Episode08-00 追う青年①


 都内某所


 のっぺりと肌に纏わり付く空気感は「穢界」特有のもの。最近増えた「界隈の人間」からは「瘴気」と呼び慣らされている不快な空気感だ。それに混ざり込む異臭は下水溝から立ち上ってきたような腐敗臭混じりの悪臭。おそらく、この「穢界」が出来た場所が、都内でも繁華街と呼ばれる地区の路地裏だからだろう。


 そんな穢界にこの夜、1人の青年が立ち入った。


「八等穢界……か」


 声の質は青年が20歳前後の、いや、まだ10代後半である可能性を示している。それほど若い声だ。ただ、その声色にはどうしても拭えない緊張感が漂っている。周囲を満たす不愉快な「瘴気」に、まだ慣れていないのだろう。


 今年の1月に始まった「EFWアプリ」一般公開によってアプリを取得したユーザーなのだろうか?


「……っ」


 とここで、青年は向こう側の暗がりで何かが動く気配を察する。そして、いつの間にか手に握られていたシンプルなデザインの両刃の直剣を油断なく構えると、もう片方の手に握ったスマホを親指だけで操作して画面をタップ、


「と、灯火トーチ


 合言葉のような言葉を発する。すると、青年の前方4m程の空中にぼんやりとした光の球が出現し、周囲を照らし出した。


 その結果、物陰に潜んでいた異形の存在が照らし出される。


 異形の存在は一見するとガリガリにやせ細った子供のような背格好に見える。ただ、着ている衣服はボロ布同然のモノ。そして何より、その顔が「人間の子供」とは似ても似つかない。黄色く濁って血走った両目は異様な程大きく、耳も捻じれて先が尖っている。さらに、その耳に届くまで裂けた口には細かい牙がびっしりと生えているという異形の容姿。


 そんな異形のモノはアプリユーザー界隈の人間から「ゴブリン」と呼ばれているモンスターだ。


 この「ゴブリン」、以前は日本以外の文化圏で低等級穢界の怪異(この場合はモンスター)とされていた存在だが、どういう訳か「EFWアプリ」が一般公開されて程なくして、日本の穢界でも出現するようになった。


 ただ、これまで日本固有の低等級怪異だった「小餓鬼」等と共存している訳ではない。つまり、「小餓鬼」が出る穢界はその系統の「日本固有種」が出現するし、「ゴブリン」が出る穢界は「外来種」の怪異が出現する。


 この変化に旧来の式者やベータ時代のEFWアプリユーザーは随分と戸惑ったようだが、青年のように一般公開でEFWアプリを取得したユーザーにとっては、これが「当然」の話。


「ギッ」


 とこの時、灯火の明かりに照らし出されたゴブリンが青年の存在を認識したように、敵意むき出しの視線を青年に送った。


 一方、青年の方は


「ゴブリンか……よし」


 なにか特別な意図があるのだろうか? 出現した怪異を「ゴブリン」と見て取ると、幾分声に喜色を滲ませた。そして、


「とにかく狩る! 来い!」


 そんな青年の声が合図だったかのように、物陰からゴブリンが飛びだす。そして、青年の剣が不愉快な穢界の空気の中で一閃された。


******************


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 八等穢界の奥へたどり着いた青年は、この時、最奥の路地の突き当りで1匹の大柄なゴブリンと対峙していた。恐らくこの穢界の「穢界主」だろう。


 青年は既に十分傷ついており、また体力も相応に消耗している。ただ、それでも目に宿した闘志だけは消える事無く、ややもすると狂気じみた熱量を保っている。


「ギギィィ」


 その一瞬、青年の視線が左手のスマホに向けられた。それを「隙」と捉えた大柄なゴブリンが一気に青年に飛び掛かる。しかし、


火の矢ファイア・アロー!」


 一瞬の隙に見えた動作は、青年が敢えて作った「誘い」であり、その罠に飛び込んだゴブリンに対して、青年はEFWアプリの「スキル」を発動。


 青年とゴブリンの中間地点に突如として燃え上がる1本の矢が出現し、それがゴブリン目掛けて襲い掛かる。


 ほぼカウンターとして「火の矢」を胸部に受けたゴブリンは、もんどりうって地面に倒れ込む。そこへ、トドメとばかりに青年が駆け寄り、直剣の剣身を力いっぱいに叩きつける。


――ドスッ


 という音と共に、八等穢界の穢界主であったゴブリンが斃された。


 ただ、それを成し遂げた青年は、まるで何かを待つような視線で亡骸となったゴブリンの身体を見つめる。すると、それまで在ったゴブリンの亡骸がフッと掻き消え、その場に「コロン」と黒いガラス質の石が転がった。


 青年はその石を手に取ると、「灯火」の明かりに照らして、その性質を見極めるような顔つきになり、


「……やっぱり……」


 言いつつ、ズボンのポケットから取り出したもう1つの石と見比べて


「違うな」


 落胆したように言う。


 青年がポケットから取り出した石は、まるでチョーカーのアクセサリーのように皮ひもが通され、端面も鏡のように磨かれている。それに対して、ゴブリンが遺した石は色味こそ似ているが、光沢は全く劣っていた。


「あのババア、いい加減な事を言いやがって」


 穢界の奥で悪態を吐くこの青年、名前を「岡田浩二おかだ・こうじ」という。


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