食いつなげれば、と考えていたが……。
「でしたら、あの、私の護衛として、雇われてくださいませんか?」
コウにとっては予想外の申し出に、思わず呆然としてしまっていた。
会ったばかりの、それも得体の知れない男を護衛に雇う、というのは危機感の欠如か、はたまた常識がないのか。
あるいはコレがこの世界の常識――とは思えない。
ただ、コウは気付いていないが、客観的に見れば、悪漢から何も言わずに助けてくれた人物で、しかもその後の対応も十分に紳士的、と言えるものであった以上、特に頼るものがない少女が、彼を頼みにするのは至極当然でもあったのだ。
「……分かった」
色々思うところはあるのだが、語彙の少なさの悲しさか。
非常に簡潔な返事になってしまった。
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