貴方の聖域から目を逸らさない
名古屋。どんな芸能人でもツアーの定番は東名阪だし、おれも結構来たことある。
大都会、の割になんもないとこ。いや、よそ者が言うのも違うか。で、おれの愛しい波鶴ちゃんの、愛しい彼女のお墓があるとこ。
バカでかい名古屋駅で迷って変な方に行っちゃう波鶴ちゃん。手は繋いどこっか。休日でそこそこの人出だけど、東京ほど殺伐とした人混みではない。おれ地方出身だから、こういうとこは地方っていいわ〜と思う。
手を繋いだまま、地下鉄に乗り換え成功。ロングシートの端っこに波鶴ちゃんを座らせて、隣におれが座る。ずーっと冷たい手をしてる波鶴ちゃん。新幹線が停まる前から、不安な表情を隠そうともしない波鶴ちゃん。おれが他のオッサンからガードしないとね。
「……今もあるのだろうか?」
波鶴ちゃん、息が詰まったような声で言うからさ。
「お墓?」
「ああ。永代供養にはしたが……。永代供養であれば取り潰して合祀にはならないのか? 籍を入れていなかったんだ。手違いで私と音信不通になっていたら……」
「あるよ」
冷えちゃってる手を、きゅっと握る。恋人繋ぎで握り直してくれる。
「おれの勘は当たるから、だいじょぶよ」
不安な顔で、それでも笑ってくれる波鶴ちゃんが、すきだよ。
地下鉄から地上に出ると、のどかな住宅街だった。生け垣に囲まれた庭のある住宅が並ぶ。モンシロチョウが歩道に生えたタンポポにとまる。
波鶴ちゃんが地図を見てくれるのに着いていく。地図通りに進んでちゃんと辿り着く波鶴ちゃんと、地図から外れかけたとき「ま、行けるっしょ」で突き進んで大外しするおれ。似たもの同士じゃないからこそ、居心地はすごくいい。
4月に出会って、6月に波鶴ちゃんのお誕生日をお祝いして、8月のおれの誕生日に、指輪をくれた。左手の薬指にはめてもいいんだって。だからはめてる。
表にアメジストが入ってる。石ならなんでもよかったらしい。結晶なのが大事なんだって。結晶は護符にできるから。術の乗せやすさと価格との兼ね合いでアメジスト。それ以上の意味はない。とのことです。
おれを守ろうとしてくれてるの、めちゃくちゃ嬉しいじゃん……?
価格の兼ね合いって言ったって、地金はプラチナ。波鶴ちゃんにとってはなんでもない値段なのかもね。波鶴ちゃんはめちゃくちゃ暮らしに余裕があるの、一緒にいればわかるしさ〜。でも、嬉しいよ。
波鶴ちゃんの左手の薬指におれの贈った指輪が輝くのを、早く見たいんだけどな。
やっぱ、まだすごく宙ぶらりんだよ。
だからお墓参りに着いてきた。波鶴ちゃんが90年前に亡くした彼女。すごく強い人だったんだって。だから、死んじゃうなんて思ってなかったんだ、波鶴ちゃん。
だから、90年、お墓を見に来られなかった。
おれも、波鶴ちゃんが死んじゃったらたぶんそうなるよ。不老で、650年生き抜いた軍人さん。正直、おれを看取ってくれる想像しかできない。急に波鶴ちゃんがいなくなったらおれなんて、魂抜けたみたいにしか生きられないかも。
でも、お墓参りでおれたちの関係の何かが動くかもって。波鶴ちゃんの中で何かがカチッとスイッチするかもって。思ったから着いてきた。期待してるし、なんとなく、何もかもうまく回り出すレベルじゃないけど、いい方に行くだろうと思う。
波鶴ちゃんがお墓に行くって決めたのも、おれのためだって、おれとの関係を考えてくれてのことだって、わかるしね。
「ん? お寺じゃないんだ」
「神式の合同墓地だ。私は宗教は持たないが、術使いは神道と繋がりが深い。私が縁のない土地に墓を建てるとなると、神式が都合がよかった。彼も宗教など信じない類の人間だったから、こちらの事情でな」
波鶴ちゃんは、その彼女のことを「彼」と呼ぶ。男装の剣士さんだったんだって。男扱いされる方が好きだったって。ていうか女の子って知ってるのは、波鶴ちゃんくらいしかいなかったって……。なんか、関係性じゃん? 妬くよねぇ〜。
「神式……。ちょっと正直お参りのルールがわかんない」
「仏花が榊になるだけだ。細かいことをうるさく言っても仕方ない。墓参りというのは生き残った者のための営みだ、というのが私の持論だ。死者に意識はない。ましてや墓に意識が宿ってなどいない。持論だが」
へえー。術を使うって、宗教とは別なんだねぇ。死後の世界に関してはリアリストなんだ。
合同墓地の門を抜けたところに、小さな事務所があった。受付には誰もいなくて、声を張り上げて呼んでみる。30代くらいの化粧っけのない女の人が出てきてくれる。
「すみません、墓の場所を調べていただきたいのですが」
「ああ。えーっと、お
「おざいしょ?」
「実家ってこと」
すかさず小声で教えてあげるおれ、グッジョブすぎ。おれも東海出身だからね。名古屋でも「お在所」言うんだ〜。
大丈夫だよ、って波鶴ちゃんの背中に手を添えて。絶対そのお墓、残ってるよ。
「いえ、個人名のもので。私が建てたものです。1936年の7月か8月に……ああ、私は不老なもので」
「え、ああ! そうですか! それはそれは……」
不老の人間に初めて会ったんだろうな、動揺を隠しきれないお姉さん。わかる。めっちゃわかるよ〜その気持ち。
「かなり前ですと……そのときうちもあんまりお墓なかったですかね?」
「ああ、そうですね。こんなに広くなかったし。いくつか先に建てたものがあるくらいで」
「ですよねー! だとリスト遡れば見つかるんで、お待ちくださいね〜。ご名義うかがってもよろしいですか? あ、お墓に彫ってあるお名前です」
パソコンを開いて、調べてくれるみたい。へえ。最近のお墓って、ちゃんとリスト作ってるんだ〜。おれの実家の墓はそんなことやってなさそう。
「にんべんに冬で、トウ、です。それが名字で。一文字で。中国系なので」
へえ。おれも初めて聞いた。中国系の剣士のお兄さん。いやお姉さん。いやお兄さんでいいのか。
「あー、そこまで前だとちょっとリストは……画像一覧はあるんですけど。一文字ですよねー。個人のお名前で……。こちらですかね?」
パソコンの画面をぐるっとこっちに見せてくれる。少し赤っぽい石のお墓の写真が表示されている。
「……ああ。それです」
波鶴ちゃんの、ずっとずっと張り詰めてた空気がふっと緩んで……おれ泣きそうになっちゃったじゃん。三十路の涙腺ってこんな緩いの〜?
