ヴァレリア=ケリー: 虚勢と変貌
「じゃあ、俺はあそこで探し物があるから行ってくる。……その、十分休めたら、普通に出ていってもらっていい」
扉が閉まる前に
短くカサハラと名乗った男は、肘ごと左腕を失っていた。廃墟に戻ってからは普段使いの細身の義手をはめているが、必要な時には救助隊の1人として、怪物の腕を加工した特殊な義手で瓦礫の除去等を行っているらしい。礼儀として私もファミリーネームの「ケリー」は名乗ったが、「覚えておく」とだけ返されてしまった。
直感的にだが、説明を聞くうちにわかってしまった。……カサハラは、嘘を付いている。
おそらくここには救助隊など存在せず、カサハラは1人で救助活動をしている。彼自身は救援のノウハウなどまるでない、その筋においては一般人だ。今もそうだが、カサハラは助けたその後のケアに気を払える程の余裕がない。出来て、落ち着いた場所に人を連れて行く程度だろう。
外部から来た私にわざわざ嘘をつく理由はわからない。……一応、私が過度に不安にならない為の配慮のつもりだったのだろうか。
(これ以上、彼に負担は掛けられない。掛けられないが……、これは…………)
カサハラが充分離れたのを見計らって、浅くしていた呼吸を戻す。低く、鈍い雑音が部屋中に響く。その音が、今の私の呼吸音だった。
瓦礫に閉じ込められて最初に感じたあの疼きは、間違いなく身体の異常だった。ヘルメットのヒビが致命的だったらしい。疼きと痺れ、痒みがあまりに止まらず、確認しようと防護服の中で腕を引き抜こうとして……ゆとりがある筈の防護服に腕が引っかかったところで、私はようやく自分の体の変貌を自覚した。
手首が既に肘より太く、腕や胸は全体的に硬質になりつつある。背中は僧帽筋がひたすら膨らみ続けており、既に首はずっと下を向き続けるしかなかった。足は柔らかいままだが感覚が遠くなり。防護服一杯に膨れ上がっている。他にも髪の密度は下がる代わりに、肌から同じ色の毛が密集して生えるようになっていた。
この変貌が好意的に受け取られるとは思えず、カサハラにはこの異常を隠したまま今に至る。この間にも、鼓動と共に甲殻が外に持ち上がり、防護服の右肩を引き裂き始めている。……防護服下の隊員服と下着はとうに役に立たなくなったが、防護服が後を追うのも時間の問題だろう。
(……隠すのはもう無理か)
感覚はないが、それなりに時間が経った頃。変形が進み首を動かすのも厳しくなりつつあったため、腕と上半身を投げ出しドアの方に顔を向けていた。未だに身体中の皮膚に次々と異物が浮かんでくる感覚はあるが、痛みも殆どなければ意識がはっきりしているせいで、私はやけに落ち着いていた。あまりよくはない腹の括り方だが、今のうちに
思い返していたのは護送トラックの襲撃……そこでの怪物達の動きだった。今は冷静だが、完全に怪物となったら私は暴れ回るのか?それとも、あの怪物達は正気のまま凶行を働いたのか?前者であれば、被害者を新たに出さない内に私は死ぬべきなのだろう。後者であれば…………――
(……?)
不意に、荒い呼吸とふらつく足音、何か硬質の箱が引きずられる音を耳が拾う。その数十秒後、開いた扉の向こうに随分と顔色が悪いカサハラが立っていた。逆光になっている筈だが、初めて出会った時に比べてやけに顔が良く見える。……見えるようになってしまったと考えるのが正しいか。
「……やっぱり感染してたか。全く取り乱さない例は初めてだな」
一本拍子で呟くカサハラの目は、焦点があっていない上、随分と濁っている。大きく姿が変わっている私を見ても普通に対応してくれる点はありがたかったが、この数時間の間に彼に何かあったのだろうか。いや、それよりも聞き捨てならない単語があった。……感染?
「……ワタ、しは、ドウ、なる」
壊れたレコードの様な声をぶつ切りにして、ようやく質問らしきものを紡ぎ出した。感染と言うには、カサハラはこの体がどういうものかを知っているのだろう。抽象的な質問になってしまったが、質問ができただけよしとする。
対するカサハラの顔が目に見えて強張る。ここに来るまでのせいなのか、私の質問のせいなのか、呼吸が極端に浅くなっていた。ずいぶん長く、悩むように何度も目を泳がせた後……再び色のない目をこちらに向けて、カサハラが口を開いた。
「……研究用に感染力を操作、かつ複数生物のゲノムを含んだレトロウィルスは、変化が不可逆だ。一度感染して、運良くすぐにウィルスに打ち勝つ者もいれば、ウィルスからゲノムを受け取ってしまって、その姿を大きく変貌させる者もいる。アンタは後者だ。……基本的には変化中、および変化後の有効な対抗策がない。ウィルスだけでは狂う事もないから、アンタはそういう者として、現状生きていくしかない」
スラスラと必要以上の情報が、早口で捲し立てられていく。急に声に覇気が乗りしっかりとした滑舌になるのを見るに、カサハラの本当の職業は学者か何かなのだろう。ここまで詳細をわかっている相手に症状を隠そうとしていたのだから、私は大分失礼な事をしてしまったらしい。
とにかく。変化は不可逆、だが意識はそのまま。……私は何もわからないまま、今すぐ誰かを殺してしまうような事はないらしい。
「アリ、……がと、ウ」
情報提供に対してと、ささやかな望みが叶う事に礼を述べる。私の言葉を聞いたカサハラの目が見開かれ、しばらくそのままになる。そしてその後、ほとんど鳴らない声で、とても小さな独り言を呟くのが見えた。
……「違う」「なんで」「感謝なんかするんだ」?
(……どういう事だ?)
そう発声しようとするも、急に舌も声帯も全く動かなくなる。代わりにひと繋がりの咆哮が口から吐き出され、カサハラの顔がさらに歪む。連続的に水音を立てる体に目をやれば、甲殻やトゲをそのままに、顔や体が歪に引き延ばされ始めるところだった。小さく甲高い悲鳴が耳を刺す。自分でないなら当たり前だが、出所はカサハラだった。
ジワジワと後ずさり扉へ駆け出すカサハラの背に、「待ってくれ」と言ったつもりの唸り声をぶつけてしまう。声を出したのが逆に後押しになってしまったようで、カサハラはそのまま私を置いて扉の向こうに消えてしまった。
カサハラの行動に怒りは湧かない。意識はあるとはいえ、この有様だ。逃げ出す事は別におかしい事はないのだが……どうしても、あの呟きと表情が、引っかかって離れない。
(……どうして、私以上に君がそんなに絶望しているんだ)
細切れになり、使い物にならなくなった防護服が床に落ちる。今度は痛みがあるらしく、体に異変があるたびに反射的に体を
その声を聞いて、もがいて叩きつけた手が軽々地面を削るのを見て、人間としての私が死んでいくのを感じていた。
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