第4話 異世界の生活
晴れ渡った空は、絶好の収穫日和といえた。
一面に広がる黄金色の海は、その実りが十全であることを示している。
コウはその光景を見て、大きく深呼吸した。
実ったばかりの稲穂の香りが鼻腔を満たす。
「豊作ってやつかなぁ」
そういって、手にある鎌と、あてがわれた収穫の範囲を見る。
まだ、日が昇って一時間も経ってない。
この世界においても、夏は日が長く、冬は短くなるようで、かつ日本とほぼ気候が同じのようで、稲が収穫時とすると秋。おそらく今の時間は地球に当てはめるなら午前七時前後だろう。
もっとも、正確な時間の概念は、少なくともこの地域にはないのだが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あの後、コウは見事に遭難した。
どこに行けば人里があるか、など分からないのだから当然だろう。
そもそも他に人が存在するのか、というのすらわからなかったのだが。
あの、死んだと思った戦いを経て、もう一度今度は遭難で死ぬのか、と考えたのは、あの戦いから十日後。
僅かな夜露などで渇きは凌げても、飢えはどうしようもない。
むしろ、飲食もまともになしに十日間も生きていたことこそ、驚異的といえる。
が、それも限界に達し――そこで意識が途切れた。
次に目を開けた時、今度こそあの世かと思ったが――そこは、小さな農村だったのである。
言葉が通じない――大体の意味は《
また、コウも自分のことを名前しか話さず――というか話せない――にいたため、彼らはコウが記憶を失っている、と考えたらしい。
そうして、彼は手当てと食事の提供を受け、行く当てがそもそもまったくなかったので、村で厄介になってしまった。
それから、二ヶ月。
あっという間に時が過ぎてしまった。
ただ、その割に驚くほどこの世界についてはわかっていなかった。
この村は、そもそも相当な辺境にあるようで、外部との接触は収穫期に来る税――収穫物で納める――を徴収する役人と、数カ月に一度来る交易商人くらいらしい。
実際、コウは二ヶ月この村にいて、外部の人間にはまったく会っていない。
そしてこの村の人々は日々の生活に忙殺され、およそ世界のことはほとんど知らなかったのだ。
正直、言葉やわずかな違いを除けば、地球にいると錯覚しそうである。
わかったことといえば暦法くらいだ。
さすがにこれは農作業の基準になるのでしっかり把握されていた。
暦は地球同様『月』があり、十二カ月で一年、というのは同じらしい。
月は三十日で構成されていて、曜日の概念もあるというが、この村では誰も使っていない。
数え方は地球同様に数字――やはり十進法だった――なので、理解はしやすかった。
これに対して時間感覚は非常に曖昧で、朝・昼・夕方・夜というざっくりとした感覚でしかない。あとは『夜明け前』とか『日の入り直後』とかかなり適当だ。
もっともこれはこの村だからの話で、他の地域では時間の概念もあるらしい。
一日の長さについても、今のところ違和感はないので、そう変わるものではないだろう。
他に見える範囲での地球との一番の違いは月だった。
太陽はさすがに一つで、方角の概念も同じだったが、月が二つあったのである。
地球のそれとほぼ同じ大きさの銀色の輝きを持つ月と、それよりやや小さい蒼みがかった輝きを持つ月。
それぞれに満ち欠けもあるようだ。
固有名詞もあるらしいが、ほぼ銀月、蒼月と呼ばれるらしい。
コウからすれば、暦法と天体の動きはおそらく密接に関係しているはずなので法則などが気になるところだが、この村ではそういうのを調べようもない。
あるいはいつか、他の地域で調べられないかと思っている。
星々が存在するのも――当然地球とはまったく違う並びだが――同じ。
あとはここが惑星なのかが気になるが、残念ながら地平線が見えるような場所がないため分からない。
そして海は存在するらしいが、村人は誰も見たことがないらしい。
いつかはこの世界の姿を確認してみたいと思うのは、地球に住んでいたからだろうか。ただ、コウもこの二ヶ月はそれとなく考えていても、日々の生活をしていくのに精一杯だった。
村の人口は、八十人ほど。
