Episode01-06 トイレの怨霊
――キシャァァァァッ、キシャアァァァァ、キシャァァァァ、キシャァァァァ
フロア全体に「何か」の叫び声が響き渡る。
俺は身を固くしてその場にとどまる事しか出来なかった。
しばらく息を押し殺す時間が過ぎる。
――キシャァァァァッ、キシャアァァァァ、キシャァァァァ、キシャァァァァ
相変わらず「何か」の叫び声がフロアに響くが、それらの気配は意外な事に俺の方へ近づいて来る事は無かった。
もしかしたらLEDライトが壊れたことが逆に良かったのかもしれない。
そう思いつつ、俺は夜目を頼りに、ぼんやりと見通せる通路を進むことにした。
一応の
ちなみに、装備品の無線機は何故か無反応。スマホは例の表示のままで通話機能が使えない。なので、自力で脱出する必要があると思っている。
それで、脱出後は警察なり消防なり救急なり、関係方面が好きに対処してくれたら良いと思う。まぁ、心の片隅では、
(こんな話、警察にしても信じてくれるかな?)
という心配も有るにはあるのだが、今はその辺に
ということで、俺は暗闇の中をソロソロと進む。
しかし、慣れてきたといっても通路は暗くて難儀する。それに、「そもそも」の話だが、こんな外の光も照明も無い三階フロアで「夜目が利いている」ことが不思議に思える。
(なんでだろう?)
と思うが、「そもそも」と言うならば、そもそもの疑問を持つべき事柄が多すぎる。
そのため、俺は早々に疑問を感じる事を止めて、先へ進む事に集中する。
そんな時だった。これまで壁伝いの感触があった左手が不意に空を切った。
「?」
それで左を向くと、そこにはポッカリと口を開けた暗闇。周囲へ目を凝らすと、ぼんやりと「化粧室」の表示が見えた。
それと同時に、
「……レヨ、……ロヨ」
何かボソボソと話すような音……いや、明確に人の声だと分かるものが聞こえてきた。
正直に言おう、この瞬間「口から心臓が飛び出る」くらい驚いた。しかし、直ぐに冷静に努めて考えると、
(もしかして、逃げられなくて隠れている人がいるのかもしれない)
そんな風にも思えて来る。
一応、警備員の仕事をしている身としては、要救助者を無視して立ち去るのも忍びない。なので俺は九十度方向転換をして「化粧室」の表示がある通路の奥へ進む。
「それ」は、そんな俺が進む通路の奥、男性用トイレに居た。
*******************
――男性用トイレ――
そう表示されたドアは開けっ放しになっていた。
声はそんなドアの奥から聞こえてくる。
「……レヨ、……早クシロヨ」
相当近づいたので、声はさっきよりもハッキリと聞こえる。それで思ったのが
(電話? 「助けてくれよ、早くしろよ」か? いや、違うな)
というもの。最初は電話で助けを求めているのかと思ったが、抑揚の乏しい声はまるで目の前の誰かに語り掛けているように聞こえる。
それで、俺はトイレの中に入り込むのだが、その時点で聞こえてきたのは
「首ツレヨ、早クシロヨ……」
尋常ではない意味の言葉だった。
勢い、「え?」と思ってトイレの奥を見る。
トイレの造りは昔風。細かいタイル張りの床の細長い空間だ。片方の壁に小便器が並び、反対側の壁には入口側から手洗い場と、大便用の個室が3つ。そんな感じ。
そんなトイレの一番奥、壁際に「それ」は居た。
「え?」
思ってもみない光景に、俺は思わず素っ
というのも、トイレの奥には二人の男性がいたからだ。
更に言うと、二人の内一人はいかにも真面目なサラリーマン風。(7月だというのに)スーツ姿で、建築資材の段ボールを足場にして、天井のむき出しになった配管から垂らしたロープを両手でつかんでいる。ロープが輪っか状になっているので、まさに「首を吊ろう」としている感じ。
そしてもう一方の男は……端的に言って「普通」ではなかった。背格好はがっしりとした猪首の体形で、作業服を着ているように見えるのだが、その全身は緑色の不気味な燐光を放っていた。
「た、たしゅけ……て……」
先に俺に気が付いたのは「首吊り寸前のサラリーマン」。体の自由が利かないのか、不自由な声を絞り出すように言う。
対して緑色の燐光を放つ作業服の男は、俺へとゆっくり振り返ると、
「ナンダヨ……邪魔スルナヨ」
不機嫌極まりない声で言い、次の瞬間、
「アッチヘ行ッテロ!」
言いつつ、左手を無造作に振る。
その左手から
――ブォッ!
俺は何が起きたか分からずに吹っ飛ばされて壁に激突。頭を打たなかったのは不幸中の幸いだが、壁に背中をしたたかに打ち付けたお陰で息が出来ない。
「グホッ、げほ、げほっ」
床に転がった俺は酸素を求めて咳き込む。余りの激痛に涙が出てきた。
「サァ、早ク吊レヨ、オ前ガ俺ニ言ッタヨウニナァ!」
一方、視界の先では燐光作業着男がサラリーマン風を恫喝するように言う。それでサラリーマン風の男はイヤイヤと首を振りつつも、ゆっくりと自分の首を輪っかに通す。
「アノ時ノ俺ハ、七回生マレ変ワッテモオ前ヲ呪ウト決メタンダ。オ前ノ次ハ、オ前ノ嫁。ソノ次ハ娘ダ……父親ラシク、先ニアノ世ヘ行ッテ家族ガ来ルノヲ待ツンダナ」
憎しみが極まって音になったような声。聴いているだけで気分が悪くなりそうな作業服男の声に、ガクガクと震えるサラリーマン風の男。その足は精一杯の抵抗を示しているのだろうが、力及ばず、資材の段ボール箱を蹴り飛ばす。
「あっ」
と思った時には首吊りの完成……とはならなかった。
その瞬間、
「止めなさい!」
フワッと柔らかい光が差し込み、凛とした女性の声が男性用トイレに響き渡った。
*******************
その瞬間、空を切り裂いて何かが飛んだ。
その結果、サラリーマン風の男の首を
――ドサッ!
という音を立てて、サラリーマン風の男はトイレの床に落下した。
一方、凛とした声の持ち主は、
「七等怨霊! この開いた
言うや否や、手に持ったお札に向けて
「我、帝の勅令により怨霊を調伏せん。怨敵退散、悪霊調伏、急急如律令!」
息を吹きかけるようにそう言うと次いでお札を宙へ投げる。
その結果、ヒラヒラとした紙片であるお札は、まるで紙飛行機のように宙を飛んで作業服姿の男に張り付き、
――ボンッ
と破裂音を生じる。それで、男の右手が吹っ飛んだ。
しかし、
「っ! 流石に1発じゃ無理か」
「凛とした声」の持ち主は少し悔しそうに言う。
対して、作業服の男は
「小娘ガ、邪魔ヲスルナ!」
言いつつ左手を振り上げる。
その光景に、俺は思わず
「危ない!」
と叫ぶが、間に合わない。
――ドンッ
と発生した衝撃波が女性の身体を打ち据える。そして、俺は弾き飛ばされた彼女の下敷きになっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます