新たな出会い

第6話 初めての街

 身を切るような冷たさすら感じさせる冬の気配を含んだ風が、コウの頬をなでた。

 眼下に見えるのは、フウキの村よりは遥かに大きい街。

 前に村長に聞いたとおりなら、あれがトレットの街だろう。


 石造りの街壁は、高さは五メートルほどはあるだろうか。

 街は完全に囲まれており、壁の上に歩哨ほしょうが立つための通路も見て取れる。

 形は、ほぼ円形に近い。

 直径は一キロメートル弱、というところか。

 あまり詳しくはないが、フウキの村、および都市の外観から推定される文明レベルから考えると、そこそこの規模だとは思えた。

 周囲に水源は見当たらないが、街があるのなら水は確保されているのだろう。


「……すんなり街に入れると助かるんだが」


 壁に囲まれているのは、外敵――この場合人間以外の人間を襲う生物を含む――を想定してのことだろう。

 そうでなければ、この辺境でこれほどの壁が必要とも思えない。

 コウが来た側から攻撃してくる人間の軍はいるはずがないので、想定しているのはむしろ人間以外か。

 幸いにも道中遭遇はしなかったが、あのような竜がいたのだから、大型の獣もいるのだろう。

 あの竜にこの程度の壁では何もできない気はするが。


 フウキの村を出てから、すでに十日ほどが経過していた。


 最後に死んだセンカを弔ったのち、コウは村を出ることにした。

 食料は、少なくとも一人が生きていくにはまだ十分あったし、冬を越すくらいなら難しくはなかっただろう。

 だが、出来立てのゴーストタウンで数ヶ月一人でいられるほどには、コウの神経は図太くはない。

 それに、春になって人が来て、自分以外が全滅した状況を見たとき、どう思われるのかも気になった、というのもある。

 説明は出来るだろうが、その手間自体が面倒であるし、徴税官が来るという事は、あの村を領地としている組織なり行政機構があるはずだ。

 ならば、できるだけ早く知らせて弔ってもらいたい、というのもあった。

 正直そちらはあまり期待はしていないが。


 なので、少なくとも数日は移動出来るだけの装備を整え、コウは廃村となったフウキ村を後にした。

 暖かい人たちだった、と思う。

 どこから来たのかも分からない、言葉すら通じない人間を受け入れてくれるなど、普通出来ることではない気がする。

 もし、もう少し自分が上手く立ち回れれば、あるいは助けられた人もいたのではないか。

 少なくとも、センカだけでも――。


 そこまで思い返したところで、頭を振る。

 今更考えても仕方ないことだ。


 コウにすれば、フウキの村以来のこの世界の人々との接触、ということになる。

 置いていっても仕方なかったので、村にあった通貨と思われる貨幣をいくらか持ち出しているが、コレが使えるのか。

 不安は色々あったが、ともあれコウは、この世界における新たな一歩を踏み出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 街には拍子抜けするほどあっさりと入れた。

