第5話 惨劇

 コウが寝泊りしているのは、村のやや外れにある小さな小屋だった。

 元々どこでも寝られる上、雨風を凌げれば十分、という考えの持ち主だ。

 さすがに虫の多さは辟易するかと思ったが、これは、この世界の被服に使われている布地がまさかの効果を持っていた。


 一部の獣の皮は、ほとんどの虫が嫌う、人にはわからない僅かなにおいを発しているらしい。

 この村も、少なくとも寝る場所と食料を保存する場所は、その布地――しかも安価らしい――で囲ってしまうのである。

 そのため、夜寝てる時に虫に悩まされることも、また、食料が虫に食われてしまうこともない。


 なので、コウはその日もゆっくりと寝ていることが出来た。

 以前は、眠るとろくでもない夢――正しくは記憶――を見ることが多く、ゆえに眠るのが嫌いであったが、この村の生活は暖かみがあり、かつて、まだ良く眠れていた頃のようによく眠れる日が多かった。

 なぜこの世界に自分が来たのかは分からないが、あるいはここで穏やかに暮らすのも悪くないとも思えている。


 だがその夜、悲鳴めいた何かが聞こえたように思えて、コウは目が覚めた。

 真夜中にそんな音がしたことはない。

 何事か訝しんで、木枠の隙間から外を見る。


 おりしも今日は銀月がほぼ満ちている日であり、最も明るい夜。

 真夜中と言えどさほど視界には困らないほどに明るいそこに――長物を持って走る影と、その影から逃げる村人が見えた。

 どう考えても、いや、考えるまでもなく、それは盗賊の類。

 その光景は、コウにあるものを思い出させ――反射的に、入り口の脇に立てかけてあった刀を取る。


「なんだ、起きていやがったか」


 家から一歩踏み出したところで、声をかけられた。

 現れたのは、野卑な印象の男だ。

 年齢は、三十歳前後か。

 手には幅広の長剣。

 切れ味は相当に悪そうだが、それでも人を傷つける用は成すだろう。


「結構若いから、素直に従ってくれるなら奴隷にしたいところが……今回は全員殺す予定だからな」


 どうやら村人を全員殺すつもりらしい。

 普通の人間ならば、この状況で抗う、ということすら、難しいに違いない。

 日常を過ごす中で、『人を殺す』『人に殺される』という行為はどこまでも遠い行為なのだ。それはこの世界だろうが日本だろうが同じ。


 普通ならば。


「あ? なんだその眼は。けっ、死んどけ!!」


 コウの目が、明らかに怯え以外の感情を宿し、鋭くにらみ返してくるのに、男は苛立った。

 この状況で、村人が抵抗する、などということは今までもなかったし、これからもないと思っていたのだ。

 もし村人が抵抗してきたとしても、自分が敗れるはずがない、という驕りもあっただろう。


 だから、彼は相手の男――コウから反撃がある、という可能性をほとんど考慮しないで斬りかかった。

 実際、彼の手にあるのは細い棒切れにしか見えなかったのだ。

 だが、それは――


 ヒィン、と。


 鋭く乾いた音が一瞬、響く。

 次の瞬間、コウは男から見て左後方に移動していた。

 斬りかかった男は、自分の目の前にいたはずの男が、いつの間にか自分の脇をすり抜けて背後に回っていたと判断し――


「逃げ回るのは得意なようだな――」


 そう言おうとして、言えなかった。


 振り返ろうとした瞬間、首筋に激痛が走る。

 直後、血が噴出した。

 何が起きたか分からないまま、男は血の噴水を吹き上げて絶命する。

 それを、コウは無表情で見下ろしていた。


 そこには、人を殺した恐怖も興奮も感慨もなく。

 ただただ、必要だから殺した、という無機質な瞳があるだけだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「な、なぜこのような非道を行う!? 欲しいものならくれてやる、だから、村人を――」


