弔いは弾ける虹の火花のように

「電車で来られましたー?」

 管理所に軽く挨拶して帰ろうとしたら、門の手前で植え込みを手入れしてるおばさんに声をかけられた。

「ええ。名城めいじょう線で」

 落ち着いた声で、波鶴ちゃんが答える。

「名古屋駅方面でしたらね、バスでねぇ、そこ。出て右手にバス停ありますから。遠回りだけどねぇ、お急ぎでなければね、乗ってくと、名古屋城が正面から見えますよー。今は桜も綺麗だし」

「ああ。綺麗でしょうね。そうします」

「そのうちね、あと10分もしないうちに来ますからー」

「ありがとうございます」

 社交スマイルじゃない、穏やかな笑顔で受け答えする波鶴ちゃんを見て、ふっと呼吸が楽になった。おれもすっごく息を詰めてたんだ。今さら気付いた。

「どの系統でも名古屋駅へは着きますからー」

 後ろから言ってくれるおばさんに、振り返って会釈する波鶴ちゃん。おれはこういうときチャラけたマンガみたいな会釈をしちゃうんだけど、波鶴ちゃんは会釈までほんとに上品。


葉介ようすけ。昔は汽車の停まる駅のホームに洗面台があった。ずらっと並んだやつだ。なぜだと思う?」

 五分くらい待ってバスが来た。そこそこ空いてる一番後ろの座席に座ったら、クイズを出題されましたよ。

「急にクイズだ。洗面台? ほんとに? それ自体嘘じゃなくて?」

「嘘ではない」

 くすくすと笑う波鶴ちゃん。だいぶ元気出てきて、クイズ出す余裕も出てきてよかったー!

「うーん。昔は裕福な人だけが乗ってたから、身だしなみを整えてから駅を出るのがマナーだったんでしょ」

 これはさすがに正解じゃん?

「違うな。身だしなみの部分はあながち間違いでもない。だがうがいもするんだ」

「え……? ス、スペイン風邪? スペイン風邪が流行ってたから?」

 なんか聞いたことある流行病の名前を出してみて、無理やりすぎて自分で笑っちゃった。

「違うな」

「降参だよ〜」

 波鶴ちゃん、楽しそう。それだけで三十路の涙腺が熱くなってきちゃうから、早く衝撃のアンサーで驚かせてほしい。

「汽車……つまり石炭で動く蒸気機関車というのは、ススがすごいんだ。窓を開けたらいくらでも入ってくる。かといって空調もないんだから開けるしかない」

「えっ!? 映画の優雅な汽車の旅は……」

「あれは登場人物がススを気にしない性格なんだろう」

「優雅なオリエント急行は〜??」

「外国の事情は知らない。とにかく駅に着いたらススと汗まみれだから、顔を洗ってうがいをするんだ」

「そういうレベル感の身だしなみ!?」

「機関車の技術の発展度合いにもよるんじゃないか? 今の観光蒸気機関車はそうでもないように思う。だから長く生きるのはおもしろい。時代は進歩していく」

「ん〜。おれとも出会えたしね」

 波鶴ちゃん、一瞬躊躇した目をするから。

「そう言ってよ」

 波鶴ちゃん、ずっと待ってたんだもんね。

「きみが、それを、許してくれるのなら……」

 うん。おれが、言えばよかったんだ。

「許してあげる。波鶴ちゃん。波鶴ちゃんは、おれを誰かさんの代わりにしてるわけじゃないのよ。波鶴ちゃんが頭で考えて、代わりにしないようにしてるとかじゃないのよ。波鶴ちゃんは代わりにしてない。わかんのよ、おれ。おれは直感とひらめきだけで生きてきたタイプじゃん? わかんのよ。そういうの」

 安心と、慈しみと、信頼の滲んだ顔でふわっと笑われてさ。ああ。カチッと、動き始めたなってわかった。

「弔いは、済んだよ。弔いが済んだということは、死んだということだ。90年も前に死んでいたのにな……。ずいぶん長く、私の中で生かしてしまった。だから、弔いは、生者のためにあるんだ。それを分かっていながら、私は大馬鹿者だな」

「ん〜? 生きてる人間の特権じゃん、迷ったり悩んだりすんのもさ。おれはチャラいから、波鶴ちゃんが弔ってくれないとチャラチャラ波鶴ちゃんにくっついて回るから。死んだら3日でサクッとさ」

「初七日という言葉を聞いたことがないのか? せめて7日はくれ。ちなみに神式では10日だ。いや、四十九日というのも人間が忘れるためにあるんだ。全く……」

 仕方がないな、という苦笑。でも雰囲気は柔らかいまま。

 もうおれたちは大丈夫、ってわかった。

「看取れそう? おれを」

「ああ」

 すっと目を閉じて。


 波鶴ちゃんの長いまつ毛の、閉ざされた切れ長の目の、深い黒の虹彩の、その奥に、おれの知らない草原がある。翳ったり、嵐になったり、秋の陽に照らされて金の海のように光ってなびいたりしながら、波鶴ちゃんはずっとその草原を生きている。そこに、長く、永く、燻っていた火が、いま、ぱちぱちと小さな花火になって、弾けて消えていく。


 ほう、と波鶴ちゃんが息を吐いて、おれの意識がバスの車内に戻った。

「……草原が見えた」

「ああ。そうか。私ではない。きみの力だ」

 波鶴ちゃんは興味深そうに目を見開いて、口角を上げておれを見た。それ以上説明する気はないみたいだった。それから、すごく優しい顔で、目を恥ずかしそうに伏せるから、おれもそれ以上は聞かなかった。今からもっと大事なことを言ってくれるもんね。

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