第3話 竜のギフト

 視界が赤かった。

 この光景は、よく覚えている。

 忘れたくても、忘れられない悪夢だ。


 血溜りに沈むが二つ。

 右手にあるのは、赤く染まり、今も雫が滴り落ちる刃。


 眼前で血溜りに沈むそれが世間一般ではどういう存在となるか、今ならわかっている。

 だが当時は、なぜか自分の近くにいる、気味の悪い

 そして、だった。


 もっと早く排除しておけばよかった。

 そうすれば――振り返った先に倒れている小さな存在に寄り添う。

 力なく垂れる手を握ると、まだわずかに温もりを感じる。

 だがそれは、急速に失われていった。


「どうして、こんなことに――」


 ただただ、彼はいていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 意識の覚醒は急激だった。

 眠ることによって麻痺していた感覚が戻ると、全身を苛む激痛が襲う。

 意識が痛覚の膨大な信号を受信し、全身の痛みが戻ってきた。


「がっ……うあぁ!!」


 死んだほうがマシだと思えるほどの激痛。

 意識を手放したくなるそれは、だがやがて急激に、それこそ嘘のように引いていった。


「う……俺は、一体……」


 ようやく痛みが引いて、目を開ける余裕が出る。

 その、開いた視界に最初に飛び込んできたのは――黒。

 光の反射によって、銀色にも輝いて見えるそれは、意識を失う前まで相対していた、あの竜のような存在だ。

 痛みがなくなったが、少なくとも気を失う前は、両手足はほぼ再生不可能と思えるほど骨が砕けていたはずだ。

 全身の骨も、およそぐしゃぐしゃになっていたはずだが、予想に反してあっさりと体は以前のように動いた。

 思わず、両の手を握り締め、それを視界に収める。

 痛みはない。

 あの、ぼろぼろの状態は夢だったのか、と思えたが……目の前の存在と、ボロボロになっている服がそれを否定した。


 その黒光りする存在――黒銀の竜は、首の付け根に日本刀を突き立てられ、ピクリとも動かない。


「あの一撃で……死んだってのか?」


 何か違和感を感じたあの一点。

 そこに刀を突き刺したとて、それでどうにかなると思ってはいなかった。

 大体、そもそも刀が突き刺さるとも思っていなかった。


『驚いたものだ。一撃で、我が――を貫くとは』


 突然響いたソレは『声』というより『意思』だった。

 言葉ではない何か。ただそれゆえか、意味が分からない部分は理解できなかった。


「なっ!?」


 直後、完全に動かなくなっていたと思っていた黒竜が、ゆっくりと起き上がる。

 そして、その巨大な体躯が一瞬強く輝くと、黒竜の姿は消え、そこには一人の人間がいた。

 あの、首の根に突き刺さっていた刀が、支えを失って地面に落ちる。


 いや、人間とはいえないか。

 少なくとも、巨大な翼を背に持ち、角を生やした存在を、地球では人間とは呼ばないだろう。

 身長は二メートルはあろうか。

 背にある翼や巨大な角を合わせると、もっと大きく見える。

 体は先の竜と同じような鱗に覆われているが、まるで鎧姿の様ですらある。

 ただ、顔立ちは非常に美しいが――その精悍な印象と、体つきや骨格を見る限りは、おそらくは男性か。

 といっても、あんな規格外の人型など、そもそも性別があるのかどうかというのもあるが。


「――――――――、――――」


 その、人型の何かの口が動き、言葉を紡ぎだした。

 だがその言葉は、少なくともコウにはまったく理解できない。

 声は、かなり低い。

 聞き取れないことをのぞけば、やはり男性的であると思った。


「――――、……――――」


