Episode01-08 君の名は……
俺は足元で倒れたまま動かないサラリーマン風の男の様子を見る。首吊り寸前の状態で少し高い足場から落下したこの男だが、目立った外傷はない。首に掛かった状態のロープを握りしめたまま気絶しているようだった。
(う~ん、これ、どうしようか?)
というのが、率直な俺の感想。
周囲の空気からは重苦しさが消え去ったが、俺の心は
(まず警察、それで消防……後は本部に報告だけど、どうやって報告しようか?)
そんな事を考えていた。
化け物や幽霊(もうりょうナントカと怨霊だっけか?)と戦ったり逃げ回ったりした結果、なんだかんだで自殺者を助けました、では……
(どこの誰が信じるんだよ、そんな報告)
と思う。しかも、この
「……はぁ」
とため息が出る思いだ。更に追い打ちのように、
「あ痛たた……」
溜息を吐いた拍子に脇腹に鋭い痛みが走った。
それを皮切りに、これ迄平気だった両腕の鉤傷もジクジクと痛みを発する。そんな痛みは直ぐに脇腹と両腕に収まらなくなった。ハッキリって全身が痛い。アドレナリンによる興奮状態が覚めて来たのだろう。鈍化していた痛覚が俄然自己主張を始めたようだ。
(これ、労災申請までやるのか……)
痛みのお陰でますます気が滅入る思いだ。
とここで、
「ふう、これで一件落着ですね」
俺とは対照的に晴れやかな表情の彼女が、そんな事を言いながら近づいて来た。そんな彼女は、
「どうしましたか?」
浮かない表情の俺を見てそう言うと、次いで
「あ、怪我をしてるんですね……分かりました。共闘して頂いたお礼です」
そう言うと、学生カバンから一枚のお札を取り出す。そして、息が吹き掛かる距離まで口に近づけると、
「我、
何度か同じ呪文(?)を繰り返したのち、
「どうですか?」
「どうですかって……」
訊かれて思わずオウム返しに答えるが……次の瞬間、お札から全身に暖かい力が波のように伝わるのを感じる。そして、
「……あれ、痛くない?」
実際は脇腹がまだ少し痛むが、それ以外の全身の痛みは嘘のように消えてしまった。どうやら、労災申請をする必要はなさそうだ。不幸中の幸い(?)だろうか。
「ありがとう」
「いえ、こちらこそ……」
そんなやり取りになる。そして、
「EFWのユーザーなんですよね?」
そう訊いて来たのは彼女の方だった。
「そ、そう、なのかな? スマホにその『EFW』とかいうアプリが入っているのに気付いたのが今日の夜で、間違ってアプリを起動したのがちょっと前かな? このフロアに来てからだ」
「そういえば、そんな風に言ってましたね……やっぱり本当なんですね」
素直に答える俺に対して、彼女は納得いかない表情で呟く。
それで一旦会話は途切れるが、俺にだって訊きたい事がある。
「君も、そのEFWっていうアプリのユーザー、なのかな?」
「え? はい……一応、そうです」
どこか歯切れが悪いが、答えは「Yes」だった。
「じゃぁ、このアプリの事を教えてもらえる? いきなり化け物みたいなのに襲われて……それがこのアプリの仕業なら、早く消したいんだ」
それで、俺は率直な気持ちを言うが、まぁ当然だろう。
さっきのような化け物に襲われ、あまつさえ忘れていた幼少期のトラウマまで思い出してしまった。できる事なら、金輪際関わりたくないと思うのが普通だ。
しかし、
「たぶん……それは無理ですね」
彼女の答えはバッサリと俺の希望を断ち斬るものだった。
「このアプリは、そもそもある程度の『力』を持った者の手元にしか現れません。それは、ある種の『神の意思』。神意ですので、人の子がどうにかできるものではりません」
つい一瞬前まで、ほんの
「それじゃぁ……」
「このアプリを使うかどうかは貴方次第。たとえ放置していたとしても、今回のような
「そ、そうなんだ……」
なんとなく、硬い口調に気圧されるような気がする。
「もっとも、このアプリを手に入れた人の中には報酬目当てで活動をする人もいますが――」
(ん? 「報酬」?)
俺は彼女の言葉の中の「報酬」というのが気になり詳しく聴こうと思うのだが、その瞬間の彼女の表情を見て言葉を呑み込んだ。というのも、この時の彼女の顔には、ありありと「侮蔑」の色が浮かんでいたから。
「まぁ、貴方も報酬に興味がおありでしたら、アプリの『チュウとリアル』を良く確認する事をお勧めします」
彼女はそう言うと
――おぉぉいぃ! じ~ん、大丈夫かぁ~ 何処にいる~? 返事をしろ~――
遠くから葛城主任だろうか? 俺を探すような声が聞こえてきた。
「関係の無い方々が来られたようなので……共闘のお礼は治癒の呪札でお返ししたということで悪しからず――」
彼女はそう言うと二三歩進み、ふと立ち止まる。そして、振りき向き顔で、
「力があるなら、それを活かすべきです。私なら、そうします」
そう言い残すと、トイレから姿を消した。
「力って……」
彼女が立ち去ったことで光源(ふわふわと宙に浮いていた光)が無くなり、暗闇に包まれるトイレで、俺は腑に落ちない言葉を噛みしめていた。
ちなみに、葛城主任と首根っこを掴まれた吉川先輩が現れたのはその後直ぐの事だった。
*******************
あの後、俺と葛城主任と吉川先輩は救急車に乗せられたサラリーマン風の男を見送ると、揃って警察署に「ご同行」となった。
ただ、警察の事情聴取は俺が危惧したような面倒臭いものにはならなかった。
現場の写真を撮った際に「サラリーマン風の男」がどこに居て、どうやって落下したかの説明を現場で求められたが、その後の警察署での聴取は
――トイレの中を確認した時に、首を吊ろうとしているところを目撃しました――
俺がそう説明すると、警察官の方で勝手に、
――じゃぁ、突然現れた貴方に驚いて落下したという事ですね?――
と、それっぽい事実を作ってしまった。
どうやら、警察はこの件について余り事件性を感じていない模様。ともすると「面倒臭い」という雰囲気さえ漏れ伝わって来た。
そうであるから、派手に壊れたトイレの状況についても警察は完全にスルー。
一応念のためだろう
――後日再び事情をお伺いするかもしれません――
とは言われたものの、比較的アッサリと解放された。
寧ろ、俺としては会社に戻った後に提出を求められた装備品破損の経緯書と始末書のほうがよっぽど面倒くさかったくらいだ。
それで、午前7時頃の明るい日差しが差し込む事務所で、思ったよりも冴えた頭で書類を書く
(そういえば、あの
ようやく、そんな事に思い至った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます