Episode07-24 穢れた土


――三人称視点です――


 長野県茅野市山中。


 寂れた山村風の集落を抜け、山の方へ分け入った先の林道脇に1台の黒い外国産SUVが停車している。


 あたりはすっかり夜のとばりが降り、一昨日に降って溶け残った雪が薄い月明かりを受けて寒々しい光景を作り上げている。


 SUVのエンジンが止まる。それで周囲は全くの静寂、耳鳴りがするほどの静けさに包まれた。


 そんな中、SUVの車内に留まっている2人の人物は「これからの事」を確認するように会話を交わす。まず最初に声を発したのは運転席の人物。その容姿風貌は整った外国人男性のものだ。その人物が、


「トマス、こういう事は言い難いのだが……これは協定違反じゃないか?」


 助手席のトマスと呼んだ男に言う。すると、


「協定? ああ、バチカン協定か……」


 助手席のトマスは片目を覆った眼帯を何気なく指で摩りながら、


「各国は相互に他国の霊的な存在に干渉しない。やむを得ず干渉が必要となる場合は事前の協議を経て同意を得る事……だったな」


 と続ける。


 その言葉に運転席の男 ――トマスの部下だろうか?―― は無言で頷く。しかし、


「確かに協定を守る事は大切だ。しかし、それは人と人が交わした約束に過ぎない。神と交わした契約にあらざれば、いずれ破られるのも当然」


 続くトマスの言葉は「バチカン協定」を端から無視するものだった。


「我らは神と御使いの思し召しに従い行動するまで。人の間の約束に縛られるものではない」


 そう言い切るトマスに、運転席の男はため息を漏らす。まるで「そう言うと思っていた」というようなリアクションだ。ただ、そうは言ってもまだ1つ、運転席の男には言わなければならない事が残っていた。それは、


「協定はこの際いいとして……今回の件は、日本における私達の交渉相手、ミスター秦角の家族に害を為す結果になりかねない。バレると厄介になると思うが?」


 より実務的な問題を指摘するもの。


 運転席の男が言う「交渉相手、ミスター秦角」とは、日本の行政機関の中で唯一「怪異」と向き合っている組織「警察庁長官官房附第四係」のトップである秦角賢はたかど・けん官房審議官、その人の事。


 ちなみに、全世界的に見ても国の行政機関内にそのような部署を秘匿しつつも有している国は少ない。トマスらが属する聖白百合セントアイリス十字騎士団クルセイダーにしても、バチカン市国に属しているが、それ以外の国での活動は各地の有力議員やカトリック教団の後ろ盾、或いは先にトマスが否定して見せた「バチカン協定」が必要になる。


 勿論、日本に於いてもトマスら聖白百合セントアイリス十字騎士団クルセイダーの活動は「警察庁長官官房附第四係」との調整が必要になる。そして、その調整の窓口が「ミスター・秦角」となる。


 その「ミスター・秦角」の「家族に害を為す」とは――


「うむ……まさか、我々が注目したアプリユーザー、ミスター・ヤガミが秦角の息子だとはな」


 というマトスの言葉に関係があった。


「もともと、ミスター秦角が日本のシキケの出身であることは分かっていたが……」


 以前からマトス達は日本に於ける「EFWアプリユーザー」の動向に注目していた。ただ、日本側は個人情報保護を盾に、詳細なアプリユーザーの情報開示を拒んでいた。そのため、世界的には大きな勢力を持つカトリックを背後に持つマトスら聖白百合セントアイリス十字騎士団クルセイダーでも、日本に於けるアプリユーザーの情報を掴むことは困難だったが、実際はひょん・・・なところから情報を入手していた。


 それは、八神迅が入手し気に入って使っているエンジェルテック製の「ARグラス」に仕込まれていたバックドアだ。そこから吸い上げられたデータを解析し、彼等は「八神迅」の実力 ――六等穢界を浄化しうる力―― を認知し、監視対象と定めたのだが、


「まさか、ジン・ヤガミとケン・ハタカドが親子とは思わなかったな」


 調べてみれば直ぐに分かったが事実だが、とにかく、彼等の交渉相手である「ミスター秦角」と監視対象アプリユーザー「八神迅」は親子だった。


「ただ、いずれにしても有力なアプリユーザーの実力を確認する事は必要だ。いずれ味方に取り込むか、もしくは敵対するか、そのどちらであってもな」


 結局、運転席の男の言葉はトマスの「いずれにしても――」という言葉で退けられ、


「そろそろ時間だ、行こう」


 というトマスの言葉でそれ以上の会話は続かなくなった。


******************


 2人は苦も無く斜面を登ると、開けた場所に出る。目の前には朽ち果てた小さなやしろがある。その、みすぼらしくも寂しい佇まいを目にして、


「ほう……聖釘の結界……に似たものをつくってあるな」


 そう漏らしたのはトマス。


「ヤガミの祖父、ミスター秦角の父ゴンゾウはフォースグレードのシキシャだ。おそらく祖父がやった東洋の結界だろう」


 トマスの言葉に答える男。


 その言葉に頷きつつも、トマスは奥のやしろへ目を向ける。そして、やおら眼帯を外すと


「……本来はサードグレードのダイモーン……しかし、東洋の聖釘によって力を奪われ今は精々がフィフス……いや、それよりも劣るな」


 社の奥に居る存在を見極めたようにそう言うと、眼帯を元の位置に戻す。そして、


「これでは実力を測ることは難しい……やはりアレを使うか」


 と呟き、やおら懐からスマートフォンを取り出す。


「トマス……今回の件、本当に御使い様、ガブリエル様は御承知なのだろうな?」


 とは、スマホを操作するトマスを横目に見る男の問い。ただ、トマスはその問いに答える事無く、不意に左手に現れた白い麻袋を見ながら、


「カティンの森の腐土……何万という人の血を吸った穢れた土ならば、弱ったダイモ―ンも力を取り戻すだろう。そうでなければヤガミの力を測れない……そうだろう?」


 言いつつ袋の口を縛った紐を解き、


「いずれ協力者となるか妨害者となるか……今は我が目を以ても見通せぬ未来だが、どちらであっても相手の力を知る事は大切。ガブリエル様もきっとそう思われるさ」


 言外に独断行動であることを明らかにしつつ、袋の中身 ――どす黒く湿った土―― を社の周辺に振り撒くのだった。


「さぁ、束の間、力を取り戻せ悪霊。いずれ打ち滅ぼされる矮小なる魂よ!」


 トマスの声が夜の森に響き渡る。そして、静謐だった空気が徐々に重苦しいモノに置き換わっていくのだった。



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