 果敢にも、襲ってきた盗賊頭だと思われる男に詰め寄った村長の、それが末期の言葉となった。

 肩から斜めに走った刃が逆に抜け、村長は血を噴出して絶命する。


「いいか! 村人は皆殺しでいい!!」


 盗賊は全部で十人。

 彼らがこの村に来る行商人を襲い、そして実は、それを討伐に来た兵士をも返り討ちにしたのである。

 実は彼ら自身は、ただの盗賊ではない。

 元々は、それなりに名の通った傭兵集団である。


 だが、ある戦いでやりすぎたため討伐されそうになり、この地域へ逃げてきた。

 ところが、争いが起きなくなって長いこの地域では、傭兵が運用されることはほとんどなく――食い詰めた彼らは、盗賊に身をやつしたのだ。

 そして彼らは、その『盗賊』という稼ぎ方が、傭兵稼業よりよほど楽だと――少なくともこの地域では――分かり、以後二年にもわたり、盗賊として各地を荒らしまわっていた。

 彼らが二年もの間捕まらなかったのは、一つところで幾度も仕事をしなかったからである。

 基本的に発見の遅れる辺境を狙い、かつ速やかに『壊滅』させて次の場所に行く。

 発見された時にはすでに彼らは別の地域に行った後、という訳だ。

 今回のこの襲撃後も、彼らは別の地域へ移動するのである。


 この地域はあまりにも辺境にあり、国はもちろん、領主の支配もほとんど及ばない。

 しかも被害も辺境の一村落のみで、生存者もなく、ゆえに発見も遅い。

 中には、まだ全滅したのに気付かれていない村すらある。

 さらに一部の貴族にとして盗品を回すことで、軍が討伐に来るようなことにならないようにしている。

 結果、彼らは捕まることなくこの地域で幾度となく非道を行ってきた。


 そして今回、このフウキの村が対象となったのである。

 以前の村より小規模ではあるが、収穫が終わった直後であり、作物に関しては期待できる。

 まして、こんな小さな村にいる者では、たとえ五人がかりだろうが、彼ら傭兵に立ち向かうことは出来はしない。

 失敗はありえないし、仲間に怪我人が出ることさえ、稀だ。

 生存者を逃がすとそれだけで厄介なので、ただの一人として逃がさず殺す。

 そのために事前に下調べも欠かさない。

 その上で夜襲をかけて、襲う担当の家をそれぞれ決めて皆殺しにする、という徹底振りである。

 その手間こそあれ、命の削りあいをしなければならない戦場働きと比べて、なんと楽なことか。


 あちこちで響いていた悲鳴が、もうほとんど聞こえなくなっていた。おそらくほぼ全滅したのだろう。

 先ほど若い娘のうめき声が聞こえたので、おそらく殺す前に手を付けている奴がいるのか。無駄なことを、と思うがある程度は容認している。


 ところが、突然剣戟の音が数度響き――悲鳴が続いた。

 まだ生き残りがいたのかと思ったが、その声に、盗賊団の長であるオロクは聞き覚えがあった。

 それは間違いなく仲間の、それも断末魔に近い声だ。


「なんだと?」


 こんな村に自分たちに抗うだけの力を持つ者がいるはずがない。

 いや、そもそも、彼らの持つ武器になりえるものなど農具程度であり、剣や槍を持つ自分たちとは、装備も錬度もまるで違うはずで――。

 だが続いて、別の仲間の断末魔がオロクの耳に届く。


「くっ、来い! 何が起きてやがる!」


 オロクは、腹心の部下であるガイエンとラサを連れ、声のほうへ走り――そこで、思わず立ち止まった。


 男が一人、立っていた。

 その足下には、おそらく今斬られたであろう、仲間が二人。

 一目で、絶命してると分かる。

 立っている男――コウは、刀を鞘に納め、悠然とたたずんでいた。


「貴様……この村の者か。確か一人外れに住んでいたやつだな。よくも俺たちの仲間をやってくれたな」


 その男――コウは、むしろ不思議そうに、オロクらを見た。

 自分たちが殺して回っているというのに、逆に殺されるという可能性をまるで考慮してないような物言いが、不思議だったからだ。


 一瞥してる間にも、他の仲間も集まってきた。

 おそらく、村に展開してる仲間が全員ここに来ているだろう。

 その証拠に、他の場所での悲鳴が聞こえなくなった。

 その数、合計で七人。


 数瞬の沈黙。

 そして直後発せられた言葉は、簡潔、かつ誤解もしようもないほど――


「死ね」


 発せられたのは日本語であり、彼らに理解できるものではなかった。

 だが、それ以上にこめられていたのは、明確な殺意。

 ゆえに、その内容は誤解しようがないほど相手には伝わった。

 ただそれは、相対するものを震え上がらせるほどの、物的な圧力すら感じさせるもの。

 その、まるで死神めいた気配に、オロクらは一瞬自らが慄くのを感じた。


「この数相手によくほざいた。お前こそ――」


 続く言葉は、発せられなかった。

 なぜなら、コウがすでに、彼の数歩手前にまで踏み込んでいたからだ。

 そこから、抜刀。

 続いたのは、オロクの仲間一人が首から血を噴出する光景だった。


 殺戮は続く。

 コウは振りぬいた刀を袈裟に振り下ろし、もう一人の腕を肩から落とす。

 その勢いのまま、足を組み替え、逆袈裟に斬り上げてもう一人。

 斬った刀を一度振り、血が刃から飛び散る。


 オロクは慌てて距離を取った。

 見慣れない武器だった。

 反った刃というのはないわけではないが、あれほどの切れ味を持つ武器は見たことがない。

 そして、男――コウの技量は卓越していた。

 刃を持つ武器は確かに殺傷力は高いが、幾度も人を斬るとその切れ味は鈍る。

 そして、人間の骨などは非常に硬く、普通、何度も斬りつければ武器自体が傷んで、損壊することもある。


 だから、剣は広く重く作る。

 切れ味など二の次だ。

 どうせすぐに鈍るのだから。


 だが、目の前の男の持つ武器は違った。

 細く、そして僅かに反った、その片側にだけ刃のある武器。

 そしてその切れ味はすさまじく、彼らのもつ魔獣皮をさらに煮詰めて固めた鎧を、造作なく切り裂いている。

 この鎧は、確かに槍の刺突などには耐えられないが、少なくとも普通の剣で斬るには相当な技量を必要とするはずなのに、だ。


 しかも、あの刃はどう見てもその切れ味が落ちていないようにすら見えた。

 人を何人も斬っているのに、刃についた血や脂が、振り抜かれると同時に振り払われているかのようだ。


 瞬く間に三人が斬殺されていた。

 普通に考えれば、この男を殺す予定だった仲間もすでに殺されているだろう。

 残るはオロクと、あと三人。


「くそ、ふざけんな!! ラサ!!」


 まともに遣り合ってはまずい、と判断したオロクは、腹心の名を呼ぶ。

 彼もまた、それだけで心得た、というように、右手を突き出した。


(何だ――?)