「お榊はこちらで買えますか?」
「ええ。500円ですー。桶は出て右のとこ、ご自由にお使いくださいね」
かけるべき言葉は、見つかってよかったね、なんだろうけど、好きな人が死んじゃったのはよくないし。黙って、手桶に水をなみなみ汲んで、おれが運んであげる。
神式の墓地、初めて来たかも。四月のお墓って、思い思いに季節の綺麗な花を供えて、お墓といっても華やいでるイメージがあったけど。ここは榊しか飾らないから、シン……とした雰囲気。
波鶴ちゃん、地図はもらったときに一回見たきり、迷いなく歩いていく。背筋はいつも通り毅然と伸びて。
先を行く波鶴ちゃんが、何列にも並んだ墓石の、とある角を迷いなく曲がる。ちょっと距離が空いちゃったけど、お墓で駆け足も違うかな、と思って、歩調を変えずにそちらへ向かう。
おれは、その墓を見たいのか見たくないのかも、よくわかんねぇんだよ。
波鶴ちゃんが折れた角に追いついて、曲がった。赤っぽい、小ぶりなお墓の前に膝をついて、拳を膝の上で強く握って、俯いてる波鶴ちゃん。おれは、その姿を遠くから見てる。
近くでウグイスが鳴く。特徴的な声に見上げれば、トンビが高く高く、円を描いて舞っている。
さっきからトラクターのエンジン音が聞こえる。もう田起こしの季節か。そういえば、と空気を嗅げば、掘り返されたばかりの土のにおいがする。
同じ列に、スイートピーが供えられた墓もある。神式だって忘れて買ってきちゃって、ま、いっか!って生けて帰ったんでしょ。もうお墓参りもフリースタイルの時代ですよ。
ねえ波鶴ちゃん。季節は、もうこんなに巡ったよ。
おれの恋敵さん。ずっと遠くに行っちゃってさ。波鶴ちゃんにこんな顔させてさ。おにーさんのこと何も知らんけど、普通に嫌いだし、嫌いだから綺麗に墓を磨いてあげるね。そしたら波鶴ちゃん、喜んでくれるから。
おれは生きてるから。おにーさんは死んでるし。生きてる奴しか、波鶴ちゃんを喜ばせることってできないし?
おれは70年もしないうちにそっちに行くし、そのときにボコボコにしてくれたらいいよー。
波鶴ちゃん、と声をかけながら、軍手とかスポンジとか取り出す。
「いや、必要ない」
「ん、そうなの?」
「綺麗にしてくれている。管理所の人たちだろう」
「……ほんとだねぇ」
苔むしててもおかしくないのに。ぴかぴかに。少し顔が映るくらいに、掃除してくれてる。
手桶が、お墓の前にふわりと着地する。涙の筋が付いた顔の波鶴ちゃん。ひしゃくで丁寧に墓石に水をかけるのにすら、嫉妬しちゃうなんてバカみたいだけどさぁ。
お酒とお水とお米と盛り塩を迷いなく供えていく。もしおれの実家の墓が神式だったら、スマホで検索しながらあわあわ並べて結局順番間違えたりしそうだけど。あらら。余計なこと考えちゃった。
「酒豪だから、この程度の酒を供えたところでな。一升瓶を何本持ち込めばいいことやら……」
あー……。ニヤッとした笑い方で、軽口叩く余裕が出てきたんじゃん。愛しいよ、波鶴ちゃん。さすがに墓の前でイチャイチャはしないでおいてあげるけど。
ぴん、と波鶴ちゃんの空気が張り詰めた。ろうそくを立て、人差し指をかざして火を灯す。榊を両手で立てる。
波鶴ちゃん、信仰はないって言うけど、神を祀る仕事をやってたことはあるのかな〜。そう感じさせる、端正で自信に満ちた動作だった。軽く伏せられたまつ毛の奥に、遥かな時代の、木々に囲まれて静かな神域が見える気がした。
二礼、二拍手、一礼。波鶴ちゃんのまっすぐに伸びた背筋のような、凛とした拍手の音が響いた。
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