 続けて色々発せられるが、やはり分からない。

 ただ少なくとも、敵意や害意は感じられず、自然、コウは少しだけ緊張を解いた。


『ふむ――どうやら言葉が通じぬか。この地の言葉であるはずだが……やはり《意思接続ウィルリンク》で意思を交わすしかないか』


 相手の口は動かず――しかし、声だけが響いた。

 いや、それは『声』ではない。

 最初に『感じた』モノと同じく、意味がイメージとして、そのまま伝わってくる感じだ。

 頭が理解するためなのか、頭の中に響く『声』と感じるが、実際には音はない。

 ただ、先ほど聴いたからか、先の声が響いたようには思えた。


『討たれたあとで訊ねるというのも滑稽ではあるが……貴様、何者だ?』


 詰問するような意思。

 だが、害意はない。


「俺は……」


 言いかけてから、言葉が通じないことを思い出す。


『ふむ。まったく違う言語……察するに《意思接続ウィルリンク》を行うことは出来ぬか。ならば、我が問いに対する答えを思念しろ。それで、ある程度は伝わろう』


 先ほどから言っている《意思接続ウィルリンク》とやらの効果か。

 お互いの概念あるいは思考をそのまま相手に伝える方法のようだ。


『まず訊ねる。貴様、何故に我が領域に入り込んだ?』


 いきなり分からない質問が来た。

 概念としてはわかるが、何のことかはさっぱりだった。


 当惑するコウに対し、相手もやや困惑気味な表情になった――ように思う。

 表情の表現が人間と同じならば、だが。


『その様子から察するに、我の領域と知らずに来た、ということか。いや、そもそも貴様は、どこから来た?』


 宮城県の海沿いの道を走っていて、バイク事故で海に飛び出したはず……だ、と。

 伝わるか分からないが、そう考えた。


 それはどうやら……伝わったことは伝わったが、相手の困惑はさらに大きくなる。


『海沿い――は分かるが、それはなんだ? 地名か?』


 コウはあとで知ることになるが、この《意思接続ウィルリンク》は誤解なく意思疎通が出来る点で大変便利なのだが、致命的な欠点がある。

 意思を概念的に伝え合うため、概念として共有できていない存在、例えば固有名詞を伝えるのが非常に難しいのである。

 人や建物などであればそのものを考えればいいが、地名となると非常に難しい。

 お互いに知ってるものであればそれをイメージとして伝えられるが――この場合『宮城県』などという単語は、まったく伝わるはずのない概念だったのだ。

 慣れてくればイメージを共有できないもの――この場合は地名――を、伝えることも可能なのだが、当然今のコウにそんなことは出来ない。

 そして、当然だが『バイク』という概念は、バイクという存在のイメージ――二つの車輪のあるもの――という程度しか伝わらない。


『そもそも貴様は……いや。そうか。貴様、この世界の人間ではないな?』


 その言葉イメージに、コウは『ああ、やはりか』と納得した。


 そもそも、竜は地球にはいない。

 いたとしても、恐竜は遥か昔に滅んでいるし、まして火を吐いたり、人型に変化する存在などいるはずもない。

 つまりどういうわけかはともかく、自分は違う世界、それも物理法則すら異なる場所に紛れ込んできてしまったということだろう。


『なるほど。すると我は早とちりで、挙句に討たれたというわけか。コレは滑稽だ。我が事ながら、呆れてしまうな』


 多分笑った――様に見える。


『しかし、我を討つとはすさまじい幸運。いや、諦めないがゆえに手繰り寄せた強運か。ふむ。我は一時滅ぶが……そうだな。我を討ち果たすという大業をなした貴様に、褒美として最低限の知識を授けよう。あとは貴様が好きにせよ』