 通行税として、銅貨を二枚必要としたが、コレが高いのか安いのは、コウには分からない。

 ただ、まだ手持ちはあったし、同時に入ろうとする人の反応をみても、ぼったくられているということはないと思う。

 引き換えに渡されたのが、街にいる間は身分を保証する、という掌ほどの木片。


 街中は、思った以上に清潔感があった。

 地球の場合、中世のヨーロッパの街というのは汚物などで大変汚い、と何かで読んだがことがあったのだが、見た限りそういうことはない。

 石畳の通りは、ゴミ一つないとまではいかないまでも、汚いと顔をしかめるほどではない。少なくとも汚水が道脇に流れているということもなく、嫌な匂いはしなかった。

 通りに面している店には、食事処か宿が目立つがその他の店もいくつかある。

 見通しの良い大通りの奥に目をやると、街の中心になる場所に、教会じみた建物があった。


「……考えてみたら、この世界の宗教観、全然知らないな」


 フウキの村の人々は信心深くなかったのか、あまり『神に祈る』ということをしていなかった。

 何かに祈るような所作をしていたことはあったが、それが何に祈るものだったのか、訊いたことはない。

 日本同様、あまり宗教色を感じられない生活だったというのもある。

 そして予想は出来たが、やはり、というか。


「字が、読めない、か……」


 街の入り口で渡された、身分証ともなるという木片だが、なにやら書いてあるのだが、まったく読めない。

 残念ながら、《意思接続ウィルリンク》は名の通り意思の疎通のための能力であって、文字を読むことは出来ないのだ。

 図書館やそれに類するもがあって調べたいとも思っているが、そもそも文字が読めないのではどうしようもない。

 フウキの村では文字を必要とする場面がまったくなく、覚える機会がなかったのだし、そもそも、彼らのほとんどは文字を知らなかった。

 識字率がほぼ百パーセント、などというのは地球においても、現代の、それも一部の国に限られた話なのだ。


 そもそも、聞き取りなら《意思接続ウィルリンク》で何とかなるが、会話となると、未だに完全ではないのだ。

 さすがにこの能力が一般的だとは、コウも思っていない。

 とりあえず街にやってきたはいいが、これからどうする、というビジョンがまったくないのが正直なところだ。


「この手のお約束だと、冒険者ギルドとかその類があれば助かるけど……」


 それでも字が読めないのは致命的か。

 もっとも、この世界の識字率が低ければ、あるいは最低限でも何とかなるかもしれないが。


 そんな、考え事をしながら歩いていたため、いつの間にか表通りを外れ、少し裏道めいたところに入っていた。

 そこに、突然横道から現れた人影に対して、回避行動を一切行えずに盛大に衝突してしまった。


「痛っ……、って、失礼、考え事……」


 まで話してから、自分が日本語で話してしまっているのに気付く。


「大丈夫、か?」


 とりあえず、ぶつかった相手の無事を確認してから立ち上がろうとして――自分が剣呑な雰囲気の只中にいることに気が付いた。


 日本なら銃刀法に引っかかりそうな、三十センチメートルほどの刃渡りのナイフを持つ男が三人。

 それが、コウとぶつかってきた人物――その時に初めて、それが少女であることに気付いた――を囲んでいる。

 察するに、少女を男達が刃物を用いてまで追い回していた、ということになるのか。


 ぶつかった少女は、ようやく衝突の衝撃から立ち直って、囲まれていることに気付き、青ざめた。

 年齢は、十五歳前後か。

 一瞬、年齢だけならセンカに近いためか彼女と被りかけたが、黒髪だったセンカと違い、この少女は赤みがかった金髪。色も白く、どちらかというと白人という感じだ。ただ、その顔立ちが一瞬――なぜか遠い過去を思い出させた。

 それに着ている服は、この世界の被服の水準でも明らかに上等なものだと分かる。


「おう、兄ちゃん、捕まえてくれてありがとな。手間が省けたぜ」


 正直、《意思接続ウィルリンク》がなくても野卑た相手だというのは容易に判る。

 ある意味、呆れるほどにテンプレートじみた連中といえた。

 対して、追われているのは少女。

 この状況で、どちらの味方をするべきかを、考える必要はない。

 万に一つ、少女が実は大悪党で、追っているこの下品な男たちが官憲だとしたら……この世界の価値観について考え直さなければならないだろう。


 少女はすがる様な――それが捨てられた仔犬か仔猫にも見えた――目で、コウを見上げた。

 この状況で男たちの味方をするという選択肢は、コウにもない。


 少女を背中に庇うように立ち上がる。

 それだけで、コウの意思は伝わったらしい。

 男たちの雰囲気が、さらに剣呑なものになる。


「なんだ、おい。俺たちの邪魔をするのか? お前は何の関係もないだろう?」


 言外に、邪魔するようなら容赦しない、という雰囲気がありありとわかる。

 こういう時、《意思接続ウィルリンク》はそういう漠然とした殺意なども明確化する。

 まあ、これはそれらがなくても容易に判るレベルだが。


「邪魔、する。お前たち、悪人」


 片言で、一応言葉を選んだつもり……だが、そもそも語彙が少ないのだから、結局直接的な言い回しになってしまった。

 まあ、下手な誤解が生じるよりはいいだろう。


 そして、それに対する男たちの返答は、非常にわかり易いものだった。

 最初に飛び込んできた男は、いきなりナイフを突き出してきた。

 しかも、避けなければ完全にコウの胸を貫く軌道である。


(この世界において、殺人はどう扱われているんだかわからないと面倒だな――)


 この一撃を避けなければ、コウも死に至る恐れすらある。

 ただ、かといって返す刀で殺すと、その後の説明が面倒な可能性は高い。

 あの時の、周囲にならず者しかいない状況とは違う。

 日本の『正当防衛』という考え方が通じるとは限らない。


「ごはっ?!」


 結果、コウはナイフを避けて、男の喉元を拳打した。

 完全に喉を潰すとやはり殺すことになるので、一応手加減はしているが、しばらくまともに呼吸は出来なくなるはずだ。


「何しやがる!!」


 他の男たちがいきり立って、やはりナイフを振りかざしてきた。

 数に勝る以上、容易に判りきった展開ではあったが――


 刹那、光が閃いた。

 それが、コウが刀を抜いたと気付いた者は、ほぼ皆無。

 ただ、いつの間にかコウが長く細いモノ――刀を抜いていたのである。


 直後、カランカラン、と音を立てて、彼らの持つナイフが石畳の上で乾いた音を立てた。

 同時に、ほとんど音も立てず、ナイフ一本あたり数本、棒状のものが落ちる。

 それが彼らの指であることに気付いた時、彼らは自分の手から、ナイフと一緒に指が失われていたことに、ようやく気付いたのである。


「ぎゃあああああああああ!!!!」


 その一瞬の出来事に、コウのすぐ横にいた少女も目を丸くしている。


「次は、腕。嫌なら、逃げろ」


 そういいつつ、コウは刀を正眼に構えた。

 普段、こういう構えはしないのだが、こちらがまだ戦うつもりがあると示すのにわかりやすい構えなのだ。


 相対する男たちといえば――果たして最後のコウの言葉を聞いていたのかどうか。

 文字通り、悲鳴混じりに逃げていった。


「ふぅ」


 彼らが建物の影で見えなくなってから十秒ほどで、コウは緊張を解き、刀を納める。

 それから、まだ足元に座り込んでいた少女の前に屈みこみ、目線の高さを合わせた。


「大丈夫、か?」


 あらためてよく見ると、とても容姿の整った少女だった。

 見た感じの年齢は十四、五歳というところだから、自分よりは三年ほどは年下か。

 この世界の人間の年齢と見た目は、地球と大体同じであることはわかってるから、そう外れてはいないだろう。

 赤みがかった金髪は少し汚れた様子もあるが、肌は白く、瞳は翡翠に近い色。

 地球でなら、文句なしに美少女と表現できる容貌だ。この世界の水準はよくわからないから何とも言えないが、一般的に考えればかなり整っていると思えた。

 年齢が近いからか、やはり少しだけセンカを思い出して、コウの胸が少しだけ疼く。

 そしてそれ以上に、その怯えたような目が――それよりも以前の記憶を想起させた。


 少女は怯えた様子こそあれ、幾分安堵したらしい。

 しばらくコウをじっと見ていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「私はラクティと申します。助けていただき、本当にありがとうございました」

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