 訝しんだのはコウである。

 ラサ、と呼ばれた男は、どう見ても武器を持っていない。

 なにやら淡く光る模様がついた手袋があるだけだ。

 突き出した右腕に仕掛け武器やボウガンでもあるのかと思ったが、その様子もない。


 だが、その紋様が輝き、その手前になにやら複雑な文字めいたものが複数浮かび上がる。

 そして――。


「火のつぶてよ、我が敵を穿うがて」


 男がそうつぶやいた。

 直後、文字は一つに重なり、拳ほどの大きさの赤い何か――炎の塊が現れた。


「魔法!?」


 コウ自身、考えなかったわけではない。

 あの巨大な竜がいた世界である。

 魔法という、地球には存在しない物理法則を超えた力があるとしても、それを否定できる要素はない。

 ただこの村で、そんなものはまったくなかったので、その可能性を忘れていた。


(初の魔法体験が撃たれる側か!!)


 その火の玉は、僅かに揺らめくと、弾かれたようにコウに迫った。

 速度は、野球の投球ほどか。

 回避は不可能ではないが、コウは直感的にそれが不可能だと感じた。

 飛び出した時点の射線は自分とはまるで違ったはずなのに、その射線が大きく曲がって、自分を狙う。

 つまり、自動的に対象を追尾する力があるということだろう。


 この一撃で致命傷になるのかは分からないが、少なくとも体勢は崩れる。

 そしてそこに、追い討ちをしようと迫る盗賊二人が、視界の端に映っていた。


 避けられない。そう判断したコウは、その火の礫に刀を合わせた。

 ただ、そうすれば何とかなると、なぜかこの時はそう思った。


 しかし形を持たない火に刀を合わせたところで、普通はすり抜けるだけである。

 そのはずだったし、撃ったラサもそう考え――刃に触れた瞬間、火の礫が、まるでなかったかのように消失したことに、理解が及ばず自失してしまっていた。


 それは、ラサ以外の、オロクや他二人にとっても同じで――

 致命的ともいえる間隙スキを生んでしまっていた。


 剣閃が舞う。

 僅かな時間で、後ろにいたオロク以外の三人が、致命傷を負って血飛沫ちしぶきの中に倒れ伏した。


 残るは一人、オロクのみ。


「ば、馬鹿な……」


 かつては戦場でそれなりの働きをし、生き残った精鋭達である。

 盗賊に身をやつしたとはいえ、いつ官憲に追われるかもわからない中、鍛錬を欠かしたことはない。

 少なくとも、一介の村人に遅れをとるようなことは、ありえない。


 オロクの思考は、そこまでだった。

 仲間全員を失った衝撃から立ち直るまでの僅かな時間が、彼にとっての最期の時となった。

 彼に見えたのは、文字通り眼前に迫る美しい刃の切っ先。

 それにより視界を奪われ、次の瞬間には思考も消えていた。


 フウキの村を襲った盗賊たちは、その全てが死亡した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 夜が明けて、村の凄惨な状況が目の当たりになり、コウは思わず顔をそむけた。

 盗賊を合わせた死者は実に九十人近く。

 生き残った村人は、僅か二人。

 いや、正確に言うなら一人――コウだけだった。


 もう一人、盗賊が全滅した時点で息があったのは、センカだけだった。

 そのセンカは、だが盗賊に捕まり、おそらくは屈辱的な扱いを受けたのだろう。

 コウを見ても、何も反応しなくなっていた。

 外傷はほとんどなかったのだが、完全に心が死んでしまっていた。


 それから、四日後。

 コウは村人の弔いを終えていた。

 人数が人数なので、穴を掘って埋めるだけでもとてつもない重労働になる。

 そのため、何とか焼け残っていた家に集め――火葬にした。

 この世界の弔いの方法は詳しくは分からないが、どちらにせよ放置していてもいいことはない。何かで聞いた気はしたというのもある。

 盗賊たちも同じ場所ではないが、同様に燃やした。

 これだけでも相当な重労働だった。


 そしてセンカは、村人の火葬が終わったその夜、コウの必死の看護の甲斐なく、静かに息を引き取った。

 死因はおそらく栄養失調。

 彼女はあの夜から、水一滴口にすることが――無理矢理飲ませても吐いていた――なかったのだ。


 こうして、フウキの村は、人知れず滅んだ。

 このことが他の地域に知られるようになるのは、幾許か後のこと。

 この地で正しく弔いが行われるようになるのは、数カ月経ってからのことだった。

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