 その彼の意思が伝わってきた直後、彼の体が淡く輝き、次の瞬間、頭の中に何かのイメージが入り込んできた。


「なっ……おい!?」


 一方的に、何も説明すらない。

 流れ込んでくる『モノ』がなんであるかすら、判然としない。

 そして、彼の体は薄らいでいき――消滅してしまった。

 ただ、併せて急激に構築される知識が、自分の身に何が起きたのかを理解させた。


 ここが地球ではないこと。

 自分がいかなる理由によるものか、この世界に移動――いわゆる異世界転移――してきてしまったこと。

 消滅した竜が、黒竜ヴェルヴスという名で、この周辺を領域――いわゆる縄張り――として支配していたこと。

 つまり自分は、勝手に彼の縄張りに飛び込んできた挙句、あろうことか彼を屠ってしまったということになるらしい。

 日本的に言うなら、不法侵入の挙句の殺人(?)となるのか。

 酷い話であるが、同時に流れ込んできたそれらの感覚で、別段彼がそれでなんら悔恨を抱いていないことは分かった。

 それだけが、救いか。


 この世界の情報も取得できれば楽だったのだが、そういう知識はくれなかったらしい。

 ただ、一つ非常に大きな贈り物ギフトがあった。

 彼が使っていた《意思接続ウィルリンク》の使い方が頭に入り込んできたのだ。

 この世界の言語は少なくともコウが知らないと思われる以上、少なくとも、他に人、あるいは会話可能な存在に出会った際に、意思の交換がまったく出来ない、ということはないということになる。


「かといって、これからどうしろと……なんだが」


 まだ僅かに残っていた光は、しばらくコウの周りを漂っていたが、その言葉に、つい、と離れていってしまう。

 まるで『そんなことは自分で考えろ』とでも言うように。


「……まあ、どうせ一度……いや、二度死んだようなものだしな」


 元々、達観してる、とはよく言われていた。

 実際そうだろう、という自覚もある。

 もっとも、全てに対して投げやりであっただけなのだが。

 ここがどこであるのか、どこに行けば生活できるのかすら分からないが、とりあえず歩き出さないわけにはいかないだろう。


 ふと、視界の端に、あの竜に突き刺さったはずの刀が、地面に突き刺さったまま残っていた。

 何の気なしに手に取り、引き抜く。

 すると前以上に手になじんだ。

 生死を共にしたから、という話ではなく。

 そもそも、あれだけの衝撃を受けたにも関わらず、さらにその全体にあの竜の血を浴びたにも関わらず――。

 刃は、まるで今あつらえたかのように鮮やかな輝きを放っていたのだ。

 柄も、よく見ると血の跡などは一切ない。

 すぐ横に、鞘も落ちていた。


「……あの竜からの贈り物か?」


 あれだけ規格外の存在だったのだ。

 何をやられても不思議はない。


「まあ、いいか。日本みたいに安全な場所ではなさそうだしな」


 行く先など分からない。

 ただ、生き延びたのなら、そして異世界などという異様な場所に来たのなら、行けるところまで行く。


 コウはそう決めると、歩き出した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その円形の部屋には、多くの人々がいた。

 ただ、人々のほとんどは壁際にいて、部屋の中心に大きな火が炊かれている。

 大きさは、人が一人二人中に入りうる――地球的に言うならば、キャンプファイアー程度。

 その炎を囲んで、四人の、ゆったりとした服装――ローブを纏ったの人物が、寸分違わぬ動きで炎に、まるで祈りを捧げる様に手を合わせ、そしてまったく同じ音を紡ぐ。


「――――――――――――――」


 綺麗に唱和したその音――声は、まるで一人の人間が同時に異なる音階を紡いでいるかのように、朗々と流れ――そして、火にくべられた、薪の爆ぜる音以外の、全ての音が消えた。

 直後、炎が自然ではありえないほどの形に歪む。

 そして、まるで部屋を焦がす――石造りなので延焼することはないが――ほどの業火となって、急激に鎮火した。

 組まれた薪が崩れ――表れたのは、黒ずんだ存在。

 

 それは、炭化した人だった。

 しかし、人々はそれに目もくれず、ローブの者達の言葉を待つ。


「神意は示された――」


「世界の解放は近い――」


「昏き帳はほどかれる――」


「我らは彼の地へ到り――」


「「「「世界の真実を取り戻さん――」」」」

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