Episode01-05 「鬼ごっこ」の果て


 奥の通路へ逃げ込んだ俺が先ずやった事は、肩に掛かった無線に呼びかける事。しかし、無線は「ウンともスンとも」反応しなかった。


 仕方なく、俺は通路を後退しつつ、必死で警棒を振るう。そもそも、逃げる先にだって同じ「何か」が潜んでいるかもしれない。それに、通路は大人二人がすれ違えるほどの広しかない。なので、冷静になれば「何か」とも渡り合えると思った。


 しかし、やはり一対一の時と同じという訳にはいかない。一匹斃すのに、倍以上の時間がかかる。


 しかも、一匹を斃しきる前に別のもう一匹が飛び掛かって来る。なので、手傷をばら撒く感じになるのだが、俺も同様に手傷を負ってしまう。既に制服の左腕は鉤裂きだらけで、LEDライトの持ち手がヌルっとするほど出血しているし、右手も同じ感じだ。


「くそっ!」


 悪態だけは元気な状態だが、正直「この先」が見えない。


 そもそもだが、俺は一体何をしているんだろうか? これは一体どんな状況なのだろうか?


 理不尽な現実に怒りすら込み上げてくる。


「くそがぁ!」


 殊更大きくえて、「何か」の一匹に蹴りを叩き込む。それで、その「何か」は灰になって消えるが、それと引き換えに複数の「キシャァァァ」という鳴き声が遠くから響いて来る。新手がいるようだ。


「くそぉぉ!」


 俺は心が折れそうになりつつ、通路の奥へと走る。そんな俺の脳裏に、唐突に幼い自分の記憶が蘇って来た。


*******************


 不思議な感覚だった。


 現実の俺は異形の「何か」から逃げるように通路を走っているのだが、俺の脳裏では別の俺・・・別のシチュエーション・・・・・・・・・・で同じ様に走っていた。


――うわぁぁぁぁん!――


 脳裏の俺は幼かった。そんな幼い俺は泣きながら走っていた。これは何処だろうか? 記憶にはないが、人気ひとけの無い昼間の住宅街だ。もしかしたら大昔に住んでいた街かもしれない。


 幼い俺は、走りに走ったが、やがて息が上がって立ち止まってしまう。そして恐る恐る後ろを振り返る。


 幼い俺の視界には……「何か」が居た。厳密に言えば細部に違いがあるが、その造形や雰囲気はまさに「何か」そのもの。それが、電柱の影や自販機の影から厭らしい視線を向けて来る。


(ああ、そうか……俺はコイツらに見覚えがあるんだ)


 不意にそう分かった。


 そして、蓋をしていた記憶が奔流のように流れ出る。


 幼い日々、「何か」はそこら中に居た。


 外にも、家の中にだって、それらは居た。


 だから当時の俺は幼稚園にも通えず、かといって「ごめんなさい、お母さんには分からないのよ」と涙する母さんにも申し訳なく、一人で黙って逃げ回っていた。そんな俺の状況に気が付いたのは……残念ながらクソ親父だった。


 そして、クソ親父が実家の祖父母の元に俺を連れて行ったのを機に、俺の前から「何か」は姿を消した。ただ、思い出したくない記憶として無意識下に閉じ込めて来た記憶の中で、俺は「何か」という脅威から逃げ回るしか術を持たない幼子だった。


 記憶の中の俺は、歯を食いしばって恐怖に立ち向かう。足元に落ちていた小石を拾い、それを電信柱の影に居る「何か」へ向かって放り投げたのだ。しかし、やんぬるかな、子供のする事。石は「何か」に届かず、その足元に落ちる。代わりに、電信柱から細い影のような何かが伸びてきて幼少の俺を打ち据えた。


「うわぁぁっぁん!」


 それで再び泣き声を上げる俺。


 対して、物影に潜む「何か」は、


――今喰おうか?――

――まだだ、待とう――

――もっと力を付けるまで――

――力を付けた後に喰おう――

――みんなで喰うんだぞ――

――ああ、みんなで喰って強くなろう――

――でも、今喰おう――

――まぁ待て、今じゃない――


 好き勝手に囁き合っている。


 それで、俺はヒィヒィ言いながら母親の居るアパートを目指して只管ひたすらに逃げる。背後からはそれを嘲笑うような「何か」の笑い声が上がっていた。


*******************


――ギリッ


 無意識に奥歯を噛みしめる。


 子供の頃に逃げていた「何か」から、大人になってもまだ逃げるのか? と。


 記憶の中の俺は、怯えつつも石を投げた。反撃の意思を示した。


 なのに、大人になった俺は逃げるのか? と。


 今まで見えなかった「何か」が突然見えるようになった。この事に疑問を感じるが、肝心なのはそれではない。


 ここで逃げては、これまで育ててくれた母さんに申し訳ない気がする。クソ親父はさて置くにしても、祖父じいちゃん祖母ばあちゃんにも申し訳ない。それに「何か」は絶対的な脅威ではない。既に何匹も斃している相手だ。


(喩え数がちょっと多くても――)


 決心を付けた俺は外周沿いの通路の角を曲がると、そこで立ち止まる。背後からは相変わらず「キシャァァァ」と追いかけて来る「何か」の声がするが、逃げるのはもうお終いだ。


「……やってやる」


 警棒の握りを持ち直し、息を詰める。「何か」の気配はもう直ぐそこ。角を曲がって出てきたところへ襲い掛かるんだ。


 そして、


――チッ、チッチッチッチッ、チッチッ


 奴らの鉤爪がコンクリ床を引っ掻く音が近づく。


(今だ!)


 音が十分に近づいた瞬間、先頭を走っていた「何か」の前に躍り出た俺は、警棒を渾身の力で振り下ろす。


「ギャンッ――」


 不意打ち脳天一撃。額の小角をカチ割られた「何か」が悲鳴を発する。その時には、俺は別のもう一匹へ飛び掛かり、前蹴りを叩きつける。


「ギャフッ!」


 蹴り飛ばされた「何か」が壁にぶち当たって跳ね返って来たところを左手のライトで殴りつける。カコンッと妙に軽い手応えを残して「何か」は別の方向へ吹っ飛ぶ。ただ、この時LEDライトの反射鏡の部分が衝撃に耐えきれずに吹っ飛んでしまった。


(しまった)


 と思うが後の祭り。


 不意に暗くなった通路には後二匹の「何か」が居る。


「うおぉぉ!」


 俺は自分を奮い立たせる雄叫びを上げて、一匹に殴り掛かる。俺の警棒は、「何か」が咄嗟に身を守ろうと振り上げた腕を圧し折り、そのまま眉間にめり込んだ。


 そして最後の一匹は


「キ? キシャッ」


 仲間(?)3匹があっという間に斃されたのを見て逃げ出そうとしたが、俺はその背中に追いつくと、問答無用で脳天を一撃していた。


 これで、全部斃した。


 俺は安堵の息を吐こうとしたが、そこに、


――キシャァァァァッ、キシャアァァァァ、キシャァァァァ、キシャァァァァ


 フロア全体の至る所から響いて来る「何か」の叫び声を聞き、本格的に「ヤバい」と悟る事になってしまった。


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