年寄りがやや多く、次いで幼子が多い。一家族につき五人から六人は子供がいる。ただ、コウと同じくらいの年齢の村人は一人くらいしかおらず――。
「コウ、手伝いにきたよ!」
刈り取りを始めようとしたところで、突然後ろから声がかかる。
もっとも、近付いてきているのは、大分前に気付いていた。
「センカ。かまわない、言ったんだが」
振り返った先にいたのは、コウより若干年下の少女。
肩のところで切りそろえた黒髪が、吹きぬける風に柔らかく舞う。
少なくともこの世界においての人間は、コウの知る地球人類と、身体的特徴はほぼ同じらしい。
特にこの地域の人は、コウにとっても馴染みのある外見の人種の様だ。
センカと呼んだこの少女の黒にも見える焦げ茶色の瞳、自分と同じ色の肌、黒い髪は、日本人とは言わなくても、地球で言うところの東洋人と、まったく見分けはつかない。
服装は、着物というより浴衣に近いが、動きやすいように裾は膝辺りまでしかない。腰にあるのは帯ではなく、伸縮性の腰帯――言ってしまえば、巨大なゴム帯だ。
色も鮮やかな白に赤の模様の入ったもので、ともすれば余所行きでは、といいたくなるが、コレが普段着である。
履物も草履や下駄などではなく、しっかりとした靴に近いもの。
この村に滞在して驚いたのが、被服の多様性と鮮やかさだった。
この世界の服は、そのほとんどがこの世界に住む獣の皮や虫が紡ぐ糸を加工して作られた布で出来ているらしい。
ただ、それが非常に鮮やかな色彩に満ちているのだ。
最初、この村だけがそうなのかと思ったが、どうも違うらしい。
実際、この村は一年に数回来る行商から服を手に入れているという。
コウが滞在しているこの村は、フウキという。
言葉については、最初こそ《
センカは一番年齢が近いのもあって、一緒にいることが自然と多くなっていた。
記憶喪失の怪しげな男と、という気はしなくもないが――少なくとも本人が気にした様子はない。
村の者達も同様で、あるいはおおらかといえるのだろうか。
「コウ、
「ああ……やり方、聞いた。でも手本、助かる」
片言になってしまうのは、まだ語彙が十分ではないからだ。
何とか片言での日常会話ができるようになっただけでも上出来だろう。
話を聞く分には問題ないが、意味が分からないときは《
文法的には英語に近いのも助かった。
文字も存在するようだが、村で文字の読み書きができる人がほとんどいないため、さすがにまだ教えてもらっていない。
「うん、だから来たの。じゃ、見ててね?」
センカはそういうと、自分が持ってきた鎌を右手に持ち、左腕をうまく使って稲を脇に挟み込むと、ザリ、と鮮やかに稲を刈り取った。
そのまま、腰につけていた紐で素早く括って、縛り上げる。
なんてことはない作業だが、一連の動作が実に鮮やかだった。
ちなみにこの稲、確かに地球の稲と見た目はほぼ同じなのだが、決定的に違うのが、その大きさだ。
地球のそれは、品種にもよるがせいぜい一メートル程度だが、これはなんとコウの身長の二倍ほどもある。
その分つける実が多くなるのではなく大きい。
コウの知る米粒の、軽く三倍の大きさである。
よって、日本の様にこれを水で『炊く』のではなく、細かくすりつぶして使うらしい。
小麦粉ならぬ米粉、という訳だ。
あるいは
ちなみに麦は地球とほぼ同じだった。
果たしてこれが『お米』なのかは正直疑問だが、異世界である以上植生が同じはずもない。こちらの言葉で『ラス』というらしいが、とりあえずコウは『お米』だと思っておくことにしている。
ただいかんせん、大きい分収穫はより重労働だ。
もちろん、コンバインといった文明の利器などあるはずもない。
少なくともこの村の文明レベルは、せいぜい江戸時代レベルで、カラクリや電気仕掛けの機構などは一切存在しない。
また、村には外のことを知る者は、かろうじて村長が、以前この地域の都に行ったことがあるという程度で、村を出たことがない者ばかりである。
もっともこれは、この村があまりにも辺境にあるからということらしい。
「さあさあ、早くやらないと、日が暮れても終わらないよ!」
センカの言葉に、コウも慌てて行動を起こす。
幸いセンカの手伝いもあって、コウは無事その日の収穫を終えることが出来た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
行商が来ない。
その日、村の集会場で、緊急に集められた主だったフウキ村の人々に、村長はそう告げた。
本来、米の収穫が終わるこの季節に、何人かの行商が来るのが慣わしである。
ところが、それが今年は来ないという。
それどころか、徴税のための役人すら来ない。
この地域に通じる道は、一つしかない。
その道はフウキ村にとって、生命線ともいえる街道だ。
ところが、この街道に急に、獣や魔獣が出現するようになったという。
原因は不明である。
山神への貢物が足りなかったからだ、などという年配の者もいるが、現実問題、行商はもちろん、あろうことか徴税の役人も来ないらしい。
というのは、当然食料である米を大量に抱えて移動する徴税官は、獣たちの格好の獲物である。
これまで、獣がほとんど出ないからずいぶん道程が楽だったらしいが、そうでない、となればそれなりの守備隊が必要となる。
そのコストと、徴税で納められる米を天秤にかけたのか――この村は、いわば行政から見捨てられた形になってしまったようだ。
役人がそれなのだから、当然、護衛も自費で行う必要がある行商人はなおさらだ。
結果、このフウキ村は、完全な陸の孤島となってしまったのである。
こんな時のために税を納めていたのに、と憤慨する村人の意見はもっともだが、それを今言っても仕方ないのも事実だ。
食料はある。
だが、米や麦だけあっても生きていけない。
野の獣を狩るとしても、一部の必須食糧――塩など――は行商から手に入れるしかないのだ。
まだ去年からの備蓄はあるが、それとて冬を越えるのには心もとない。
「考えていても仕方あるまい。今年の冬を越せるだけの十分な蓄えはない。そして行商は来ない、となれば――わしらから出向くしかなかろう」
村長の発言は、当然ではあったが、村人は一様に下を向いた。
何しろ、生まれてから、この村を出たことがない者ばかりなのだ。
無論、村から出て行く者が皆無だったわけではない。
だが、帰ってきたものはほとんどいない。
現状、唯一外を知るのが、今の村長だった。
さしものコウでも、よくこんな村に引きこもっていられた、とは思うが、あるいはそうではない人はすでに村を出て行っているのだろう。
別に禁じられているわけではないだろうが、実際、日々の暮らしに必死――幼い子供も――なこの村の生活では、『外に出る』という余剰の力を発揮するだけの余裕がないのは、コウもこの二ヶ月で分かっていた。
収穫が終わって半月。すでに季節は秋も深まり、冬が近い。
村長の話では、商品を仕入れることができる街までは徒歩でおよそ十日。
往復だけで二十日かかり、その頃には冬になっている。
コウはまだ経験していないが、この地域はよく雪が降り、特に山間の道の雪は深く、冬に通るのは不可能に近いという。
つまり、大急ぎで帰ってくるしかないのだ。
しかも、獣が出るという道を抜けて。
そこからの話し合いは、やはり紛糾した。
だが、どう話し合おうが、結局結論は一つしかなかったのである。
仮に食料を切り詰めて冬を越したとしても、やはり春には困窮することになる。
結局、村人を何人かで米を売りに行くしかない、といことになった。
そしてその一人に、コウも選ばれた。
理由は簡単で、もっていた刀の存在である。
記憶喪失(ということになっている)とはいえ、武器を持っていた以上、戦えるかもしれないし、そもそも年齢的にも適任だった。
それ以外に、十人ほどが選ばれ、荷車――馬車などはない――に米を載せて、売りに行くことになった。
もっとも、コウとしては初めて他の地域に行けること自体は楽しみにしていたのだが――。
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センカのイメージはこちら参照。
https://kakuyomu.jp/users/masaki-i/news/16818093081429211912
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